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2026年10月12日月曜日

久しぶりの玉川上水

 先日、小平市にある下水道施設に行ってきました。

その場所は、玉川上水が流れる場所のすぐ近くにあり、今回の見学は2回目でした。

最初に玉川上水を歩いたのは、もう3年以上前というか、大学に入る前のことでした。当時はただ川を歩くのが面白くて歩いていただけですが、今になって思うと、このことが私の進路(というと大げさですが)に結びついていたのだと思うのです。何の気なしに歩いていましたが、これほど重要な上水だったということを、今になってひしひしと感じています。

行きのルートは、こんな感じ。

自宅→稲田堤→立川→国分寺→鷹の台というルートでした。それでも乗り換えがスムーズにいったので助かりました。

帰りはシルバーパスで格安にしました。バスは無料なので、京王線で188円使っただけでした。

旭住宅前→国分寺駅南口→府中駅→自宅へ

さて、鷹の台駅を下車して、懐かしい道を歩きました。線路に架かる橋です。


西武国分寺線に沿って歩いて、鷹の橋を渡りました。


この橋の由来は、江戸時代に尾張徳川家の鷹場があったからだということです。
元々は木の橋でしたが、1959年に現在のコンクリート製の橋になりました。
近くには武蔵野美術大学などもあり、豊かな緑の地域です。

そして橋を左折して、玉川上水を歩きました。

こちらは兎橋。新堀用水にかかる橋ですが、歩行者専用の小さな橋です。

ここの向かい側には小平市立中央公園があります。

暑くもなく、寒くもなく、気持ち良かったですね。

緑が美しい。


こちらは名無しの橋の上から眺めた玉川上水の水の流れ。

しばらく歩くと、津田塾大学が見えましたが、何やら工事中でした。

その手前の上水にかかっているのが、久右衛門橋です。

昔通ったときはあまり気にしていませんでしたが、この久右衛門さんという人は、享保の時代に新田開発で活躍した人でした。昔は、そんなことはあまり気にしていませんでしたが、今になって思うと、この辺りは新田開発でできたところだったのか、と感慨深くなりました。

こんなにたくさんの分水が作られたのですから、やはり玉川上水は偉大だったとのですね。

右側が玉川上水です。かなり深く掘られていました。

緑に覆われた道の反対側には、新堀用水が並行して流れています。この用水路は明治になって作られたものです。

そしてその道を右折すると、目的地の下水道館です。

「ふれあい下水道館」

ここは子供にも大人にもとても勉強になる施設です。無料なのが嬉しいですね。

見学の話はまた別に。


2026年4月15日水曜日

成蹊大学気象観測所~玉川上水散歩

春休み中、大学のゼミの先生の紹介で、吉祥寺にある成蹊大学までみんなで出かけました。


この日はちょうど大学の入学式だったので、私たちよりも若い両親の姿が見られました。
(上の写真は下見に出かけたときに写したものです)

まずは構内を案内していただきました。


こちらは桜の標本木ですが、かなり年老いていました。


構内には気象観測所というのがあり、なんと100年前から一日も欠かさずにお天気を調べているのだそうです。戦争中もコロナの時もずっと継続していたのは、気象庁にも負けないくらいだそうです。

観測所の所長さんや担当者からいろいろと貴重な資料の説明を受けました。

すごい、としか言えないくらい大量のデータがありました。過去から未来へデータがぎっしり。

こちらはほんの一部です。

建物の屋上まで上り、そこから周囲の景色を眺め、気象観測の方法などを学びました。

一番印象に残ったのは、100年前と現在の気温の違いです。現在は、昔よりも3度も高いそうです。そしてそのデータを元にして、学生たちの制服を夏はTシャツに替えたそうです。学ランやセーラー服の時代ではないのですね。

こちらは百葉箱。かなり大型でした。

毎日、測量して、そして記録を取る。その積み重ねが素晴らしいと思いました。

お土産に気象観測100周年の手提げバッグをいただきました。


その後は、成蹊の先生たちも交えて、お洒落なレストランでランチタイム。


私が選んだのはこちらのハンバーグランチ。

午後は、時間のある人だけで、玉川上水散歩をしました。

まずは成蹊大学前からバスに乗り、境橋まで。


こちらで玉川上水の記念碑を見学。

この辺りは私の研究テーマでもあるので、みなさんを案内しました。といっても堤の上をまっすぐに歩くだけのお気楽コースです。

桜がとてもきれいでした。


途中でびっくりしたことに、同じ大学のグループとばったり出会いました。彼らは羽村の堰からずっと歩いてきたというのです。中には85歳という先輩もいて、それも驚きでした。

