2015年1月31日土曜日

2015 冬の京都 6~とらや~

京都に行くたびに、虎屋▼でお菓子をいただきたかったのですが、これまでなかなかチャンスがありませんでした。

今回は、絶対に行くぞ、と覚悟を決めてお店を目指しました。

場所は京都御所の近くでした。

こちらは売店のほう。
一条店です。

お菓子などをいただけるのは、こちら ↓ になります。
正式名は「虎屋菓寮京都一条店」。
一見、料亭風なところでした。

ジーパン姿だったりしたら、ちょっと入るのに勇気がいるかもしれませんが、着物だったので、堂々と入りました。


私が注文したのはこちら。
「夜の梅」とお抹茶のセットで1100円くらいだったと思います。

それにしても羊羹の分厚いこと!
2センチ以上あったかしら。


ここに足を踏み入れるお客様は、やはり中高年の女性が多いようですね。

ゆったりとしたフロアーには、英語版の京都案内や、分厚い絵画集もたくさん置いてありました。


目の前に広がるお庭を眺めながら、ゆったりとした気分で羊羹をいただいたのはよいのですが、羊羹がズシリとして、お腹にたまってしまって、ふーふーでした。

(この項、まだまだ続きます。)





2015年1月30日金曜日

2015 冬の京都 5 ~京菓子資料館~

本法寺、妙顕寺を巡り、そこで「京菓子資料館」のパンフレットを手にしました。
ちょっと面白そうなので寄ってみることにしました。

寺之通りから烏丸通まで来ると、「京菓子資料館」▼という看板が目につきました。


ここは、俵屋吉富のお店の隣にある京菓子の資料館です。


「和菓子の文化を正しく伝えていきたい」という目的のもと、昭和53年に烏丸店の三階に資料展示室として設立され、その後、平成13年に現在の位置に移ったそうです。

「近現代の京菓子のあゆみ」という企画展があるというので、覗いてみました。
入場は無料です。


すばらしい生け花や盆栽などが展示されていましたが、それらはすべてお菓子で作られているというものでした。
撮影禁止なのでお土産に絵葉書を買ってきました。


お菓子だとは思えないでしょう?
とても素晴らしく、大きなお菓子でした。
もうこれは、芸術作品ですね。
それにしても、いったいどれくらいのお砂糖を使ったのでしょうね!

こんな立派なお菓子を作るだけでも大変なのに、それをずっと保存しているというのも驚きでした。

ここには、他にも京菓子のあゆみや、昔の菓子作りの道具なども展示されていました。

お庭には松竹梅などの草木が植えられ、ほっとする場所でした。


資料館でお茶菓子をいただくこともできるのですが、私の目的は「虎屋」の「夜の梅」でしたので、ここではちょっと我慢をして、お菓子は見ただけにしたのでした。

(この項、まだ続きます。)





2015年1月29日木曜日

2015 冬の京都 4 ~妙顯寺~

本法寺の次に行ったのは妙顯寺です。

ここは以前、通りかかったことはありましたが、中に入ったのは初めてでした。
とても広い敷地のお寺でした。


ここは尾形光琳の菩提寺として有名なところです。
ちなみに今年の6月2日は尾形光琳の300回忌の命日に当たるそうで、大きな法事が営まれることと思います。


境内には貴人を迎えるためというお庭がありました。
白い砂が敷き詰められていてとてもきれいなお庭でした。
「龍華飛翔の庭」(別名:四海唱導の庭)です。


こちらは別のお庭ですが、くねくねとした松が目立っていました。
「曲水の庭」というそうです。
これは光琳が作ったわけではなく、光琳の屏風絵を元にして作られたお庭だそうです。
たしかに光琳の描く樹木のイメージが伝わってきました。


別の角度から見たところです。


庭の奥に「宝物殿」がありました。
ここには光琳が描いたという「寿老松竹梅三幅対」がありましたが、どことなくほんわかとした絵で、光琳のキラキラしたイメージとはちょっと違って意外でした。

こちらは「京の冬の旅」のポスターですが、この妙見寺が写っていますね。
お寺の扉に飾られていたところを写しました。
梅と松がよい対照になっていますが、合成かしら?


