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2026年4月9日木曜日

与謝野晶子が住んでいた荻窪

論文の下準備のために阿佐谷方面に出かけた時、ついでに実家があった荻窪にも寄ってみました。

今から50年以上前に住んでいたところですが、周囲はすっかり様変わりしていました。

それでも家の前にあった教会は新しく建てられていましたが、以前の場所にありました。


子供の頃はここの前庭でよく遊んだものです。

また四つ角にあった大きな桜の木は、以前と同じように花が咲いていました。

さくらの寿命は60年と聞きますが、この桜は私が子供の時にはすでに大木だったので、いったい今は何歳なのでしょうね。

こちらは私が通っていた幼稚園。

そういえば立派な藤棚がありました。

そして近くには与謝野晶子さんのお屋敷の跡があるというので、ちょっと探してみました。

桜の木のすぐ近くにありました。

現在は「与謝野公園」となっていました。近所の男の子たちが遊んでいました。

与謝野晶子は関東大震災の時に「新新訳源氏物語」の原稿を焼失してしまい、震災の被害の少なかった郊外に引っ越しすることにしました。そして当時は井荻と呼ばれたこの地を得ました。ここからは富士山や箱根の山々がよく見えたそうです。

与謝野鉄幹と晶子さんのおうちの跡という写真が残っていました。

そのお屋敷には、桜、アカシア、アケビ、栴檀、タイサンボク、楓、梅、蝋梅、栗などのたくさんの樹木があったそうです。またぶどう棚もあったとか。

晶子さんは昭和17年にお亡くなりになりましたが、敷地内に「遙青書屋」(ようせいしょおく)と名付けられた邸宅は、昭和55年まで残っていたそうです。

そして昭和57年にここは杉並区立「南荻窪中央公園」として開園しました。

その後、地元の人たちにより、ゆかりの地として整備されることになったそうです。

あの有名な与謝野晶子が、私の実家のこんな近くに住んでいたとは知りませんでしたが、実は私の小学校の校歌の歌詞は与謝野晶子作なのです。ご近所だったので、気軽に引き受けていただいたのかもしれませんね。


2026年3月23日月曜日

日本橋から池袋へ

先日、まずは日本橋三越前まで地下鉄で出かけ、そのあと少し歩いてこちらの展覧会へ。

王朝継ぎ紙「近藤陽子展~雅なる美を求めて~」を拝見してきました。

これまでの集大成の個展でした。とくに源氏物語54帖をさまざまな紙を用いて美しく仕上げていて、ほんとうに雅な世界でした。紙といっても、唐紙を染め、そこに様々な紋様の色紙を貼り、金銀などを施したものです。

近藤陽子さんは、作家の近藤富江さんのお嬢様で、「王朝継ぎ紙研究会」の主催者です。

雅な世界を堪能したあとは、三越前まで戻り、今度は銀座線と丸の内線を乗りついで、池袋まで。

東京芸術劇場の地下ホールで、高校時代の同級生の発表会がありました。

彼女はもう60年ほど踊り続けているそうですが、しなやかな身体、表現力、豊かな感情が踊りに溢れていました。1時間ほど、力強くそして軽やかに踊り続けていましたが、体力、気力とも充実していましたね。振り付けも彼女の手によるもの。素晴らしい!

音楽も素敵で、最後にはハッピーになるストーリーも良かったです。

この発表会には高校時代のクラスメイトも一緒でした。

みんな同じように年を取るので、怖いものなしですね。

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この日は、着物も帯もふだんはあまり着用しないモノでした。どちらもリサイクルで1000円というシロモノ。

普段、大学には地味な着物しか着ていかないので、たまにはこんな着物も着たくなります。

着ない人にとっては、みんな同じように見えるのかもしれませんが。



2024年11月28日木曜日

須藤公園@千駄木

 旧安田邸庭園で「花嫁のれん」を楽しんだ▼後は、近くにある「須藤公園」まで足を伸ばしました。


ここはどなたかのブログで、「高低差のある地形を生かした水の公園」と書かれていた場所なので、水や池に興味のある私は、どうしても一度行ってみたかった場所なのです。
実業家の須藤さんという方のお屋敷だったところでした。

