2014年1月31日金曜日

ワンコイン健診

近くのスーパーで、たまたま「ワインコイン健診」をやっているのを見かけました。

500円玉1個で、その場ですぐに「血管年齢検査」、「肌年齢検査」、「肺年齢検査」、「骨密度検査」をやってくれるというのです。

血管のほうは、いつも内科で見てもらっているのでパス、
肌年齢はなんだか結果が恐ろしいのでパス、
肺は煙草を吸うわけでもないので関係ないだろうということでパス、

ということで、骨密度を500円で測ってもらうことにしました。


骨密度については、実は去年までは近くの整形外科に通って、骨粗鬆症を予防する超まずい薬(1週間に1度だけ飲む薬)をもらっていたのですが、この医者はすごい藪医者で、おまけに私は相性が悪いので、行くのをやめていたのです。

私としては薬よりも運動や食事をきちんとすれば大丈夫、と思っていたのですが、もし結果が悪いとどうしようかな、またあの医者に行くのはいやだな、と思いつつ、骨密度を測ってもらいました。

500円でしたが、内容は病院で受ける検査とほとんど変わりがありませんでした。
手首のあたりの骨を測ってもらいました。

結果は「年齢の割には良好」ということでした。
ほっ!

私の年代だと、全体のほぼ7割の人が「要注意」なのだそうですが、私は「標準」(25パーセント)に分類されたので、年の割には結果が良かったということでしょう。

藪医者め、ザマー見ろ、という気持ちです。

このところ、毎日、7階まで階段の上り下りをしていたので、それが良かったのかも?

とはいえ、「非常に良い」というわけではないので、これからも骨には気をつけましょうね。







2014年1月30日木曜日

90歳の誕生日

昨日は母の90歳の誕生日でしたので、ホームに行ってきました。

先週は、ちょっと風邪をひいて熱が出て、食事も他の方から隔離されて食べていたのですが、ほどんど治ったようです。

「今日はおかあさんのお誕生日よ。」と言っても、「へー、そうだったかね。」との返事。

「おかあさん、90歳になったのよ。」と言っても、「へー、そうだったかね。」としか答えません。

それでもみなさんから「おめでとう」と言わると、喜んでいたようです。

海外に住んでいる妹からは、誕生日祝いにプリザーブド・フラワーが届いていました。
オレンジ色のバラがとてもきれいでした。


いつも「いくつまで生きるんだろうね」と言っていますが、温室のように暖かい部屋で過ごし、栄養満点の食事を食べ、お絵かきやお習字をして、親切なヘルパーさんから見守られているので、きっとまだまだ長生きすることでしょう。

入れ歯をつけていないので、妙な顔つきですが、どんどんと穏やかな表情になっています。


実は、先週、母の姉が95歳で亡くなり、本日がお通夜なのですが、そのことは母には伝えないままです。

「私は100まで生きるかもしれないね。」といつも言っています。
私のほうが先に逝ってしまうかもね。



2014年1月29日水曜日

癒しの京都 3 ~京都芸術センターあたり~

今回の京都旅行では、四条烏丸の近くにあるホテルに泊まりました。

そのホテルの目の前にあったのが、京都芸術センター▼でした。

ここは廃校となった明倫小学校の跡地を利用した施設で、京都の芸術発信地だそうです。

夜に出かけたので、入り口はこんな感じでした。


中は懐かしい小学校そのままでした。
明倫小学校は1993年に廃校になったそうですが、築80年の校舎でした。


ここではいろいろなイベントが行われているようで、斬新な絵画などもちらっと見てきました。

でも夜の学校というのはちょっと怖いですね。

食事はその中にある「前田珈琲明倫店」▼というお店でいただきました。

お店はレトロな雰囲気に満ちていました。
老夫婦がそっと寄り添いながらコーヒーを飲んでいたり、若い女性が雑誌片手にのんびりと時間を過ごしたりしていました。


「スペシャル・ディナー」というのを注文してみました。
メインはビーフ・シチューでしたが、ちょっとシャバシャバしていて、こくがありませんでしたね。
でもサラダとパンはおいしかったですよ。


