2026年6月20日土曜日

「源氏物語を楽しむ会」第95回報告 2026年6月

今回の「楽しむ会」は最少人数で、ひっそりと行いました。

玉鬘の巻でしたが、原文も現代語訳もなんだか分かりづらいものでした。

というのも、今回のお話は、いわゆる主人公である光源氏とは直接は関係のない人たちが話題の中心だったのです。それもあまり詳しい説明がなくて、ちょっと理解に苦しむ部分があちこちにありました。

というのは、お話は、光源氏の元愛人(夕顔)が残した忘れ形見(玉鬘)が結婚した相手(鬚黒)の元の奥さん(北の方)の父親(式部卿宮)の奥さん(大北の方)の話が多かったからです。

非常に分かりにくいでしょ?

おまけにこの式部卿宮というのは、光源氏の最愛の人(紫の上)のお父さんであり、そしてまた光源氏の秘密の愛人だった人(藤壺)とは兄妹であるというおまけつき。

ややこしー!

本当に狭い社会での人間関係なのですね。


おまけにこの日は、日本の伝統に詳しいUさんがお休みだったので、ふたりであーでもない、こーでもないと解釈して、悪銭苦闘しました。

ということで、前回、Uさんが提供してくれたこちらの人間関係図を見ながら、誰が誰なのか、どんな関係なのかを確認しながら、読み進めました。

こういうややこしい関係の人物たちを、彼らの性格や行動を含め、間違えることなくたくさん登場させた紫式部さんは、すごい人物だと感じたのでした。


2026年6月17日水曜日

幻の橋を探して再度、中野区まで

このところ週に4日も大学に出かけていて、なかなかゆっくりした時間ができません。

本来なら、週1回の通学でもOKなのですが、私は復習のために、以前受講した科目を2つも受講いるので、なかなか忙しいのです。おまけにフィールドワークが続いたり、自分自身のフィールドワーク(というか半分趣味の暗渠巡り)もしているので、以前よりも忙しいくらい。まぁ、自分で決めたことなので仕方ありませんが。

それでもその趣味半分であちこちの川歩きをしていたことが、役立つことも多くあるので、文句は言えませんね。

先日は、中野区へ。中野区の区長選挙があったり、サンプラザをどうするかの問題もあって、いろいろと世間の注目の的になっているようですね。それにしても駅前の再開発はすごかったです。こちらは問題の中野サンプラザ。

たしか高校の友人がここで結婚式を挙げたはずですが、それから半世紀ほど経っていると思います。

中野駅前というとサンモール商店街が有名で、私が若かった頃は、中野の商店街はここしかないような感じでしたが、今やあちこちに高層ビルが建ち並んでいました。サンモールでは古本屋さんと靴屋さんにお世話になった記憶があります。

今回はそこへは行かず、中野区役所へ。伝統工芸展があったので、ちょっと覗いてみました。


その後、小じゃれた中野区役所のカフェでランチ。

今年初の冷やし中華はごまだれ味でした。美味しかったですが、多すぎた~。

館内にはこんなポスターがたくさん貼られていました。犬を中野の町のイメージにしたいということでしょうか。


そして区役所の裏側にある犬屋敷へ。
ここは徳川綱吉が「生類憐れみの令」を出してた時に、お犬様を保護した場所ですね。私は諸橋玲子さんの「犬吉」という小説でこの屋敷のことは知っていました。ストーリーは忘れましたが、面白い小説でした。
お犬様が寝そべっています。

説明板もありました。

そしてこの日のメインの幻の桃園橋へ。

こちらはかつて桃園橋があった場所の跡です。中野五叉路の近くにあった橋ですが、拡張工事のために移動したのでした。


階段状になった坂を下りますが、ここは昔は桃園川が流れていた場所です。


この先の細い道を辿って桃花小学校へ到着。

ここは移設した桃園橋が設置されているというので、以前、Cさんと一緒に出かけた小学校です。その時は学校のフェンスの外から眺めただけでした。なんとか近くで見てみたいという執念で、再度、ダメ元でトライしました。

校門に設置されているインターフォンで「桃園川を調査している者ですが、桃園橋を拝見したいのですが」というようなことを丁寧に伝えたところ、あっさりと校舎に入れてくれました。

こちらが職員室の前庭に設置されていた橋です。全体像を撮るのを忘れてしまい、残念。


こちらも並んで立っていました。

学校の方とも少しお話ができて、良かったです。

そして前回(2026年3月)にはきちんと撮影できなかった、染物屋さんもしっかりと写してきました。実は暗渠のそばには染物屋さんがある、というのが暗渠マニアでは通説になっているのです。

捜し物に出会い、ウキウキしていたところ、雨がポツポツと降ってきたので、慌てて帰りました。

が、実はこの橋に関しては、まだまだ後日談があるのでした。それは別の機会に。



2026年6月12日金曜日

調布飛行場での島嶼まつり

少し前のことになりますが、地元の調布飛行場で「島嶼まつり」があったので、出かけてきました。

我が家からは自転車で行ける距離なのですが、お天気が怪しかったので、バスに乗って行きました。このバスは、調布駅から30分に1本くらいしか出ていないバスです。

飛行場前に到着。


開場まで時間があったので、ちょっと足を延ばしてお散歩してきました。
見晴らしのよい丘がありました。

まずは戦争遺産である掩体壕。


この中に飛行機を隠して、敵の目から反らせるというのが目的のようでしたが、役に立ったのか不明です。

その先を歩いて行くと、新撰組の近藤勇のお墓がありました。


天然理心流の石碑。


龍源寺です。ここは三鷹市になります。


西調布の西光寺にある銅像と同じかしら。

今でも新撰組ファンはいるのでしょうね。

ここまで歩き、そしてまた飛行場に戻りましたが、すると、長蛇の列になっていました。

みんな買い物目当てで来ていたようです。

こちらは外にあった三宅島のお店です。お店の人ともお話できました。


屋内では物産展や、移住の相談なども行われていました。大混雑でした。


飛行機も見えました。


こちらがこの日のお買い物。

アシタバ、パッションフルーツ、ジャムを買ったら、おまけにドレッシングをいただきました。

今朝、パッションフルーツをいただきましたが、甘酸っぱくておいしくなっていました。




2026年6月10日水曜日

井草川を歩いてみた(その1)

