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2023年5月2日火曜日

初夏の鎌倉 4 滑川巡り

もう10日ほど前の出来事になってしまいました。ちょっと記憶が曖昧になってきましたが、とりあえず鎌倉の滑川歩きの報告です。

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鎌倉の山の中で、ホトトギスの声を聞きながら糀について学び、味噌を仕込み、美味しいランチをいただいた後は、さあ自分一人の滑川歩きタイムとなりました。

滑川は鎌倉の由比ヶ浜と材木座の間に注ぐ川です。全長5キロほどの二級河川です。


2022年3月には、初屋さんの着物イベントにかこつけて、河口あたりや鎌倉駅周辺の滑川を散策しました。

今回は、源流から河口までのちょうど中間あたり位置から出発でした。この日はほぼ快晴。気持ちの良い午後でした。

糀専門カフェを後にして、まずはバス停の近くにある「西泉水橋」まで戻りました。

昭和37年に架けられた橋のようです。かなり古いですね。

行きはここまでバスで来ましたが、帰りは滑川に沿って歩いて鎌倉駅まで戻ることにしました。

少し歩くと、キリスト教会の建物が見えました。


「砂防指定地」の看板がありましたが、どういう意味の場所なのでしょう。地すべりなどの危険性が高いところなのでしょうか。

この近くに架かっていたのが「虹の橋」です。

橋の後方には、すごい急な階段がありました。毎日、ここを上り下りするのは厳しいでしょうね。

次の橋は「青砥橋」。


橋の名前の由来は、鎌倉時代の武士で、公正な裁判を行ったという青砥藤綱という人にちなんでいるそうです。近くにその人の石碑があるそうですが、気づきませんでした。

ここから落ちたら助からないのでは、と思うような川でした。


ただし、川よりも、周囲の樹木のほうに目が行きました。なんだかすごいところに来てしまったなとちょっとドキドキしましたが、それ以上に気持ちの良いところでした。


こちらは素晴らしかったです。藤の花が山のように咲いていました。


少し歩くと平地になり、お茶の道場がありました。格調高そうですね。

周辺はなかなかよい雰囲気のところでした。桜の季節には多くの人が訪れるのでしょう。

外国人観光客も多かったですね。

「華の橋」

なかなかステキな名前の橋です。


この道には、あちこちに地図があったので、便利でした。周囲はお寺だらけのようにも思われますが、川沿いや道路際は普通の感じでした。


都内で見かける川とは、だいぶ様子が違いますね。木が生い茂っていました。


細長い橋がありました。
「昭和11年」ということは、今から87年くらい前に架けられた橋でしょうか。


橋の名前が隠れてしまって、写すのに一苦労しました。
「廣瀬橋」でした。
浄明寺という住所のところに架かっていました。


「犬懸橋」
川が急に曲がっているところがありました。そこに架かっていたのが、「犬懸(いぬかけ)橋」です。


近くには、犬懸上杉家という屋敷があったそうです。

秋の紅葉が見事なところだそうですが、初夏の新緑も美しい場所でした。

このあたりから川のすぐ際には道がなかったので、川から離れ、山里のようなところを歩きました。鳥のさえずりが聞こえて気持ちよかったです。


かなり長い時間、歩きましたが、人にはまるで会いませんでした。ちょっと不安になりましたが、「田楽辻子のみち」という古道に出ました。


鎌倉時代から田楽師が住んでいた道だそうです。


こちらは川が合流していた地点です。このあたり、本流ではない支流のような流れがあちこちあるようでした。


だんだんと山奥のようなところに入ってしまったので、少し焦り、車の通る道を探して歩きました。
川筋を追っていると、ときどき、こういう事が起こるのです。

また滑川が流れているところに戻ったようです。


浄明寺1丁目1番地という看板が住居表示がありました。グーグルマップを頼りに歩きましたが、看板があるとホッとしますね。


こちらの案内板の地図は、方位が逆なので、ちょいと分かりにくかったです。
犬懸橋からぐるりと回ってきたわけですね。

「大御堂橋」

源頼朝が父の源義朝の報恩のために建てた「勝長寿院(大御堂)」があったと言われる場所だそうです。


このあたりは「雪ノ下」という住所です。
このような風景があちこちで見られました。


「大御堂橋」の信号です。
このあたりから、周囲はかなり現代的な風景になってきました。

「関所橋」

この橋はかなり小さくて、見過ごしてしまうような橋でした。