飲み物はもちろん、コーヒーにしました。
量がたっぷりとありました。


こちらは、京都芸術センターの向かいにあるホテルです。
JR西日本が運営しているそうです。


四条烏丸の駅から徒歩4分くらいなので、場所は便利ですね。

このホテルの売りは「幅140センチのベッド」ということでした。
ベッドはたしかにゆとりがありましたが、それ以外はやはり狭かったですね。
無駄なモノはいっさいないインテリアでした。


部屋が狭いのはそれほど問題はありません。
着物で旅行する私にとって、ホテルで一番必要なのは大きな鏡ですね。
ホテルによっては、洗面所の小さな鏡しかないところがあって、これで着物を着るのはちょいと技が必要です。

ここのホテルはフロントの作業を極力、省略していて、チェックインやチェックアウトはすべてカード式の機械で行っています。
フロントマンも一人くらいしかいなくて、ちょっとそれでは対応に無理があるように思えました。

ただし無料の朝食がついていて、私のような小食人間にはちょうどよい分量でした。パン、おにぎり、サラダ、ウィンナ、味噌汁などがあって、文句はいえませんね。

まぁ、このホテルは出張などには便利かもしれませんね。

(この項、続きます)


2014年1月28日火曜日

「オトナの寄り道」

先日、「オトナの寄り道」というちょっと変わったセミナーに参加してみました。

ファイナンシャル・プランナーからお金のことを分かりやすく教えていただけるという企画でした。
怪しいセミナーだったらどうしようと思いましたが、着物関係の知り合いの方からの情報だったので、申し込みをしてみました。

会場は、若者の町の渋谷区勤労福祉会館というところでした。


30名くらいの老若男女(40代、50代くらいの方が多いようでした)が集まっていました。

「オトナの寄り道」の年間テーマは「年をとればとるほど、しあわせになるために私たちが必要なこと」だそうです。
今回は3回目の会合で、「お金」がメインテーマでした。

詳細はこちらの「みよしようこがゆく」▼をご覧ください。

まず最初にあいさつがあって、その後に有名な広告代理店でコンサルティングをしている方が、今の日本の人口構成などについてレクチャーしました。
そのお話によると、日本人の平均年齢は46歳だそうです。
戦後には29歳という若い平均年齢だったのですが、あれよあれよという間に高齢化が進みました。
そして数年後には、日本人1億2千万人のうち、50歳以上が6千万人、50歳以下が6千万人になる、という予想だそうです。

広告代理店としては、「大人になった日本」という変化に応じて、商品開発を進めたり、いろいろと企画を立ててマーケティングの戦略を考えているそうです。

また他の国では、平均年齢はとても若くて、高年齢層ばかりの日本とは購買意欲も異なりますね。

面白かったのは、「サザエさん」のお母さんであるフネさんは、漫画の中では52歳という設定だそうですが、今の52歳(たとえば黒木瞳さん)とは大違いというのには、みんなで大笑いしました。
昔の高齢者のイメージは今とはまるで違いますね。

まずそのようなお話がありました。

その後はフィナンシャル・セラピストの安田まゆみ先生が登場しました。
おかねの話なので、「老後の資金はいくらかかるか」などという一般的なお話かもしれないと思っていたのですが、まったく違いました。

まずは自分が大切にしていることを挙げてみる、ということからスタートしました。
たとえば、【誠実さ、ゆとり、おだやかさ、華やかさ、愛情、楽しさ、冒険、思いやり、正義、平常心、経済力、感謝、平等、自由】など70くらいの単語の中から、自分が大切にしている10の単語をあげました。
そしてお隣さんと二人1組になって、下位からベスト10までを決めていきました。

つまり自分が大切に思っていることが、支出の項目と合っていれば、その人のしあわせ度は高いということなのでしょうね。

他にもいろいろなことをテスト形式で行いました。

お金に関しての先生からのアドバイスは、
・カードは持たない。
・財布の中にいくらあるかをきちんと把握する。
・財布の中にレシートなどの無駄なモノを入れない。
・予算を立てて生活する。
などを教わりました。

