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2025年12月30日火曜日

今さらですが 2025年9月の旅 その4

岐阜の大垣に宿泊した翌日。ホテルの朝食が美味しかったですね。

今回の旅行では、まともなものはほとんど食べていませんでした。知らない土地でお店を探すのも面倒なので、大垣の夜は駅にあるショッピングセンターで夕食を調達して、ホテルでいただいたと思います。

翌日は瑞穂市ですが、市内はバスで移動しなければならないので、しっかりと時間表を確認して朝から行動しました。

かなりの時間、バスに揺られて、まずは小簾紅園へ。「おずこうえん」と読みます。


ここは皇女和宮が都から江戸に来たときに寄った場所です。
中山道にあります。

私は皇女和宮の話は、有吉佐和子さんの「和宮様御留」を面白く読んだので、この場所は興味がありました。また和宮のことは夏期授業でも取り上げられました。


いわれが書かれています。
川の畔で、彼女は「どうしてこんなところに来なければならないの」と嘆き悲しんだのでした。といういわれのある庭園。


立派な石碑もありました。


和宮がここに寄ったときは、紅葉の季節だったようですが、私が訪れたときは百日紅が満開でした。

空は真っ青でしたが、東京の夏とは違って、とても爽やかでした。


揖斐川の船着き場。


揖斐川(呂久川)はとても大きな川で、どんな船に乗ったのか分かりませんが、怖かっただろうなと思いました。


市民の人たちにも愛されていて、毎年1回、大きなお祭りが開かれています。

瑞穂はこれで3回目の訪問でしたが、いつも困るのは交通手段。地元の人はほとんどがマイカーなので、旅行者はバスかタクシーになりますが、バスの本数が少ないので、本当に困ります。

この庭園から市の中心部に戻るには、よい時間のバスがなくて、仕方なくタクシーを呼ぶことにしました。

この駐車場で待っていました。お姫様の絵が可愛い。

やってきたタクシーの運転手さんはとても親切な人でした。私がある神社を探しているが、場所がよく分からないと伝えると、あれこれ相談に乗ってくれて、地元の人しか知らないようなルートで案内してくれました。

ようやく見つけたのが、こちらの川崎神社。


実は瑞穂市内には、川崎神社が4つあります。そのうちの3つまでは前回までに見つけたのですが、最後の一つがどうしても分かりませんでした。それで瑞穂市役所に電話で問い合わせて、ようやく探し出した場所でした。ただし市役所の人も「その辺に行ったら、ぐるりと周囲を見渡してください。見つかるはずです」という返事。なんとも心許なく微妙でしたが、タクシーの運転手さんと一緒に探しました。

写真で見ると分かりやすいようですが、じつは田んぼの中に隠れていて、なかなか分かりにくい場所でした。

タクシーの運転手さんも、私が写真を撮っている間ものんびりと待っててくれて、ありがたかったです。

その後は、瑞穂図書館まで行ってくれて、助かりました。

ここは資料もたくさんあるし、静かでよいところです。

そしてしばしノートを取り、その後、駅まで戻り、名古屋行きの東海道線に乗ったのでした。

このようにして、私の遅い夏休みの旅行は終わりました。

なんとか2025年末までにまとめられて、ホッとしています。


2025年11月7日金曜日

歴史講演会@立川

 先日、立川図書館で開催された歴史講演会に参加しました。

講師の大石先生は江戸研究の重鎮でいらっしゃり、また時代考証でもご活躍され、テレビにもよくご出演されていらっしゃるので、会場は満員でした。

この日の講演は私の研究テーマでもある川崎平右衛門を取り上げていたので、どうしても参加したいと思い、申込日には朝一番でネット申込をしたくらいです。

大学の同じゼミの人などもお誘いして出かけました。

大石先生の江戸愛はすごいですね。時代の捉え方が変わって見えるくらいです。

ということで、この日はちょっと派手目な大島紬。たしか世田谷ぼろ市で手に入れたと思うのですが、格安物件でした。

黒地の帯も、どこかの骨董市で見つけたモノ。相模大野だったかしら。薄手なので楽です。

また参加者の中で、「平右衛門ラブ」の方とも知り合いになりました。

いろいろな出会いがあって、嬉しく思いました。

研究を通して、いろいろと広がって行くのは楽しいものです。

2025年8月24日日曜日

シルバーパスでまた国分寺へ

毎日暑い日が続いていますが、それにめげずにあちこち巡回しています。

出かけるのは、だいたい午前中のみです。それでもこの日は朝から30度以上になっていましたが。

出かける時は、シルバーパスを利用することが多いので、助かっています。

下の地図は今回、廻ったところですが、シルバーパスで赤い線、青い線、緑の線の3回分、バスで往復しました。1回250円として、これだけで1,500円くらい浮いたでしょうか。なんともけち臭い話ですが、これでも回数が重なると馬鹿にならないのですよ。

