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2024年7月28日日曜日

多摩川へ早朝サイクリング

多摩川の上河原堰の写真を撮るために、早朝、家を出ました。

このところの暑さに、陽が昇ってからではダメなのです。

川は気持ちが良いですね。

左岸(東京側)から写しました。


対岸は川崎市です。

白くて丸いものは、よみうりランドの観覧車。

その右側にうっすらと見えるのは、雪のない富士山です。


対岸側の奥の方の建物が、上河原の堰です。

水の流れも素敵。

それにしても土手は遮るものがないので暑い。


このあたりは、ちょうど多摩川の水源から東京湾までの中間地点くらいの場所です。

あまりに暑くて、帰り道、コンビニで冷たい飲み物を買ってしまいました。


2024年4月2日火曜日

多摩川サイクリング

気温が28度まで上昇してピカピカ天気だった日、多摩川をサイクリングしてきました。

京王多摩川駅に近い多摩川左岸の河原から、下流に向かってスタート。

向こうに見えるのは京王線の線路です。河原で子供たちが野球を楽しんでいました。


今回の目的地は4ヵ所ありました。

 1.二ヶ領用水上河原堰堤

 2.旧多摩水道橋の石碑

 3.二ヶ領用水宿河原堰堤

 4.多摩川決壊の石碑

どれもクリアーしてきました。

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まず1ですが、これは私のお散歩コース内にあります。

力強くほとばしる水の流れが素晴らしいですね。

今回は多摩川の左岸から眺めましたが、反対の川崎側の布田橋から眺めたこともあります。


この先の多摩川は、かなり蛇行していました。中州もあります。

2の石碑はどこにあるのか分からず、かなり探しましたが、多摩川に架かる多摩水道橋のふもとにありました。

石碑は、このちょっとオシャレなパラソル(?)の下にありました。


こちらが初代「多摩水道橋」の碑です。


川の傍には大きな説明板がありました。

「初代の多摩水道橋は道路と水道を供用する橋として、多摩川のこの地に昭和28年12月完成しました。以来、相模川の水を川崎市長沢の浄水場を経て都内に供給するための水管橋として、また東京都(狛江市)と川崎市(多摩区登戸)とを結ぶ「登戸の渡し」に替わる道路橋として重要な役割を担ってきました。
しかし近年の自動車の増加に伴い交通渋滞が慢性化してきました。そのため2車線を4車線に拡幅する新しい橋の建設を行うことにより、平成7年5月にその使命を終えました。なお橋に収納されていた直径1800mmの配水本管は新しい橋に引き継がれ、引き続き都内に水道水を供給しています。

多摩水道橋(初代)諸元 形式        単純中路ブラケットトラス橋
            橋長        355.6m 
            支間長     31.95m+32.3m×9+31.95m 
            幅員構成 車道=6.00m  歩道=1.50m
                                   車線        2車線 
と書かれていました。


橋の名前のフォントが、ちょっと優しい感じですね。


小田急線を越えて、しばらくは多摩川緑地グラウンドを走りました。
後ろを振り返ると、ちょうど小田急線が走っていました。


川崎側の前方に「せせらぎ館」が見えてきました。


さて最後の4の「多摩川決壊の碑」ですが、ちょうどその対面にありました。

青い三角錐(ピラミッド型)の記念碑に、金色に輝く銘板が埋め込まれていました。そこには堤防決壊時の写真とともに「碑文」がしるされていました。

これは昭和49年(1974年)、今から50年前の9月1日、台風による大洪水で多摩川が決壊して、家が流された時の石碑です。

この話は「岸辺のアルバム」というドラマにもなって、多くの人の記憶に残りました。ただ、現在はそのようなことは知らない人が多いのか、この周辺には新築の家がたくさん建ち並んでいました。


碑文です。


「昭和49年(1974年)8月31日深夜から9月1日夕方にかけて、台風16号の影響をうけ、上流水川を中心とした多量の降雨のため、多摩川の水位が上昇を続けました。この出水により、1日昼ごろ、二ヶ領宿河原堰左岸下流の取付部護岸が一部破壊されたのを発端に、激しい迂回流が生じたため高水敷が侵食され、懸命な水防活動もむなしく、午後10時過ぎには本堤防が決壊し、住宅地の洗掘が始まりました。迂回流はその後も衰えを見せず、本堤防260mを崩壊させたうえ、1日深夜から3日午後までの間、狛江市猪方地区の民家19棟を流失させる被害をもたらしました。
 この「多摩川水害」は、首都圏の住宅地で発生し、3日間という長時間にわたった特異な災害であり、報道機関によってリアルタイムに全国に報じられ、多くの国民の注目を集めました。
 建設省は、災害直後から速やかに本堰周辺の復旧工事を進め、翌年には完了させるとともに、「多摩川災害調査技術委員会」を設置し、いち早くその原因の究明にあたりました。
 一方、被災住民は国家賠償法に基づき提訴し、河川管理の瑕疵について改めて指摘された水害ともなり、平成4年(1992)に判決が確定しました。
 平成10年(1998)、従来の堰より40m下流に、洪水を安全に流すとともに、豊かな水辺環境の保全と創造を目的とした新しい堰が完成しました。
ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです。
 平成11年3月27日
                                           建設省京浜工事事務所
                                                               狛江市」

