論文の下準備のために阿佐谷方面に出かけた時、ついでに実家があった荻窪にも寄ってみました。
今から50年以上前に住んでいたところですが、周囲はすっかり様変わりしていました。
それでも家の前にあった教会は新しく建てられていましたが、以前の場所にありました。
また四つ角にあった大きな桜の木は、以前と同じように花が咲いていました。
さくらの寿命は60年と聞きますが、この桜は私が子供の時にはすでに大木だったので、いったい今は何歳なのでしょうね。
こちらは私が通っていた幼稚園。
そういえば立派な藤棚がありました。
そして近くには与謝野晶子さんのお屋敷の跡があるというので、ちょっと探してみました。
桜の木のすぐ近くにありました。
現在は「与謝野公園」となっていました。近所の男の子たちが遊んでいました。
与謝野晶子は関東大震災の時に「新新訳源氏物語」の原稿を焼失してしまい、震災の被害の少なかった郊外に引っ越しすることにしました。そして当時は井荻と呼ばれたこの地を得ました。ここからは富士山や箱根の山々がよく見えたそうです。
与謝野鉄幹と晶子さんのおうちの跡という写真が残っていました。
そのお屋敷には、桜、アカシア、アケビ、栴檀、タイサンボク、楓、梅、蝋梅、栗などのたくさんの樹木があったそうです。またぶどう棚もあったとか。
晶子さんは昭和17年にお亡くなりになりましたが、敷地内に「遙青書屋」(ようせいしょおく)と名付けられた邸宅は、昭和55年まで残っていたそうです。
そして昭和57年にここは杉並区立「南荻窪中央公園」として開園しました。
その後、地元の人たちにより、ゆかりの地として整備されることになったそうです。
あの有名な与謝野晶子が、私の実家のこんな近くに住んでいたとは知りませんでしたが、実は私の小学校の校歌の歌詞は与謝野晶子作なのです。ご近所だったので、気軽に引き受けていただいたのかもしれませんね。
0 件のコメント:
コメントを投稿