「今日のひと橋」は、聖橋です。
大学の授業にちょっと関連するので、御茶ノ水駅にある聖橋へまた行ってみました。
こちらの写真は、御茶ノ水駅のプラットフォームから写した聖橋です。
この橋は関東大震災の復興橋ということで、完成は1927年(昭和2年)です。
鉄筋コンクリートのアーチ橋という構造です。
土木学会の土木遺産にもなっています。
そして地下鉄丸ノ内線が地上に出て、総武線や中央線とクロスするという珍しい光景が見られるところです。
「今日のひと橋」は、聖橋です。
大学の授業にちょっと関連するので、御茶ノ水駅にある聖橋へまた行ってみました。
こちらの写真は、御茶ノ水駅のプラットフォームから写した聖橋です。
この橋は関東大震災の復興橋ということで、完成は1927年(昭和2年)です。
鉄筋コンクリートのアーチ橋という構造です。
土木学会の土木遺産にもなっています。
そして地下鉄丸ノ内線が地上に出て、総武線や中央線とクロスするという珍しい光景が見られるところです。
出版NPO「本を楽しもう会」という団体が主催する講演会に行ってきました。
講師は法政大学前総長の田中優子さんです。
お話は田中さんの専門である江戸時代について。江戸はリサイクル社会であるとともに、270年に渡り戦争のない社会でした。それに反して、明治以降は日本は数多くの戦争に関わり、人権が無視された社会になっている。「平和を求め、新しい戦前にさせない」という立場で政府に対して運動を起こしているという話でした。
シルバーのショートヘアーに、お母様から譲られたという白の江戸小紋をきりりと着こなし、きっぱりとした口調で話されていました。
講演後は質問タイムがありましたが、どんな質問に対しても、きりりとした態度で受け答えをされていました。
私は彼女の着物観について、同感しました。着物を着るようになったきっかけは、受賞講演の時に着るものがなくて、スーツにハイヒールでは疲れてしまうなので、お母様の着物を着て出席したところ、精神的にも落ち着き、とてもうまくいったというのが着物との関わりだったそうです。
その後、アジア各地で、布の研究をされています。
また「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」にも参加されていて、その会の目印でもある黄色いスカーフを半襟として使っていたのが印象的でした。
この会を主催した「本をたのしもう会」はすでに23回もの講演会を行っていて、多彩なゲストが出演されています。
ちょっと残念だったのが、参加者のほとんどが高齢者であったことです。もっと若い人にも呼びかけをして、参加してもらえたら良かったと思いました。
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この日の装い。
青に黒い波模様のポリ着物。久しぶりに白半襟にしました。
帯締めは自作です。
ちなみに会場には私以外に5名ほど、着物で参加した方がいました。
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「一日一句」
令和でも 一番大切 平和な世
現在、大学で受講している授業は、主に江戸や東京の歴史や地理についてです。
何十万年前の関東地方の地質の話(難しくてよく分からない)、太田道灌の時代の話、徳川家康の江戸大改革の話などがメインです。
その中で面白いと思うのは、学部の学生と一緒に受けている東京の人文地理についての授業です。
先生の専門は、解析地理とかいう分野で、いろいろなデータを分析しながら研究されています。
特に戦後の東京の動向について調べているので、私たちベビーブーマー世代が子供の頃の話もよくあります。
前回は、「団地」についての分析でした。
団地と言えば、私が小学校高学年になってクラス替えがあったとき、新しくできた荻窪団地に住んでいる男の子がいて、人気の的でした。
当時、鉄筋コンクリートの4階建ての2DKの間取りに住んでいる、ということだけで彼は羨望のまなざしで見られていました。
