2024年1月31日水曜日

地元で女子会

私の住んでいる市には、facebook交流会があり、市民約24万人のうち、9000人近くの人が登録しています。

市内のお店紹介、イベント紹介、子育て情報、医療のお役立ち情報、相談事などさまざま投稿がある交流会です。

もともとは2011年の3.11東日本大震災で避難所になった味スタのボランティア活動をきっかけに、《日頃から災害に備えて顔の見える交流が大切》を元に続けられています。

オンラインだけでなく、オフ会の交流もあるfacebookのグループです。

地元であまりに密な交流は疲れのもとになるので、私はつかず離れずの関係で、よい情報だけを利用させてもらっています。

先日は、そのfacebook交流会で「50歳以上の女性限定のランチ会」のアナウンスがありました。

会場は女性オーナーシェフのお店で、京王線の柴崎駅近くにあります。場所もよく知っているので、参加してきました。

「ギャラリー & カフェ ウェアハウスガーデン」です。

今回は貸し切りとなりました。

15名ほど参加されました。

ランチのメニューは、洋食と和食のどちらかが選べました。

洋食はキッシュやチーズなどの前菜と、肉料理。


和食は目にも鮮やかな美しいお弁当。


どちらもデザート付きでした。

さすがにデザインのお仕事をされているシェフならではの、綺麗な盛り付けでした。

その後は一人一人、自己紹介タイム。

同じ市内の住人といっても、広いものです。


50歳以上の女性ということで、さまざまな方面で活躍されている方が多かったようです。

健康、ヨガ、食事、ワイン、織物、音楽、アロマなどなどみなさん、それぞれの分野で才能を発揮されてキラキラしていました。

自己紹介の中で、「市内のお気に入りの押しの場所」紹介もあり、これも面白く思いました。

私はこの市に長く住んでいるということで参加してみましたが、若い方の活躍ぶりがいろいろと刺激になりました。

若い方のお話を聞いて、自分の人生を振り返るきっかけにもなりました。
50歳、60歳代は、子育ても介護も趣味も仕事も様々な活動も、人間関係もいろいろあったな。
70歳過ぎ、さてこれからと思っているときに、ちょうどコロナ禍に突入。制限されることが多くなりました。それでももう一度、基礎から学び直したいと思っているところです。

ランチ会を企画していただいた幹事さん、お料理を提供していただいたお店の方、ご一緒したみなさま、楽しい時間を共有できました。どうもありがとうございました。

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この日の装い。

ストレッチの木綿着物にしました。とても暖かいのです。

帯は、昔の着物お譲り会でいただいてきた、黒い名古屋帯。最後まで残っていた帯ですが、私にはとても重宝しています。

帯締めは、ダイソーの100円均一のレース糸を4メートルくらいに切って、その8本で組んだもの。ピンクと茶色の二色なので、材料費は200円でした。

あまりにテキトーで、組紐の先生にはお見せできません。

半襟はインドのリボンレース。付け方が悪いのか、いつも浮いてしまいますね。

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「一日一句」

大寒に ランチで我が身を 振り返り 


2024年1月29日月曜日

着物で振り返り 「ひなの会」鑑賞記録

先日、千代田区紀尾井町にある紀尾井小ホールで「第10回 ひなの会」の演奏を楽しみました。

三味線、唄、お囃子、すべてが女性演奏家による邦楽の演奏会でした。

着物友達のKさんと一緒に鑑賞しました。

この日は、大学の合格通知を受け取った後だったので、気分的にリラックスして、ゆったりとした気分で演奏を味わうことができました。

最初の曲目はおめでたい「舌出し三番叟」。新春らしい華やかな曲でした。私の三味線の先生である政智先生がタテ三味線でした。緋毛氈が華やかでした。

二番目は「蛙」という昭和の初めに作られた曲で、カエルをイメージした楽しい演奏でした。毛氈は緑色。こういう色の毛氈は初めて見ました。

最後は「時雨西行」という西行法師と遊女の出会いというしっとりとした曲で、屏風も毛氈も鈍色で統一されていました。最後の笛の音が後を引くようでした。

曲目の組み合わせも、毛氈の演出も良かったと思いました。

この日の着物は、ピンクのおめでたい絵柄の訪問着にしました。私にしては珍しく正統派の着物でした。「銀座ぽわる」さんという高級リサイクル着物のお店で、見繕っていただいた福袋の組み合わせでした。


