2022年4月29日金曜日

川を歩いてみれば・・・・

コロナ禍が始まってから、3回目の春になりました。当初、世間はどんな対応をすればよいのかわからない状況でした。「ステイホーム」、「人流禁止」、「他府県をまたいでの移動禁止」などというおふれも出回りました。

私は身近に病気持ちの人間がいるため、絶対に自分自身がコロナにかかってはならないと思い、他人との交流は必要以上にはしない生活を選ぶようになりました。そして、それ以前は年に数回ほど出かけていた小旅行にも行かなくなりました。

また社会はさまざまな規制により、それまで行われていた各種の催しも、ほとんど開かれなくなりました。

とはいえ、人間は移動しなければ体力も知力も低下します。

それで私は家の近所を歩くのなら問題はないだろうと思い、まずは手始めに近くの緑道を歩き始めました。

(緑道には数多くの彫刻があります)

ちょうど桜が終わり、ツツジの季節になる頃でした。

その頃はまさかコロナのために、3年もお花見ができなくなるとは思ってもいませんでしたが。

またうちの近くの多摩川も、散歩にはちょうどよいコースでした。


このころは特に目的もなく、ただ気晴らしのために川を歩いていたような気がします。

(多摩川の堰)

コロナ禍も波はありましたが、ずっと続きました。

他人との直接の付き合いは少なくなり、ネット社会が基本になってきました。

私もただ散歩だけのために川歩きをするのはつまらなく感じるようになり、少しは目的を持って歩いてみようと思うようになりました。

多摩川や近所の緑道の次には、手始めに玉川上水を歩いてみることにしました。東京人なら、玉川上水は身近なルートなのです。ちょうど昨年の今頃でした。


こちらは、私の愛読書である杉本苑子さんの「玉川兄弟」。


せっかく江戸時代に作られた玉川上水を歩くのなら、着物で歩いてみようと思ったのもこの頃です。

その後、野川、仙川、神田川、善福寺川、目黒川など、これまで私が生活してきた範囲の関連した川を少しずつ歩いてみるようになりました。

歩いてみると、ほとんどの川の両岸はきちんと整備されていて、着物でもほとんど問題がないことが分かりました。

そしてコツコツと歩いたおかげで、神田川と善福寺川は、水源から下流まで完歩することができました。


(神田川の向こうに見える両国橋)

コロナ感染もかなり広まりましたが、一人で川を歩いている分には、途中の電車や駅の混雑さえ気をつければ、非常に安全なのでした。

だんだん歩く地域も広がり、東京の都心方面の川や、多摩の川、お隣の神奈川県の川も歩くようになりました。


川を歩いていると、いろいろ気づくことがあります。

私の場合、まず気になるのは、橋です。

橋にはそれぞれ名前があり、漢字表記とひらがな表記があることも、歩いて見て初めて気づいたことです。

そして橋だけでなく、そのあたりの土地の凹凸や傾きの様子とか、近くにある古い建物、かつて川だったところの痕跡などにも興味を持つようになりました。

また川に関する書籍も、手当り次第に読むようになりました。

そこで気づくのは、川のどんなところに興味を持つのかは、とても広範囲であるということです。

たとえばある人にとっては、川に住む魚や鳥について関心があったり、また足元の草花に興味があったり、現在と昔との土地の違いに興味があったり、橋の形態や構造について興味があったり、川周辺の文化に興味があったり、環境問題に結びつけて考える人もいます。

こんなにも人によって川の捉え方が異なるのかと、驚くばかりです。


私は一つの橋を堺にして、まるで風景が一変してしまう、ということが目に付きました。つまり橋を管理する自治体によって、対応がまるで違うということです。橋の美しさや案内板などがまるで異なるのです。

また、橋の名前の由来についても、とても興味があります。

そしてどんなに小さなドブのような川であっても、それが集まれば最後には大河になる、ということも目の当たりにしました。

また川を歩いていると、河川工事にぶつかることも多くあります。回り道になってがっくりすることもありますが、洪水防止などのために大規模工事をしている現場を目にすれば、川の修理がいかに大切であるかも学ぶことができました。

そして私が一番興奮するのは、川と川の合流地点です。2つの川が一つになったり、一つの川が2つに分かれたりする地点は、とてもダイナミックでロマンチックな場所なのです。

