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2024年8月17日土曜日

六郷方面へ その1 下丸子~武蔵新田

またまた大田区へ出動してきました。

今回はJR南武線で武蔵小杉まで行き、そこから東急多摩川線に乗り換えて下丸子まで行きました。普通の有料ルートです。

下丸子駅を利用したのは、3回目くらいになるでしょうか。

今回はまずは光明寺というお寺にある池を探すのが目的でした。

というのはこの光明寺池は、大昔は多摩川の流れの一部だったという説があるのです。現在の多摩川からはかなり北にずれている場所です。ぐるぐると歩いてみましたが、池の周りはフェンスに囲まれていて、中を覗くことはできませんでした。


あちこちのブログをチェックしてみると、このお寺は何やら土地開発に関して事情がありそうなお寺でした。

ぐるりと回って仕方なく信号待ちをしていると、正面に古めかしい道しるべが見えました。

このあたりは環状八号線や東急電鉄やあれこれ道が交差しているところです。昔は環八などなかったので、もう少し分かりやすい場所だったのでしょうが、現在はかなり中途半端なところになっていました。


嘉永4年(1851)に建てられたのだそうです。江戸時代の代物ですね。
上部がちぎれてしまっていますが、その部分は光明寺で保管されているとか。

右へ行くと目黒、左は平間と書かれているようでした。

池は見えませんでしたが、この道標で満足することにしましょう。

このコメダは、以前来たときに休憩に入ったお店です。懐かしいな。


こちらはオリンピックというスーパーマーケット。まだ早朝でしたので、開いていませんでしたが。


その後は、光明寺流れという名前の道を探して歩いたのですが、どうということのない普通の道路でした。

道なりに行くと、今度はキャノンの本社がありました。

さすがに堂々として立派。周囲もきれいな緑に囲まれていました。


水路のある公園がありました。これと光明寺流れとは関係があるのでしょうか?


割と広い公園で花が咲き乱れていました。


こちらは地域のバス。たまちゃんバス。昔、こんなごまアザラシがいたような・・・?


バスには乗らずに歩きました。広い公園の多いところでした。

まっすぐな道なので間違えることはないのですが、とにかく暑かったですね。

あまりに暑くなると、コンビニに入って涼んでいました。

急に目の前に出現した清掃工場。

すごく大きな煙突でした。

その脇道を入っていくと、目の前に多摩川の土手が開けていました。


向こう側は川崎ですね。

こちらは二子玉川方面かしら?


気持ちの良い土手でした。
また清掃工場へ戻り、都営アパートの敷地内を通って歩きました。


商店街を歩いて行くと、目の前に大きな神社がありました。新田神社というそうです。新田義興を祀った神社です。この方は幼少の頃から知・勇に優れた武将で「運を守る神」として大名や武士、町人にいたるまで幅広く崇敬されていました。旅人の守護神だそうです。新田義貞の息子になります。


樹齢700年の楠。
立派でしたよ。


道なりに歩いて行くと、武蔵新田の商店街へ。「むさしにった」と読みます。私は「むさししんでん」だとばかり思っていました。
庶民的な町でした。


このあたりで7000歩ほど歩いていたので、戻ろうかと思いましたが、まだ時間が早かったのでもうひと頑張りして、東急電車で蒲田まで向かったのでした。

歩いたルート。


後半はのちほど。



2024年8月15日木曜日

松葉用水から北前堀へ

先日、京急蒲田から呑川沿いを歩き、その先はかつては松葉用水と呼ばれた道を歩いてきました。この用水も六郷用水の支流だと思います。

まずは京急蒲田駅の近くにある呑川にかかる夫婦橋を目ざしました。橋は駅のすぐ近くだったのですぐに見つかりました。

ただしこの付近は現在、工事中なので、夫婦橋緑道を歩くことはできませんでした。

ほんとにあちこち工事が多いですね。工事そのものは悪いことではないのですが、どこも、ものものしいフェンスに囲まれているので、中がどうなっているのか分からないのが残念です。

