2012年8月31日金曜日

「兄 いもうと」

「兄いもうと」というと誰と誰を思い出すでしょうか。

私などはカーペンターズのお兄さんとカレンさんを思い出してしまいますが、ちょっと古いですね。

鳥越碧さんの「兄いもうと」はそれよりももっと古い時代の話で、兄は正岡子規、そしていもうとは律さんという人の物語です。


正岡子規は本名は升(のぼる)といいましたが、律さんはこの升にいさんのことが小さいころから大好きで、そのため、他の男性を愛することができず、常にお兄さんと比較して相手を落胆してしまい、結婚しても2回とも離婚してしまうほどでした。
兄貴コンプレックスとでもいうのでしょうか。

私は俳句の世界はほとんど未知の世界で、子規といっても
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
くらいしか知りませんでした。

ところが子規という人は生涯には何万という俳句を作っていたそうです。すごいですね。

律にとって最愛のお兄さんである子規は脊椎カリエス(骨の結核)という難病にかかり、そのお世話をすることだけが彼女の生きがいになりました。
当時、この病気というのは治療法がないくらいの大変な病気で、下の世話から食事の世話まで律は献身的に接してきました。
うみの出ている背中のガーゼを交換したり、汚れ物を洗濯したり、普通の女性では嫌気がさしてしまうような仕事にも一生懸命でした。

それはみな、兄を愛するがためでした。

それでもこの兄は、無学な妹よりも俳句の仲間たちを大事にするのですね。
とくに「ホトトギス」を主宰するようになってからは、それが子規の生きがいのようになりました。
そのことがまた彼女を苦しめてしまいます。
身内よりも仲間や仕事を大切にするというのは、子規も漱石と似たような感覚の持ち主だったのでしょうね。

子規は結局、35才という若さで亡くなるのですが、律さんはその後は共立女子職業訓練学校に入り、母校の教師となったそうです。
それまで勉強が嫌いで、兄の世話だけに明け暮れていたのですが、女性として独り立ちしたのは素晴らしいと思いました。

それにしても鳥越碧さんの描く女性像は、誰もが息苦しいまでの世界に生きている人ばかりです。
樋口一葉、漱石の妻、そして子規の妹。
明治時代というせいなのかもしれませんが、現代の女性ではこれほど耐え忍ぶことはできないでしょう。

私自身は二人姉妹の長女だったので、中学生のころまで、本当にお兄さんが欲しいと思っていたのですが、でも実際にこんな大変なお兄さんがいたら、逃げ出してしまったかもしれないなと思いました。お兄さんは憧れだけで十分でした。




2012年8月30日木曜日

メイベリン化粧品

私は普段のお化粧ではファンデーションは使わず、部分的にちょいと手を加えるだけなのですが、
着物を着るときはやはり少しはお化粧をしないとなりません。

これまでチューブに入っているリキッドタイプ(クリームタイプ?)のファンデーションを使っていたのですが、手のひらにとって肌に塗ったり、そのあとスポンジで伸ばすのが面倒なのです。
それでたまたま、見つけたのがこれ。

メイべリン ピュアミネラル バーチャルイレイサー▼


化粧品のボトルの上のキャップをはずすとスポンジが現れます。そしてその下のグリップを回して、スポンジを肌に押し付けると、ちょうどいい分量のファンデーションが出てくるという仕組みなのです。(ムヒのような感じと言ったら分かるかしら?)
手も汚れないので、着物を着た後にも化粧ができるのがいいですね。

スポンジがふわふわしていて、気持ちが良いですよ。

お店で試して、即、購入しました。

カナダに住んでいる妹に言わせると、「メイべリン」は安物化粧品なんだそうですけれど、私はマスカラもここの製品を使っています。職場の同僚に薦められたものです。

メイベリン ラッシュエクステ ダブルストレッチ▼


それはマスカラが棒の前と後ろ(上と下か?)に分かれていて、まず1というほうのスティックを抜くと、白い糊のようなものが出てくるので、それをまず塗ります。
そしてそのあとに2というほうを抜くと、今度は普通の黒いマスカラが出てくるので、1の上に塗るのです。