このお寺でもボランティアのガイド役の方がたくさん、いらっしゃいました。

ガイドさんのお話の中で面白かったのは、このお寺を開いたという日像さんという方のお話でした。
この人は千葉県松戸の出身だそうですが、13歳の時に、病床の日蓮から、「おまえは京都に行って日蓮宗の寺を開け」と言われたそうで、きっと幼少のころから優れた方だったのでしょうね。

そのころ、京都では他の宗派の仏教が盛んであり、日像さんは日蓮宗を普及させるにはいろいろと苦労をされたそうです。

その後、粘り強い布教を行い、1321年には後醍醐天皇から土地をいただき、この場所に京都で初めての日蓮宗のお寺を建てたそうです。

日像さんの後は、大覚大僧正が布教を続けて、日蓮宗を広めたそうです。

現在は日蓮宗は商売をされている方の間に、多くの信者さんがいらっしゃるそうです。

こちらの本堂はとても立派できらびやかでした。

このお寺を後にしたときは、空からちらちらと小雪が舞いおりてきました。
念のために持参した折りたたみ傘を開いて、どんどんと歩いて行きました。

(この項、まだまだ続きます。)






2015年1月28日水曜日

2015 冬の京都 3 ~本法寺~

今回、冬の京都に行こうと思ったのは、「第49回京の冬の旅 非公開文化財特別公開」▼があったからです。

今年は本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が徳川家康から与えられた鷹ヶ峯(現在は北区)の地に、工芸職人を集めて 芸術村を開いた琳派誕生の年から400年、ということで、あちこちのお寺で特別公開をしています。

中でも私が一番興味があったのは、本法寺です。


ここは日蓮宗のお寺です。
1436年に日親により開かれたそうです。彼は時の将軍、足利義教により迫害を受け、寺も焼かれたそうですが、その後、場所を移して本法寺を再開しました。

またこのお寺は、本阿弥光悦の菩提寺です。
光悦は1558年に生まれ、1637年に亡くなったそうですが、当時としては80歳近くまで生きたのは長生きだったのでしょうね。
彼は「寛永の三筆」と呼ばれるほど書家として名高く、また陶芸家、茶道など多方面にわたる才能を持った人でした。


その光悦が作ったと言われる「巴の庭」(名勝)です。
巴の形をしたものが3か所に配置されているという枯山水のお庭でした。
ただし私の目にはそれほど素晴らしいお庭には思えませんでしたが、当時としてはきっと斬新なスタイルだったのでしょうね。


夜光貝の細工がほどこされた光悦作の「花唐草螺鈿経箱(はなからくさらでんきょうばこ)」は美しかったですよ。
お経をしまっておく箱のようでした。

上の写真(看板)にも書かれているように、ここのメインは光悦と等伯のお二人です。

等伯は1539年生まれ、1610年に亡くなったということなので、光悦よりは20歳ほど年上になりますね。

これまでブログでも何回も書いていますが、市民カレッジの講師である出光美術館・学芸員の黒田さんが大の等伯ファンで、そのおかげで私も等伯が好きになりました。

東京国立博物館の「松林図屏風」、智積院の襖絵も素晴らしいとは思いましたが、今回の本法寺ではそれ以上の感激がありました。

それは「涅槃図」でした。
これほど大きなものとは知りませんでした。
縦が約10メートル、横幅が6メートルほどある巨大な絵画で、吹き抜けになっている2階から見てちょうど良いくらいの大きさでした。

撮影禁止でしたので写真がないのですが、この絵は、息子久蔵を若くしてなくした等伯が、彼の死を悼んで制作したものだそうです。

この絵画にはお釈迦様のほかに、いろいろな動物が描かれていて、当時としては珍しかったであろうコリー(犬)も描かれていました。
また等伯自身の像だと言われる人物も、そっと描かれていました。

私が見たのは複製ですが、3月には本物が公開されるそうです。

等伯さんは、こちらのお寺の日通上人と親交が深く、このお寺の復興には大いに力を貸したそうです。

こちらはその等伯さんの像です。


等伯さんがかつて住んでいたというこの本法寺に行くことができて、とても満足しました。
安部龍太郎の「等伯」を読んだ甲斐もあったと思いました。

ちなみにこちらのお寺では、若い女子学生たちが、きびきびと説明をしていました。
その後のお寺でも、中年のボランティアさんたちが、しっかりと説明をされていました。
どこでも気持ちの良い案内を受けて、とても良かったと思いました。
さすが、京都ですね。

(この項、当分、続きます。)




2015年1月27日火曜日

きもの倶楽部の「着物交換会」

「きもの倶楽部」▼は、東京と神奈川の境辺りで活動している、着物好きな人たちの集まりです。

拠点は「ギャラリーゆう」▼という古い一戸建てのおうちです。


ここでお茶とお菓子をいただきながら、月に一回程度、ゆるゆるとした時間を皆様方と共有していますが、今回はお楽しみの「着物交換会」が開かれました。

参加者は25名ということでした。

私は自分にはちょっと大きめの着物や、使わなくなった半巾帯、帯締め、色の似合わない未使用の半襟、草履などを持参して参加しました。

会費を払い、こちらの飲み物とお菓子をいただきました。


2時になって交換会が開始されました。

絹着物のコーナー、ウールや木綿着物のコーナー、帯のコーナー、小物のコーナーなどと分けてありました。
その数、リサイクル着物屋さんも顔負けのほど、たくさん集まっていました。