ところで、「ひなの会」に最初に出会った場所は、「お江戸日本橋亭」、2013年1月のことでした。もう11年前のことになるのですね。

https://toshiko72.blogspot.com/2013/01/blog-post_13.html

その当時、私は三味線は別の先生に習っていましたが、facebookかどこかで「ひなの会」の情報を見つけて、面白そうな内容だと思い、日本橋まで出かけてみました。

曲目の解説付きの演奏会で、とても分かりやすくて良かったです。

そのとき着ていた着物は、地元の神社の骨董市で買った小紋と、下北沢のリサイクル着物屋さんで見つけた刺繍の帯でした。写真がぼけていますね。


その次は2013年7月、「第3回ひなの会 浴衣バージョン」で、会場は神楽坂の赤城神社でした。

https://toshiko72.blogspot.com/2013/07/blog-post_18.html

「多摩川」の演奏を聴いて、感動したのを覚えています。

このときは、小千谷縮の浴衣でしたね。地元の神社の骨董市で買ったものです。昔のスマホが懐かしい。


その次は2014年5月、「第4回ひなの会」でしたが、新橋の内幸町ホールまで行きました。

https://toshiko72.blogspot.com/2014/05/blog-post_10.html

この日はお天気が悪かったので、シルック着物でした。ちょうど10年前ですが、顔がまん丸でしたね。派手な水色の帯は京都の骨董市で見つけたものだと思います。好きな帯でしたが、今は手元にありません。

2015年と2016年は、他の三味線演奏会にはあちこち行っていましたが、「ひなの会」の記録はありませんでした。

そして2017年1月から政智先生から三味線を習うようになりました。

その年の「ひなの会」は「ミニミニひなの会」として、コレド室町にある和室で、8月に開催されました。着物友達のKさんをお誘いして一緒に聞きました。

https://toshiko72.blogspot.com/2017/08/minimini.html

このときは真夏だったので、叔母が愛用していたレースの着物にしました。

帯は今どこにあるのか、記憶にありませんが、こういう色の帯は役立ちそうですね。

帯留めは自作だと思います。


2018年1月は「第8回 ひなの会」でした。この年は紀尾井小ホールです。このときもKさんと一緒でした。

https://toshiko72.blogspot.com/2018/01/blog-post_30.html

不細工な写真ですが、着物は玉村咏先生の「白玉着物」です。私の一張羅。

黒い織の帯を合わせました。

2019年2月には「第9回 ひなの会」が紀尾井小ホールで開催されました。この日は小雪混じりでした。

https://toshiko72.blogspot.com/2019/02/9.html

雪でも大丈夫なように、紬の着物と、タイシルクの帯、そしてブーツを履いて行きました。

このスマホは、私のではないようです。夫のものを借りて写したのかしら。

2019年夏には「智の会」(政智先生の弟子たちによる発表会)の第一部に、「ひなの会」のメンバーの皆様が参加して下さいました。

ここまでが以前の記録です。まだ平成だったのですね。

その後、2020年、2021年、2022年、2023年はコロナなどのため、「ひなの会」はお休みとなりました。

そして今回、2024年が「第10回 ひなの会」となりました。

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この10年間で、ひとも社会も世界情勢も変わりました。

また、ひなの会のメンバーも当初は「まだまだひよっこ」という意味で「ひなの会」と名付けたのだろうと思いますが、この10年間で立派な親鳥になられました。弟子の私が言うのはおかしいのですが、堂々とした演奏で、貫禄十分になられました。

