2021年12月30日木曜日

玉川上水 ~ついに四谷大木戸門へ

玉川上水の全行程を歩く人は、かなりいらっしゃいます。私も他の人のブログを参考にすることもありますが、みなさん、とても早足のようです。

玉川上水は羽村から四谷までおよそ43キロですが、それを2日間で歩く人もいるくらいです。

私など、1日に2キロくらいしか歩かないので、いったい何日かかることになるのでしょう。

それでも、今回、ようやくその終点に辿り着ました。

この日の足どりです。

なんと、新宿周辺だけで3回も歩いてしまいました。こんな人はいないでしょうね。

1回目は、葵橋を探したとき。


    
2回目は、「葵橋の記」を探したとき。


そして今回、3回目にしてようやく西新宿から四谷大木戸門に到着しました。

こんなドジな玉川上水歩きがあっても、よいでしょう。

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まずはまたまた西新宿へ。

京王デパートから出発です。

ルミネの前を通り過ぎ、


バスタ新宿を通り過ぎました。このあたりは、しょっちゅう通っているところなので、気楽でした。

車の通る陸橋、何て言う名前だったかしら。この下にも、玉川上水が流れていたのですね、とのぞきこんでみました。

画材や額縁で有名な「世界堂」を通り過ぎ、


雷電稲荷神社を通り過ぎ、


 都立新宿高校を通り過ぎました。

そして新宿御苑へ行く道をまっすぐ進みます。

新宿御苑の中には、かつての玉川上水だったところが緑道になっているのです。

ところがです。なんてことか、この日は月曜日のため、新宿御苑は休みだったのです。すっかり忘れていました。

苑内の道に入ることはできないので、仕方なくそばの公道を歩きました。

こちらが昔の新宿門です。風格がありました。

道端にはこんなかわいいお花もありました。

もう少し歩きました。1キロもありません。

はい、大木戸門へ到着。ここが玉川上水の終点です。 

すぐ近くには、東京都水道局新宿営業所がありました。かつて玉川上水の終点だったところが、今は水道局のビルになっているのは、面白いですよね。

こちらは少し見にくいのですが、「水道碑記」です。昭和5年に立てられたようです。高さが460センチもあるものでした。漢字ばかりでした。

「四谷大木戸跡碑」もありました。

ようやくたどり着いたのでした。

私が歩いたのは、玉川上水のまだ全体の半分くらいですが、とても嬉しかったです。

おまけにこの日は、四谷で三味線演奏会を聞く用事があったので、訪問着で歩いていたのです。

玉川上水を歩く人は多いかもしれませんが、着物で草履で歩く人は少ないと思います。それだけは自慢したいな。

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「一日一句」

年末も 上水辿って 町を行く


2021年12月29日水曜日

玉川上水・新宿周辺2 〜葵橋の記〜

先日、新宿タカシマヤに行ったついでに、「葵橋」を見つけた話を書きました。

https://toshiko72.blogspot.com/2021/12/blog-post_38.html?m=1

「葵橋」は見つかりましたが、「葵橋の記」は見つけられませんでした。

ところが友人のCさんから、私が写した写真の中に、その看板があるビルは写っているという指摘があったのです。

こちらの写真の左上にちょこっと見えるビルです。車がいる後ろです。まさか、ここに「葵橋の記」があるとは思いませんでした。

それでもう一度、新宿まででかけて、チャレンジしてみることにしました。

私は結構、執念深いのかもしれません。

たまたま、葵橋近くにある京王デパートで、着物のリサイクルイベントがあるので、そこに出かける前に「葵橋の記」を見る、という計画を立てました。

また西新宿1丁目まで。

そうそう、こちらのビルです。

「東京南新宿ビルディング」

ここには、レンタカー屋さんが入っていました。

そしてこのビルの壁で発見しました!

嬉しかったですね。

「かつてこの地を玉川上水が流れ、このビルの前に葵橋があった」 

と書かれていました。

「しかしこの景観も時の流れとともに進む周囲の都市化に伴って変容した」

そうですね、江戸時代、明治、大正、昭和、令和と時は流れました。玉川上水も暗渠となりました。

淀橋浄水場がなくなったのは昭和40年だったのですね。その前年の昭和39年がオリンピックの年だったので、そのころから高度成長時代の流れの中で、東京の姿は変化していったのでしょう。

下の写真は、こちらはビルの中から、葵橋通り方面を眺めたものです。

ごく普通の道路に見えますが、ここに玉川上水が走っていたのです。

教えていただいたCさん、ありがとうございました。

この後、京王デパートの着物イベントに行きましたが、あまり気に入ったものはなくて、ちょっと損をしたような気分でしたが、それよりも探していた看板が見つかったので、嬉しかったです。

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「一日一句」

探しもの 見つかる師走の 嬉しさよ

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この日の装い

なんとなくピンクの着物を着てみたくて、これを選びました。クリスマスっぽくしてみたかったのです。

帯はこの季節限定のシクラメン?