つまりまつ毛に下地を塗ってから、マスカラを上に乗せるというやり方ですね。そうすると絶対にパンダ眼にはならないと言われました。

二度塗りがなんとなく面白いので使っています。

どちらも2000円しないお安い品物なので、つい気軽に買ってしまいます。

効果はあるのかどうか分かりませんけれどね・・・・。


2012年8月29日水曜日

紬でランチョンマット

「ミシンで手作り」も回を重ねてきましたが、今回は着物のリメイクです。
某リサイクルきもの屋さんで買った紬の単衣をランチョンマットにしました。

この着物は、買う時に良くチェックしたつもりだったのですが、実は裾のほうに大きなしみがあり、そのままでは着られないものでした。(私としては初めての失敗でした。)
それでも草色の色合いが気に入っていたので、捨てないでそのままたんすの肥やしになっていたものです。

その着物の袖の部分だけをはずし、洗剤で洗って干してそしてアイロンかけをしました。

左右の袖の前側と後ろ側に切り分け、周囲を三つ折りにして縫っただけですが、それだけだとあまりにそっけないので、100円均一で買ってきたレースで飾りを付けました。
「トーションン・レース」というのだそうです。

ちょっとシワシワですが・・・。


左右の袖から4枚のランチョンマットが出来上がりました。

まだ身頃の生地がたくさん残っているのですが、今度は何にしようかしら?



2012年8月28日火曜日

小梅ちゃん

甘酸っぱい「小梅」ちゃんの隠れたファンです。

とくに一袋に2つだけ入っている大玉が好き。

先日、こんな商品を大学の生協で見つけました。

「気がつけば 目でおっているの 君のこと」
いいなー、こういう胸の内。


「小梅ちゃん レトロはんかち」つきというもの。

思わず手にとって、レジに直行してしまいました。

中を開けると、

普通の小梅ちゃんと、

 
赤とんぼの絵柄のハンカチが入っていました。


ハンカチは本当に小さくて、いったい何に使えるのか、というしろもの。

でもレトロな雰囲気が出ていて可愛いのです。


どうもこういうおまけに弱い体質のようですね。

このレトロはんかちは3種類あるみたいですよ。


2012年8月27日月曜日

手提げバッグ 作りました

ミシンで手提げバッグを作りました。

出来上がりはこちら ↓
(写真の色がイマイチですいません。)
竹の持ち手が可愛いでしょ。


外側はちょっと気恥ずかしい小花模様。

内側はベージュのチェックです。



素材の布が薄手なので、あまり重いものは入れられないみたいですね。

これはだいぶ前に、「はんど & はあと」という手芸雑誌の付録についていた材料を使ったのです。めんどくさそうなので、そのままにしていた材料を押し入れから引き出してきて作りました。

そのころはまだミシンを持っていなかったのですが、先日、ミシンを購入したので、思い出してトライしました。

意外とスイスイと短時間できましたよ。

ミシンで遊ぶのは気分転換にはぴったりだわ。



2012年8月26日日曜日

「三糸」コンサート

今年の4月に狛江の「桜庭サロンコンサート」で聞いた山本普乃さんの三味線▼が素敵だったので、昨日は地元の「た○くり」に彼女のユニット「三糸」コンサートを聞きに行きました。


「三糸」というのは、山本さんと上原潤之助さんという二人の三味線弾きのユニットなのですが、古典曲だけでなく、ジャズや民謡の要素がたっぷりの曲を演奏していました。

今回弾いた曲はほとんどが山本さんが作曲された現代音楽でした。現代音楽と言うとちょっと難しそうですが、実に楽しい曲が多くて、ポップな感じ、民謡っぽい感じ、雄大な感じの演奏でした。

このコンサートにはお二人の他に、一七弦の箏、横笛、太鼓・堤なども加わっていてオーケストラ風でした。

ステージの真ん中には、どーんとドラムのように置いた太鼓があり、また照明もカラフルで素敵でした。長唄三味線の演奏会などでは、つい眠気が襲ってきてしまうのですが、このコンサートではみんながノリノリだったので、眠る暇もありませんでした。

前半の部では山本さん、上原さんのそれぞれのお弟子さんたちも演奏していましたが、中でも注目を浴びていたのは山本さんの12歳になるお嬢さんの三味線演奏でした。水色に花柄の夏着物を着ていましたが、とても可愛らしくて将来が楽しみです。

