現在は大学は春休み中なのですが、ちょっと用事があり、出かけてきました。
2026年3月31日火曜日
2026年3月30日月曜日
桃園川緑道あるき 1回目(阿佐ヶ谷~中野)
人気暗渠である桃園川緑道を歩いてきました。
先日、2回目▼という記事をアップしましたが、実は今回の方が先に体験したものです。
この時は暗渠マニアのCさんとご一緒でした。
桃園川緑道は前から興味があったのですが、なかなか行くチャンスがありませんでした。
それが桃園川は善福寺川と縁が深いということが分かってから、是非、実現したいと思ったのです。
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こちらの写真は、緑道の入口です。もっと緑が美しい時なら良かったのですが、ちょっと枯れていました。
Cさんが写してくださいました。
そして道ばたにはこんな可愛い動物がいるのです。
ここで桃園川について簡単に説明します。
桃園川は杉並区にある天沼池の湧水が源流です。そしてかつては杉並区、中野区を通過して、神田川に合流する川でした。
それが農業用水としての役目を終え、生活排水の場になってしまいました。そして昭和40年頃から埋め立てが始まり、60年代にはついにすべてに蓋をされてしまい、現在では緑道として変身した昔の川です。
この辺りでは桃が生産されていたので、桃園川となったようです。
ところでなぜ「桃園」という名前がついたのか?
八代将軍徳川吉宗がこのあたりに桃を植えさせた、という説があります。
なんともかわゆいネーミングですね。
そしてこの川には、かつて「桃園橋」という橋が架かっていました。
現在は桃花小学校の校庭に移されたので、見学したいと思いましたが、校門には鍵がかかり、不審者は入れない様子。ということで金網の隙間から覗いてきました。怪しい人物と思われたことでしょう。ただしうまく写せませんでした。
その代わりというか、近くには「かう志んばし」の片割れが残っていました。これは「庚申橋」のことです。庚申橋という名前の橋は、都内でもあちこちにあるようですが、「庚申講」と関係があります。
うっすらと「かう志んはし」の文字が読み取れました。大正13年という文字もありましたので、関東大震災後に作られた橋ですね。
庚申とは60年に1回巡ってくる暦ですが、人間の寿命を縮める「三尸(さんし)の虫」が体内から逃げ出さないよう、庚申の夜に眠らずに過ごす「庚申待ち」という道教由来の信仰が有名です。
そんな昔から続いている行事がある一方、現在では橋のあったところはゴミ収集所となっていることが多く、こんな可哀相な姿の橋もありました。
2026年3月28日土曜日
ルパン三世@新橋演舞場
今月の演舞場のお芝居は、なんとルパン三世を歌舞伎にしたものでした。
私はルパン三世にはあまり馴染みがないし、今回の招待券は夜の部だったので、行く前まではあまり乗り気ではありませんでしたが、それでも演舞場まで出かけてみました。
結果は素晴らしい内容でした!