「関取場」の石碑がありました。この「関取場」とは、いわゆる関所のことだそうです。神社造営のために、関銭を徴収していたところのようです。


「岐れ路(わかれみち)」というちょっと寂しそうな名前のところでした。

このあたりから滑川は、道路から離れてしまいました。

しばらくはほとんど人通りのない道を歩きましたが、そのうち閑静な住宅街になりました。大きな立派なお家が多く建っていました。

京都の白川を歩いた時にも感じましたが、歴史のある町はどこかゆとりがありますね。

そして鶴ヶ岡八幡宮の側に出ました。

観光客が多く、今まで山の中(というほどではありませんが)を歩いてきたので、なんだか自分が異邦人になったような気分がしました。


後はもう、人だらけの鎌倉です。
みんな買い物や、食べ歩きに夢中になっているようでした。
山の中から出てきたので、ちょっと面食らいました。

昨年の大河ドラマは鎌倉が舞台となった「鎌倉殿の13人」でしたが、彼らが今の鎌倉を見たらどんな感想を持ったでしょうね。

下の地図の内、水色の部分は滑川に沿って歩いたところ、緑色の部分は観光ルートの鎌倉です。


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「一日一句」

もののふの 山から聞こえる 川の音

2022年4月1日金曜日

鎌倉由比ヶ浜海岸まで その2

さて、鎌倉のカフェのおじさまから、この日の目的地である「アトリエ閑居」への行き方を教えていただいたので、若宮大路をスイスイと歩きました。

そしてちょっと傍を見ると、見失ってしまった滑川に再会することができました。

橋もかかっていたので嬉しくなり、近づいてみると「海岸橋」でした。


海岸橋から振り返ってみると、こんな風景でした。見失った川はこのように流れていたのですね。

反対側には、遠くに海が見えました。

由比ヶ浜海岸ですね。

滑川の最終地点です。遠くにかかる橋にも、行ってみたいと思いました。


しばらく橋から海を眺めてから、またアトリエを探して歩き出しましたが、曲がるところを一本間違えてしまったのか、違う場所へ行ってしまい、ついに海岸に出てしまいました。足元は砂地でした。


そこで目にしたのは、サーフィンや水遊びに来た若者ばかりでした。そんな光景の中で、黒い道行姿の私はさぞ浮いてしまっていたことだろうと思います。

海岸にかかる滑川橋は、なかなかおしゃれな彫刻のある橋でした。

そしてもう一度気を取り戻して、歩き出し、ようやくアトリエに着きました。

こちらの写真の建物で尋ねると、アトリエはまだ奥になるとのこと。

石や草に覆われた庭をそろりそろりと歩くと、ちょっと崩れかけたような建物がありました。


お庭はこんな様子でした。


ここが探していたアトリエ閑居なのでした。

中へ入ってみると、外見とはまるで異なり、映画や絵本に出てくるような素敵な空間でした。アトリエだったので、高い天井から自然光がさしていて、広々とした空間でした。

朝井閑右衛門さんは帽子がお好きだったそうで、色とりどりの帽子がかけてあったのが、とても印象的でした。


朝井閑右衛門さんは、昭和の洋画家で、バラの絵を好んで描いたそうです。それで描きかけのバラの絵もありました。

私は洋画はよく分かりませんが、若々しさを感じました。


こんな設備もありました。


初屋の着物や帯、小物は和室や洋室にたくさん置いてあり、じっくりと拝見させていただきました。


この青い着物と半襟をfaebookで見て、ぜひ、実物を見てみたいと思ったのです。


玄関のすぐ正面で、記念写真を写していただきました。


お世話になった初屋のマダムと。

彼女は生まれは東京だそうですが、鎌倉にある学校に通い、青春時代をすごしたそうです。このアトリエがお気に入りで毎年、こちらでイベントを開催されていたそうです。



そしていただいてきたのが、こちらの辻が花風の花が描かれた白い帯。

今までこのようなタイプの帯は持っていなかったので、私に似合うか気になりましたが、初屋のマダムがいろいろな着物に合わせてくださり、私の手持ちの着物にも合いそうだと思い、購入することにしました。

もう一つは、ピンクのかわいい帯締め。古希過ぎのおばさんにはどうかと思いましたが、気にしないで使いたいものです。

なんとも贅沢な空間で、ゆとりの時間を過ごすことができました。

ということでアトリエを後にして、また滑川歩きへと進み出したのでした。

この続きはまたの機会に。

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「一日一句」

土匂ふ 古き都に 画家の家