まずは京王バスで府中駅から国立まで行きました。これまで国立に行く時は、京王線やJR南武線・中央線を乗り継いで立川経由で行くことが多かったのですが、バスのルートも見つけたのです。

ルートは、府中から武蔵野線の北府中方面に向かい、武蔵野線の陸橋を越えて、多摩総合医療センターというところを通り、「多摩覧坂」(たまらんさか)を越え、一ツ橋大学寮を過ぎて、そして国立駅までという道筋です。府中市、国分寺市、国立市が入り組んでいる地域です。凸凹があって、なかなか面白いコースでした。

今までのルートだと乗り換えが面倒だし、交通費も結構かかりました。でもバスだと楽ちんです。冷房が効きすぎているのが、難ですが。

終点の国立駅では、今度は立川バスに乗り換えて、西の方へ向かいました。

実はこのあたりには観音寺というお寺があり、以前、そこは訪問しましたが、その隣にある神明社という神社は気づかずパスしてしまっていたのです。それでもう一度トライしてみたわけです。

この神社、国分寺崖線の崖の上にあり、本殿に行くにはものすごい急階段でした。おまけに周囲は森のように鬱蒼としていて、ちょっと気味が悪かったので、中にはお参りしませんでした。

その代わり、こちらの町内会の掲示板を写してきました。

かつての「中藤(なかとう)」という地名が残っていました。これですっきりしました。

そしてまた国立駅へとんぼ返り。

今度は経路の違うバスに乗りました。そちらの方面には、以前、戸倉新田を尋ねた時は、歩いて行けた場所ですが、この暑さでは無理なので、バスにお任せしました。懐かしい風景が見えました。こちらもかなり急な坂が多い場所です。

目指したのは「内藤神社」でした。このあたりは、かつては市役所があったところのようでしたが、再開発をしていました。

こちらが神社の説明。

ばっちりと「享保の新田」だったと書かれていますね。

「享保19年に近江の日吉山王を勧請した。その後、明治になって内藤神社と改名した」とありました。

廻りはこぎれいな住宅街で、お隣は子供向けの「すぎのこ公園」でした。

本殿はこぶりでしたが、きれいに整っていました。


この後、東小金井の梶野新田まで行ってみようかと思いましたが、あまりの暑さで止めました。
国立までの戻りのバスも30分に一本しかなくて、待ち時間が惜しくて、停留所を3つくらい歩歩いてしまい、汗が滝のように流れました。

本当に暑い日でした。

どこかでかき氷を食べようかとも思いましたが、ちょうど府中行きの京王バスを見つけたので、飛び乗って帰りました。

他人様から見たら、何をやっているのやら、と思われるでしょうが、とりあえず昔の人がやっていたことを、検証してみているのです。とはいえ、当時はバスも電車もなく、籠か馬に乗って出かけたのでしょうけれどね。




2025年8月18日月曜日

東小金井から小金井まで

この日は35度くらいの暑さでしたが、早朝からよく歩きました。

水色の点線は歩いたところ。ストレートな線はバス利用でした。

まずは調布駅まで歩いて、そこからバスで三鷹駅まで。中央線の駅ならどこでも良かったので、一番先に停留所に来た三鷹行きに乗りました。

そしてJR中央線に乗り換え、二つ西の駅・東小金井まで。そういえば、子供の頃は中央線沿線に住んでいましたが、東小金井駅はまだなかったように思います。

この駅で下車したのは、多分初めてです。法政大学行きのミニバスが走っていましたが、私は歩いて市杵島神社を目指しました。

ところが神社の近くまで辿り着いたのに、道が途切れてしまって、同じ所を行ったり来たり。Googleマップを何度見たことか。

犬を散歩しているお爺さんに神社への道を尋ねましたが、「補聴器をつけていないので、聞えない」と言われたので、尋ねるのは諦めました。ウーバーのお兄さんもいましたが、たぶん神社へ配達したことはないだろうと、こちらもパス。そしてご近所同士の奥様が家の前でおしゃべりしていたので、聞いてみました。さすが地元なのでよくご存知でしたが、他人に道順を説明するのは別ですね。なんだかあやふやでしたが、来た道を戻り、くねくねと歩き、ようやく到着しました。