~以下は文京区の案内から~

「須藤公園は、江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)の屋敷跡。その後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となり、明治22年(1889年)に実業家須藤吉左衛門が買い取りました。昭和8年(1933年)に須藤家が公園用地として東京市に寄付、昭和25年(1950年)に文京区に移管」


かなり急な坂でした。そこには大きな木々が生い茂っていました。


その坂をそろりそろりと下ると、神社と池がありました。弁財天だそうです。

案内板によると、ここは大聖寺藩(現在は加賀市、金沢よりも南側)の下屋敷だったところでした。

大聖寺藩とは聞いたことがなかったのですが、実は着物友達のお父上様は、大聖寺町近くのご出身だったとか。

七尾市の「花嫁のれん」を見た後で、今度は加賀市近くの藩にゆかりのある須藤公園にたどり着いた、ということで、北陸づいていましたね。

実はこのあたりは、私の父方の祖先とも縁がある地でした。戦前、大家族(たぶん両親と7人兄弟姉妹?)でこの近くに住んでいましたが、戦災で焼けてしまいました。

須藤公園は、それほど人気のある公園ではないかもしれませんが、「谷根千」と呼ばれる地区にひっそりと佇んでいました。

そして道路を一歩外に出ると、そこは交通量の多い幹線道路になっていました。

こういう公園、好きだな。

参考までに、国土地理院の標高差が分かる地図で見ると、このあたりの高低差がよく分かりますね。文京区と台東区の境目あたりが高くなっています。

黒い➕マークは千駄木駅です。


やはりかなり坂や崖が多いところだということが、よく分かりました。
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この日の装い。

父方の叔母が着ていたというオシャレな絵柄の着物。紐が縦に流れています。

本物はもう少し淡い色だと思います。

なんだか怖い顔をしていますね。


帯は、かなり前、大江戸骨董市で、なんだか押しつけられて買ったもの。


帯締めは自作。シンプルな組み方ですが、気に入っています。



2024年9月19日木曜日

海を渡った木目込み人形

先日、久しぶりにいとこから電話がありました。彼女は私の父の妹の娘です。

私たちの義理の叔母(父の弟のお嫁さん)が亡くなったという知らせでした。

その叔母は、昔は私の家族と同じ敷地内に住んでいました。叔母は私の母より一回りほど年下ですが、同じお嫁さん同士、仲良くしていました。

その後、名古屋に移り住み、叔父が亡くなった後も1人で元気にマンションで暮らしていました。とにかく趣味が多彩な人でした。文字がとても美しく、またシャンソンやカンツォーネも歌っていました。

この叔母のことを、カナダに住んでいる妹にも知らせました。

すると妹は、こんな写真を送ってきました。


連獅子です。

なんと大昔、この叔母が作ったという木目込み人形でした。

どうしてその人形がカナダにあるのか、経緯は分かりませんが、とにかく叔母の作品が海を渡って、カナダの家の居間に飾ってあるというのです。日本の部屋にあるよりも、洋風な部屋にピッタリな様子です。