そしてその間に、私も老けました。三味線の腕は全然上がりません。

そして10年前は年寄りの自覚はありませんでしたが、今は目の前に「後期高齢者」という文字が待ち構えています。

着物の記録を元に「ひなの会」鑑賞の思い出を振り返りましたが、十年一昔というのは、ほんとうに名言ですね。

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「一日一句」

春近し 十年たてば 変わるもの


2024年1月25日木曜日

久慈市とリトアニア

夫が東北旅行から戻ってきました。

最終日は新幹線の事故に遭遇して、大変な目にあったようですが。

そして久慈市で買ったお土産を取り出しました。

久慈市の場所はよく知らなかったのですが、岩手県の北部、太平洋側にある市です。

そこのお土産が、リトアニアのチョコレートと、


リトアニアの赤ワインでした。

東北に行ったのに、どうしてリトアニアのお土産なんでしょう?

リトアニアはバルト三国の一番南にある小さな国ですが、それ以外の知識はありませんでした。

夫はお店の人から、「リトアニアのワインはここだけでしか買えません」と勧められた、という理由だけで購入したそうです。

それで、ネットで調べてみると、久慈市とリトアニアのクライペダ市というとこころは、どちらも琥珀を産出するという共通点があり、姉妹都市として交流しているのだそうです。

へ〜、知らないことがたくさんありますね。

ちなみに琥珀というのは、数万年から数億年前の昔、樹脂が化石化したものなのだそうです。虫が入っていると高級品になるようです。

こちらは亡き母が使っていた琥珀のネックレス。

使い道がないので、ほったらかしていましたが、リトアニアと岩手の交流を思い、使ってみようかな。

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「一日一句」

手に琥珀 寒い北国 思いつつ



2024年1月24日水曜日

プレミアム大学 《傾向と対策》

先日、東京都立大学プレミアムカレッジから入学許可を受け取りました。

そのことをfacebookの友人にアナウンスしたところ、たくさんの方から「おめでとう」の声をいただきました。

私自身としては、それほどすごいこととは思っていなかったので、かえって驚いてしまいました。ほんとうに、たいしたことではないのです。

それでも何かの役に立つかと思い、ここで若い頃にお世話になった《傾向と対策》という大学受験の参考書のことを思い出して、どんな準備をしていたかを書いてみましょう。

なぜプレミアム大学を受験したのか、まとめてみます。

一番のきっかけは、2020年からのコロナ禍です。コロナがあれほど流行しなければ、私は今までと同じように、旅行を楽しみ、着物を楽しみ、趣味を楽しむおばあさんを続けていたかもしれません。

それがコロナのため、他人との交流が制限され、他の地域への移動が禁止され、私は仕方なく家の周辺を歩くことにしました。幸い、うちの近所には多摩川が流れていて、散歩には最適な場所でした。最初のうちは道ばたの花の写真を写したりしていましたが、そのうち川に架かる橋にも興味が出てきました。また歩く範囲も都心の川などに広がって行きました。

そして、あることをきっかけにして、江戸時代に多摩川から取水して用水を作った人に興味を持つようになりました。このことは何回もブログに書いていますが、その人は小泉次太夫さんというお奉行です。

また多摩の奥から新宿まで繋がる玉川用水にも、興味を持つようになりました。こちらは玉川兄弟の話に関心があったからです。

両方とも、人物に興味を持ったのが先でした。

そして都内や近隣他府県の川や用水を歩いた記録をブログに書いていましたが、単なる旅行記のような内容でした。

2023年9月、たまたま東京都立大学で「坂」についての講演を聴く機会がありました。無料だったので軽い気持ちで参加してみました。そのときのブログです。

https://toshiko72.blogspot.com/2023/09/blog-post_27.html

それはプレミアムカレッジへのお誘いでもありました。

プレミアムカレッジを調べてみると、50歳以上なら文系理系を問わず、首都の東京や江戸に関しての様々な授業を学べるということが分かりました。また現役の大学生との交流もあり、同世代との付き合いが多くなってきた私にとっては、刺激的な内容でした。さらに東京都立大学は、我が家からはとても行きやすい場所にあり、学費が安いことも魅力でした。

合格するには、小論文と面接をクリアーすることが必要でしたが、その内容の程度が分からないので不安はありました。普通の受験なら合格点数や問題の傾向が分かるのですが、合格基準が分からず困りました。