お昼休みには、呉服屋さんのおかみさんと一緒。
逆光なので、色グロに写っています。


休憩後は、グループごとにディスカッションをしました。
「大人になってしあわせというのはどういうことか?」というようなテーマでした。
それをグループのメンバーを変えて何回か行い、そのあとに発表をしました。

実は、このセミナーは某出版社にいらっしゃった方が企画されていたので、その会社関係の方が多かったのですが、実は私も遠い昔、その会社の末端で仕事をしていたのです。それで意外なつながりがあったりして面白かったですね。

また島根県や気仙沼からも参加された方がいらっしゃり、地方のお話を聞くと、東京とはずいぶんと老後の過ごし方も違うのだなと、驚いたこともありました。

グループごとに話をしているところです。右に私の姿が見えますね。


前にも書いたとおり、私はある事件の被害者となっていて、精神的に安定していない状態で参加したのですが、いろいろな方とお話ができて、少しはすっきりとできました。

感想などは、このようにポストイットに書いてホワイトボードに貼りつけて、進行役の方が発表しました。


たまにはこのようなセミナーに参加して、刺激を受けるのもよいことだなと思いました。

最後は主催者の三好さんがまとめられました。
とてもパワフルな方でした。


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この日の装い。

いただきものの藍色の紬と、いただきもののアイボリーの帯。

着物で参加していた3名ともが、偶然にも同じような藍色の着物でした。
藍色の着物は、このような場でも、それほど場違いな感じはしませんでしたね。


自作の紅型半襟でアクセントをつけてみました。

この日はすごく暖かくなり、コートもいらないほどでした。


2014年1月27日月曜日

癒しの京都 2 ~出会い~

旅行はたいてい一人で行くのですが、旅先でいろいろな方とお会いして、お話を伺うのが楽しみです。

今回は着物関係の3人とお会いすることができました。
お一人は着物のお手入れのお仕事をされている方、お一人は着物リメイクのお店の店長さん、そしてもうお一人は着物のお店の店長さんでした。

着物のお手入をされていらっしゃるのは、「染色補正森本」▼さん。


ひょんなことからお近づきさせていただくことになりましたが、今回は図々しくも仕事場までお邪魔させていただくことになりました。森本さんは多分、私と同年代の方です。



お店にはひっきりなしにお手入れを依頼されるお客様がいらっしゃっていましたが、その間をぬって、お仕事の説明をして下さいました。

森本さんは着物のお手入れだけではなく、家紋にも造詣が深く、著書も出していらっしゃる方です。

京都の町歩きをしながら家紋の説明をして、そのあとに着物のお手入れをするというユニークな企画もされていらっしゃいます。


可愛らしい家紋をたくさん拝見させていただきました。


(コラージュしたものです)

森本さんには息子さんが二人いらっしゃるのですが、お父様の血と技を引き継いで、お仕事に励んでいらっしゃいます。

弟さんはジュエリーやインテリアのデザイナーとしても有望な方で、国内や海外にも羽ばたいていらっしゃいます。

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次は去年の秋に行ったお店「むらた」▼の店長さんです。

着の身着のままで出かけたので、着替え用に緑色のリサイクル着物を調達してきたお店です。


(写真は前回、写したものです)

今回も何かめぼしいものはないかと行ってみたのですが、ウールの着物が多く、またサイズも少し大き目の着物しかなかったので、買うのは諦めました。
それでも昔の着物をたくさん見せていただいたり、着物から作ったバッグやアクセサリーも見せていただいてきました。

店長さんは、私より少し年上だと思いますが、昔の着物をいとおしんで扱っていらっしゃるのが、素敵でした。

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もうお一人は、四条烏丸の近くで「kaonn」▼というお店の店長さんをしているかおりさん。
彼女とお会いするのは3回目でしたが、いつも笑みを絶やさず、素敵な着物をお召しです。
私の半分くらいの年齢という若さで、ゴージャスなお店を運営されています。

