授業と授業の間に隙間時間があったので、ちょっと構内を探検してみました。
普段は、下の案内図にある右側のオレンジ色の地域しか利用していません。
授業と授業の間に隙間時間があったので、ちょっと構内を探検してみました。
普段は、下の案内図にある右側のオレンジ色の地域しか利用していません。
神奈川県立近代文学館で開催中の「帰ってきた橋本治展」を見てきました。
実は橋本さんは、私が通っていた高校の1年先輩なのです。
1968年の東大闘争のさなか、「とめてくれるなおっかさん背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というキャッチコピーのポスターで一躍有名になりました。このポスターのおかげで、テレビのワイドショーにも出演されました。
その後は「桃尻娘」やまんが論、源氏物語の現代語訳、難解な文学論、そして毛糸のセーター作家としても活躍されました。
ところが60歳を過ぎた頃に、難病にかかり、一応治ったようですが、それでも平成時代が終わるとともに71歳で亡くなりました。
その橋本さんが残した膨大な枚数の原稿用紙や、小説を書くためのたくさんのカード類、友人達に送った手紙、セーターの編み目表などが展示されていました。
彼の原点は東大の歌舞伎研究会に所属したことからスタートしたようです。得意のイラストで歌舞伎の世界をカラフルに描いていました。こんなに歌舞伎に造詣が深い人だとは知りませんでした。
手編みのセーターにも歌舞伎の図柄を使っていて、天才だと思いました。
彼の才能のすばらしさに感動しました。平均年齢にも達しない年齢でお亡くなりになったことが残念です。
橋本治さんは、高校の誇りです。
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「一日一句」
あの世でも 特異な才能 生き続け
先日、大手町に福井のイベントに行ったとき、ついでに将門塚を見学してきました。
イベント会場は「大手町タワー」というビルでしたが、そこから2分ほど歩いたところにありました。
将門塚のことは昔から話には聞いていましたが、実際には行ったことがありませんでした。
将門さんは平将門といい、平安時代初期の豪族です。10世紀の初め頃、生まれたようです。下総国や常陸国(千葉や茨城)を制して、自分は「新皇」、新しい天皇であると名乗りました。
しかし即位後二ヶ月ほどで藤原秀郷らに討伐されました。
彼の首は京都の七条河原にさらされましたが、首が東に飛んでいったとか、その後の長い歴史の中でも彼のたたりは語り継がれています。死後、怨霊になり、伝説の人となりました。
この場所は皇居に近く、ホテルやオフィスビルも建ち並ぶ東京の中心地です。
福井県の魅力創造課主催のイベントに参加してきました。
「越前和紙のぬくもりと平安の息吹」です。
~福井に息づく「千年文化」を未来へ~というサブタイトルが付けられていました。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の題字制作者で書道家の根本知さんのトークがあるというので、興味を持ったのです。
今後のドラマの中で、紫式部が福井に住むようになり、また北陸新幹線が福井まで延びたということで、福井県はとても頑張っているようでした。
パンフレットなど、たくさんいただきました。
こちらは、来年あたりに行ってみたいですね。ドラマ放映中の今年は、たぶん混雑していそう。
会場は大手町にある高層ビルの中の「3×3ラボ」というところでした。
皇居前のきれいなオフィス街にありました。(↓ここではありません)
根本さんは書道家のイメージ像とはまるで違い、すごくおしゃべりがお上手で、和の知識がいっぱいの博士さんでした。現在は大学で日本書道史を教えています。また茶道の掛軸の文字にも造詣が深いそうです。
40歳ということでしたが、とてもかっこよくて、カリスマ性がある方でした。
また大河ドラマの裏話などもいろいろ聞くことができて、ドラマの小道具作りは大変なのだなと感心しました。