演奏はなんと二時間半もあり、たっぷりと楽しい曲を聞くことができました。
大サービスですね。

アンコールは「ソーラン節」で賑やかに終わりました。

こちら▼でお二人の演奏が聞けます。

そうそう、ついでながら、会場の冷房がきつくて、すごく寒かったんですよ。
でもあいにくと洋服だったので、冷えること冷えること。
通路のすぐの席だったので、足元が広かったので、座席におばあさん座りしてしまいました。
あーあ、着物にすればよかったと、つくづく後悔しましたね・・・。

2012年8月25日土曜日

もやもや

ちょっと具体的には書けないのだけれど、仕事のことでもやもやした状態が続いています。

それで今日のブログの書き込みにはあまり集中できないので、夏のお花を載せることにしました。

これは8月日に出かけた日光の戦場ヶ原の草むらで見つけたお花。



背の丈ほどの植物でしたが、紫の花が風にゆらゆらと揺れていました。
小さなお花が房のようになっていました。

こちらも日光に行った時の写真です。

どこかの駐車場で見つけたペチュニア。白と赤の両方、咲いていました。





お花を眺めて、心を鎮めようとしているところです。






2012年8月24日金曜日

新宿高島屋 タバサ

娘に手渡すものがあって、どこか途中で落ち合おうということになりました。

あちらはベビー連れだし、私も炎天下を歩くのはいやなので、どこかよいところはないかと、やはり孫もちのマサさんにお聞きしたら、高島屋のベビー用品売り場にあるカフェがよいとのこと。

さっそく新宿高島屋の9階まで出かけました。

「タバサ」▼というカフェです。

そこは窓の下には鉄道が見える広々とした空間でした。
それにしても赤ちゃん連れのママばかり。

バンボという赤ちゃん用の椅子を借りて、そこに座らせ、まずは離乳食を与え、少ししてから大人が食べることにしました。

サーモンとクリームチーズのガレット。


それに甘いクレープはチョコとバナナ乗せ。
どちらが主食でどちらがデザートなんだか分かりませんね。


これに飲み物がついて1200円というのは、安いのか高いのか?

でも普通の喫茶店では赤ん坊がいると周りに気兼ねをしてしまうのですが、ここは100パーセント子連れなので、多少泣こうが騒ごうが、気にしないですむので助かりますね。

食事の後は赤ちゃん休憩室に行って、おむつの交換。
水玉模様のガラス越しで、笑顔を振りまいていました。
ほんと、楽しそうね~。



ここで私の作ったモンキーパンツをはかせてみました。
丈はちょうどよかったのですが、胴回りが45センチのゴムではゆるかったみたい。


娘は「あら、このパンツだと足が長く見える」と喜んでいましたが、ブーツカットのせいかしら?

でも「この程度なら、西松屋なら680円で売っているよ」という感想でした。

「費用はかかったの?」と聞かれたので
「私のTシャツだったから、ただだった」というと、「そういえば、これ、着ていたね、覚えているわ。」

そんな他愛のない会話をしてきました。

これは練習であまりデキがよくないので、またちゃんとしたのを作らないと。

その後、ラルフローレンとかバーバリーの子供服の店を冷やかて歩きましたが、そんな子供服、だれが着るんでしょうね。
桁がどーんと違っていました。



2012年8月23日木曜日

漱石関連の本 2冊

また鳥越碧さんの本を読みました。
今回は「漱石の妻」。


悪妻と呼ばれた夏目漱石の妻、鏡子さんが主人公です。

漱石(本名は夏目金之助)とお見合いをして、一目で好きになって結婚してみたけれど、、実際は夫は精神不安定、友人や弟子たちには優しいけれど家族には暴力をふるう、そして高級官僚だった実家は没落してしまうという大変な目にあった鏡子さんの半生を綴ったものです。
鏡子さんと漱石には心の交流があったのかどうか、本人も分からないのかもしれませんが、それに反して次々に子供は生まれるんですよね。

谷崎潤一郎の奥さんの小説を読んだときにも、「大文豪の奥さんは大変だな~」と思いましたが、漱石の奥さんの場合は、近代文学の大文豪でもありそして精神的に不安定であり健康も不安で、経済感覚もおかしかった人の奥さんというのは、本当に辛いものがあったのだろうと思いました。

でもやはり「人の奥さん」だけであるのは、つまらない人生だったのかもしれません。
もっと自己主張して、自分なりの力で生きていくことを試みても良かったのでは、と思いました。