自分撮りで写したので、こんな顔になってしまいましたが、実物のかおりさんはとてもきれいな方なのですよ。


珍しい生地がありました。なんとゾウやサイ、キリン、ヒョウなどの模様の入った御召でした。
こんな着物を着ていたら、みんなの注目の的だろうなと思いました。
他にもkaonnのオリジナル・ロゴの入った着物生地やインテリアもあって、とてもラグジュアリーな雰囲気にさせてもらえるお店です。普段は安物着物しか縁のない私ですが、たまにはこういうところもいいですよね。

おいしいお茶をいただきながら、あれこれおしゃべりしてきました。
今回は何も買わずにごめんなさいね。

店内には戎さんで求めたという、商売繁盛のお守りが飾ってありました。


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着物という趣味を通して、旅行の楽しみが増しています。

旅先でいろいろな人と出会い、おしゃべりができるのは、ほんとうに良い時間ですね。



2014年1月26日日曜日

癒しの京都 1 ~お土産編~

実はこのところ、某事件(といってもいいでしょう)に巻き込まれ、その被害者となり、そして責任者でもあるということで、非常なストレスに見舞われていました。

幸いにして、その事件は半分は解決したので、気分転換に京都まで一泊してきました。

京都行きは、もともとは来週の予定だったのですが、来週は三味線の先生の演奏会があるというので、急に予定を変更して出かけることになりました。

今回の事件では、私は警察に何回も電話をしたり相談にいったりと大変だったのですが、それ以上に夫も忙しい仕事の傍ら、いろいろと交渉役になっていました。

それで今回の京都のお土産は自分のものは何も買わずに、夫の好物の漬物と日本酒だけとなりました。

漬物は京都市役所の近くにある「福田本店」▼というお店の「すぐき」です。
いつもは電話で注文しているのですが、今回は出かけていきました。

ちょうどお隣のお店が工事中だったので、あまりよい写真が撮れませんでした。


小さなお店なのですが、ファンが多いようですね。
夫はすぐきが大好きなのですが、東京では刻んだすぐきは売っていても、丸ごとというのはあまりありません。
私が何年か前に京都に行ったとき、このお店で丸ごとのすぐきを買ってきて以来、ここのすぐきが大好物となったようです。


お店の人の話では、昨年は暑さが続いたので、なかなかすぐきが成長しなかったのだとか。

それでも、いつものおいしいすぐきをいただけました。
夫も喜んでいたようです。

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日本酒は、いつもJR京都伊勢丹の地下の酒売り場で買っています。
ここでは毎回、いろいろな地方の銘酒のイベントが行われているのですが、試飲がたくさんできるのが嬉しいのです。

それで買ってきたのが両関という秋田のお酒でした。



「山廃仕込み」というのだそうですが、昔風の味がしました。
夫は今の流行りのワインのような日本酒は嫌いなので、こういう味ならいいだろうと思って買ってきたのですが、かなり満足してくれたようで、私もほっとしました。

京都の土産話は少しずつご紹介していきますね。

(この項、続く)


2014年1月23日木曜日

小豆の思い出

私は豆類はほとんど好きですが、中でも小豆は大好物です。

小豆は登呂遺跡からも出土しているようで、古代から日本人に親しまれていたのでしょうね。

小豆の料理といえば、あんこやお赤飯が代表的ですね。
子供のころはお赤飯は苦手でしたが、いつからか好きな料理になりました。

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明日は京都に行きますが、小豆粥の精進料理を出してくれるお寺があるので、そこへ行く予定にしています。
東林院(とうりんいん)▼というところです。

女正月(1月15日)には小豆粥を食べるという習慣があるそうで、普段は入れないお寺ですが、1月だけは「小豆粥で新春を祝う会」というのがあり、特別に参拝できるようです。

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私の母は、昔は料理をこまめに作る人でしたので、女正月の1月15日には小豆粥ではなく、お汁粉をよく作っていました。

そして私の父は、その日にお汁粉を食べて、その後で何度目かの脳梗塞を起こして入院してしまい、その2週間後には帰らぬ人となってしまいました。

母の作ったお汁粉が、父の胃袋に入ったまま倒れてしまったわけです。

それで父の思い出を語る時には、いつも「お父さんの最後の食事はお汁粉だったわね」という話題になるのです。

そんなわけで、1月の中旬になると、私はいつも小豆のことを思い出してしまいます。


そのころはまだ元気だった母も、来週には90歳の誕生日を迎えます。

いつもホームでおいしい食事を用意してもらっているので、当分はこのまま平安に暮らせるかと思いますが、母の最後の食事は何になるのでしょう。

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明日の京都での小豆粥、楽しみにしています。




2014年1月22日水曜日

ゼブラ柄!