現在、その団地はしゃれた名前の建物に作り直されていますが、半世紀以上も昔の団地を思い出して懐かしくなりました。
また昭和35年には、新婚だった皇太子夫妻(現在の上皇夫妻)がひばりヶ丘団地のおうちを見学に行ったそうです。アメリカ旅行に行く前に、近代的な建物で暮らす一般庶民の生活を見ておきたかったとか。現在は、上皇夫妻が手を振ったベランダが、団地の敷地内にモニュメントとして残されています。
また団地には活動的な人が住むことも多く、共産党の不破哲三もひばりヶ丘団地に住んでいたそうですし、兄の上田耕一郎も別の団地に住んでいたそうです。
当時の団地は、ある程度の高収入がないと駄目だったそうですが、それでも抽選倍率が非常に高く、誰でもが簡単に住むことはできませんでした。
現在では住む人間も高齢化して、建替えについて問題もありますね。
地理の授業ですが、なかなか面白い話を聞くことができます。
ただし毎回、レポート提出があるので、ヒヤヒヤしながらパソコンに向かっています。
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「一日一句」
戦後には みなのあこがれ 団地っ子
大学の授業が正式にスタートして、1週間経ちました。
すごく興味深い授業もあれば、退屈な授業もあります。自分で選んだので仕方ありませんが。
そんないくつかの授業の中で、「あー、これは選んで失敗だったな」と思ったのが、インフラについての授業です。
これは橋やトンネルなどの解説だというので、橋好きの私としてはどんな話が聞けるのかワクワクしていたのですが、主に橋の構造についての解説のようでした。
初回はコンクリートの作り方、ということで先生が目の前で紙コップの中にセメントを入れて、そこに水を加え、ぐるぐる回していくと、コンクリートになるという手品のようなことを見せていただきました。またその中にいれる鉄骨も見せていただきました。
そういうことは初めてでしたので、面白いといえば面白いのですが、理論的なことはちんぷんかんぷん。物質の強度や熱膨張係数などを、物理的、科学的に数式を使って説明されるのですが、なかなかピンと来ませんでした。
受講生はかなり少なくて、みなさん、建設業などに携わってきたようなおじさまばかり。女性は私ともう一人しかいませんでした。
私は橋に興味があるといっても、橋の名前や、その文字のフォント、あるいは歴史的由来などには興味がありますが、橋の素材や難しい数式には戸惑うばかりです。
えーん。
私が好きなのは、こういう古い橋なのですけどね。
という体験をしていますが、新しいことに触れるのは老化防止には一番かもしれません。
そのうち、橋の構造についても詳しくなれるかも。
ちなみに日本で一番最古の鉄筋コンクリートの橋は、明治4年(1871年)、京都の琵琶湖疎水にできた橋だそうです。そのあたりの様子は、私も実際に歩いているので、なるほど、と思いました。
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「一日一句」
立ち尽くす 春の授業の 戻り橋
うちの近くの駅前に、うなぎ屋さんが開店したというので、行ってみました。
大きな幟と、開店祝いの蘭の花がお出迎え。
ちょうどこの日は、私は大学の授業がなくて、夫も仕事が休みだったので、二人で昼食を取ることにしました。
店内はそれほど広くはなくて、15席くらいでしょうか。
メニューはうなぎの松竹梅の3種のみです。
私はうなぎが一枚の梅、夫はうなぎが3枚の松+ご飯大盛りを注文しました。
うなぎの身が厚くて、柔らかくておいしかったですよ。おまけにリーズナブルなお値段でした。
ただし店内の冷房が効きすぎて、寒くて困りました。
また支払いは現金のみですので、カード類は使えません。
これは私の入学祝いとしましょう。
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「一日一句」
卯月には うなぎを食べて ハッピーに
「源氏物語」は、今回から新しい巻に入りました。
「蛍」の巻です。
年度も新しくなり、またテキストも新しくなっての読書会でした。