ここには着物のベテランさんから、超初心者でまだ何も着物を持っていない、という方もいらっしゃいました。
それぞれが「この着物にはこの帯がいいわよ」とか「この素材は何かしら」などと気楽に相談できてよかったですね。

みなさん、熱心に選んでいらっしゃるところです。


私は目を付けていた銘仙を羽織ってみることにしました。
この着物を提供された方はすらりとした方なので、私の寸法に合うかと思いましたが、どんぴしゃでした。


「いちどこういう着物を着てみたかったのだけど、2回ほど着たので、もう着ないと思うの」ということで提供されたのでした。
ありがたく頂戴いたしました。

みなさん、自由に選べるとあって、大はしゃぎ。
特に関西からわざわざいらっしゃった方は、大きな荷物をお帰りになりましたが、とても満足そうでした。

私が持参した品も、知らないうちにどなたかにお嫁にいったようで、良かったわ。


私の一番の儲けものは、何といっても超高級そうな大島紬の反物でした。
これは洗い張りに出したもので、これから仕立てを待っているという状態のものでした。


小柄な方が提供されたそうで、私にはきっと良い寸法だと思いました。
とても素敵なものをいただけて、嬉しかったわ。

最後になって、残り物を片付けているときに、黒と赤の絣の着物が残っていて、どなたも引き取り手がないので試着してみたら、ぴったりでしたので、それも頂戴することにしました。
まだしつけが付いたままでしたよ。

押入れを空にしようと思って参加したのですが、それ以上に頂いてしまうことになりました。

でもとても楽しいひと時でした。

お世話していただいた部長のMさん、会場の「ギャラリーゆう」さん、本当にありがとうございました。

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この日の装い。

きもの倶楽部に出かけるときは、いつもはできないような気楽なスタイルをしています。

この時は京都の弘法さんで買った帯締めを目立たせたくて、他の部分はシンプルにしてみました。

いただきものの結城紬と、MODERN KIMONOさんの茶系のタイシルクの帯です。


割と暖かい日でしたので、コートは着ないで、レトロな長羽織にしました。
これは世田谷ボロ市で300円で入手したもの。
黒い毛糸のモヘアの帽子をかぶっています。


会場では、このブログを読んで下さるという方にもお声掛けいただき、ちょっと恥ずかしくなったのでした。


2015年1月26日月曜日

2015 冬の京都 2 ~駅弁~

京都は好きなところなので、年に何回か出かけていますが、人ごみが嫌いなせいもあって、いわゆる三大祭の時や、桜や紅葉の季節には避けるようにしています。

ということで、今回も寒い冬の京都にお邪魔することとなりました。

朝の新幹線で東京駅を出発。


お昼には京都に到着するので、あちらに着いてからお昼ご飯を頂いてもよいのですが、時間を節約するためには、車中でお弁当をいただくようにしています。

こちらは「ローカロリー弁当」だったかしら。
「健康弁当」だったかな?


これだけおかずがいろいろと入っていて、お味もしっかりとついていて420カロリーでした。

私は普段はお昼ご飯はあまりたくさん食べなので、これでも満腹でした。

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旅行中の装い。

1泊旅行のため、着替えはまるで持参しませんでした。
持っていったのは、足袋と下着だけ。

2日とも同じ着物は嫌だという人もいらっしゃるかもしれませんが、一人旅なので気楽なものでした。

黒い紬は、たんすや新宿アルタ店で1500円で買ったもの。
しっかりとした生地で、おまけにとても暖かい着物です。


帯は大好きなBerry工房さんのレース帯。
写真よりも、もっときれいなピンク色をしています。

実は手先が少し長かったのですが、短く縮めたので、とても使いやすくなりました。

帯締めは立川の五箇谷さんで1000円で買ったもの。

(この項、当分、続きます。)