一人で歩いているうちに、一緒に歩いていただける人も増えてきました。同じ趣味の人とおしゃべりしながら歩くのはとても楽しい時間です。

また今は亡き両親が生まれた場所、育った場所にもいろいろな形で川や橋が残っていました。それを見たときは、しみじみとした気持ちになりました。

父が遊んでいたでいたかもしれない上野の不忍池にかかる天龍橋。

母が遊んでいたかもしれない、かつては楓川にかかる宝橋。現在は埋め立てられて、中央区を走る首都高速道路になっています。

それらの場所を私の足で確認できたときは、父や母が私に「ここだよ」と、呼びかけてくれたように感じました。

いろいろな橋があり、人によりさまざまな思い出が詰まっているのが、川なのかもしれません。

今後何年、歩けるか分かりませんが、かの伊能忠敬を思い浮かべ、後期高齢者になっても、チャラチャラと着物を着て、草履をパタパタさせて川を歩いていたいと思います。

今はまだ白紙のこの白地図も、少しずつ埋めていきたいと考えています。

自分の足で歩き、自分の目で確かめる川歩き。

ライフワークになればいいな、と思います。

コロナ禍のおかげで、人生の楽しみが広がってきました。

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「一日一句」

行く春や どんな川にも ものがたり


2022年4月27日水曜日

一欅庵(いっきょあん)へ

杉並区の住宅街にある昭和のおうち

「一欅庵」

大きな欅の木が目印です。

ここは昭和8年に建てられたそうです。

こちらには何回かお邪魔していますが、いつもは秋だったような記憶があります。今回は春だったので、ツツジがきれいでした。

「和の暮らし展」が開かれていました。


玄関口にかかっていた特製手ぬぐいが素敵。
蓄音機も置いてあり、良い雰囲気でした。


この玄関の脇には、洋風の応接間があります。当時はこのように和風と洋風を取り入れた住宅が流行っていたそうです。

一階の和室からは、よく手入れされたお庭が眺められます。


廊下もあり、風通しの良い造りになっていました。夏でもエアコンが不要ではないでしょうか。

二階から眺めたお庭。
青もみじが緑風を誘っているようでした。
向こうに見える赤い花は、シャクナゲかしら。


この一欅庵は、10年ほど前から、建物の貸し出しを始めました。演奏会や落語会の会場となっているところです。

実はこの地域は、私が生まれ育ったところのお隣町というような場所にあります。

今回は、和のいろいろな展示やワークショップが行われていました。

編み物のバッグ、手作り石鹸、組み紐、水引アクセサリー、半衿、羽織紐、エトセトラ。

私が見たかったのは、富士商会のジパンというアジアンテイストの長襦袢。製作者のペタコさんから着用方法などを詳しく教えていただきました。極小サイズの私でも大丈夫なようです。

実物を手にとったり、お話を直接うかがえるというのは、やはり良いですね。ネットではなかなか分からないですものね。

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ちょっとしたスナップ写真です。

こちらの主の書斎だったところ。(現在の当主のお祖父様です。)

掛け時計や、模様入のガラス窓が懐かしいですね。


帯には、コロナ検温済のシールをペタンと貼ってあります。

今回は「きもの倶楽部」のみなさんとご一緒しました。同行者のみなさんが水引で作ったイヤーカフを選んでいるところです。


自由に組み合わせられるので、どれがよいか、楽しく悩んでいました。


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この日の装い。
気温上昇の予報があったので、単衣着物です。木綿だかウールだか、ちょいと不明です。
着物フリマで「みかん箱詰め放題で5000円」というイベントがあったとき、選んだ着物のうちの1枚です。ということは、たぶん1枚1000円以下です。


太いビーズのベルトは、やはりペタコさんの作品。
一昨年だったか、自分の誕生日の記念に購入した記憶があります。洋服の上にも締めて使っています。

帯もリサイクル。
春向きにピンクの帯にしてみました。


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「一日一句」

目に青葉 昭和の家の 昼下がり





2022年4月25日月曜日

再び聖蹟桜ヶ丘へ 楽しい探検

今日のブログはちょっとマニアックです。

というか、あまり多くの人との団体行動が苦手な私には、こんな自由な一人行動がちょうどよい、というお話です。

前回、乞田川に沿って、京王線の聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。最後に星乃珈琲で休憩して、そのまま電車で戻ったのですが、実は聖蹟桜ヶ丘駅に行くまでの間に、「あ、ここは面白そう、もう一度来てみたい」と思った場所がありました。

その時のブログはこちら▼

 https://toshiko72.blogspot.com/2022/04/blog-post_13.html?m=1

(うまくリンクが貼れずにすいません)