京急蒲田駅方面を写してみました。資材がたくさん置かれていました。


近くには北野神社がありました。


こちらは呑川にかかる天神橋。


ずっと川のそばを歩きたいと思いましたが、日陰がないので、川の近くを歩くのはやめました。

松葉用水と呼ばれている道を歩きましたが、ごく普通の道でした。

久遠寺というお寺。陰になってしまい、寺の名前が分かりませんね。


しばらく歩くと今度は安泰寺。天台宗のお寺だそうです。

このあたりは用水とは言え、なんということのない普通の道でした。早朝のため、店もしまっていて、どんなところか、よく分かりませんでした。

この道はあちこち蛇行していて、車の運転は難しいかもしれません。くにゃくにゃ道が続きました。


このあたりは普通の住宅もありましたが、この老人施設は立派でした。


この先で道が二股になっているので、左の方へ進みました。

左手を覗くと呑川が見えました。

西糀谷あたりを歩いていましたが、このあたりは、かつて小泉次大夫が徳川家康からいただいたという下袋村のはずです。その近くの北糀谷の円龍寺には小泉一族の墓があるということでしたが、あまりに暑いので今回はパスしました。

しばらく歩くと、産業道路という広い道になりました。


そして北前堀緑地の入り口に着きました。緑が多く、ホッとしました。


かつては排水場でしたが、現在は緑地になっていて、気持ちの良いところでした。

その先は北前堀橋。眼鏡橋のようでかっこよかったです。


「北前橋」

この先は水門があるはずなのですが、工事で行き止まり。防潮堤を作っているそうです。このパイプの下が東京湾に繋がっているようです。


まぁ、仕方ないですね。


この先に羽田が見えるはず。


東糀谷で行き止まりとなりました。東京湾を見ることができずに残念でした。仕方なく、バス停を探して歩きました。

とても暑くて、私は普段は甘い清涼飲料水は飲まないのですが、この時ばかりは自販機で「メロン入り炭酸ソーダ」というのを買って、ごくごくと飲んでしまいました。おいしかったです。

こちらは東糀谷公園。広々としていましたが、あまりに暑すぎてほとんど無人でした。

バスで京急蒲田へ。元気なお年寄りがたくさん乗っていて、バスの中は喧噪の渦でした。


また都営地下鉄でシルバーパスを利用して、来た道を戻りました。




2024年8月14日水曜日

シルバーパスで大田区まで

またまた早朝からお散歩をしてきました。6時半に家を出ました。

今回はシルバーパスを有効に使って出かけてきました。

自宅から新宿駅までは京王線で普通料金を払って行きましたが、その先は都営新宿線で馬喰横山駅までシルバーパス。そしてここから東日本橋駅まで数分歩いて、今度は都営浅草線を利用すると泉岳寺駅で京急が乗り入れているので、そのまま京急蒲田駅まで230円で到着です。

このルートを普通に利用すると770円かかるようですが、都営地下鉄はシルバーパスが使えるので、その分は無料なので助かります。

ということでかなり安く行けることが分かりました。

早朝だったため、車内では座ってゆっくりと本も読めたし、時間もそれほどかからなかったですよ。

こんなルートでした。赤は京王線で有料。

青は都営なので無料。

東京をぐるりと半周したことになりますね。

それで京急蒲田からどこへ行ったかというと、上の図のピンクの部分を歩いてきました。松葉用水というところです。この地図で見ると、ほんのわずかですが、炎天下を20分ほど歩いたので、さすがに汗だくになりました。

その先は「北前堀緑地」がありました。


ここは昭和23年(1948)に、北前堀排水場が作られ、水害防止対策として地域住民に貢献したそうです。その後、下水道の普及により昭和46年(1971)に廃止されて緑地となったそうです。

こんなところを歩いてきました。緑の多い道でした。


普通の道路はめちゃめちゃ暑かったのですが、木陰はそれほどでもなく、気持ちよく歩けました。この橋の風景良いですよね。

本当はこの先に水門があるのですが、そこは防潮堤の工事中で中に入ることはできませんでした。


この足場の下は東京湾で、海老取川という川だそうです。

帰りは熱中症にかからないように、歩くのはやめて、京急バスで京急蒲田まで戻りました。バスもシルバーパスが利用できます。


松葉用水については、また別のブログでお知らせする予定です。


2024年8月12日月曜日

六郷用水 ~女堀へ再訪問~

めちゃめちゃ暑い日が続いていますね。

それでも六郷用水歩きをしたかったので、昨日は朝の7時前に家を出て、大田区まで出かけてきました。早朝だと電車も空いています。

目的地は六郷用水の「女堀」でした。ここは2023年11月に訪れましたが、なんだかちゃんと理解できない場所でした。それで今回はもう一度資料を読み込んで、また出かけたのです。

