今年は杉並区内の川を中心にあちこち歩いています。神田川や多摩川などの大きな川は分かりやすいので、あまり準備もせずに、橋巡りはスムーズに終わってしまいます。その点、あまり目立たない暗渠巡りは、ちょっと下準備が必要ですが、終わってみると充実感でいっぱいになります。
今回の井草川もそんな感じでした。
井草川は名前だけは知っていましたが、井草と井荻の区別がつかず、なんとなく田舎っぽい(失礼)ところだと思っていました。ところが井草川は始点も面白い場所にあるし、西武新宿線を渡ったり、環状八号線も近くに走り、終点は妙正寺川というところで、楽しいところでした。
この川の周辺には旧石器時代から人が住んでいたという記録があるそうです。
スタートは「切通し口」という名前のところでした。ここは青梅街道からほんの少し奥まったところにあり、現在は公園のようになっていました。
昭和15(1940)年、初めての発掘調査が行われました。この時、後に地名を冠し、「井草式土器」と命名された縄文土器群や石斧(せきふ)が発見されました。この土器群は関東ローム層(赤土)と上層(黒土)との境目付近で発見され、当時は最古の土器として注目されました。
井草式土器は、口縁部が外に反った丸底の深鉢土器です。寄った紐を巻き付けた棒状の道具を使い、転がし押しつけた「撚糸文(よりいともん)」を、土器の縁から全面に付けるのが大きな特徴です。
このような特徴を持つ井草式土器は、縄文時代早期前半(約9,000年前)を代表する土器型式として広く知られるようになりました。 平成30年 杉並区教育委員会」
しばらく歩くと三谷(さんや)公園になりました。
かの太田道灌と関係があるのでしょうね。道灌がこの付近に陣を敷いたという伝説があるそうです。
この公園には可愛いリスの彫刻がありました。桃園川緑道にあった動物のモニュメントとも似ていました。
ここから西武線の北側に渡りたかったのですが、残念ながら行き止まり。ぐるっと大回りして歩くことにしました。
井草川の看板がありました。
「足下の遊歩道は、昔は井草川と呼ばれる川の流路でした。井草川は上井草4丁目付近を谷頭とし、流路の北限となる井草4丁目の矢頭公園付近まで北東へ向かい、そこから東南へと流れを変え、清水3丁目で妙正寺川に注いでいました。水源から妙正寺川との合流地点まで約3.5キロの小河川でしたが、地域の生活を支える河川でもありました。
宝永4年(1707)、下井草村名主半兵衛らの尽力により、千川上水(用水)を分水して青梅街道添いに用水が開削されました。その水を谷頭口から取り入れた井草川は田方用水として積極的に利用され、明治期まで両岸には水田が広がっていました。
上の写真は昭和30年代の様子です。井草川は今に至るまで、子供達の格好の遊び場となっていました。このような井草川ですが、周辺の宅地化に伴い、暗渠化が進み、昭和56年(1981)にはすべての流路が暗渠となりました。
そして「井草川は生活の舞台となって、地域に恵みをもたらす川として多くの人々に受けつげられてきました。台地に刻まれた井草川の流れは、地域に刻んだ歴史とともに、現在は公園や遊歩道として親しまれています」
