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2025年8月7日木曜日

夏のゼミ・小石川植物園散策

先日、めちゃめちゃ暑い日に、ゼミの人たちと小石川植物園のフィールド・ワークをしました。

というのも、あるゼミ生が「ミシマサイコ」という薬草のことを調べているのですが、この草は夏にきれいな花が咲くというのです。それでみんなで探検に出かけました。

小石川植物園は日本最古の植物園であり、なんと徳川時代(1684年)、小石川御殿内の北側に「小石川御薬園」として作られた場所です。

その後、享保の改革の時、1722年(享保7年)、ここに養生所を作りました。

そして明治時代になって、ここは東京大学の植物園となったのです。

ここならミシマサイコがあるという情報があり、今なら咲いているというので、ゼミのみんなと出かけました。

正面玄関。


こちらが薬草が植えられている「薬園保存園」。とてもたくさんの種類がありました。約120種類の薬用植物が栽培されているそうです。


ところが肝心のミシマサイコは、暑さのためか、ぐったりと萎れてしまっていました。


残念ですね。
みんなでミシマサイコを悲しんでいるところ。

その後は園内を巡りました。園内はかなり高低差があります。森のようなところもありました。

こちらは日本庭園。きれいですよね。

東京医学校本館前。明治10年に東大の付属植物園となりました。

記念撮影です。

この日はたぶん37度くらいあったと思いますが、嬉しいことに「冷温室」という施設がありました。高山植物を育てている場所です。ここは19度に設定されていたので、とても涼しくて、みんな動きたくありませんでした。

可憐なレンゲショウマも咲いていました。

また柴田記念館では、小笠原の植物についても、特別展示がありました。

小石川植物園の関連施設は、日光にもあるそうで、こちらも行ってみたいですね。

その後は、小石川にある「岡埜栄泉」という高級料理屋さんでランチタイム。

きれいに作られた定食をいただきました。

前菜、刺身、天ぷら、焼き物、蒸し物などのフルコース。


抹茶のアイスもついていましたよ。

ここは和菓子が有名なお店なので、豆大福をお土産にしました。とても大きくて、美味しかったです。

その後は、みなさんは水道歴史博物館へ。私はそこは何回か見学していたので、パスして一人で戻りました。

真夏の探検、みなさん、お疲れ様でした。



2025年7月19日土曜日

前期最後のフィールドワーク 本所防災館

前期の通常授業が終了しました。後はゼミだけで、次は8月の夏期講習となります。

先日は前期最後のフィールドワークに出かけてきました。墨田区にある本所防災館です。24人のメンバーで、いろいろな防災体験をしてきました。

防災体験は前年は立川防災館で体験しましたが、都内に3ヵ所あるうちで、大雨災害体験ができるのはこの本所だけだそうです。ということでまずは暴風雨体験でした。

1時間に50㎜の大雨と、風速30㍍の暴風を特別な装置のある部屋で体験しました。

入室前には、膝上まである超ロング長靴、特大レインコート、そしてマスクをしました。

係の方のアナウンスで、雨と風が一斉に飛びかかってきたのですが、本当に大変。手すりをしっかり握っていましたが、立っているのがやっとでした。眼鏡もずれそうになるし、こんな暴風の時は、外に出るのは無理だと思いました。

その次は、震災体験。これは立川でも体験しましたが、こちらの方が、震度が強く感じました。東北の地震を再現したものでした。

そして今度は「都市型水害 水位が上昇したとき、ドアを押して、外へ出られるかのシミレーションでした。たった10センチくらいの水でも、ドアが閉まってしまうのが分かりました。