昨年末に、MUFFINさん▼にお願いしていた自転車カバーが出来上がったという連絡がありました。

またコンビニの店頭でお店を開くというので、その時に受け取ることにしました。

いそいそと自転車でコンビニまで行ってきました。

私は黒地に白の水玉模様のカバーをお願いしていたのですが、でもゼブラ柄のカバーも実物を見ると、それもとても可愛いのです。

それでせっかく依頼していたのに申し訳なかったのですが、水玉はやめて、ゼブラ柄のほうを買うことにしました。グレイに黒の模様です。
(下の写真は白に黒のゼブラ柄です。)


とてもオシャレでしょう?

普通のハンドル・カバーはダサいのですが、センスがいいですよね!

外側はビニールコーティングがしてあるので、多少の雨でも大丈夫。
内側にはふわふわのボアが付いていて、とても暖かいのです。
マジックテープを合わせるだけなので、取り外しも簡単です。

おまけに超安いので、嬉しいわ。

お店にはMUFFINさんの幼稚園ママさん仲間がたくさん来ていました。
彼女たちの自転車にも、MUFFINさん作のヒョウ柄などの個性的なカバーが付けてありました。


私の自転車にカバーを付けたところは、こんな感じ。
自転車の運転が楽しくなりますね。

いっぱい自転車が並んでいる所でもすぐに目立ちます。


これで寒い時でも颯爽と走れます。

MUFFINさん、どうもありがとうございました。


2014年1月21日火曜日

「日本の染織文化」 8 ~型染~

「日本の染織文化」も最終回となりました。
今回は「型染の歴史とその文化史的意見」というものでした。

先生の説明では、型染のイメージは木綿のイメージ(布団や座布団、暖簾など)が強いため、庶民のものであるという認識が強くあるそうです。

つまり【木綿イコール庶民】という発想があるからだろう、ということでしたが、庶民が木綿を着るようになったのは、実は江戸中期以降(17、18世紀以降)であり、それ以前の庶民は大麻を着ていました。室町時代には木綿は輸入品として珍重されていたほどだそうです。

また型染めというと量産できるもの、というイメージがありますが、これには木の型と紙の型があり、木型のほうが先にインドなどで発達したそうです。紙型は日本で生まれ、それがヨーロッパに渡り、ステンシルのもとになったという説もあるそうです。

日本の型紙はKATAGAMIとして海外にも広く伝わっていますね。
2012年に見た型紙の展覧会の様子はこちら「KATAGAMI STYLE」▼


型染めの歴史をたどってみると、奈良時代には、木型は紋織物の代替品として使われ、高級品だったそうです。つまりそのころは、【型染イコール貴族のもの】だったそうです。
その後、木型から紙型に変化したそうです。

最古の紙型は鎌倉時代に「よろい」に使われたそうです。

その後、武家の人たちに、上下などに型紙は多く使われるようになりました。

そして初めは武家の男性のものだったのが、18世紀ごろには、安く量産できるようになったため、町人の女性にも浸透していきました。

その後、明治時代には化学染料が発達したので、糊を置くという必要がなくなり、型紙業は廃業してヨーロッパに流れていったそうです。これは当時、浮世絵がヨーロッパに行ったことと同じ時代の流れだそうです。

型染めの中で、沖縄の紅型のお話も伺いました。
沖縄は本土とは地理的、気候的条件が異なるわけですが、沖縄に型染が伝わったころは、琉球王朝の高貴な人が着ていたものだったそうです。これは能装束などに使われる唐織りのコピーではないか、というお話でした。