マンガの世界のルパン三世と、歌舞伎でもおなじみのお家騒動をミックスしたような筋書きでした。
主人公のルパン三世は愛之助さん、お家騒動の中心になる娘役には米吉さん。ほんとうにきれいで可憐な女形でした。
とにかく楽しいお芝居でした。幕も特別製。
主演の2人並んでの宙乗りもあったし、天井から金の小判(の偽物)が降ってくるし、大サービス。
そして最後の場面では、写真写し放題となりました。みんなパシャパシャ。
かなり長時間のお芝居でしたが、まったく飽きることなく、眠ることもなく、最後まで楽しめました。役者さんって、こんなにみんなを楽しませることができるのですね。すごいなーと思いました。
外に出ると、夜桜が満開に咲いていました。
本当に楽しい銀座の夜でした。
2026年3月26日木曜日
修了式
3月22日(日)はプレミアムカレッジの修了式でした。
といっても私はあと2年間まだこちらで学ぶ予定なので、それほど感激はありませんでしたが、いちおうの区切りとなりました。
現在、大講堂という広い会場が使用できないなので、修了式はAV棟で開催されました。ここは昨年、現役大学生と一緒に地理の講義を受講した教室です。
授与式は1人1人名前を呼ばれて、修了証書授与があったので、長い時間がかかりました。
こちらは全員の集合写真。会場ぎっしりですね。誰が誰だか分かりません。前方には学長や教授たちの姿が見えます。
その後は、大学構内にあるお洒落なレストランでお祝いの会。
ここには私たちの6期だけでなく、初期からの人たちも参加されたので、大人数でした。
立食パーティーでしたが、お料理もおいしく、アルコールもふんだんにあり、みんな満足されたようです。このような立食スタイルだと、早い者勝ちで、気づいたらなにも食べるものがないということもありますが、今回はお料理は豊富にあったようです。
実は私たちの同期の集合写真撮影のとき、私はトイレに行っていて、集合写真には間に合いませんでした。それでその後、先生たちだけの集合写真に入らせていただきました。なんと厚かましいおばさんですね。
その後は私たちの同期で、駅近くのイタリアンで二次会。
みんな、よく食べ、よく飲みましたね。幹事さん、いつもながらご苦労さまでした。
4月以降もまたご一緒できる方たちと一緒に早退して、家に戻りました。
その後、ライングループにはたくさんの写真の投稿がありました。
この日の装い。
久しぶりに紫色の派手着物。八王子のフリマで1000円なり。
2026年3月25日水曜日
桃園川緑道あるき 2回目(東中野~神田川合流地点まで)
「桃園川緑道あるき 2回目」というタイトルですが、実は「1回目」はまだアップしていません。すいませんが、2回目からのスタートとなります。
先週、暗渠マニアのCさんと一緒に桃園川緑道の1回目をしましたが、けっこうボリュームがありました。それで最初は簡単な東中野編から書いてみることにしました。
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まずはJR東中野駅で下車。こちらがその駅のマークです。
そして太い道路(山手通り)を南下して、まずは氷川神社へ。というのも1回目のラストが「宮下交差点」だったので、その「宮」である氷川神社を探してみました。
なかなか広い敷地で立派な神社でした。
説明によると、この神社は旧中野村の鎮守社で、1030年に埼玉の大宮神社から勧請したそうです。応仁年間(15世紀)には、社殿を改築したといわれているので、かなり古い神社ですね。
江戸時代には淀橋、下宿、西町、仲宿、打越、囲、原という氏子があり、それぞれの地区の幟や提灯の美を競い、獅子舞や相撲、力石持ち上げ比べなども行われていたそうです。
そこから少し下ると、宮下交差点。
歩道橋が見えますが、桃園川に架かる「宮下橋」はありませんでした。撤去されてしまったのでしょうか。
こちらが桃園川緑道の入口です。
歩いてすぐのところに中野区立塔山小学校がありました。日の丸が立っていましたが、どうやらこの日は卒業式だったようです。桜もきれいに咲いていて、良い日になりましたね。
その先には江戸時代の「中野三重塔」の風景画がありました。
緑道は少しずつ区切られていましたが、ただ石やポールなどが立っているだけで、橋の名前がないところもいくつかありました。
ひょっとすると、こちらは立田橋と関係するものかもしれません。
こちらは名前が分かる戸井橋。道路工事をしていました。
「小淀橋」。
とても小さな橋名版でした。
フェンスの柄はセンスがありました。
次は「田替橋」。たがえはし、というのだそうです。田圃を替えたのでしょうか。
ラストは「末広橋」。ここで神田川と合流します。
カメラマンが神田川を撮影していました。
この川の近くには南こうせつの「神田川」の歌碑がありました。1973年(昭和48年)の作品だそうです。もうあれから半世紀以上、経っているのですね。大ヒット曲でした。
そこから少し北上しましたが、道が狭いというか、曲がっているというか、分かりにくいところでした。
「第六天神」という神社がありました。
