2015年1月25日日曜日

2015 冬の京都 1 ~すぐき~

ちょっとブログをお休みしていましたが、京都に出かけていました。

今回の旅行では、行きたいところには行け、食べたいものは食べ、買いたいものは買えた、というラッキーな結果になりました。

こちらは東京ではなかなか入手できない、丸ごとのすぐきです。


刻んだものよりも、歯ごたえが良い感じかしら。
京都の錦市場で買いました。

京都旅行記は少しずつ書いてみたいと思います。


2015年1月23日金曜日

浅草にて 2

先日、浅草公会堂に「新春浅草歌舞伎」▼を見に行きました。


今年の出演者は、尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、中村種之助、中村米吉、中村隼人、中村児太郎という20代の若手役者7人です。

松也君はだいぶ前から目を付けていた役者さんで、成長株だと思います。

おまけにというか、実はこちらがメインなのですが、市民カレッジの講師でいらっしゃる中村芝喜松さんが出演されるというので、こんどのお芝居は、見逃すわけにはいきません。

公会堂の入り口の付近で、着物友達のYさんと、そのまたお友達のTさん▼にばったりお会いしました。Tさんはカラーコーディネートの先生だそうで、鮮やかなブルーのお着物でした。(ちょっとだけ写っています。)


俳優さんたちの手形の前で、ちょいとにやけている私です。


市民カレッジを一緒に受講しているUさんが、とてもよい席を予約してくれました。
なんと2階席の真正面。まん真ん中でした。
ご覧のように、目の前は舞台の照明が設置されている席でした。


二部は、午後3時のスタートでした。

まずはご挨拶。
今回のメインである松也君と児太郎君が口上を述べました。
若々しくて良い感じ。
滑舌もしっかりしていました。

最初の演目は、「仮名手本忠臣蔵」。
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
六段目 与市兵衛内勘平切腹の場

このお芝居は、一度も休憩がなく、2時間ぶっ通しでした。
演じる役者さんも大変でしょうが、見ているほうもお尻が痛くなるくらいでした。

お話は、討ち入りに参加したいと願う早野勘平とその恋女房お軽の悲しい場面が中心です。
芝喜松さんは、お軽の母親役という重要な役を演じていました。
おばあさん役なので、顔はほとんど素顔でしたが、腰を曲げて、よっこらしょと座る姿は、本物のおばあさんのようでした。
若い役者さんの中に入って、ピリッと引き締めるようなお役目でしたね。

お話はちょっと込み入っていて、お軽の父親を殺してしまったと思い込んでしまった勘平が、いろいろあって切腹してしまうのですが、そこに至るまでが結構長かったですね。
それでもみんなしっかりと演じているので、メリハリがあって良かったと思いました。

お次はお能でも有名な「猩々(しょうじょう)」の踊りでした。

最後は賑やかに「俄獅子」の踊り。
これは長唄三味線の演奏会でもよく聞かれる曲です。

鳶頭が松也くんと歌昇、巳之助でした。
芸者は米吉さんと児太郎君。
女役のほうがすらりと背が高かったのですが、華やかで楽しい踊りでした。

去年の干支の馬と、今年の干支の羊さんが登場してきて、ちょっとおどけたムードもありました。

ロビーにはお正月らしく、羽子板が飾ってありました。
よく特徴をつかんで、似ていましたよ。


他にも、いろいろな役者さんがご自分で描かれた文字や絵入りの羽子板もあり、それはオークションで入手するシステムになっていました。みなさん、個性があり、さすがにお上手でしたね。