最後は火災で煙に巻かれたときの逃げ方訓練でした。真っ暗なところで歩く体験もしましたが、あちこちぶつかってしまいました。

こんな風な体験をしてきました。

外国人グループや、町内会で見学に来たような人たちもいましたが、是非、一度体験されることをお勧めします。

ここではカメラは使用禁止でしたので、写真はありません。

ロビーで、象さんと一緒に。

その代わり、ここに行く前に女性5人で美味しいランチをいただいたので、その写真を載せておきます。

錦糸町の駅前にあるロッテホテルの1階にあるイタリアンレストランです。


私はしらすのスパゲティにしましたが、とても美味でした。お肉のセットにした人も、美味しいと堪能していました。

梅雨明け後の暑い1日でしたが、美味しいランチと防災体験で満足しました。


2025年7月11日金曜日

東京の奥地へ 水源地フィールドワーク

先日は、大学の授業の一環で、奥多摩にある東京都の水源地まで出かけてきました。

集合は朝の7時50分。そこからバスに乗り出発。

一行は私たちシニア学生が20人ほど、アジアからの留学生が15人ほど、それに指導の先生と事務のスタッフ2名でした。

この授業は、美味しい水道水を提供するために、森林を管理して良質の水を生み出すこと、そしてダムによる水量コントロールを実際に目で見ることが目的でした。つまり水資源の管理の大切さを知ることでした。

バスは中央高速を通ってまずは笹子トンネル近くで休憩。ここには2012年の天井板落下事故の慰霊碑がありました。

勝沼を過ぎて、柳沢峠というところで下車しました。ここは甲州市にあり、美味しい水で有名なところだそうです。

柳沢峠は標高1472㍍だそうで、木陰に入れば涼しいのですが、日が当っているとやはり暑かったですね。


まずは東京都水道局のスタッフさんたちと、準備体操をしました。これからたくさん歩くのです。日差しがきつくて、準備だけでも大変。

そして東京水道水源林を歩きました。

「ふれあいのみち」散策です。水源林ツアーでした。

柳沢峠にはブナやミズナラなどの広葉樹が生えていました。

それほどきついコースではありませんでしたが、虫除けをつけていたのに、首に刺されてしまい、痒くてたまりませんでした。

笹の生え方なども教えていただきました。笹というのは、一斉に生えて、一斉に枯れてしまうのだそうです。


ここには鹿や熊が出没するというので、先頭を歩くスタッフさんは熊よけのベルを腰につけて鳴らして歩いていました。


こちらの標識にも、熊がひっかいた跡がありました。怖いですね。

こちらは鹿対策の「しかさく」

案内していただいたスタッフさんたちは、東京都水道局の公務員ですが、山梨県の水源地でお仕事をされているのでした。女性の方もいました。

こちらの場所はそれほど勾配もきつくなくて、ちょっとしたハイキング気分でした。

その後、バスに乗って少し走り、今度は「100年の森」というところを歩きました。ここは山道が急角度でけっこうきつくて、ゼーゼーハーハー言いながら山登りをしました。

この森は昔は、はげ山だったそうですが、みんなの力で美しい緑の山になったところです。


すくすくとまっすぐに生えていました。


私が興味を持ったのは、こちらの遺跡。「水神社」の跡でした。
ここはかつて享保2年(1717年)、玉川兄弟が玉川上水を開削してから64年後に、羽村に造営されたものだそうです。ところがその場所が遠いので、大正時代にこちらの場所に移されたそうです。毎年5月21日には水神祭を行っていたそうです。


私は玉川上水も全域歩きましたし、また昨年の論文では水神様になった小泉次大夫を研究していたので、水神社はとても親しみが湧きました。現在は土台の石垣しかないのが、ちょっと残念でした。

その後もアップダウンを繰り返して山歩き。

そしてようやくランチタイムとなりました。

東屋で休憩する留学生たち。食後はトランプで遊んでいました。みんな若くて可愛かったですね。

帰り道は、ミニ奥入瀬渓谷のように美しい所を歩きました。

そしてまたバスに乗り、今度は小河内ダムへ。ここは私が小学2年生の頃完成したダムです。当時はすごいニュースでした。

多くの村が湖の底に沈んだのでした。1000人ほどの人が、他の場所への移住を余儀なくされました。工事のために亡くなった人も87人いたそうです。


ちょっとひどい顔をしています。。。。

水位が低いようですが、大丈夫かしら。

下の方に発電所が見えました。


先生からいろいろと説明がありました。


下の案内です。

「小河内貯水池は、標高530㍍に位置しています。
蓄えられた水は、水道の原水として使用される他、ダム直下および下流にある発電所で発電にも利用されています。小河内ダムから放流された水は、小作取水堰と羽村取水堰で水道原水として取水されます。
原水は、自然流下により村山上貯水池、村山下貯水池、山口貯水池、多摩川上水路などを経て、東村山浄水場および境浄水場へ、導水ポンプにより小作浄水場へ送られます。また東村山浄水場からは、利根川水系の水質事故など必要に応じて原水連絡管により朝霞浄水場および三園浄水場へも奥州ことができます。」