その後、あちこちの平右衛門さんゆかりのお寺や神社などを見学しました。




嬉しかったのは、こちらの平右衛門橋。私は何回も来ていますが、みんなに知ってもらえたのは嬉しかったですね。記念撮影をしました。


その後は小金井橋で解散。


お天気も良く、みんなで歩いて、楽しいフィールドワークとなりました。


そして小金井橋で解散しました。




2026年2月4日水曜日

郷土博物館 2 杉並区立郷土博物館分館

杉並区内には郷土博物館が2つあります。

先日のブログ▼にも書いたように、本館は大宮八幡宮の近くにあります。

そして今回訪れた分館は、JR中央線の荻窪駅から徒歩で10分ほどの天沼というところにあります。

この辺りは「教会通り」という道を通って行くのですが、半世紀以上前にも来た場所ですが、当時は博物館はありませんでしたね。衛生病院は昔からありましたが、なんとなく来たことがあるような、ないような場所でした。

調べてみると、こちらの分館が創立されたのは2007年(平成19年)だそうなので、それでは私は知らないわけでした。今から19年前ということです。

ここは天沼弁天池公園の中にあります。

寒い日だったので、池の水が凍っていました。

公園の入口には天沼弁天社がありました。

ここで「玉川上水とすぎなみ」という展示があったので、出かけてきました。

玉川上水に関しては、あちこちで展示されていますが、今回は杉並区内にある玉川上水の様子が展示されていました。

玉川上水にかかる牟礼橋(久我山駅近く)から代田橋(世田谷区)までの約6キロが杉並区内に流れているとのこと。

玉川上水のすごいのは、本流だけでなく、あちこちに分水があることですが、杉並区内にも下高井戸村分水、烏山分水、上北沢分水があります。

玉川上水を全区間歩いたのは3~4年ほど前でしょうか? 全部で30回くらい歩いた記憶があります。杉並区辺りを歩いた時のブログはこちら▼。

懐かしい思い出です。

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玉川上水との関係を、郷土資料館の展示資料から、簡単に紹介しておきます。

【玉川上水とすぎなみの江戸時代】

「武蔵野の草原台地に位置する「すぎなみ」は江戸時代初期、徳川家将軍が鷹狩りをする場所であった。その後、江戸城を中心とした城下町の発展に伴い、生活用水を供給するため、玉川上水が開削された。この上水からの分水を利用することにより、新田開発が進み、現杉並区域の村々は、1万人の農民が暮らす農村へと発展した。」

【玉川上水の分水】

「武蔵野台地の農民や江戸城下の要望により江戸幕府が玉川上水に分水路を設け、各地に水を運んだ。分水路は33ヵ所に設置された。すぎなみは玉川上水から分水した千川用水を通して水が利用できるようになり、新田開発がなされ、江戸へ野菜などを供給する農村地帯になった」

【すぎなみの農業発展】

「現杉並に位置する江戸時代の村々では玉川上水からの分水、とくに千川用水の通水後、新田開発が積極的に実施され、畑作を中心とした農業が発展した。なお当時の村々の人口は明治初期の調査では1万人程度だった。

すぎなみの農民は玉川上水や分水の定期的な見回りや掃除などを担い、江戸へ供給する水の確保・維持に努めた。

すぎなみの村では栽培した野菜を江戸の大名屋敷や町家へ運び、販売後には購入した糞尿を持ち帰り、肥料として畑に蒔き、農業を営んでいた。」

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博物館の展示のついでに、近くにある天沼八幡神社にも寄ってみました。

