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2022年1月19日水曜日

神田川 13 聖橋〜両国橋まで

先日、よく晴れて、それほど寒くなかった日曜日、神田川を歩いてきました。

スタートはJR御茶ノ水駅近くにある聖橋でした。御茶ノ水駅は今は大規模な工事が行われています。こちらの写真は、聖橋の上から眺めた工事の様子。下に見えるのは中央線です。

川の左側を歩きました。

まずは湯島聖堂。ここは江戸時代に5代将軍の徳川綱吉によって建てられた孔子廟です。およそ100年後には「昌平坂学問所」として幕府直轄の学問所となりました。「日本の学校教育発祥の地」でもあります。 

こちらは「昌平橋」交差点です。

橋はとてもレトロな雰囲気でした。


昌平橋は、浮世絵にも描かれていました。

次の万世橋もレトロな橋でした。ランプが良いですね。神田川に架かる橋も、都心になると風格がある橋が多いですね。

橋の近くには「肉の万世」がありました。

橋の上から見た神田川です。


右手に見えるレンガ造りの建物は、現在はおしゃれなカフェやレストランが入っていました。デートコースにぴったりのようなところでした。

昔の書体の「萬世橋」。

しばらく歩いていくと、秋葉原に到着。

かつては小さな電気屋さんがたくさん並んでいて、オタクが多い個性的な町でしたが、今はその面影もあまりなくなっていました。

こちらは駅ビル。ユニクロもありました。

賑やかなところを通り過ぎると、和泉橋防災船着場という看板がありました。非常時には船に乗って避難するのかもしれません。

こちらは和泉橋。

ここは構造上、近くの場所からは橋を渡ることができず、仕方なくメトロ日比谷線の秋葉原駅の地下道を通って、道路の反対側に行きました。


神田佐久間河岸という住所のところを通過しましたが、ほどんど人通りがありませんでした。

その次は美倉橋。「みくらはし」と読むようです。


橋というよりも、道路のようなところでした。

その次は左衛門橋。現在の橋は平成12年に建てられていました。


このあたりに来ると、かなり海に近い雰囲気でした。私がふだん見ている風景とはかなり様子が違ったところでした。 

こんなふうにして、川に小舟が浮かんでいました。

浅草橋に到着しました。かなり年季が入った橋でした。


秀月、久月、吉徳などの有名人形屋さんが多いところでした。

神田川の終点までもう少しになりました。

ここまでは川のすぐ隣には道がなかったのですが、ここからは川を見ながら歩くことができました。


船宿というのでしょうか、船の上で食事ができるお店が並んでいました。


こんなお食事が食べられるようです。

夜の遊覧も良いですね。コロナでなければ、多くの人が利用したと思います。


こちらは柳橋。神田川の最初の橋と言われています。

橋のたもとには植木鉢が並んでいました。下町っぽい雰囲気ですね。

柳橋はこんなカーブの橋です。

浅草柳橋の説明が書かれた看板です。

こちらには、

「柳橋の下を流れる神田川は、三鷹市井之頭池を水源とし、都心部を流れて隅田川へ注ぐ全長25kmの都市河川です」と書かれていました。

手前のオレンジ色の矢印が神田川、ピンクの矢印が隅田川です。ここで合流するのでした。

向こう側に両国橋が見えました。

「すみだがわ」の看板。

ようやくここまで到着したと思うと、嬉しくなりました。

スカイツリーもくっきり。とてもよく晴れていて、空と川の青が見事でした。

遊覧船が気持ちよさそうに走っていました。


橋の上にある丸いものは、何を意味しているのでしょうね。

橋の傍には、昔の両国広小路の古い地図が描かれていました。


そしてまた浅草橋まで戻って、JR浅草橋駅から帰宅したのでした。

今回、通過した橋です。

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この日の装い。

久しぶりに着てみた黄緑色の紬。ちょっとサイズが大きくて、だぶついていますね。神楽坂のフリマで買いました。

帯は有楽町の大江戸骨董市で見つけた木綿の更紗。芯が入っていないので、ふにゃふにゃしてお太鼓を作るのが難しい帯です。