ここに辿り着くまで、すでに5,000歩くらい歩いた感じでした。

この神社の読み方は「いちきしま神社」といって、日本のあちこちにあるようです。

案内板にもあるように、享保17年創建なので、梶野新田ができた時ですね。

ただし付近に寺院はありませんでした。たぶん、長昌寺というお寺だと思います。また今度行ってみましょう。

その後、あまりに暑かったので、近くのミニストップで100円のお菓子を買って、ちょっと休憩。

お店の近くには仙川が流れていましたが、水はなく枯れていました。


左手は庚申塚。かなり派手に飾られていました。

梶野通りという立派な通りを北上。

このあたりには東京電機大学とか、法政大学がありました。

梶野通りの突き当たりまで来ましたが、そこからはもう武蔵野市でした。

梶野橋で左折して、今度は五日市街道に沿って西へ。

お次は関野新田の鎮守様である八幡神社へ向かいました。


本殿。

こちらの八幡様は、享保9年にできました。

近くには真蔵院がありましたが、そこは前に寄ったので今回はパス。

その後は玉川上水の南側を歩きましたが、とにかく日差しが強くて暑かったですね。

途中、平右衛門橋で橋を撮影。


この橋は最近、作られた橋です。

小金井橋に辿り着いて、そこからようやくバスに乗り、武蔵小金井駅に到着。

ヨーカドーに入って涼もうかと思いましたが、ちょうど調布行きのバスが来たので飛び乗りました。

我ながらよく歩きました。



2025年8月15日金曜日

押立新田の跡地へ

 私が追いかけをしている川崎平右衛門さんが、江戸時代に開発した押立新田跡地に行ってみました。

平右衛門さんのおうちは府中の押立村でしたが、そこから北東方向へ数キロ行ったところ、現在は小金井市東町というところに新田を作りました。

この新田に行くためには、平右衛門さんは多分、馬に乗って出かけたと思うのですが、私はいろいろ電車を乗り換えて行きました。

まずは調布から京王線で武蔵野台へ。

ここで西武多摩川線に乗り換えるのですが、駅と駅の間は徒歩で数分かかりました。

この案内のように、かなり離れているのです。

そしてようやく到着したの白糸台駅。これだけ離れていると、毎日ここを利用している人は、面倒に思うでしょうね。

そこから西武線に乗り換えて新小金井駅まで。

駅前の商店街では、こんな飾りがお迎えしてくれました。
「くりのみ街」でした。

栗は平右衛門さんが初めに植林したものですが、今でもその栗がこの地のトレードマークになっています。

目的の笠森神社ですが、商店街の案内板には「笠森神社は嘉永7年(1854)」と書かれていますが、ちょっと違うのでは? 商売の神様だそうです。


その商店街を通り抜けて道路を渡ると、すぐに笠森神社がありました。


真っ赤な鳥居が並んできれいでした。

ここを通り抜けると本殿がありました。

神社の周囲はまだ畑が残っていて、のどかなところでした。

そして通りの反対側には天神社。


同じ地域に二つも神社があるのは、ちょっとおかしいのではと思いましたが、こちらは押立新田の神社ではなく、もう少し北にある関野新田の飛び地の神社なんだそうです。


こちらは享保年間の創建です。

境内には雑草が多く、蚊にだいぶさされてしまいました。

この後、どうしようかと思いましたが、結局、武蔵境まで出て、バスで調布に戻ったのでした。

あまりに早朝に出かけたので、まだどこも開いていなかったからです。





2025年7月15日火曜日

小平の鈴木新田へ

 先日はJR国分寺駅からバスに乗って、かつて鈴木新田があったところへ行ってみました。

「昭和病院」行きというバスに乗りました。

知らない場所をバスで行くのは楽しいですね。

目的地は「官舎前」という停留所。なんだか不思議なネーミングですね。

途中、玉川上水を越えましたが、昔歩いて行った「喜平橋」があり、懐かしかったですね。

この付近には警察学校や通信機構、小平団地など広い敷地がありました。

小平市は全体像がよく分からないのですが、以外と面積は広いようです。

目的地に到着。

「寶壽院」(ほうじゅいん)が目の前でした。


ここは1724年(享保9年)に建てられたそうですが、かなりきれいな建物でした。


お庭もよく手入れされていました。

このあたりを開発した鈴木さん一族が、お父上の菩提を弔うために、府中にあったお寺を持ってきたそうです。  


そのお寺のすぐ向かいが、稲荷神社でした。
ここの地域も、お寺と神社がセットになっているところでした。


敷地はかなり広いところでした。


境内には、小さな用水が流れていました。


ここには文化財がいろいろとありました。
こちらは象ですね。


小平市の文化財がいろいろとあるようでした。


案内板に描かれていた地図ですが、これは明治時代頃のものでしょうか。
「畑」と「桑」と書かれているようです。


稲荷神社のいわれです。
お寺と同じ、享保9年、小金井市の稲荷神社から移ってきたようです。


この鈴木新田を訪れたのは、ある人の論文を読んだからでした。
このあたりには玉川上水から分水された鈴木用水があり、そのお蔭で畑作ができたと書かれていました。
3年前ほど、玉川上水を何回かに分けて歩きましたが、当時はなんのために用水があるのか、あまり気にせずに歩いていました。それが享保の改革と縁があったなんて、思いもしませんでした。

平右衛門さんも昔はこのあたりを歩いていたのかなと、思いました。


この前歩いた、浴恩館も意外と近い所ですね。