その後は越前和紙の魅力に惹かれて、京都から移住してきた若い女性の伝統工芸士も登場しました。村田菜穂さんとおっしゃる方でした。越前和紙は、1500年の歴史があるそうです。すべて手作業で行い、とても楽しいと話していました。
昨日はいとこたちと、年に一度の食事会でした。
母方のいとこたちとの会合でしたが、もうみんな年をとったので、その子供や孫たちがメインとなりました。
83歳から3歳まで集まりました。私達世代は、それぞれ持病を抱えたりしていますが、子供たちは元気そのものでした。
世代を超えて、いろんなおしゃべりをしました。
この集まりも、明治生まれの私達のおじいさん、おばあさんが出会った結果です。関東大震災や太平洋戦争を乗り越えて、生きてきた証拠ですね。
オシャレな中華料理でした。
この日の装い。
青の濃淡のセオアルファ。
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「一日一句」
バラ咲いて 中華楽しむ 家族の輪
昨日は大学の「自然を見る目を養う」という授業のフィールドワークで、羽村まで行ってきました。
青梅線で羽村駅まで行き、20人ほど集合して、市内を歩き、最後は羽村市郷土博物館まで行きました。
羽村は玉川上水の始発点であり、昨年、友人たちと一緒に出かけたところです。
今回はいつも授業をしていただいている先生と、その教え子で地理学の研究者さんのガイド付きでした。専門的な話も多かったのですが、いろいろと勉強になりました。
まずは羽村駅近くにある「五ノ神まいまいず井戸」に集合。
こちらは懐かしい羽村駅です。2023年12月に出かけたのでした。
そして地図を見ながら、羽村の町を歩きました。
急な坂がありましたが、そこは「五ノ神崖線」というところだそうです。
「こんぴら児童公園」という場所で、ガイドの先生の説明を聞いているところです。
この後は羽村駅を通過して、坂を下りました。
こちらは「馬の水飲み場と羽村崖線」です。ここは稲荷神社の近くにあり、前回も通過したところです。坂の途中にあり、坂の上と下では約14メートルの差があるところでした。崖線の説明を色々と伺いました。
懐かしい羽村橋。
先日、錦糸町の駅から亀戸天神まで歩きました。
途中に横十軒川という大きな川があり、そこに「錦糸橋」が架かっていました。
錦糸橋は元々は昭和初期に架けられたそうですが、戦争で焼けてしまい、昭和26年に架け替えられました。現在の橋は昭和47年に架けられたものです。
「北斎通り」に架かっています。
私はこちら方面に来ることはあまりないので、横十軒川の立派さにちょっと驚きました。
この川は、墨田区・江東区を流れる約3.6キロの川ですが、自然の川ではありません。江戸初期に開削された掘割りです。
地図で見ると、南北に流れているのに、「どうして横」なんだろうと不思議に思っていましたが、これは「江戸城に対して横に流れる」ために「横十軒川」と言うのだそうです。
川にはずっとフェンスが被さっていて、ちょっと残念。
少し北へ歩いて行くと、「亀戸銭座跡」という碑が建っていました。
三味線の今藤政智先生のリサイタルがありました。
会場は亀戸天神社のお隣りにある亀戸御殿「雅」。二条城の二の丸御殿を再現したという豪華なお部屋でした。
壁は金箔で覆われていました。
今回は邦楽だけでなく、いろいろな音楽のジャンルの方とのコラボ演奏がありました。
まず最初は正当派の長唄「鷺娘」でした。三味線と政子先生の唄でした。
次は先生の師である政太郎先生作曲の「六斎念仏意想曲」。NHK交響楽団ティンパニ奏者の植松透さんとの合奏でした。すごい難曲ですが、かけ声もぴったりで、とても息が合っていたと思いました。
3曲目は「明鏡」。こちらは三味線と尺八の坂田梁山さんとの演奏でした。よい雰囲気でしたね。
4曲目と5曲目はヴィオラとのコラボでした。お相手はNHK交響楽団ヴィオラ奏者の飛澤浩人さん。
まずは政太郎先生作曲の「冬」。
そして最後はオペラから「人知れぬ涙」。 とても美しい曲で、ため息が出そうでした。
演奏の後に、全員そろってのご挨拶。