このことをいとこと、叔母と血の繋がった姪御さん(お会いしたことはありません)にも伝えました。

2人とも喜んでいました。

叔母は92歳まで元気で1人暮らしをしていたそうです。

そして老人ホームに入居する、というその日に亡くなったそうです。




2024年7月6日土曜日

代々木公園巡検 ~かつて陸軍の練兵場だった~

今日は大学の授業の一環として、代々木公園のフィールドワークをしてきました。

暑くてたまりませんでしたが、面白くそして有意義な「巡検」でした。

現在、代々木公園といえばさまざまなイベントが開かれる場所として有名ですね。

私にとっては、ここは1964年の東京オリンピックの選手村のイメージが強いところです。

そしてここはそれ以前は、米軍の施設「ワシントンハイツ」であった場所でした。オリンピック開催を機に、日本がアメリカから返還したところです。

そしてその前は、「代々木練兵場」だったのです。日本軍が戦闘訓練をするところでした。

公園の中を歩いて、その名残りを見つけてきました。

集合は千代田線の「代々木公園駅」。


この駅に下車するのは初めてでした。

担当の地理の先生と、学部の学生、そして私と同じ年配のシニア学生、みんなで15名ほどだったでしょうか。

そして駅の隣にある、こちらの公園でまず先生の説明を聞きました。

駅の向かい側には、「八幡神社」があるとのこと。ここは私の大好きな作家・平岩弓枝さんのご実家ですよね。

そしてこちらの道路は、童謡の「春の小川」の舞台となった渋谷川が流れていたところだという説明がありました。


公園の中に入ると、緑が多く、背の高い木々もたくさん生い茂っていました。

こんな立て札がありました。「日本航空発始之地」


日本で初飛行した場所ということでした。

立派な石碑がありました。
鷲が翼を広げたような形をしていました。


かなり大きな石碑でした。
明治43年にここで日本初飛行が成功したとのことです。
説明によると、初飛行はわずか5分だったとか。

次の場所へ移動します。どういうわけか、地面にはモグラの穴がたくさん空いていました。


木の下は涼しいのですが、とにかく先生や若者の歩くスピードがすごく速くて、私は駆け足状態でした。


こちらは昭憲皇太后大喪場殿跡。
明治天皇のお后であった昭憲皇太后の葬儀を記念して作られた碑です。
代々木公園は皇室とゆかりが深いところなのでした。

こちらの松は「閲兵式の松」

天皇の臨席の下、陸軍の部隊が整列して、閲兵を受けた地の松です。  


しばらく歩くと、昔のオリンピックの選手村跡がありました。


一緒に歩いた女子学生に写してもらいました。
「私はオリンピックがあったときは、中学生だったのよ」と話しましたが、彼女にはたぶん想像がつかないくらい昔だと思ったでしょうね。
もう60年前なのですから。

本当はもっと写真を写したかったのですが、先生の歩くスピードが速くて、写真を撮っていては置いてきぼりそうになりそうなので、あまり写せませんでした。

原宿に近いゲートのところには、七夕飾りがありました。外国人もお散歩していました。


そして代々木公園から出て、明治神宮へ。


神宮橋のところで、向こう側にある表参道を説明されている先生です。明治神宮ができる前は表参道はなかった、という説明は、当然と言えば当然ですが、ちょっと意外性がありました。


戦争中は、向こう側の表参道の方から兵隊が歩いてきて、代々木練兵場で戦闘の練習をしていたのだろう、という説明をしていた場面です。

先生はお若いので、単なる歴史として淡々と話していましたが、私は亡き父のことを思い出してしまいました。

父は戦争の話はあまりしませんでしたが、陸軍で経理の仕事をしていたようです。そのため南方に行っても、戦闘には出ませんでした。それでもこの代々木公園のあたりにも来たことがあるかもしれないと、思ってしまいました。