もう一冊は清水義範の「漱石先生 大いに悩む」。


私の大好きな清水さんの小説ですが、どこまでが本当でどこからが嘘の世界なのか、不思議な小説です。

清水さん本人とおぼしき小説家のところへ、知人からある女性にあてた差出人が夏目金之助の名となっていた未発見の手紙が持ち込まれます。
それが漱石の『猫』の執筆にヒントを与えたと思われる内容であることに小説家は興奮してしまいます。
そしてその女性は誰だろうという探偵もどきの仕事が始まります。
この小説には高浜虚子も登場するし、当然のことながら漱石の奥さんである鏡子さんも登場します。

この2冊を読み比べてみると、エピソードが満載で面白いですよ。

特に漱石さんと言う人は手紙マニアだったようで、生涯に1万通以上の手紙を書いたのではないかと言われています。

現代に生きていたら、きっとフェイスブックやブログやツィッターにも夢中になったのではなかろうか、と思われる人ですね。

それにしても漱石さんって50歳で亡くなってしまったんですよね。
あのお顔は今の年齢では70歳くらいですよね。
昔の人のお顔は立派でしたね。

2012年8月22日水曜日

ミシンで手作り 2

私は何かにハマると、けっこう一直線に突入するタイプなのかもしれないわ。

たとえば着物生活にしても、ある日、急に目覚めてからは、どこかへお出かけするときはほとんど着物ばかりになってしまいました。

また読書にしても、同じ著者の本ならすべて読んでしまうのも、そのような性格だからかもしれませんね。

さて最近はミシンの手作りにハマっています。

とはいっても、私ができるのは直線縫いばかりなのですが、家にある生地で、こんな小物を作っては遊んでいます。

ランチョンマット。
一番簡単、四角に縫って、裏返して、もう一度四角に縫っただけ。


裏表が違うところがちょっとミソです。


ティッシュ・ケース。


これまた簡単。両端を縫って裏返すだけ。

帯の補修。


先日、骨董市で買ってきた短い帯▼の補修です。
あれこれ考えましたが、お太鼓のところを切り取って、二部式帯にしました。
胴に巻くところが短いので、同じような黒い帯を付け足して(写真では少ししか見えませんが、40センチほど追加しました)、上部には巻くためのテープを付けました。

ワインボトル・ケース


上で使った黒の帯の余った手先部分。
もともと袋状になっていたので、上部を三つ折りにしただけ。

あまりに簡単すぎて作品とはいえませんけれど、大の苦手だったミシンもなんとか使えるようになったのは嬉しいわ。

暑いときはあまり外出もしないで、おうちで楽しんでいます。


2012年8月21日火曜日

当選チケットで「ペリー展」

またまたチケットが当たりました。

神奈川県立歴史博物館の特別展「ペリーの顔・貌・カオ~ 「黒船」の使者の虚像と実像」~▼です。


この博物館は、横浜の馬車道駅近くにあり、神奈川県の歴史に関するものがたくさん展示されています。

この建物は、もともとは明治33年(1900年)に横浜正金銀行本店として建てられたそうで、とても立派な西洋建築でした。
(絵はパンフレットからいただきました。)


戦後はしばらくは東京銀行の横浜支店として使用されていましたが、現在は神奈川県の所有となっていて、昭和42年に博物館となったそうです。国の重要文化財になっています。

この博物館では、常設展では神奈川県の歴史が縄文時代から現代にいたるまで展示されていますが、今回の特別展は「ペリー展」でした。

ペリーといえば、アメリカ海軍の軍人ですが、お兄さんも海軍の軍人だそうで、アメリカではお兄さんの方が有名なんだそうです。

ご存じのように、ペリーは4隻の艦隊を率いて鎖国をしていた江戸末期の日本に来航しました。
そして日本の開国のきっかけを作った人ですね。

今では私たちは「ペリー」と呼んでいますが、当時は「ペルリ」と呼ばれていたそうで、漢字では「彼理」と書いていたそうです。

この写真は教科書でも良く見かけますね。かっぷくの良い方です。
(ちなみに後ろに写っている赤ちゃん連れのママさん、子育てしながらこのようなところに来るのは熱心ですよね。小学生くらいの親子連れもたくさんいました。)