いわゆる受験勉強なら頑張れば点数は上がりますが、小論文はどう書いたらよいのか、ちょっと考えてしまいました。

それでもそれまでの自分の書いたブログを振り返りました。2023年10月の時点で、橋は1000ヵ所以上通過してきたこと、川や用水や上水は100キロ以上歩いてきたこと、そしてこの体験を土台にして、東京の水路の地理と歴史を学びたい、などとアピールして小論文の下書きをまとめました。

このときに役立ったのは、今まで歩いてきたそれぞれの地域の区役所や市役所で発行している地図や、各地の郷土資料館や歴史博物館などで集めた資料でした。

また大田区田園調布の「せせらぎ館」や、川崎市多摩区にある「せせらぎ館」にも、内容の確認のため、何回か訪問しました。


「東京都水道歴史館」の展示も役立ちました。

その後、小論文をまとめて提出しましたが、結果が出るまで2ヶ月ほど日にちがありました。

その間、京都に旅行に行き、高瀬川巡りをしたのは楽しいひとときでした。水のあるところならば、どこでも楽しく思うようになりました。

また11月に高校のクラス会がありました。まだ合格もしていないのに、旧友たちに「来年は私は大学に行きます」と宣言してしまい、後になって落ちたらどうしようと思ったりしました。それでも同じ受験体験を過ごした仲間たちには、大学受験の話も通じたので、気分が軽くなりました。

小論文提出から、その後の11月と12月には、馬力をかけて玉川上水や多摩川の二つの水路跡をくまなく歩きました。このときは着物友達にも声をかけて、一緒に歩いたのは楽しい思い出です。

そして玉川上水の最終目的地の羽村堰に行ったその日に、小論文が通過したという通知があり、ほっとしました。

2024年のお正月には近所の神社でおみくじを引き、「大吉」が出ました。おみくじの言葉を信じて、次の面接のシミュレーションをしてみました。

面接時の服装は自由だというので、着物で臨むことにしました。

何を着たらよいか着物友達に聞くと、「紋付きの訪問着」が良いだろうとのこと。とはいえ紋付きは祖母の着ていた古いものしかありません。それで手持ちの南天の柄の淡いピンクの訪問着と、白い帯で面接に臨みました。

あまりお金をかけたくない私は、着物も帯もコートも小物も手持ちのものですませましたが、草履だけは新調しました。通販で買ったカレンブロッソです。

美容院でヘアカットをしてもらい、「しまむら」で見つけたちょっと高そうに見える大きめのバッグも用意しました。

それと年末にはノートパソコンを新調しました。

以前はウインドウズ8のノートパソコンを使っていましたが、2年ほど前に急に壊れてしまい、パソコンを使うときは、夫のものを借りていました。私専用のパソコンは諦めて、タブレットとスマホだけの生活を続けていました。しかし大学に行くようになったら、さすがにそれではまずいだろうと思い、年末に最軽量のノートパソコンを購入しました。ウインドウズ11はなんだか分からないことも多く、戸惑いながら使っているところです。

そして正月明けに面接がありました。

男性も女性も黒っぽいスーツ姿の方が多かったようです。着物はたぶん、私一人だったでしょう。

面接のシミュレーションをあれこれ考えていましたが、あっけない感じで終わりました。

面接官から「大学のゼミにも着物でいらっしゃいますか?」と聞かれました。以前、着物を研究テーマにした女性もいたという話を聞いて、これは良い前兆かとも思いました。ただし、他の方の様子が分からないので、早合点はしないようにしました。

