先日はJR国分寺駅からバスに乗って、かつて鈴木新田があったところへ行ってみました。
「昭和病院」行きというバスに乗りました。
知らない場所をバスで行くのは楽しいですね。
目的地は「官舎前」という停留所。なんだか不思議なネーミングですね。
途中、玉川上水を越えましたが、昔歩いて行った「喜平橋」があり、懐かしかったですね。
この付近には警察学校や通信機構、小平団地など広い敷地がありました。
小平市は全体像がよく分からないのですが、以外と面積は広いようです。
目的地に到着。
「寶壽院」(ほうじゅいん)が目の前でした。
ここは1724年(享保9年)に建てられたそうですが、かなりきれいな建物でした。
このあたりを開発した鈴木さん一族が、お父上の菩提を弔うために、府中にあったお寺を持ってきたそうです。
そのお寺のすぐ向かいが、稲荷神社でした。
ここの地域も、お寺と神社がセットになっているところでした。
敷地はかなり広いところでした。
こちらは象ですね。
案内板に描かれていた地図ですが、これは明治時代頃のものでしょうか。
「畑」と「桑」と書かれているようです。
稲荷神社のいわれです。
お寺と同じ、享保9年、小金井市の稲荷神社から移ってきたようです。
この鈴木新田を訪れたのは、ある人の論文を読んだからでした。
このあたりには玉川上水から分水された鈴木用水があり、そのお蔭で畑作ができたと書かれていました。
3年前ほど、玉川上水を何回かに分けて歩きましたが、当時はなんのために用水があるのか、あまり気にせずに歩いていました。それが享保の改革と縁があったなんて、思いもしませんでした。
平右衛門さんも昔はこのあたりを歩いていたのかなと、思いました。
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