ペリーの艦隊にはなんと、彼らの食料の材料となる牛や羊も積み込んでいて、船の中で飼育していたそうですから、牧場付きの船はどんなに大きかったがが分かりますね。

そんな大きな船が突然にやってきたのですから、驚いたことでしょう。

それまで外国人など見たこともなかった当時の江戸っ子たち。
いったいペリーという人はどんな顔をしているのだろうと想像を膨らませたことでしょう。

そして何種類もの似顔絵が生まれましたが、ちょっとひどいなーというのもありました。


まるで赤鬼のような顔をしていますね。
上野の西郷さんに似ている顔もありました。

ペリーさんのほかにも一緒に乗船していた副提督や通訳の人たちの似顔絵もありましたが、うまく書かれていましたね。
その頃はカメラが一般には普及していなかったので、絵師の描く絵が重要だったのですね。

展覧会の記念に、こちらの漫画を買いました。
表紙のペリーさん、あまりにもハンサムでかっこよすぎますね。


横浜は一昔前には両親が住んでいたので、懐かしいところでした。
東急の「みなとみらい線」ができてからは、JRに乗ることは少なくなりましたが、JR横浜駅もきれいになっていてびっくりしました。

この日は、めちゃめちゃ暑かったのですが、頑張って夏着物を着ました。
(遠くまで電車を乗る時は、冷房よけのためには着物のほうが良いのです。)


帯は何回も締めている絽綴れ。
もうちょっと飽きてきてしまったくらい着用しています。

さて、実はもう一つ、当選を狙っているチケットがあるのですよ。
当たればいいなーと念じているところです。


2012年8月20日月曜日

モンキーパンツ

紅連さんに教わった型紙でYくんのモンキーパンツを作りました。

元は私のTシャツ。ずいぶん着たので、よれよれですが、着心地は良い生地です。


こちらの縞模様のTシャツは前開きボタンがついているので、そのまま利用しました。
こんな感じ。
パンツの裾はTシャツの裾を利用したので、縫う手間が省けました。


後ろのお尻のところは、青いユニクロのTシャツを使いました。
丸くカーブしているところを縫うのは初心者には難しかったわ。


制作時間は型を取ったりしたので2時間くらいかかったかしら。
初めての作品なので、かなりいい加減です。

調子に乗って、もうちょっと長めのTシャツでもう一枚つくりました。


ベージュの無地でつまらなかったので、子ブタちゃんのアップリケ。
100均です。

今週、孫に会う予定があるのですが、嫌がらずに履いてくれるかしら。


2012年8月19日日曜日

大和骨董市


昨日は、初めて大和骨董市に行ってきました。
神奈川県大和市の駅前広場で毎月第三土曜日に開かれている骨董市です。


ここは小田急線と相鉄線が交わるところですが、駅の東西の広場に300軒くらいのお店がずらーっと並んでいました。

そのうち半分以上は着物や帯や端切れを扱っているお店でした。
わくわくしました。

朝早く出かけたのですが、それでもお客さんは多かったですね。


戦利品は、ずっとあちこちで探していた絽の染め帯です。
染めのほかに絞りやおまけに刺繍までしてあって、すごく気に入りました。
御所車になでしこ、すすきの模様でしょうか。


1000円という掘り出し物。
ところがこの柄、どうやって締めてもうまく背中のお太鼓の部分に出ないんですよ。
どうやったらいいのか、研究してみます。

こちらは黒の繻子に手描きの花模様の帯。
華やかで西洋風雰囲気もありますよね。
オレンジの花はなんでしょうね。


こちらも1000円でした。
ところがこの帯、手先がものすごく短くて、どうやっても胴に巻けないのです。
似たような生地を継ぎ足そうかしらと考えています。

帯はどちらもすぐに使用できずに、ちょっと残念。

着物は普段着用にこんなのを買いました。
写真で見るよりも濃い目の紺色です。


かすり模様のような柄が可愛い単衣着物です。
サイズもぴったり。
1500円でした。
こちらは秋になったらすぐに着られそうだわ。

もう少しお店を見ようと思っていたのですが、突然、暗雲が立ち込めてきて、そしてザーザーの雨となりました。

木の下で少し雨宿りしていましたが、止みそうもないので諦めることにしました。

大和は1時間以内で行けました。
思ったほど遠くはなかったので、またいつか、もう少し涼しくなったらお出かけしてみましょう。


2012年8月18日土曜日

「花筏」/「細雪」

今、夢中になっている作家・鳥越碧さんの「花筏」を読みました。
正式なタイトルは「花筏 谷崎潤一郎・松子 たゆたう記」と言います。
厚さ4センチほどもある単行本でした。
内容は谷崎潤一郎の奥さんである松子さんと彼女の姉妹たちのお話です。