そしてまたおみくじを引いてきました。

「大吉」でした。100円を投入すると、下の方から自動でクジが出てくるタイプのおみくじは、大吉が出る率が多いような気がしました。

    「願望」 のぞみのままです

    「旅行」 よし 連れの人に注意

    「商売」利益あり進んで吉

    「学問」安心して勉学せよ

    「恋愛」この人より他になし

    「縁談」多くて困ること有

なんちゅう運勢でしょうね。

その後、ぷらぷらと歩いて荻窪駅に戻りました。

2025年7月15日火曜日

小平の鈴木新田へ

 先日はJR国分寺駅からバスに乗って、かつて鈴木新田があったところへ行ってみました。

「昭和病院」行きというバスに乗りました。

知らない場所をバスで行くのは楽しいですね。

目的地は「官舎前」という停留所。なんだか不思議なネーミングですね。

途中、玉川上水を越えましたが、昔歩いて行った「喜平橋」があり、懐かしかったですね。

この付近には警察学校や通信機構、小平団地など広い敷地がありました。

小平市は全体像がよく分からないのですが、以外と面積は広いようです。

目的地に到着。

「寶壽院」(ほうじゅいん)が目の前でした。


ここは1724年(享保9年)に建てられたそうですが、かなりきれいな建物でした。


お庭もよく手入れされていました。

このあたりを開発した鈴木さん一族が、お父上の菩提を弔うために、府中にあったお寺を持ってきたそうです。  


そのお寺のすぐ向かいが、稲荷神社でした。
ここの地域も、お寺と神社がセットになっているところでした。


敷地はかなり広いところでした。


境内には、小さな用水が流れていました。


ここには文化財がいろいろとありました。
こちらは象ですね。


小平市の文化財がいろいろとあるようでした。


案内板に描かれていた地図ですが、これは明治時代頃のものでしょうか。
「畑」と「桑」と書かれているようです。


稲荷神社のいわれです。
お寺と同じ、享保9年、小金井市の稲荷神社から移ってきたようです。


この鈴木新田を訪れたのは、ある人の論文を読んだからでした。
このあたりには玉川上水から分水された鈴木用水があり、そのお蔭で畑作ができたと書かれていました。
3年前ほど、玉川上水を何回かに分けて歩きましたが、当時はなんのために用水があるのか、あまり気にせずに歩いていました。それが享保の改革と縁があったなんて、思いもしませんでした。

平右衛門さんも昔はこのあたりを歩いていたのかなと、思いました。


この前歩いた、浴恩館も意外と近い所ですね。




2024年5月9日木曜日

フィールドワーク@羽村

昨日は大学の「自然を見る目を養う」という授業のフィールドワークで、羽村まで行ってきました。

青梅線で羽村駅まで行き、20人ほど集合して、市内を歩き、最後は羽村市郷土博物館まで行きました。

羽村は玉川上水の始発点であり、昨年、友人たちと一緒に出かけたところです。

今回はいつも授業をしていただいている先生と、その教え子で地理学の研究者さんのガイド付きでした。専門的な話も多かったのですが、いろいろと勉強になりました。

まずは羽村駅近くにある「五ノ神まいまいず井戸」に集合。


井戸の深さは約5メートル、その下の水面までは約6メートルあるのだそうです。

こちらは懐かしい羽村駅です。2023年12月に出かけたのでした。

そして地図を見ながら、羽村の町を歩きました。

急な坂がありましたが、そこは「五ノ神崖線」というところだそうです。

「こんぴら児童公園」という場所で、ガイドの先生の説明を聞いているところです。

この後は羽村駅を通過して、坂を下りました。

こちらは「馬の水飲み場と羽村崖線」です。ここは稲荷神社の近くにあり、前回も通過したところです。坂の途中にあり、坂の上と下では約14メートルの差があるところでした。崖線の説明を色々と伺いました。

懐かしい羽村橋。


こちらは奥多摩街道際にある「羽村橋のケヤキ」です。
木の周囲は7メートル以上、高さは25メートル、樹齢500年ほどの大ケヤキです。
段丘の下に立っています。このあたりは湧水が出るので、木の生育には適しているようです。


少し歩くと、私の好きな玉川兄弟の像。


どういうわけか、像の足元には猫がいました。


同行したゼミ仲間に写してもらいました。


集合写真を写していただきました。


羽村取水堰に到着。
武蔵野台地の尾根を東西43キロつないでいます。


まだ元気に働いています。


こちらは橋の上から写した風景。埼玉の山も見えました。


最後は羽村郷土博物館へ。


ここは無料で入館できますが、1時間に1本しか来ないバスの時間が気になり、ゆっくり見られませんでした。


今回は地形の専門家のガイドさんがいたので、有意義なフィールドワークになりました。
川の水や、石などのパワーにより、地形が変化していく様子が、少しは分かりました。
これからは、坂道を歩くときにも、気を付けてみましよう。

お天気が怪しかったのですが、雨に濡れることもなく、楽しい半日ツアーとなりました。

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「一日一句」

幾万年 水の流れを 肌で知る