2024年5月21日火曜日

構内探検

授業と授業の間に隙間時間があったので、ちょっと構内を探検してみました。

普段は、下の案内図にある右側のオレンジ色の地域しか利用していません。


かなり広いです。
左端まで行くには、自転車が必要でしょう。

少し歩いて、ピンク色のゾーンへ。

この近くには池があるのです。


名前は分かりませんが、楕円形の広い池です。

池の周囲では、若い学生たちが食事をしていました。私もこんど、ここで食べようかな。

構内は緑がたくさんあり、散歩には最適です。

このあと、図書館に行って、本を借りてきました。

そうそう、学内の自動販売機は世間よりも安いのです。お茶のボトルが100円です。


今度はもう少し先のブルーゾーンまで行ってみようと思います。

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「一日一句」

青葉萌え キャンパス歩き 深呼吸

2024年5月20日月曜日

「帰ってきた橋本治展」@横浜

神奈川県立近代文学館で開催中の「帰ってきた橋本治展」を見てきました。

実は橋本さんは、私が通っていた高校の1年先輩なのです。

1968年の東大闘争のさなか、「とめてくれるなおっかさん背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というキャッチコピーのポスターで一躍有名になりました。このポスターのおかげで、テレビのワイドショーにも出演されました。

その後は「桃尻娘」やまんが論、源氏物語の現代語訳、難解な文学論、そして毛糸のセーター作家としても活躍されました。

ところが60歳を過ぎた頃に、難病にかかり、一応治ったようですが、それでも平成時代が終わるとともに71歳で亡くなりました。 

その橋本さんが残した膨大な枚数の原稿用紙や、小説を書くためのたくさんのカード類、友人達に送った手紙、セーターの編み目表などが展示されていました。

彼の原点は東大の歌舞伎研究会に所属したことからスタートしたようです。得意のイラストで歌舞伎の世界をカラフルに描いていました。こんなに歌舞伎に造詣が深い人だとは知りませんでした。

手編みのセーターにも歌舞伎の図柄を使っていて、天才だと思いました。

彼の才能のすばらしさに感動しました。平均年齢にも達しない年齢でお亡くなりになったことが残念です。

橋本治さんは、高校の誇りです。

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「一日一句」

あの世でも 特異な才能 生き続け


2024年5月17日金曜日

今日のスポット「将門塚」

 先日、大手町に福井のイベントに行ったとき、ついでに将門塚を見学してきました。

イベント会場は「大手町タワー」というビルでしたが、そこから2分ほど歩いたところにありました。

将門塚のことは昔から話には聞いていましたが、実際には行ったことがありませんでした。

将門さんは平将門といい、平安時代初期の豪族です。10世紀の初め頃、生まれたようです。下総国や常陸国(千葉や茨城)を制して、自分は「新皇」、新しい天皇であると名乗りました。

しかし即位後二ヶ月ほどで藤原秀郷らに討伐されました。

彼の首は京都の七条河原にさらされましたが、首が東に飛んでいったとか、その後の長い歴史の中でも彼のたたりは語り継がれています。死後、怨霊になり、伝説の人となりました。

この場所は皇居に近く、ホテルやオフィスビルも建ち並ぶ東京の中心地です。


お墓をきれいに掃除している人がいました。お花も飾られています。

東京都指定の旧跡となっています。

「平将門塚保存会」というのがあり、現在でも首を供養する人がいることにも驚きました。

日本には「三大怨霊伝説」というのがあり、
1.菅原道真
2.平将門
3.崇徳天皇
だそうです。

いやはや、たたりは千年昔の人が登場するのですね。





2024年5月14日火曜日

「越前和紙のぬくもりと平安の息吹」

福井県の魅力創造課主催のイベントに参加してきました。

「越前和紙のぬくもりと平安の息吹」です。

~福井に息づく「千年文化」を未来へ~というサブタイトルが付けられていました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」の題字制作者で書道家の根本知さんのトークがあるというので、興味を持ったのです。

今後のドラマの中で、紫式部が福井に住むようになり、また北陸新幹線が福井まで延びたということで、福井県はとても頑張っているようでした。

パンフレットなど、たくさんいただきました。

こちらは、来年あたりに行ってみたいですね。ドラマ放映中の今年は、たぶん混雑していそう。

会場は大手町にある高層ビルの中の「3×3ラボ」というところでした。

皇居前のきれいなオフィス街にありました。(↓ここではありません)