とにかくこの日は暑くて大変でした。留学生の中には、熱中症のようになった学生もいましたが、私たちはなんとか無事でした。

そしてまたバスで出発地点に戻りました。

やれやれハードなフィールドワークでした。8キロほど歩いたようです。

それよりもレポートが大変です。

今回の水源林ツアーは、東京都水道局「みずふる」▼というサイトで紹介されています。無料で参加できます。



2025年6月25日水曜日

本多新田@国分寺

国分寺市内にある新田巡りの2回目です。

今回は市の北東部にある本多新田に向かいました。

出発はJR中央線の国分寺駅。

国分寺駅の南側にある殿ヶ谷戸庭園には何回か行きましたが、駅の北側に降りたのは初めて。

駅前は広場になっていました。

そこから商店街を北へ少し歩くと、本多地域に着きました。周囲をキョロキョロしていたら、すぐに祥應寺が見つかりました。とても広くて、立派なお寺でした。


祥應寺は黄檗宗という禅寺でした。

このお寺は、享保2年(1717)に、国分寺村の名主である本多三左衛門の子、多儀右衛門と仲右衛門いう兄弟が、廃寺となっていたお寺を再興させたものだそうです。そして享保11年に、ここに引っ越して、寺社奉行に許可を得た、と書かれていました。

その後、享保12年(1726)、野中新田の一部を譲り受けて、「本多新田」ができました。その際に、村人の菩提所としてお寺は現在の場所に移されたそうです。

参考:祥應寺 https://www.syououji.jp/

道路の脇には庚申塔がありました。


この塔は国分寺市内で最古の庚申塔で、元文5年(1740)に祥應寺の住職文鳳によって建立されました。正面の上部には太陽、月、三猿(見ざる、聞かさる、言わざる)が彫刻されています。庚申の夜には長寿を願い、寝ないで過ごす風習がありました。2024年に修復されました。

中に入ってみると、オシャレな建物があり、そこは「KAIPAN」▼という寺カフェでした。

美味しそうなメニューがあり、朝7時から営業しているようでしたが、まだ空腹ではなかったので、中に入るのはまたにしました。

そしてそのすぐ隣には八幡神社がありました。こちらもとても立派な社殿でした。新田にはお寺と神社がセットになっていることが分かりました。現代の私たちの感覚からすると、ちょっと違和感があるのですが、江戸時代にはそれが普通だったのでしょうね。

この神社は本多新田が開発されたことで、1734年、村の鎮守として創建されました。村の人たちはここでお祭りなどをしたのでしょうね。

境内をあちこち撮影しました。

とても小さな祠がありました。これは稲荷神社の神様のようでした。中には白い狐さんがいました。


こちらは力自慢の人が持ち上げたという石。
富士野栄治郎という人が持ち上げたと書かれていました。
「三拾貫」と書かれていましたので、およそ100キロということでしょうか。


こちらは本多地区の案内図です。
このあたりの地割りを見ると、きちんと長方形に区切られていて、これは新田の名残なのだろうと思いました。

その後、近くにある民俗資料室というところまで歩いてみました。普通の住宅街の中にありました。

ここは事前予約制の場所だったので、残念ながら入館できませんでした。入口の窓からは地図なども見えて面白そうだったのですが。


ドアの外側から写したお知らせ。


このまま帰るのはもったいないので、今度は本多図書館に行ってみました。ちょうど都議会選挙の投票日だったので、かなりの人がいました。

そこで地域資料を見つけて、コピーしてきました。

国分寺駅の北側は初めての訪問場所でしたが、とても発展していて、国分寺の古代イメージがちょっと変わった感じになりました。