また当時の航空写真も刻まれていました。(現在は錆びてしまっています)


これほど大きな水害になってしまったのは、宿河原の堰堤が、洪水の流れを阻止してしまったためだそうです。それで堰堤の固定部を爆破したということでした。

その後、被害に遭った人たちの裁判が始まり、終了した平成5年(1993年)年、建設省は「多摩川河道検討委員会」を設置し、二ヶ領宿河原堰の改築について関係機関や地元住民とともに堰の構造などについて検討をくり返しました。
そして平成11年(1999年)3月、従来の堰より40m下流に新しい堰が完成しました。現在の「二ヶ領宿河原堰」です。

もうだいぶ前のことですが、こうして記憶に残しておくことは大切ですね。

石碑の周りにはピンクの花が咲いていました。


とても大ぶりの花で、色も濃くて、美しい花でした。
これは桃の花かしら?


正面に見えるのは、二ヶ領用水宿河原堰堤と、せせらぎ館です。
こちら側から見たのは初めてです。


白桃でしょうか、とても美しい花の咲く丘でした。

目的のものが見られたので、また自転車で狛江駅まで出て、小田急OXでショッピング。

帰りは狛江通りを通って戻りました。

2時間くらいのサイクリングでした。


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「一日一句」

水の事故 花咲く丘で 忘れまい 


2023年12月2日土曜日

【次太夫堀・六郷用水 16】水神社・伊豆美神社

また、お隣の狛江市にある水神社に行ってみました。自転車なら10分程度の近いところにあります。


ここには、水の神様である水速女命(みずはのめのかみ)が祀られています。
そして六郷用水を作った小泉次太夫が合祀されている神社です。

由来が書かれていました。


ここには889年、伊豆美神社(当時は六所神社)が建てられたそうです。しかし1550年に多摩川の洪水により、神社は流失。別の地に移されました。
その後、1597年に多摩川の洪水を鎮めるために水神社が建てられたそうです。

また、別の石碑の裏側には、今までは気づかなかったのですが、「東京府荏原郡六郷用水普通水理(?)組合」という文字がありました。
管理者と常任員の名前が刻まれていました。
明治時代のものでしょうか。

やはりこのあたりでも六郷用水と呼ばれていたのですね。

そして水神社のすぐ近くには、用水の取り入れ口の絵があります。

小舟に乗って、のどかな風景ですね。


六郷用水の取水工事が始まった年と、水神社が建てられた年が同じですが、やはり関係があると思います。

また、洪水が起きた場所を取水口に選んだというのは、どのような理由だったのでしょう。
六郷地区、現在の太田区の水田や畑を潤すためならば、取水口はもっと南のほうでも良かったのに、と思ってしまいました。

多摩川の土手に立つと、はるか向こうには山々の姿が見えます。玉川上水はあちらから流れてきたのでしょうね。
私が歩いていた青梅線の福生あたりは見えるでしょうか。


土手の近くに立つこちらの彫刻は、何を意味するのかな。


その後は、水神社の由緒に書かれていた伊豆美神社に行ってみることにしました。自転車なので、すぐに到着しました。

この神社は元々は平安時代、宇多天皇の御代に府中の大國魂神社から分かれて作られたそうです。
こちらの神社は、水神社と内容が重複しますが、かつては現在、水神社がある場所にありました。
ところが1550年に多摩川が氾濫して、神社は流されてしまったので、川から内側に入った現在の場所に移されました。
つまり、水神社はもとの伊豆美神社のあった場所なのですね。

こちらの境内は鬱蒼として森のようでした。昼でもかなり薄暗いところでした。


古い石造の鳥居がありました。和泉村の領主の三男から寄贈されたものだそうで、市内で最古の石造鳥居だそうです。



私は、最初は狛江市立和泉小学校の隣の、正門でないところから入ってしまいました。
こちらが正面になります。


平日の午後でしたが、お参りに来ていた人もちらほらいました。

私はそれほど信仰心はありませんが、やはり長い時間、ずっと存在し続けたというのは、この神社は土地の人達の拠り所だったのでしょう。

神社の後は、自転車で用水跡らしき場所をあちこちサイクリングしました。

こちらは狛江リサイクルセンターの近くです。


こういう細くて、くねくねした道があると、嬉しくなるのです。


向こうに見えるのは小田急線です。
このあたりにも用水があったと思いますの。


最後は、狛江駅近くでちょっとお買い物。


あちこち自転車を乗り回したので、少し疲れました。




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「一日一句」

となり町 水神さまに ご挨拶


2023年1月7日土曜日

多摩川から多摩川へ

私は多摩川の近くに住んでいます。電車は京王電鉄の沿線になります。

そこからもう少し南東方向に下ると、東急電鉄の多摩川という駅があります。

去年の暮、京王線の多摩川から渋谷に出て、そして東急線の多摩川まで、橋の探検に行ってきました。

こちらは東急多摩川線の多摩川駅周辺の案内図です。

そこに行ってみようと思ったきっかけは、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の劇の後に放送される観光案内を見たからです。