あのような大作家を夫に持ち、そして夫に愛されながらも女好きの夫の奥さんであるのはいかに大変かという話があれこれ綴られていました。
かなり事実に基づいた内容だと思います。

私には大作家といわれるような人の奥さんは務まらないだろうと思いました。
何でも芸術のためと、家庭内のあれこれも小説で暴露されてしまうのはかないませんね。
松子さんという人はたいそう美人だったようですが、谷崎は彼女のどこに惚れたのか、そのあたりがよく見えませんでした。

その中には谷崎潤一郎の書いた小説のこともいろいろと書かれていました。
私はこれまでこの人の本を読んだことがなったので、それも興味深かったですね。
そして彼女たち四姉妹がモデルになったという「細雪」を読んでみることにしました。


こちらは文庫本でしたが、厚みが5センチくらいあり、片手では持てないほどの分厚い本でした。
松子さんは幸子さんという奥様になっていました。

「細雪」は以前、映画で見たことがありましたが、「豪華絢爛な衣装」とか「優雅な生活」という面ばかりが強調されているように思いましたが、小説のほうでは暴風雨で大変な目にあったこと、病気治療のこと、末っ子の恋人が病死してしまうこと、そして末っ子が難産の末、子供を失ってしまうことなど、かなり大変な物語がリアルに書かれている内容でした。

「細雪」は戦前、戦中の話ではありますけれど、かなりモダンな生活をしていたことがうかがえます。
食事は洋食、飲み物はワイン、楽器はピアノ、移動は常にタクシー、女中さんも何人もいたなど、当時の上流階級の人は今の私たちの生活水準よりももっとハイカラな生活をしていたことがよく分かりました。

さて、「細雪」はおもしろいかと言われれば、「すごくおもしろい」とは言い難いのですが、登場人物がきれいな関西弁で話し、姉妹けんかをしながらも最後は家族の結束を強めていくところは面白いですね。

それにしても三女の態度があまりにも優柔不断でした。電話に出て話すこともできないようなお嬢様だったので、ちょっとイラつきました。いまどきは電話にも出られないお嬢様はいませんよね。

「細雪」には4姉妹以外にも、谷崎本人である夫、長女のお婿さんである義理の兄、幸子さんの娘、お手伝いさんたち、おせっかいな世話好きな仲人口のひとたちなど、よく描かれていると思いました。




2012年8月17日金曜日

日光 日帰り旅行 3

さて、日光の東照宮五重塔を見た後はバスで華厳の滝へ。


ここは97メートルの高さのある滝で、中禅寺湖からあふれ出る水で、一年中枯れることがないそうです。


エレベーターで下ると滝壺の近くまで行けるんですけれど、待ち時間がなくて行く時間がなくて残念でした。
昔は自殺の名所といわれていましたが、最近ではほとんどここで自殺する人はいないとか。


そうそう、珍しい食べ物がありましたよ。
餃子コロッケというものです。なんだかリッチそうな食べ物ですね。


それから中禅寺湖畔を通ってお次は戦場ヶ原へ。


「戦場」といいますけれど、ここでは誰と誰が戦ったか、ご存知ですか。


実は中禅寺湖はどこの領土に属するかということで、下野の国(栃木県)の男体山の神と、上野国(群馬県)の赤城山の神様の間で争いが起こったそうです。

そしてそれぞれ栃木県の神は蛇に、群馬県の神はムカデに化けて戦ったという伝説があるそうです。

へー、戦場ヶ原というのは男体山と赤城山の戦いというのは初耳でした。

後ろに見えるのは男体山ですね。

この辺りは湿地帯でラムサール条約に登録しているところなのだとか。


戦場ヶ原は標高が1900メートル以上もあって涼して楽チンでした。

途中、漬物やさんなどに寄りながら帰路へ向かいました。


夜の8時には新宿に戻ってツアーは終了。

団体旅行は好きでないけれど、見学場所の間隔があいているときはバスツアーは便利ね。