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「一日一句」

神田川 橋のたもとに 冬菫




2022年1月14日金曜日

神田川 12 〜飯田橋から聖橋まで〜

私の神田川歩きもだいぶ終盤に差し掛かってきました。

この日はJRの飯田橋駅から出発です。ちなみにこの駅はプラットホームがすごく長くて、電車を降りてからも延々と歩き続けないと改札口までたどり着けませんでした。この日は朝早く出発したので、通勤する人たちに混じって歩きました。

飯田橋駅の東口です。


飯田橋の歩道橋の右側の下に見えるのは、船河原橋です。


歩道橋の上から眺めると、神田川はこんな感じになっています。
上には高速道路が走っています。


ここからは外堀通りを歩きます。石畳になっていて、とても歩きやすい道でした。


飯田橋のハローワークも通りました。


頭の上には高速道路が走っています。


このあたりはかつては市兵衛河岸と言われたそうです。神田川を船で行き来していたのでしょうね。


暫く行くと、小石川橋になりました。


かなり大きな橋で、橋というよりも、交差点という感じでした。

総武線が走っているのが見えますね。


ここを真っ直ぐ行くと神田川ですが、右手に折れると日本橋川になります。

ちょっと寄り道してみました。

日本橋川に架かる新三崎橋です。

ここは神田川と日本橋川の分岐点です。日本橋川を下ると九段下になります。

かつてこのあたりには「小石川門」があったそうです。明治維新で取り壊されたそうですが、その石材を利用して、常盤橋がつくられたそうです。ただし関東大震災で被災されたそうです。

また神田川に戻ってきて見つけたのが、緑色に塗られた三崎橋。橋というイメージではなくて、ちょっとしたフェンスのようなものでした。気をつけていないと、これが橋だと分からないかもしれません。

そこから少し歩くと後楽橋です。

向いには東京ドームの建物が見えました。

ドームホテルや乗り物も見えました。

市兵衛河岸は現在は防災用の船着き場になっていました。いざというときは川を利用して避難できるわけですね。

まだまっすぐ歩くと、今度は水道橋になりました。

ここには、昔を偲ぶ掛樋の跡がありました。よく絵がわかりませんが、かつての風景が描かれていました。

水道橋の反対側にもありました。


かつて神田上水があったところです。上には総武線が走っています。

お茶の水分水路の石碑。

神田川分水路の案内図です。全体を写せませんでしたが、井の頭公園からの地図が描かれていました。ここを歩いてきたと思うと、ちょっと感慨が深いですね。

この道にはいろいろな記念碑がありました。こちらは掛樋跡です。

ちなみに掛樋とは、川の水を引くための仕掛けで、溝を掘って作られました。サイフォンの原理を利用していたそうです。

段々と道が上り坂になってきました。

このあたりは順天堂関係の建物ばかりで、順天村といった様子でした。

豪華なホテルのような建物がありましたが、これも順天堂です。

この近くには水道歴史館があるのですが、そこはまたの機会に見学することにして、御茶ノ水を目指しました。

御茶ノ水橋に到着。

ここは昭和6年に作られたそうですが、現在は工事中。

完成するのは令和7年とのことでした。

御茶ノ水駅周辺は、半世紀ほど前に通勤で利用していたので懐かしいのですが、あまりに雰囲気が変わってしまいましたね。

こちらは聖橋です。ここはすでに新しくなっていました。


ニコライ堂が見えました。

少し先に行くと、電車ファンには最高の場所があります。

それは総武線とメトロが同時に見られる場所です。

私はシャッターチャンスを逃してしまったので、別々に写しました。


この日のお散歩はここで終了。

歩いた橋は8つでした。

距離にしたらほんの少しでした。

次回は秋葉原を通って、隅田川まで行けるでしょうか。

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「一日一句」

一月の 日差し眩しく 橋を行く