2021年12月16日木曜日

旧京王線を歩いてみた《その1 はじめに》

私は調布市に住んで、36年ほどになります。

その間、子育てや仕事、ボランティア、友人関係も調布市を基盤にして過ごしてきました。

とはいえ、市内で知っている場所は限られていて、主な活動は市内の西部地域が中心でした。また普段の行動は自転車か、京王線を利用していたので、行くところは限定されていました。また都心の方に出かける事も何かと多く、市内でも知らない場所は、まだまだたくさんありました。


(昭和5年の京王線。吉田初三郎氏画)

そんな生活をしていましたが、去年から始まったコロナ禍のため、都心や他府県への外出はめったにしなくなり、また人混みは避けるようになりました。

それでも体力維持のため、市内に流れる多摩川や野川、仙川などを歩くようになりました。川べりを歩くことはとても楽しく、近隣に流れる神田川や玉川上水なども歩いているうちに、そこに架かる橋や、かつては用水だったところ、昔の名残がある水辺の風景にも興味を持つようになりました。

 (実は橋マニア。
これは中野区新宿区あたりの神田川に架かる橋です)

先日、たまたま郷土博物館で開催された「川と水のある暮らし」という展覧会に行きました。そしてそこで、かつて京王線は今とは別の場所を走っていたという展示を見かけたのです。

それまで、調布駅は現在とは別の場所にあったという話は聞いていましたが、国領やつつじヶ丘の駅も別のところにあったという歴史に、とても惹かれました。

それは大正時代から、昭和初期までのことでした。

個人的なことになりますが、私の両親は大正生まれです。住んでいたのは調布ではありませんが、旧京王線が走っていたころは、子供時代でした。そんなこともあり、百年前の京王線が身近に感じられました。

たまたまある人のブログで、かつては「北浦」という駅があり、その標識がある、という記事を見ました。

そして、絶対に自分の目でその標識を確かめたいと思ったのです。

その私の願いに共感してくれたのは、京王線沿線に住んでいるAさんです。彼女は暗渠ファンであり、古い地図に詳しく、そしてなによりも方向感覚が優れている人です。

そんなAさんのサポートをいただいて、今回、旧京王線を歩いてみました。

他にも地元の方から情報をいただきました。また調布市役所の担当者、調布facebook交流会の皆様、図書館の資料にもお世話になりました。

ということで、今回はさわりだけですが、次回は歩いた道をご紹介させていただきたいと思います。

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「一日一句」

冬の日に 百年前の 電車道


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