今年は杉並区内の川を中心にあちこち歩いています。神田川や多摩川などの大きな川は分かりやすいので、あまり準備もせずに、橋巡りはスムーズに終わってしまいます。その点、あまり目立たない暗渠巡りは、ちょっと下準備が必要ですが、終わってみると充実感でいっぱいになります。

今回の井草川もそんな感じでした。

井草川は名前だけは知っていましたが、井草と井荻の区別がつかず、なんとなく田舎っぽい(失礼)ところだと思っていました。ところが井草川は始点も面白い場所にあるし、西武新宿線を渡ったり、環状八号線も近くに走り、終点は妙正寺川というところで、楽しいところでした。

この川の周辺には旧石器時代から人が住んでいたという記録があるそうです。

スタートは「切通し口」という名前のところでした。ここは青梅街道からほんの少し奥まったところにあり、現在は公園のようになっていました。


奥まで歩いて行くと、森のイメージのような道が続きました。


これはかつての川を模して作ったのでしょうか。


そして道なりに歩くと、都立杉並工科高等学校になりました。


ここの近くの案内板を見ると、こんなことが書かれていました。


「井草遺跡は上井草4丁目を中心に広がり、井草川流域の台地上に位置している、旧石器時代から江戸時代までの複合遺跡です。
 昭和15(1940)年、初めての発掘調査が行われました。この時、後に地名を冠し、「井草式土器」と命名された縄文土器群や石斧(せきふ)が発見されました。この土器群は関東ローム層(赤土)と上層(黒土)との境目付近で発見され、当時は最古の土器として注目されました。
 井草式土器は、口縁部が外に反った丸底の深鉢土器です。寄った紐を巻き付けた棒状の道具を使い、転がし押しつけた「撚糸文(よりいともん)」を、土器の縁から全面に付けるのが大きな特徴です。
 このような特徴を持つ井草式土器は、縄文時代早期前半(約9,000年前)を代表する土器型式として広く知られるようになりました。 平成30年 杉並区教育委員会」

しばらく歩くと三谷(さんや)公園になりました。


この公園は形がL字になっていました。係の方が、清掃をしたり、設備を点検していました。遊具などもいろいろありました。お散歩にもちょうどよいところだと思います。


三谷公園の中の遊歩道をしばらく歩くと、「道灌橋」というところに辿り着きました。やはり井草川が流れていたのでしょう。


かの太田道灌と関係があるのでしょうね。道灌がこの付近に陣を敷いたという伝説があるそうです。
この公園には可愛いリスの彫刻がありました。桃園川緑道にあった動物のモニュメントとも似ていました。


こんな遊具もあったので、小さな子供は喜ぶでしょうね。


しばらく遊歩道を歩きました。


次に見えたのは「上瀬戸公園」です。


こちらは金太郎さんの車止め。


近くには「瀬戸原上橋」の跡がありました。井草川に架かっていたのですね。杉並区はこのように昔の橋をちゃんと保存しているのが、素敵だと思います。


「旧井草川」と書かれた親柱も見つけました。


道路を渡って、また遊歩道が続きます。紫陽花がきれいでした。


上井草向山公園です。


ちょっとした高台に立っていました。向山とでも呼ばれていたのかもしれません。


「四の宮中橋」の跡です。昭和36年と書かれているようでした。


「四の宮森公園」


井荻駅の近くですが、緑が多いところでした。

井草川の看板がありました。


「足下の遊歩道は、昔は井草川と呼ばれる川の流路でした。井草川は上井草4丁目付近を谷頭とし、流路の北限となる井草4丁目の矢頭公園付近まで北東へ向かい、そこから東南へと流れを変え、清水3丁目で妙正寺川に注いでいました。水源から妙正寺川との合流地点まで約3.5キロの小河川でしたが、地域の生活を支える河川でもありました。

 宝永4年(1707)、下井草村名主半兵衛らの尽力により、千川上水(用水)を分水して青梅街道添いに用水が開削されました。その水を谷頭口から取り入れた井草川は田方用水として積極的に利用され、明治期まで両岸には水田が広がっていました。
 
 上の写真は昭和30年代の様子です。井草川は今に至るまで、子供達の格好の遊び場となっていました。このような井草川ですが、周辺の宅地化に伴い、暗渠化が進み、昭和56年(1981)にはすべての流路が暗渠となりました。

そして「井草川は生活の舞台となって、地域に恵みをもたらす川として多くの人々に受けつげられてきました。台地に刻まれた井草川の流れは、地域に刻んだ歴史とともに、現在は公園や遊歩道として親しまれています」

ここから西武線の北側に渡りたかったのですが、残念ながら行き止まり。ぐるっと大回りして歩くことにしました。


西武新宿線の踏切です。ここを渡って、また井草川歩きは続きます。


後半に続きます。