とはいえ、相変わらず最初はおしゃべりで始まります。とくに現在は大河ドラマ「光る君へ」が放送中なので、あれこれとツッコミをいれてのおしゃべりが多くなりますね。
さて、今回の登場人物ですが、ヒロインは、光源氏の元の彼女が生んだ娘である美しい玉鬘です。
そして男性は、光源氏の義理の弟である兵部卿宮です。
彼は性格もよく恋文の中身もよく、そして当然、血筋も正しいので、合格点をあげられる男性です。
光源氏は玉鬘に「きちんとお返事を差し上げなさい」などどサジェスチョンしたりします。
その彼がある晩、玉鬘のもとにやってきます。
するとそこに隠れていた光源氏は、手にしていた布を投げたのです。そこから蛍が飛び出し、玉鬘のシルエットが美しく映し出されたのでした。
これを見て、兵部卿宮はどんなに喜んだことでしょう。
このことから、彼は蛍兵部卿宮と呼ばれるようになりました。
当時は夜は真っ暗だったことでしょう。蛍の効果もバッチリでしたね。
ちなみに、これは光源氏だけのアイディアではなく、伊勢物語の中でもホタルを使った演出はあったようです。
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この日、Uさんは黒に三枡柄の大島紬、茶色い丸模様の帯でした。モダンですね。
世田谷区に古くてかっこいい巨大な給水塔があることを知り、ずっと行きたいと思っていましたが、なかなかチャンスがありませんでした。
よく晴れた昨日、ようやくその夢が実現しました。
それは「駒沢給水塔」です。(写真は世田谷区のHPより拝借しました)
実に100年前に作られたそうです。
張り切って出かけました。
田園都市線の桜新町駅で降りました。
ちょうど地元の桜祭りが開催されていました。沿道にはピンクの八重桜が満開でした。
「桜祭り」に出店していた「駒沢給水塔風景資産保存会」の方にお話を伺いました。
道順をお聞きして、駅から10分ほど歩き、落ち着いた住宅街に来ました。
看板が出ていました。
資料によると、この給水塔を作ろうと着手したのは、大正10年、1921年のことだそうです。
東京の人口急増に伴い、渋谷町に生活用水を確保するため、「近代水道の父」と呼ばれた中島鋭治博士が計画を立てました。多摩川を水源として、砧村に浄水場を設け、送水ポンプの動力で、駒沢給水所まで水を押し上げて、渋谷に水を送るというプランでした。
工事の間には関東大震災が起こりましたが、建築計画には支障がなく工事は続けられ、1924年に完成しました。
王冠のようなデザインと、それをつなぐ橋はとても美しい姿です。
現在も、中では少し作業をしているということでした。
この塔はとても敷地が広く、ぐるりと一周するのにはずいぶん時間がかかりましたが、ようやく正門前に到着することができました。
「ほりどめマルシェ」というイベントに行ってみました。
というのは、会場の堀留児童公園はかつて東堀留川が流れていたところで、橋の跡もあるというので、興味が湧いたのでした。
組紐のお店も出店していたので、寄ってみました。
その後、橋を探しました。「萬橋」という橋があるはずでした。
Googleマップを頼りに同じ場所をぐるぐると歩き回りましたが、橋の跡は見つかりませんでした。
その場所には、今はこんなふうに保育園や老人施設が入っていました。
その代わり、壁面に昔の橋の風景が描かれているところを見つけました。
こんな橋だったのですね。これで我慢しましょう。
中央区の資料によれば、このあたりには東堀留川と西堀留川が流れていました。舟運の中心的役割を果たしていましたが、関東大震災の後と、戦後にかけて埋め立てられてしまいました。
また東堀留川は、もともと石神井川の河口部だったそうです。
ここには思案橋、親父橋、萬橋という3つの橋があったそうです。江戸や戦前の東京は、堀と川の町だったのでした。
そして現在は堀留児童公園になっています。
周囲をぶらぶらと歩きましたが、日本橋といってもどこも現代的なビルになっていました。
スカイツリーもよく見えました。
そして、明治座が近いことを思い出して、歩いて行きました。
こちらは劇場の横にある神社です。