6時20分ごろに舞台があがり、お腹がペコペコになったので、Uさんとちょいと歩いて浅草お好み焼き「つる次郎」▼へ。


外食するのは久しぶりでした。


そういえば、先日、美容院で週刊誌を見ていたら、松也くんとAKBのなんとかというタレントの女の子がつきあっているという記事がありました。

私としては、あまりそういうことには振り回されずに、芸の道を歩んでほしいと思うけれど、まぁ若いから仕方ないでしょうね。



2015年1月22日木曜日

浅草にて 1

浅草公会堂で新春浅草歌舞伎▼を見ることになりました。少し早目に出かけました。

まず最初に行ったのは、花川戸のほうにある合同履物という履物の問屋さん。
以前、ここでSサイズの草履を2回ほど作ってもらったことがあります。

ご参考までに、最初に行った2011年の時のブログ▼です。


その草履の鼻緒が緩くなってしまったので、きつくしてもらいに行きました。

鼻緒の前と後ろの両方をきつくしていただき、履きやすくなりました。
お直し代は500円でした。

職人さんに言わせると、私は鼻緒の向きをずらして履いてしまう癖があるようで、まっすぐにしてもらいました。

もっと丁寧に履かないといけないみたいですね。

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その後は、浅草寺に行きました。

二天門のあたりは、外国人観光客、修学旅行生、小学生の社会科見学などでものすごい人でした。観光バスが何台も連なっていました。

新宿よりも混雑が激しくて、歩くのが大変。

あまり人が写らないようにするのは、至難の業でした。


私の目的はこちらの「淡島堂」▼です。

ここは、最初は元禄年間に建てられたお堂だそうです。
本尊は阿弥陀如来。淡島明神のほか、虚空蔵菩薩、取子(とりこ)地蔵菩薩が祀られているそうです。


こちらは昭和57年(1982年)に建てられた魂針(こんしん)供養の塔。

ここにお参りすると和裁や洋裁が上手になるのだとか?
2月8日の針供養の時には、折れた針をお豆腐に刺す場面がよく話題になるところですね。


ごちゃごちゃした浅草とすっきりしたスタイルのスカイツリーは、意外とよく似合っているように思いました。


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この日の装い。

新春歌舞伎見物なので、訪問着など着てみました。
これは京都の女医さんからいただいたもの。
松竹梅と、青・赤の小花が散らしてあります。


この着物は、身丈も身幅も私には広すぎて、着付けるのが大変でした。
おまけに私は肩幅が狭いので、せっかくの肩の模様がきれいに見えませんでした。

帯は川島織物。

(この項、続きます。)






2015年1月21日水曜日

チェロのコンサート

先日、中野の沼袋にある「シルクラブ」▼で、「柚子祭り」というのがありました。


シルクラブは、西武新宿線の沼袋駅を下車して少し歩き、この鳥居をくぐったところにあります。


シルクラブは、このような一軒家で、お庭もとても素敵なところです。
私は3回目の訪問となりますが、呉服屋さんらしくなくて、初めて入ったときはちょっと躊躇しましたね。


ここは高級な反物などを扱ってますが、お正月だけはお年玉セールというのをするそうで、今回もかなりお安いものが出ていました。

私がゲットしてきたものは、定価が2800円と書かれた真紅の縮緬の帯揚げ。
なんと300円でした。これは儲けものだったわ。

この日は、「雨田光弘生誕80年記念」としてチェロのニューイヤーコンサートがありました。


雨田さんの絵は、ほんわかとした猫や動物でよく見かけていましたが、本職はチェリストなのだそうです。

外見は謹厳実直な銀行員か大学教授のような方でしたが、その方がチェロを奏でました。ピアノの伴奏がありました。

サンサーンスの「白鳥」、メンデルスゾーンの「チェロとピアノのための無言歌」などを演奏されました。

アンコールはよく知っている曲で、エルダーの「愛のあいさつ」とカザウスの「鳥の歌」でした。

やはり知っている曲だといいですね。
ゆったりとした曲で、知らない曲だと、いい気持ちになって眠たくなってしまいます。

それにしてもチェロは大きくて、持ち運びはさぞ大変だろうと思いました。
私は三味線を持ち歩きますが、その3倍くらいの大きさと重さがあるのではと思いました。

チェロは、弾く時も身体を前のめりにして、指をグーッと押さないといけないようで、体力が必要な楽器ですね。

建物のあちこちに、雨田さんの猫の原画が展示されていました。
こちらは2階の和室です。


そして猫の絵もたくさん販売されていました。
猫好きの人にはたまらないでしょうね。

ギャラリーには80名ほどのお客様が聴きに来ていらっしゃいました。
熱心なファンが多いようです。

休憩時間には地元名物の「金柑まんじゅう」というのをいただきました。
お饅頭の中に、大きな金柑がドーンと丸ごと入っていて、おいしかったですよ。

お土産には雨田さんのカレンダーをいただいいて帰りました。

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チェロで思い出したことがあります。
また昔話になってしまいますが、もう半世紀近くも前のことです。

中学1年の時、同じクラスにとても美人で、なおかつお金持ち(某メーカーの社長令嬢という噂でした)の女の子がいました。
名簿順が私の次でしたが、当時としてはとてもしゃれた名前で、それだけでも目立ってしまうような女の子でした。

その彼女が、チェロを弾いていたのです。
昔は、ピアノを習っている友人は多くいましたが、チェロなんて別世界のことでした。

美人で頭もよく、音楽の才能にも恵まれていた彼女、その後はいったいどのような人生を歩んだのでしょうね。

チェロの演奏を聴きながら、昔のことをちょっと思い出してしまいました。

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この日の装い。

ちょいと真面目な奥様風に、更紗の小紋。
でも暗い色調の着物は似合わないなと、感じました。


帯は金箔の入った名古屋帯。
東三季で、短く仕立ててもらったものです。

帯揚げの色がちょいと目立ちすぎました。