その後、2週間経過して、面接も合格したという通知があり、ほっとしました。

そして入学手続きやら、今後の授業科目選択やら、あれこれと準備しているところです。

たいしたことのない私の《傾向と対策》でしたが、これまでの行動をブログに綴ってきたことが役にたったとも言えます。

そして一番、拠り所にしているのは、こちらの書籍です。


「二ヶ領用水400年 ~よみがえる水と緑~」

出版は1999年と少し古いのですが、二ヶ領用水を守ってきた市民による活動記録です。
普通の市民がとりまとめた内容が、素晴らしいと思います。

この表紙にあるのは川崎市高津区にある久地(くじ)円筒分水です。桜の咲く頃に、また行ってみたいと願っています。

さてこれから残りの人生、どのように展開するか、楽しみにしています。

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「一日一句」
水を追い 橋を渡りて 春を待つ



2024年1月23日火曜日

稲田堤が面白い

私は京王線ユーザーです。

そのため、JRを利用する場合は、新宿で乗り換えるか、あるいは京王稲田堤駅まで行き、そこからJR南武線の稲田堤駅まで歩いて、そこで乗り換えるかの方法があります。

ところがこの稲田堤駅で乗りかえるのが、かなり不便なのです。京王線の駅とJRの駅は数分離れていますが、なぜ同じ場所にしなかったのか、その理由はよく分かりませんが、とにかく乗り換えが面倒なのです。

JRの稲田堤駅は、最近、駅舎の新築工事をして、かなり便利で美しくなりました。ただし、工事が全部終了するには、まだ時間がかかりそうです。

以前、通勤に利用していた頃は、この二つの稲田堤駅の間を移動するのが、非常に面倒で嫌でした。

ところがです。川歩き、用水歩きをするようになってからというもの、この二つの駅の周辺は、暗渠の宝庫だと思うようになったのです。

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先日は、およそ、このような地域の中を、ぐるぐると歩いてきました。


北側には多摩川が流れていて、その先は調布市になります。
南側は、川崎市多摩区です。

稲田堤の「稲田」という文字が示すように、ここ稲田村では良質の稲毛米がとれていました。
また多摩川の堤は桜の名所として有名でした。地図の右上にある稲田公園のあたりですね。

前回のブログで、郷土資料館に行った話を書きましたが、今回のブログは、その周辺の様子となります。

一番の感想は、この地域は用水の宝庫だということです。

郷土資料館を探しているときにも、用水を見つけました。

ここは「大丸(おおまる)用水」という用水でした。

この大丸用水は、お隣の稲城市の多摩川から取水して、川崎市登戸まで流れているそうです。江戸時代から、このあたりの村々を潤す貴重な農業用水でした。17世紀頃に作られたそうです。


かつては田畑を潤した用水も、今は草がボーボーと生えていました。


このあたりは幅も広く、とても深い用水でした。
蓋がないところが多く、これでは落ちる人がいるのではないかと心配しました。

郷土資料館の近くでは、用水の脇に小さな石のほこらのようなものを発見。中にはお茶のボトルが置かれていました。


このすぐ近くには、用水がありました。


用水はあまりきれいではありませんでしたが、この日は良く晴れていて、青空とドウダンツツジ(?)の彩りが見事でした。


このあたりはどこもかしこも用水の跡だらけで、あまりに多くて写真を写すのはやめて、散歩に専念しました。

最初の地図に「原島踏切」という文字を入れましたが、この近くには原島さんという方が昔から住んでいらっしゃるようです。原島歯科という歯医者さんもありました。

JR南武線の小さな踏切です。


南武線は昔はチョコレート色の車体でしたが、今ではきれいな黄色とオレンジ、茶色のおしゃれな車体となりましたね。


踏切を渡り、府中街道を東に歩き、京王線の稲田堤駅に向かいました。

途中、サイゼリヤで休憩タイム。


そしてその後は、私が長年、疑問に思っていた場所を歩いてみました。

それは二つの稲田堤の駅の間にある畑の中の道です。
敷地の半分は駐車場なのですが、なんだか分からない道があるところです。
そこへ入って行ってみました。
かなり怪しいおばさんだと、思われたかもしれません。
それでも、道が続くところまで、どんどん歩いて行きました。