ちょうどこの講義を聞いたのは、自分で紅型を習った後だったので、興味深かったですね。

8回の講義を通して、染織の難しさと、歴史認識の方法を学んだような気がします。
かなりお堅い講義でした。
それと2時間の間、一瞬の休憩もなく、先生の講義を聞くだけ、というのも少しつまらない感じでしたね。
いかにも座学という内容でしたので、できれば次回はもう少し手や足を使った講義に参加してみたいと思っています。

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この日の装い。

8回の講義の時は、すべて地味な紬で通しました。

ただし、あまり暗い色ばかりだとつまらないので、最後は白とグレイの横段の紬にしました。
帯はいただきものの、ざっくりとした赤と黒の帯です。


このときは私以外にもう一人着物を着ていらっしゃいましたが、グミの実だという絵が描かれた帯がとても素敵でした。


2014年1月20日月曜日

銀座で2つの展覧会

先週の話になってしまいますが、銀座で2つ展覧会を見てきました。

ひとつは草乃しずかさんという刺繍作家さんの作品展です。
草乃しずかの世界展▼


草乃さんは日本刺繍の作家さんですが、今年で刺繍を初めて40年だそうです。

ちょうど私が会場(銀座松屋)に行ったとき、「これから草乃さんご本人のギャラリートークが始まります」というアナウンスがありました。
ついていましたね。
それで草乃さん直々の説明をお聞きしながら、作品を鑑賞することができました。

(お土産に買った絵葉書や栞を載せてみました。)


最初のほうのコーナーには、人生を10年ごとに区切って色と刺繍で表した作品がありました。
十代、二十代、三十代・・・・・それぞれがピンクや白や紫、緑などで表現してありました。

私は自分の年代のところが興味があったのですが、そこには「我を知り、人を知る」年代だと説明されていて、色は薄い水色でした。
なるほど。


草乃さんのお母様も刺繍をされる方なのですが、なんと5月には101歳になられるというお母さまが車椅子で会場にいらっしゃっていました。
独り暮らしをされていらっしゃるそうです。

お母様と草乃さんの合作というアップリケ(お兄様の浴衣生地を使用したもの)と刺繍がミックスされた作品を見せていただきましたが、とてもダイナミックでした。
お母さまはとてもお元気な様子でした。

草乃さんの素晴らしいところは、古典文学との融合作品を刺繍で表したことでしょうね。とくに源氏物語は素晴らしい刺繍がたくさんありました。色といい図案といい、よくここまで考えられたものだと、感動しました。

そして草乃さんの生き方は、刺繍だけでなく、社会的な活動にも関わっていらっしゃいました。
特に東日本大震災で被害に遭われた方の心に響くよう、その悲しみと不安をぬぐい去るように、60人もの人の手をリレーして作られたという刺繍はとても素晴らしいものでした。刺繍で悲しみを乗り越えよう、というお気持ちが作品に表れていました。

「一針に祈りをこめて」というテーマがぴったりだと思いました。

草乃さんはご自身の作品の着物と帯をお召しになっていて、楚々とした女性のようにお見受けしましたが、実はとても自立心のある、強い心の持ち主でいらっしゃるということが伝わってきました。

草乃しずかの世界展は1月20日まで。



もうひとつは御召しの着物ばかりを集めた展覧会でした。

「今甦る昭和のトップモード”御召”~谷博義コレクション~」▼というのを銀座松崎画廊で見てきました。
松崎画廊というのは、松崎煎餅が経営している画廊なのですね。1階がおせんべい屋さんでした。


ここには昭和30年代頃に作られた御召と、それの復刻版が展示されていました。

大田区の「丸や呉服店」というお店の初代の谷博義さんという方が、絹織物を後世に残すために、たくさん集めたものだそうです。

御召というとどうも矢絣とか、かっちりとしてイメージがあったのですが、同じ御召でも京都の御召、桐生の御召、十日町の御召などと産地によってそれぞれの個性があることも分かりました。