今回は18歳の若い学生と一緒で、彼らは戦争のイメージはまるで持っていないだろうと思いますが、昭和生まれの人間にとっては、戦争から思い出すことがありました。


他の学生達は、この後は表参道や裏原宿を歩くようでしたが、私は次の予定があるので、原宿駅のところで失礼しました。

この日はたぶん35度くらいだったかもしれません。
歩いた歩数はそれほど多くはありませんでしたが、独りで歩くペースと違うし、とにかく暑くてたまりませんでした。

原宿駅から山手線に乗り、家に直行して、シャワーを浴びて、今度は着物に着替えて出かけたのでした。

2023年5月29日月曜日

「気功」体験@横浜元町

このところ、足首の骨折のため、ほとんど運動はしていませんでした。

フォークダンスも見学だけ、スポーツジムもお休み、自転車もまだ乗っていません。

歩くだけです。

なにか体を動かしたいのですが、足の痛みが激化してしまったら困ると思い、ずっと我慢してじっとしていました。

たまたまfacebookで「気功」が体験できるイベントがありました。

私は「気功」とか「太極拳」とかはまるで知らなかったのですが、なんとなく気分が良くなるかもしれないと思い、申し込んでみました。

会場は横浜のビルの中にある着物屋さんでした。

こちらのお店には、だいぶ前に三味線の演奏会で伺ったことがありました。いろいろなイベントを通して、着物ファンを増やしていく、という方針のお店のようです。

時間通りに到着すると、気功の先生と、すでに数人の女性がいました。

それぞれ「腰が痛い」とか「五十肩で困っている」とか「片方の膝だけが痛い」という悩みをお持ちの方でした。

私は一時的な怪我による痛みなので、気功が効果的かどうかちょっと不安でしたが、先生のお話によると、足を骨折した人ばかりを集めて、治療したこともあるというのでちょっと安心しました。

気功というのはなかなかうまく説明できませんが、自然界に漂っている気を、自分の体にうまく取り込み、それを全身にめぐらして、病気にならない身体を作る、というような体操でしょうか。

肩甲骨を剥がす、丹田を押さえる、喉を広げるなど、さまざまなポーズを教えていただきました。

そして二人ずつのペアになり、お互いにマッサージをしたり、ツボを探したり、ストレッチをしました。

そして私の足首の骨折は、その部分に悪いものが溜まってしまわないように、手のひらで優しく撫で、足の裏へ流すとよいとのことでした。

最初は触っているだけで痛みがなくなるのだろうかと疑心暗鬼でしたが、体験が終了するころには痛みは消えていました。

先生は「自分の体は自分で治す」という方針で、病気にかからないようにする秘訣をいくつか教えていただきました。身体のゆがみを治し、腸と筋肉を鍛えるのが大切とのことでした。

自分の体のことは、他人にはわからないことが多いですね。自分で自分の体をよく見つめて、気持ちよくしてあげるのが大事なようです。

お土産に、可愛い腰紐をいただきました。

じざいやさん、ありがとうございました。

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今回の会場は、横浜元町の繁華街から一歩入ったところにありました。

私の両親は、昭和の終わりから平成の10年頃までは、元町に近いところに住んでいました。それで親を訪問する時には、元町商店街に何回か散歩に行っていましたが、この通りは昔とあまり変わりがないようですね。

近沢レース、バッグのキタムラ、宝石屋さん、おしゃれな洋服屋さんなど、ヨーロッパ風の街はまだ健在でした。

あの頃は、親のところに行くと、いつも中華街でご馳走をしてもらっていました。懐かしいな。

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「一日一句」

元町の 薔薇のベンチで 父母想う


2023年2月25日土曜日

思い出の高円寺散策

先日、 「活弁サロン」を見るために、中央線の高円寺まで出かけました。

実は今から50年以上も昔、高円寺の駅近くに1年ほど住んだことがありました。

それで活弁が始まる前に、その辺りを探索してみました。

スーパーのOKは、その頃からありましたね。

この近くに住んでいたはずですが、すっかり様変わりしてしまい、自分が住んでいた場所が分からなくなってしまいました。

それで昔の思い出はそのままにして、氷川神社に行ってみました。こういう場所は年月が経っても変わらないので、良いですね。


「気象神社」としても有名なところです。

ここは1944年(昭和19年)、大日本帝国陸軍の気象部に造営されたものだそうです。気象というのは軍にとっては非常に重要な要素であり、また気象予報が的中するように祈願したそうです。

現在では気象予報士を目指す受験生も参拝しているそうです。

境内には「試験の日が晴れますように」とか「結婚式に雨が降りませんように」などと書かれた絵馬がたくさん吊るされていました。

その後は、「高円寺」まで歩いてみました。駅名や長名にもなっている名前のお寺です。


ここは曹洞宗のお寺だそうです。
1555年に開山されましたが、徳川家光が鷹狩の際に、雨宿りをしたところでもあり、徳川家と縁のあるお寺だそうです。

お庭も立派で、かなり大きなお寺でした。

その後は、駅の北口の方に行きました。

駅前にある「高円寺純情商店街」です。


この商店街の名前は、ねじめ正一さんの小説のタイトルからつけられたもの。私が住んでいた当時は、名前はついていませんでした。

様々なお店がたくさん並んでいて、活気に溢れた商店街です。

少し歩くと、「庚申通り商店街」と合流します。

こちらがその名前の由来となった庚申塔です。


庚申塔は、庚申塚ともいい、中国伝来の道教に由来するものだそうです。庚申講(60日に一回回ってくる庚申の日の夜、夜通し眠らないで勤行をしたり宴会をしたりする風習)を3年18回続けた記念として建てられるそうです。