そして、今回はその思いを晴らして来たのでした。

土地勘のない方に簡単に説明すると、多摩市にある聖蹟桜ヶ丘駅近くに、九頭龍公園という緑の憩いの場があります。大人も子供も楽しめるような公園です。

そこには龍の口から水が出ている場所があります。

そしてその作られた水路を辿っていくと、なんとまぁ、大栗川に繋がっていた、というお話です。

更に、その大栗川は乞田川と合流して、最終的には多摩川に繋がるのです。

つまりどんな小さな水溜りであっても、最後は大きな立派な川になる、ということをこの目で確かめることができたのです。

ちょっと大げさかもしれませんが、私にとって、それはとても楽しい発見であり、至福の時間でした。

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以下は歩いた道の説明です。

スタートは京王線聖蹟桜ヶ丘駅。


商店街を少し歩くと、こんな緑の公園が目に入りました。

九頭龍公園です。九頭龍といえば福井県を思い出しますが、東京都多摩市にもありました。


ここの公園の噴水は、龍の口から水が出るようです。
コロナのためか分かりませんが、今は水は出ていませんでした。


口から出た水は、公園内をくねくねと流れていきます。


公園の敷地の隣には、健康センターがあり、地域の活動をしているところでした。


公園を少し曲がったところには、九頭龍神社がありました。小さくて古びていましたが、地元では有名なのかもしれません。

大栗川や多摩川の洪水を防いでくれる龍の神様を祀ってあるようです。


鳥居の下には、極小の白い龍が左右に並んでいました。あまりに可愛らしくて、ひよこのようでした。


神社には地元の3人のおじいさんが来ていて、楽しそうに散策していたので、私も後ろからついていきました。
この人達は、きっと何かを知っているだろうと思ったのです。

近くにはお菓子の専門学校がありました。


その横にはドブ川のような小さな川があり、どうもこれは九頭龍公園の水路と関係があるようだと思いました。
地元のおじいさんたちの後を歩いていたので、見つかったわけです。おじいさん、ありがとうございます。


ただしこの先は製菓学校の敷地になっていて、立ち入り禁止。さすがにそこに入り込むわけには行かず、このあたりをぐるぐると回ってみました。


すると、小さな緑道を発見。こういう車止めがあると、嬉しくなるのです。


「清水堀緑地」と書かれていました。
入っていかないわけにはいきません。


ちょっと曲がっていたりして、かつての川っぽいですね。


ここはかつては古茂川といったのでしょうか。


この細い道にはツツジやハナミズキもきれいに咲いていました。


恐る恐る歩いてみた道ですが、中はちゃんと整備されていて、歩きやすいところでした。

突き当たりに来て、上を眺めると階段がありました。


そしてこの階段を昇ると、


わーい、目の前は広い川、大栗川だったのです。


私の予感が当たって、嬉しく思いました。

この大栗川を下れば、先日の乞田川との合流地点になります。

まだ時間も早かったので、川を上って、次の橋まで歩くことにしました。

この日はすごく日差しが強くて、何も遮るものがない河原を歩いたので、日に焼けそうでした。


仕事の途中、バイクで休憩にやってきたおじさんがいました。川に降りて、コンビニ調達のお弁当を広げていました。
私は、こちらの写真に見える橋まで歩きます。


川の名称の看板。「おおぐりがわ」と濁って読むのですね。「おおくりかわ」ではありません。


霞が関橋でした。


霞が関橋から見た下流の風景です。

先程のお弁当おじさんが小さく写ってしまいました。


川の両側にはマンションや住宅が並んでいました。


この霞が関橋を渡った山の方に行くと、映画「耳をすませば」のモデルになった階段があるそうです。


ここでUターンをして、大栗川を下流に向かって戻りました。

単調な道が続きました。

こちらに見えるのは、新大栗橋です。




そして前回は眺めただけだった新大栗橋に到着しました。


かなり広くて立派な橋です。


なんと橋の上に、バス停があるのでした。


そこからまた川沿いに歩いて、聖蹟桜ヶ丘の駅まで戻りました。

途中、先程の製菓学校の近くに、昔の水路のようなところが見えましたが、この先は道路になってしまっていました。


駅の周辺は商業ビルでいっぱいです。
春夏用のブラウスでも買おうかと店内をぶらぶらしましたが、どうもピッタリするのがありませんでした。
私にはオシャレよりも、今は川歩きのほうが楽しくなりました。


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「一日一句」

夏近し 小さな水路も 川となる