根本さんは書道家のイメージ像とはまるで違い、すごくおしゃべりがお上手で、和の知識がいっぱいの博士さんでした。現在は大学で日本書道史を教えています。また茶道の掛軸の文字にも造詣が深いそうです。

40歳ということでしたが、とてもかっこよくて、カリスマ性がある方でした。


福井の和紙がテーマなので、「紙」の話をされていましたが、紙は、上とも神とも髪とも守とも関連があるという話が、とても興味深かったです。いろいろと美しい紙を紹介してくれました。

また大河ドラマの裏話などもいろいろ聞くことができて、ドラマの小道具作りは大変なのだなと感心しました。

その後は越前和紙の魅力に惹かれて、京都から移住してきた若い女性の伝統工芸士も登場しました。村田菜穂さんとおっしゃる方でした。越前和紙は、1500年の歴史があるそうです。すべて手作業で行い、とても楽しいと話していました。


そして千年未来工芸祭りプロデューサーさんも加わり、トークセッションがありました。
なんと越前の小学生は紙漉きの授業があり、自分で漉いた紙が卒業証書になるのだそうです。素晴らしいですね。

その後、交流会が開かれて、福井の食品やお酒がたくさん振る舞われました。


青山にある福井のアンテナショップ「福井291」からもいろいろと出品されていました。

私は焼き鯖寿司をちょっといただいただけで退出しましたが、鯖の身がとても分厚くておいしかったです。お酒も飲んでみたかったけど、混雑していました。

このイベントに参加した人たち(ほとんど女性でしたが)が、福井に興味を持ち、福井の歴史や伝統に触れるようになると、主催者としては嬉しいことでしょうね。

私もまた福井に行って、おいしいカツをいただきたいものです。

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この日の装い。

雨っぽいお天気でしたので、ポリの墨流しのようなデザインの着物にしました。

帯はピンクの細い縦縞模様。


参加者の中には、着物姿の方もかなりいらっしゃいました。

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「一日一句」

越前へ 千年前の 光る君

2024年5月12日日曜日

いとこたちと食事会

昨日はいとこたちと、年に一度の食事会でした。

母方のいとこたちとの会合でしたが、もうみんな年をとったので、その子供や孫たちがメインとなりました。

83歳から3歳まで集まりました。私達世代は、それぞれ持病を抱えたりしていますが、子供たちは元気そのものでした。

世代を超えて、いろんなおしゃべりをしました。

この集まりも、明治生まれの私達のおじいさん、おばあさんが出会った結果です。関東大震災や太平洋戦争を乗り越えて、生きてきた証拠ですね。

オシャレな中華料理でした。

この日の装い。

青の濃淡のセオアルファ。


帯はかなり昔に買った、ろっこやさんのもの。

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「一日一句」

バラ咲いて 中華楽しむ 家族の輪



2024年5月9日木曜日

フィールドワーク@羽村

昨日は大学の「自然を見る目を養う」という授業のフィールドワークで、羽村まで行ってきました。

青梅線で羽村駅まで行き、20人ほど集合して、市内を歩き、最後は羽村市郷土博物館まで行きました。

羽村は玉川上水の始発点であり、昨年、友人たちと一緒に出かけたところです。

今回はいつも授業をしていただいている先生と、その教え子で地理学の研究者さんのガイド付きでした。専門的な話も多かったのですが、いろいろと勉強になりました。

まずは羽村駅近くにある「五ノ神まいまいず井戸」に集合。


井戸の深さは約5メートル、その下の水面までは約6メートルあるのだそうです。

こちらは懐かしい羽村駅です。2023年12月に出かけたのでした。

そして地図を見ながら、羽村の町を歩きました。

急な坂がありましたが、そこは「五ノ神崖線」というところだそうです。

「こんぴら児童公園」という場所で、ガイドの先生の説明を聞いているところです。

この後は羽村駅を通過して、坂を下りました。

こちらは「馬の水飲み場と羽村崖線」です。ここは稲荷神社の近くにあり、前回も通過したところです。坂の途中にあり、坂の上と下では約14メートルの差があるところでした。崖線の説明を色々と伺いました。

懐かしい羽村橋。


こちらは奥多摩街道際にある「羽村橋のケヤキ」です。
木の周囲は7メートル以上、高さは25メートル、樹齢500年ほどの大ケヤキです。
段丘の下に立っています。このあたりは湧水が出るので、木の生育には適しているようです。