お店の若奥様に案内をしていただきました。

昭和の香りがしていて、とても懐かしく思いました。
「あっ、こういうのは母が着ていてわ」とか「昔の婦人雑誌で眺めたことがあるわ」という着物がたくさん並んでいました。


面白かったのは、当時の説明があまりにも現代とかけ離れていることでした。
たとえば今だったら80歳のおばあさんが着るような超地味な茶色の御召なのに、「50代の女性向き」などと書いてあって、「えー、ウソでしょ!」と言いたくなるほどでした。
昭和30年代といえば、平均寿命もまだ短かったでしょうし、きっと30歳を過ぎたら女でない、50歳をすぎたらおばあさん、という時代だったのだろうなと思いました。

このように御召だけの展覧会というのはあまりないと思いますが、たくさん拝見できたので、御召とはどんなものであるかも少しは分かりましたし、また縫いとりをしてある御召もあったし、いろいろと勉強させてもらいました。

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この日の装い。

刺繍でもなく、御召でもありませんでしたが、頂き物の藍色の紬。部分的に、こぎん刺繍のような模様が入っています。

とても暖かいので、今頃の季節にはしょっちゅう着用しています。


帯は柿色(?)ふくれ織。
若草色の帯締めばかり目立ってしまったようですが。

私もたまには刺繍入りの着物を着てみたいな、とは思いましたが、当分無理でしょうね。





2014年1月19日日曜日

新春花形歌舞伎

今年初めての歌舞伎鑑賞でした。

出し物は「壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)」。
平家物語に登場する悪七兵景清という人のお話です。


市川団十郎が歌舞伎十八番として選んだ「景清」の中の「関羽」、「鎌髭」、「景清」、「解脱」という四つのエピソードから構成されています。

ロビーにはこんな羽子板も飾ってありました。お正月だからかしら?


お芝居が始まる前の舞台はこんな風景。
大きなエビが描かれていました。


舞台の上には二種類のある提灯が掲げてありますが、一つは市川家ゆかりの3つのマス(赤い線で四角い升が書かれているもの)。もうひとつの青いほうは、新橋演舞場の紋だそうです。

荒事の歌舞伎らしく、ダイナミックなお芝居でしたね。
とくに三幕で、巨大なエビを後ろにして、大きな鏡モチの上に立った海老蔵さんが見栄をきるところは圧巻でした。

四幕目には、舞台の上には特別な席が設けられていて、30人くらいのお客さんはそこから役者を間近に見ていました。羨ましいわ。きっと役者さんの汗や足音も身近に感じたことでしょう。

サプライズがありました。
それはいつもの浄瑠璃や長唄だけでなく、津軽三味線の上妻宏光さんが特別出演されていたこと。力強く、そしてせつない三味線の音色はとても素敵でした。他の演奏者たちは黒の紋付き袴姿でしたが、上妻さんだけは白の着物に黒の袴だったので、コントラストがよくて、カッコよかったです。

劇場には若い女性の着物姿も目立ちました。
お友達同士で来ていて、幕間に乱れた帯を直してもらっている、というほほえましい姿も見られました。

でもね、三十代くらいの人でもみんな地味なんですよね。
着物も帯も、ものはいいのでしょうけれど、薄暗い色ばかりで、なんかちょっと寂しい感じでした。
せめて帯揚げとか帯締めをきれいな色にすれば、若さが引き立つのに、なんておばさんは思ってしまいました。

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この日の装い。

リサイクル着物を買い始めてまだ最初のころに買ったシルバーグレイの色無地です。


そのころはまだ着物の選び方も良く分からなかったので、竹の地紋が浮かび上がったところがきれいだったので、裄の長さだけ合わせて買ってしまいました。
そうしたらなんと幅がものすごく広くて、おまけに丈は140センチくらいしかないという、超ちびデブさんの着物だったのです。

それでもなんとかごまかして着ています。

帯はこの日、初めておろしたBerry工房さんのレース帯。
(後ろ姿を写すのは難しいわ)