その後、ちょっと時間があったので、庚申通りのリサイクル着物やさんを覗いてみました。

そしてお散歩の後、高円寺バッカスまで向かったのでした。

小雨が降ってきてしまいました。

実は高円寺の裏通りには、くねくねと曲がった細い道があり、昔の水路を彷彿とさせる風景もあちこちにありました。時間があれば、ゆっくりと歩いてみたい町でした。

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「一日一句」

春時雨 私の青春 高円寺


2022年11月12日土曜日

新宿にある水道遺跡

玉川上水や淀橋浄水場の跡地を辿っていると、意外なところに水の遺跡があるものです。

今回は「旧淀橋浄水場蝶型弁」という遺物が新宿西口にあるというので、新宿に出かけるついでに探してきました。

この日の本来の目的は、カナダから来日して、その日の夜は新宿のホテルに宿泊している妹を出迎えるためでした。

ちょっと早めに家を出て、ホテルに行く前に、蝶型弁を探すことにしました。

だいたいの場所はグーグルマップで調べていたので、まずは新宿西口の地下に出ました。

ここから動く歩道に乗りました。地下道には團十郎のポスターがありました。

朝の時間だったので、サラリーマンや都庁に用事があるような人が、ものすごいスピードで歩道を歩いていました。

私は急ぐ用事ではないので、ぼーっとしていたら、歩く歩道の上で、どんどん追い抜かれました。

そして新宿住友ビルに到着しました。

このビルが建てられたのは 昭和49年(1974年)だそうで、地上52階建て、高層ビルの走りともいえる建物ですね。

「蝶型弁」はこのビルのあたりにあるというので、ビルの周囲を歩いて探しました。

青梅街道の方まで歩き、ぐるぐると回りましたが、それらしきものは見つかりませんでした。

おかしいなと思い、ひょっとすると「蝶型弁」は道路ではなくて、このビルの中にあるのかもしれないと思い、建物に入ってみることにしました。

まだ朝だったので、お店は開いていなくて、がらんとしていました。

ビルの中をどんどん歩いていきました。ひょっとして「三角広場」にあるかもしれないという直感が湧いてきました。

ありました!

こちらが「蝶型弁」です。かなり大きいです。

中央には東京都水道局のマークがあります。

「東京水道発祥の地」という説明の碑もありました。

これが、かつて東京の水道を担っていた旧淀橋浄水場の蝶型弁です。止水弁という配水バルブです。内径は100センチあるそうです。

昭和12年(1937年)に製造されたそうです。

淀橋浄水場は昭和40年(1965年)に廃止されました。東京オリンピックの翌年、私が中学生の頃に廃止されました。

ゆっくり見ていたかったのですが、妹を迎える時間が迫っていたので、後ろ髪を引かれる思いで住友ビルを後にしました。

新宿西口公園あたりは、紅葉が始まっていました。

秋の青空がきれいでした。


こちらは甲州街道の文化学園近くにある、玉川上水のモニュメントです。


これは明治時代のものとほぼ同じサイズだとか。

新宿駅近くの葵通りでは大規模な道路工事中でしたが、以前、見つけた「葵橋跡」は残っていて、安心しました。

古いものがどんどん壊されていますが、一度壊されると元に戻すことは大変です。

その後、妹とは2020年2月の来日以来の再会ができて、ホテルの中でいっしょにランチをしました。

ベトナム料理のカレーとフォンのセットです。


ということで、私はなにかの用事があるときには、川を歩くとか、水道に関連のある場所を訪ねるとかしているのです。

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「一日一句」

水道の 記憶求めて 秋の街