少し歩くと、私の好きな玉川兄弟の像。


どういうわけか、像の足元には猫がいました。


同行したゼミ仲間に写してもらいました。


集合写真を写していただきました。


羽村取水堰に到着。
武蔵野台地の尾根を東西43キロつないでいます。


まだ元気に働いています。


こちらは橋の上から写した風景。埼玉の山も見えました。


最後は羽村郷土博物館へ。


ここは無料で入館できますが、1時間に1本しか来ないバスの時間が気になり、ゆっくり見られませんでした。


今回は地形の専門家のガイドさんがいたので、有意義なフィールドワークになりました。
川の水や、石などのパワーにより、地形が変化していく様子が、少しは分かりました。
これからは、坂道を歩くときにも、気を付けてみましよう。

お天気が怪しかったのですが、雨に濡れることもなく、楽しい半日ツアーとなりました。

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「一日一句」

幾万年 水の流れを 肌で知る


2024年5月7日火曜日

今日のひと橋「錦糸橋」

先日、錦糸町の駅から亀戸天神まで歩きました。

途中に横十軒川という大きな川があり、そこに「錦糸橋」が架かっていました。

錦糸橋は元々は昭和初期に架けられたそうですが、戦争で焼けてしまい、昭和26年に架け替えられました。現在の橋は昭和47年に架けられたものです。

「北斎通り」に架かっています。

私はこちら方面に来ることはあまりないので、横十軒川の立派さにちょっと驚きました。

この川は、墨田区・江東区を流れる約3.6キロの川ですが、自然の川ではありません。江戸初期に開削された掘割りです。

地図で見ると、南北に流れているのに、「どうして横」なんだろうと不思議に思っていましたが、これは「江戸城に対して横に流れる」ために「横十軒川」と言うのだそうです。

川にはずっとフェンスが被さっていて、ちょっと残念。

少し北へ歩いて行くと、「亀戸銭座跡」という碑が建っていました。


まん丸な寛永通宝もありました。そのお金をこの周辺で作っていたのですね。銭形平次が投げたのは、このお金だったと言われています。

遠くにスカイツリーが見えてきました。


こちらは蔵前通りに架かる天神橋です。
写真を写そうと思いましたが、時間がなくて、遠景だけとなりました。

またいつか時間があるときに、横十軒川をゆっくりと歩いてみたいと思いました。

「一日一句」

江戸の町 忍びて渡る 錦糸橋


2024年5月6日月曜日

三味線リサイタル@亀戸御殿

三味線の今藤政智先生のリサイタルがありました。

会場は亀戸天神社のお隣りにある亀戸御殿「雅」。二条城の二の丸御殿を再現したという豪華なお部屋でした。


丸い天井がは音響にも良い影響があるそうです。

壁は金箔で覆われていました。

今回は邦楽だけでなく、いろいろな音楽のジャンルの方とのコラボ演奏がありました。

まず最初は正当派の長唄「鷺娘」でした。三味線と政子先生の唄でした。

次は先生の師である政太郎先生作曲の「六斎念仏意想曲」。NHK交響楽団ティンパニ奏者の植松透さんとの合奏でした。すごい難曲ですが、かけ声もぴったりで、とても息が合っていたと思いました。

3曲目は「明鏡」。こちらは三味線と尺八の坂田梁山さんとの演奏でした。よい雰囲気でしたね。

4曲目と5曲目はヴィオラとのコラボでした。お相手はNHK交響楽団ヴィオラ奏者の飛澤浩人さん。

まずは政太郎先生作曲の「冬」。

そして最後はオペラから「人知れぬ涙」。 とても美しい曲で、ため息が出そうでした。

演奏の後に、全員そろってのご挨拶。


いつもの名コンビのお二人です。


演奏が終わった後には、三味線のお稽古仲間だった方と一緒に、隣の亀戸天神を散策しました。藤の花が有名ですが、花はかなり萎れてしまっていて残念。外国からの観光客もたくさん来ていました。屋台も出ていて、賑わっていました。


藤棚です。


スカイツリーもよく見えました。

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この日の装い。

青の濃淡のセオアルファ着物。


帯は薄い緑色の地に、何か分からない大きな花柄。

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「一日一句」

三味線の 音より先に 藤の花