2021年12月27日月曜日

自分にご褒美

我が家のクリスマスには、サンタさんはやってこないようなので、自分でプレゼントをすることにしました。

今年の冬は寒くなるという予想なので、和装用コートを新調したかったのです。

着物の上に着る冬用のコートというのは、私の認識によると、

「高い、大きい、ダサい」

の三拍子が揃っているようなもので、なかなかピッタリとしたものがありません。

いいなぁと思う軽いコートは10万円もしたりするし、いかにもおばさんぽいどっしりとしたコートは着る気がしないのです。

今、着ているコートは、叔母の遺品や骨董市で見つけたものなのですが、かなりラフな感じなのです。

それでもう少しちゃんとした場所へも着ていけるようなコートを探そうと思いました。

まずは新宿京王デパートで開催されていた着物市へ行ってみましたが、コートはほとんどありませんでした。

その次は、銀座で開催されていた「今昔きもの大市」へ行ってみました。

こちらのtentoさんの店頭で、別珍のコートが吊るされていました。

黒、紺、ワインレッドの3種類のコートがありました。

サイズは、意外と大きくなくて、どれもちょうど良かったのですが、黒は手持ちのものがあるし、紺はちょっと硬い感じ、ということでこちらのワインレッドのコートにしました。

襟巻きは、母が使っていたもの。

お店のお兄さんも「かわいいですよ」と言ってくれたので、お世辞とは思いましたが、これに決めました。

襟の形もかわいい。

70すぎのおばあさんが着るようなものではないかもしれませんが、誰に迷惑をかけるわけでもないので、きれいな色のコートでもよいかなと。

tentoさんの着物はどれも可愛いので、それも決め手でした。

着物大市には他のお店も出ていましたが、コートはあまりなかったようです。

ということで、今年はあまり良い年ではありませんでしたが、クリスマスくらいは明るい気分で過ごせたので、まぁ良しとしましょう。

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「一日一句」

うきうきと ワインレッドの 冬が来る



2021年12月26日日曜日

駒場東大前から空川の暗渠を辿る

目黒区駒場にある日本民藝館に行った後は、空川(そらかわ)という暗渠を歩いてみようと思いました。

駒場東大前の駅にはこんな看板も出ていたので、どうしても行ってみたいと思ったのです。

空川というのは、東大の校舎とは井の頭線を挟んで反対側にある駒場野公園の中にある池などが水源だという川です。この川は目黒川に続いているとか。

井の頭線の踏切のすぐ際に、公園の入口がありました。

暖かい時期なら、駒場野公園内を散歩してもよかったのですが、なにせ12月の風が吹いていて、あまりのんびりと歩く雰囲気ではなかったので、門を撮影しただけ。

駒場野公園の周囲は明治時代には駒場農学校があったそうで、ドイツ人のケルネルさんが基礎を築いたという「ケルネル田んぼ」と呼ばれる田んぼが今でもあります。

駒場東大前の駅前です。


商店街には細い曲がった道が続いていましたが、これがかつての川だったのでしょうね。

ただしここが川だったと気づく人は少ないでしょう。

駅から続く商店街をどんどんと東方向へ歩いていきましたが、聖徳寺のあたりで道路工事にぶつかってしまいました。


お寺の前から、日本工業大学の中高校あたりまでは、ずっと工事中で、細い道にトラクターや工事関係車両がたくさん集まっていて、そこを通らせてもらうだけでも大変でした。


その道こそが、たぶん空川だったと思える細い坂道で、なんとももったいない思いをしました。緑色のフェンスの先まで行ってみたかったのですが。


ここはかなりの坂道になっていました。


道路には工事関係者がかなり多かったので、その道の風景を写すのは難しく、少し離れたところから写しただけです。

ずんずん歩いていくと、淡島通りという広い道に出てしまいました。道路の反対側には都立駒場高校が見えました。ここは井の頭線の線路の方よりもかなり高い土地になっていました。

また低い土地の方へ戻りました。駒場児童遊園です。


ただし暗渠がこんなに広い道のはずはないと思い、また戻ったりしていると、暗渠らしいものが見えてきました。急な下り坂やゆるい上り坂もありました。

とはいえ、緑のフェンスが続いていて、中に入ることはできませんでした。この先を覗いてみたかったのですが。

あちこちフラフラと歩きまわりました。こちらは目黒区立駒場保育園。


この近くは、かなり土地の高低差があり、その低いところに川が流れていたのではないかと思えました。

その後また広い通り(淡島通り)に出ていくと、ここはバスが通っているのですが、こんな標識が見えました。
渋谷が近いようです。


少し歩くと、松見坂下のバス停でした。


なんとなく気になって、近づいてみると、道路の下にはかつての川らしき細い道が見えました。


この下をくぐっていけば何かありそうな予感がしたのです。

はい、ありました!
松見坂地蔵尊です。

石碑には、なんと明治32年という文字が刻まれていました。


お地蔵さんがマスクをしているところをみると、どなたかがお世話をしているのでしょうね。


百年以上昔のものなのでした。坂の下にあるので、普通の人は気づかない場所です。

それでも明治時代には信仰の対象だったところだと思います。

このお地蔵さんは、今回の収穫でした。

空川そのものは見失いましたが、古いものを発見できてラッキーでした。

ここから南へ歩くと、大坂口分水というところに繋がっているようです。ちなみにそこは三田用水と合流しているところのようです。

こちらは松見坂の交差点です。右側に見えるのが山手通りです。


そして山手通りを北の方へ進み、かなり歩いて、神泉駅に到着しました。

空川そのものは確認できませんでしたが、細いくねくね道や断崖も発見できたので、まずは満足しました。

後でネットで調べてみると、このあたりは226事件の首謀者が潜んでいた場所だということが分かりました。今から80年以上昔の事件ですが、なんだか身近に感じられました。

そういえば、母は226事件のとき、女学生だった頃ですが、雪の日の事件だったと話していました。渋谷の学校に通っていたので、この事件のことをよく覚えていたのかもしれませんね。

この日の大まかな足取りです。

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「一日一句」

暗渠にて いにしえ思う 年の暮れ