幅広のレースが前とお太鼓のところに付いていて、とても豪華。
この帯は、この色の他にグレイと黄色があったのですが、年甲斐もなくピンクを選んでしまいました。
でも気分が華やいで、よい気持ちになれる帯です。

せっかく着物を着るのなら、いつもより高揚した気持ちになれるほうがいいですよね。




2014年1月18日土曜日

懐かしい杉並で

野暮用のため、私が生まれ育った杉並区まで出かけてきました。

杉並区役所に行ったら、見慣れない妙な動物がたくさん並んでいました。
芋虫かと思ったら、恐竜の赤ちゃんなんだそうです。


名前は「なみすけ」とか。

ゆるキャラばやりですが、可愛いのだか可愛くないのだか、微妙ですね。

区の名称は、杉並木が多かったので「杉並区」と名付けたのでしょうに、なんだかわけの分からない「なみすけ」なんて登場してしまって、ちょっとがっくりね。

まぁ、世の中のブームだから仕方ないのでしょうけれど、少しばかり違和感を感じました。


杉並区役所の用事が済んで、久しぶりに丸ノ内線の荻窪駅まで行きました。

この地下鉄はたぶん、昭和37年ごろ、荻窪まで開通した路線なのです。

当時は地下鉄(昔は「メトロ」なんて言いませんでしたよね)というのは、銀座線と丸ノ内線(新宿~池袋)くらいしかなくて、それが新宿から荻窪まで延長されたので、荻窪に住む人間は鼻が高かったものです。

ちなみに丸ノ内線ができるまえは、この辺りは都電が走っていたのです。私たちは「ちんちん電車」と呼んでいましたが。

それが今から50年以上も前のことなので、今の丸ノ内線の荻窪駅は天井も低くて、かなり老朽化していましたね。

当時の荻窪には、ルミネやタウンセブンなどは当然ありませんでした。
駅の周辺には、戦後の闇市のような小さなお店がひしめき合っていたのを、覚えています。

うちでは、ふだんの買い物は、家に「ご用聞き」という人たちがやってきて、魚などを買っていたのですが、ときどきは母は私の手を引き、そして背中には3歳年下の妹を背負って、駅の近くの商店街(というと聞こえは良いのですが)まで買い物に行っていました。

テント張りの商店の中には、樽の中に三角にきれいに盛った味噌屋さんがあったのを良く覚えています。今ではそういうふうにして味噌を売っているところも少ないでしょうね。

そして買い物が終わると母は小さなお店に寄り、私たちは「小倉アイス」を食べさせてもらうのが、最大の楽しみでした。
それから長いこと生きてきましたが、ここの小倉アイス以上においしいアイスクリームは今まで味わったことがないほど、おいしかったと今でも思っています。

昔のことを思い出すと、次々にいろいろな情景が浮かび上がってきますね。

さて、せっかく荻窪まで来たので、ブログ仲間で荻窪在住のHさんとお会いすることにしました。

Hさんとはブログを通して5、6年ほどお付き合いはあるのですが、実はお会いするのは今回が初めてでした。
初めて電話をかけて、お声を聞きましたが、とても優しそうなお声でした。

ルミネで待ち合わせましたが、お互いブログに顔は乗せていたので、すぐに分かりました。

人気のイタリアンレストランでランチ。

薄い生地のピザ。
すごく大きかったですね。


こちらは魚介類のスパゲティ。
量が多くて食べきれないほどでした。


二人で亭主や子供のこと、老後の話、本や映画のことなど、話題が尽きることなくおしゃべりしてきました。

Hさんは私のことをちょいと怖い教師のように想像されていたそうですが、実物はいい加減人間なので、拍子抜けされたかも。

おしゃべりに付き合っていただいたHさん、どうもありがとうございました。

*****

この日の装い。

若菜さんに教えていただいた紅型の半襟が生えるように、地味な灰色の紬。
木綿の青い帯。

ついでに世田谷ボロ市で手に入れた500円の羽織。
テロっとしているところが気に入りました。
そうそう、羽織紐は宮島でMさんに教えていただいて手作りしたもの。


あまり寒くないので、コートは着ないで済みました。