車のそばに細い道があります。


もっと歩いて行くと、覆いの下には水が流れていました。
やはり用水の跡だったのでしょう。


向こうに見えるのは、京王線の稲田駅堤駅です。


この先は、さすがに入れなくて、後戻りしました。

この駐車場の向かいにある駐輪場も、草ボーボーの下は水路になっていました。


バイク置き場の向こうがわも、かつての水路でしょう。


「バイク定期利用」の向こう側には、穴が空いています。


水路に沿った細い道を、バイク置き場として利用したのでしょう。

ここは二ヶ領用水なのか、大丸用水なのか、あるいは他の用水なのか、判断はつきませんが、昔の農地に利用されていたということだけは確かだろうと確信しました。

現在は駅前の駐車場となっていますが、かつての風景が浮かび上がるようでした。

稲田村のお米作りに大いに役立ったのでしょう。

なんだかまとまりのないブログになりましたが、多摩川の向こう側にある稲田堤は、かなり魅力的なところでした。

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「一日一句」

駅前の 冬の風景 今むかし


2024年1月20日土曜日

【二ヶ領用水 27】郷土資料館@川崎市多摩区

このところ、「用水」に興味を持ち、あちこちの用水跡などを探しては歩いていますが、実際のところ、私の理解の中では、用水そのものがあやふやでした。

生まれてからずっと東京育ちで、農業とは縁がない生活をしていました。

農業用水や工業用水という単語は知ってはいても、どのようにして使用されるのか、どのような設備が必要なのか、分からないまま、用水を歩いていたというのが実態でした。

そこで少しでも昔の農業の様子が分かるところはないかと思っていました。

たまたま川崎市多摩区ガイドマップを眺めていたところ、面白そうなところがありました。

「菅郷土資料館」です。

私の住んでいる場所からもすぐに行けそうなところなので、出かけてみました。

京王稲田堤の駅で降りました。

郷土資料館は、駅から数分歩いた普通の農家の横に立っていました。周囲には花や植物のビニールハウスがありました。


呼び鈴を鳴らしてもなかなか反応がないので、諦めて帰ろうとしたところ、年配の女性が出てきました。

お話を聞くと、この資料館を作ったのはご主人の高橋孝次さんという方で、3年ほど前にお亡くなりになったそうです。それでも未亡人の方はしゃっきりとされていて、記憶力も明白で、たくさんお話をしていただきました。

ここには江戸時代からの古い農具などが展示されていました。

初めて見るものがたくさんありましたが、中でも「むしろ」の製造機があるのはびっくりしました。はたおりの機械と同じような理論で作るようでした。「ござび」と言うそうです。


他にも見慣れない農業用の道具がたくさんありました。よく保存していたものです。

こちらのお宅では米以外に、梨や桃も育てていたそうです。

また「のらぼう菜」という野菜の栽培や広報についても力を注ぎ、著書も出されていました。

のらぼう菜は、菜花のような葉物で、甘い味がします。

その本は本屋さんでも売られていました。


地元の小学校でのらぼう菜を絞って油を作る、という教育もされていました。

また高橋さんのご主人は多摩川の歴史についても詳しく研究され、この地域では大昔から何回も洪水があったと言うお話も聞きました。

そしてこの地域や日本全体の歴史を年表にまとめたり、手書きの地図を作ったりと、後世の人間に伝承されることに力を注いでいらっしゃった方でした。

むしろの後ろにあるのが、その年表です。

ニケ領用水を作った小泉次太夫のことも勿論よくご存知で、生前は奥様にもよくお話しをされていたそうです。

たまたまお邪魔した資料館で、農家の昔話をたくさん聞くことができて、とても良い体験ができました。

この奥様は、私の亡くなった母よりは年下でしたが、若い頃は都心で育ち、戦争で疎開をされ、東京オリンピックの時にこちらに嫁いできたという方でした。まさに昭和の歴史を生きてきたのですね。

当時は多摩川を板のようないかだに乗って渡るので、とても怖かったというお話もされました。まだ京王線が調布市までしか、走っていなかった頃の話です。

資料館の隣には野戸呂稲荷神社が建っていました。この地域のみなさんの支えとなっているようでした。

自分の足で歩いてみると、いろいろな発見があるものです。

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「一日一句」

多摩川の 歴史訪ねる 冬の日に