源頼朝の妻・政子が、夫の戦勝祈願をした神社が紹介されてました。その場面には、神社のそばには大きな川が流れ、大きな橋がかかり、そして新幹線が横切って走っているのが見えました。

そこに行ってみたいと思い、地図でその神社の場所を確認しました。

するとそこは丸子橋の近くにある浅間神社であり、大きな川は多摩川で、東急多摩川線の多摩川駅すぐ近くであると判明したのです。

そして年末のある日、いそいそと京王線の多摩川駅からもう一つの多摩川駅まで出かけたのでした。


この街は「桜とあじさい」が有名だそうです。冬だったのでちょっと季節外れで残念でした。


多摩川駅には、以前は、多摩川園という遊園地がありました。昭和時代にはかなり利用者も多かったと思いますが、現在は宗教団体の研修所となっているようです。

そして駅から数分、商店街を歩くと、浅間神社はすぐに見つかりました。

「田園調布の古墳の丘の氏神様」と書かれていました。


説明を読むと、この神社には、政子だけでなく頼朝本人も訪れたようでした。

この神社は小高い山の上にありました。階段を登っていきました。


けっこう上の方まで歩きました。


暮に出かけたので、神社の人が正月の準備をしていました。

神社の丘の上からの眺めはすばらしく、富士山が正面に見えました。カラフルな東急線もよく見えました。


しばらく神社の境内を歩き、今度は丸子橋の方まで足を延ばしました。


まずは沼部橋。これは小さな橋でした。

丸子橋は、東京と神奈川の県境になる大きな立派な橋でした。


橋の手前から富士山も見えます。


橋を歩いて反対側まで行けるようでしたが、時間がかかりそうなので諦めました。


多摩川の大きさがよく分かりますね。


川沿いの道路は車の往来が激しく、富士山を写すのはなかなか大変でした。


丸子橋を眺めた後は、川沿いにある多摩川台公園というところを歩きました。あまり人は多くはありませんでしたが、いろいろと面白い発見があるところでした。


このあたりは、昔、多摩川の水を汲み上げて地域の飲水を供給していた「調布浄水場」の跡地を利用して整備したところだそうです。


なかなかよく整備されていました。子供の社会科見学には良いところだと思いました。


そしてこのあたりから眺める景色は最高でした。


頼朝や政子もこの美しい富士山の姿を眺めたかもしれないと思うと、ちょっと感慨がありました。


多摩川もとても美しい眺めでした。遠くに見える富士の山。


こちらはちょっと古めかしい絵ですが、懐かしい感じがしました。


またこの多摩川台公園には古墳がいくつも残されていました。亀甲山古墳というそうです。


古墳は、それぞれはこんもりとした小さな山のようでした。6世紀から7世紀ごろのものだそうです。

やはり川の水が近くにあるので、住みやすいところだったのかもしれません。

この公園の中は高低差があり、また崖の下は急な角度になっていました。ここは私が住んでいる場所にある国分寺崖線の突き当りなのでしょう。

この道をずっと歩いていけば、田園調布の方に繋がりますが、今回は虹橋というところまでで右折して公園から離れました。


すると目の前に田園調布カトリック教会の十字架が見えてきました。


この地域は大昔の古墳があり、政子が出かけた神社があり、教会もあるというユニークな場所だったのです。

そして多摩川駅に戻りましたが、駅のすぐそばには大田区立の施設がありました。


その中には軽いランチができるオシャレな場所もあり、多くの区民で賑わっていました。


ここで丸子橋へのミニトリップは終了して、サンドイッチとコーヒーでランチにしました。

この日、歩いたコースです。

京王線の多摩川から東急線の多摩川まで、川を下れば一直線です。

私は多摩川は見慣れているので、それほど美しい川だとはあまり思っていませんでしたが、丸子橋や多摩川台公園から見た多摩川はとても美しいと思いました。

ゆったりと流れていて、力強さも感じました。

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この日の装い。

いただきものの黄緑の紬です。自分では選ばないようなものでした。


かなり大胆な模様の着物なので、帯もそれに負けないような織りの帯にしました。

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「一日一句」

多摩川と 富士と古墳と てんこ盛り