東急多摩川線の「鵜の木駅」で下車。

ここから住宅街を少し歩きました。

以前はこんもりとしている松山公園の中を通って歩きましたが、今回は公園を迂回した平地ルートだったので、楽に行けました。


公園の入り口には「大田区百景 六郷用水下流を眺む」の絵が飾ってありました。説明にある上郷橋はどこにあるのか分かりませんでしたが。

この先の道は、階段を上った崖の上にありました。

右手は小山、左手は断崖絶壁という道でした。土地が売りに出ていましたが、いくらだったかしら。ちょっと不便そうな場所でした。

そして少し歩くと、以前訪れた観蔵院の脇のところに出たのです。

このお寺は14世紀頃できたそうですから、六郷用水の工事のときはすでにここにあったのですね。下の写真の正面の向こう側に見えるのが、観蔵院の敷地です。


ここが「女堀」と言われているところです。

その名前の由来ですが、一つには「このあたりの高低差と堅い地盤によって堀の開削工事は難航た。その際、作業に女性を動員し、男女が力を合わせて能率を上げたことから呼ばれた」という説。

もう一つは「工事を担当した代官小泉次大夫が浅間神社の丘近くを工事しようとしたとき、夢に現れた女神(木花開耶姫命)のお告げにより、丘を切り崩さずに迂回して工事を進めたことから女堀と呼ばれた」という説もあります。


地面の様子が描かれていましたが、かなり削った感じです。このあたりは岩盤が固かったのということです。


「六郷用水の由来」も書かれていました。
「六郷用水は、徳川家康が家臣小泉次大夫に命じて、六郷領(大田区の大半)の農村の灌漑を目的として、開削された農業用水である。徳川氏は、江戸支配の基礎作りの一つとして、多摩川の治水を行い、中流より分水して農業用水を引き、江戸南郊農村の生産性の向上を図った。この時、川崎側の川崎領、稲毛領のための「二ヶ領用水」も同時に工事が進められ完成している。
六郷用水は、和泉村を取水口とし、慶長2年(1597)に測量を始め、難工事の末、同14年に主要水路が完成し、その2年後、各村の分水路工事も終わり、全事業が完了した。この結果、世田谷領の一部と六郷領を合わせて約50ヶ村が恩恵を受けることになり、以後、近代まで農民の命の綱として利用された。時代とともに、用水流域の様子も水田から畑に、また農地から宅地に代わり、昭和の初め頃には用水としての使命を終え、現在ではほとんどが埋め立てられ緑道などになっている。」

二度目の「女堀」訪問は、懐かしかったですね。

さてその後は、六郷用水を上流に向かって歩くことにしました。前回と反対のコースです。

とても良い景色でした。朝のお散歩にぴったり。


こちらは庚申塚。


ベンチがあるのが良いですね。


「六郷用水の跡」の石碑。気持ち良い風景が続いています。


途中、大田区立図書館に行ってみましたが、早朝すぎてまだ開館していませんでした。


こちらは密蔵院。かなり広いお寺です。桜が有名なようです。鎌倉時代から続いているお寺です。

あちこちに「六郷用水物語」のマンホールがありました。


沼部駅近くの水のオブジェ。涼しげでした。


「東光院」です。こちらも大きなお寺でした。真言宗智山派のお寺です。近くに桜坂があり、春の景色は素晴らしいようです。


「ジャバラ」の説明です。これは水車の一種で、足で踏むようで、水を足すのです。



蝉がミンミンと鳴いていました。水路には亀や鯉なども泳いでいました。

通り過ぎるのは、犬を散歩している人か、ジョギングをしている人くらいでした。

だんだん陽が昇ってきました。

多摩川駅近くに到着。

線路の向こう側に見えるのは浅間神社です。小高い丘の上にあり、前に来たときは富士山が美しく見えました。鎌倉時代に源頼朝が出陣した際に、妻の政子が夫の身を案じ、後を追いましたが、草履の傷が痛み、ここで逗留したといわれる所です。ただし早朝のため、ここもまだ開いていませんでした。


多摩川駅に着きました。帰りは渋谷まで鈍行で戻りました。


400年前に作られた用水ですが、現在は散歩道として人々の生活に潤いを与えています。
短時間でしたが、現在の六郷用水を楽しむことができました。

この日のコース。およそ7000歩でした。