2026年8月15日土曜日

桃園川緑道歩き 中野坂上の巻

昨日は、あまり気温が高くならない予報でしたので、中野区の緑道を歩いて来ました。

今回はちょっと違ったコースで行きました。

まず最初は丸ノ内線の中野坂上駅で下車して、宝仙寺に行ってみました。

ここは平安時代後期、源義家によって創建された真言宗のお寺です。


ここはかつて明治時代には、中野町の役所があったところです。お寺の境内に役場があったというのは、一般庶民にとっては、お寺は馴染み深いところだったのでしょうか。

立派な石碑がありました。


こちらはおそばの臼の石塚です。


こちらはカラフルな三重塔。歴代の徳川将軍が鷹狩りのときに休憩所として利用したのだとか。一度焼けたので、建て直したそうです。

あとになって気づいたのですが、ここには中野の有力者である堀江家のお墓もあったのでした。この人のご先祖は、越後からやってきて、中野の開発を始め、地域のために貢献して、非常に力をもったそうです。

また宝仙寺には、八代将軍吉宗が呼び寄せたというベトナムの象の骨もあるとのことですが、多分、一般公開はしていないでしょう。

さて、ここは桃園川にも近いというので、お寺の人に行き方を聞いてみました。簡単に答えてくれたのですが、実際に歩いて見ると、急に「この先いきどまり」という看板が立っていて、本当に立ち往生してしまいました。スマホで場所を確かめようにも、道が書かれていないので、困りました。

するとそこに郵便配達のお兄さんが現れました。彼なら道をよく知っているはずと思い、聞いてみると、本当に詳しくご存知で、丁寧に教えていただきました。さすが郵便配達のプロですね。

またこのあたりは、明治の頃には醤油や味噌の製造をしていた工場が多くあったそうです。

山政醤油の工場跡でした。


当時のレンガです。

そしてしばらく歩くと、その辺りは宝仙村というか、大学から幼稚園まで宝仙の関係する教育機関がずらりと並んでいました。かなり有名な大学なのですね。

宝仙学園は、昭和2年、宝仙寺の50世住職によって創設されたそうです。古くからあるのですね。

そして懐かしい桃園川の金剛橋に辿り着きました。


とてもきれいに整備されていますね。


車止めもたくさん見かけました。


こちらは水位状況が分かるパネルですが、まだ故障しているようです。

そして山手通りに出ました。

この近くには中野区立図書館があるということを事前に調べておいたのですが、すぐに分かりました。新しくてきれいなビルでした。あちこちの図書館巡りも面白いです。

ここでしばらく調べ物をしていました。

帰りは大江戸線の中野坂上から乗車して、戻りました。



2026年8月12日水曜日

桃園川緑道あるき 高円寺の巻 何回目になるかな?

またまた桃園川緑道を歩いてきました。今回で何回目になるのでしょう。

(このブログは、だいぶ前の話です)

今回は復習コースです。

中央線の高円寺駅で下車して、まずは髙圓寺というお寺に行くことにしました。


大昔、高円寺駅近くに1年間だけ住んだことがありましたが、当時よく利用していたスーパーのOKも健在でした。


さて、髙圓寺は由緒正しいお寺で、ここは今までにも何回も通ったところですが、今回は桃園川との関連を調べるためにまたやって来ました。


お寺の案内板によると、髙圓寺は1555年に建てられた曹洞宗のお寺だそうです。
「高円寺」という地名はこちらの「髙圓寺」からつけれたそうです。
こちらには室町時代の阿弥陀如来像も安置されているのだとか。とても広い敷地のお寺でした。
そしてこの地にはかつて、桃の木がたくさんあったことから、「桃園」と呼ばれていたそうです。ご本尊は桃園観音と呼ばれていたそうな。
そして徳川3代将軍が、鷹狩りの時に立ち寄ったお寺としても有名です。彼が休憩したお茶室もあったとか。
またこの地はかつては「小沢村」と呼ばれていましたが、家光が「髙圓寺」に改めさせたそうです。徳川家ゆかりのお寺でもあるのですね。

環状7号線に沿った場所には「高円寺橋」の跡がありました。


ここはちょっとした広場になっていて、「高南みどり公園」というのだそうです。昭和63年というと、かれこれ40年前に作られたのですね。


正面に見えるのは、おなじみの「M」のマークのオブジェです。


緑道が緑道らしい風景になりました。


緑道の両脇には、緑の木々が続いていました。


住民が植えたのか、区役所の担当者が植えたのか、子供達が植えたのか、色とりどりの花がきれいに咲いていました。

歩いていて楽しい道でした。

しばらく歩くと、蚕糸試験場の文字が見えました。
前にお邪魔したところですね。

そしてこちらで杉並区とお別れ。

道一本隔てて、今度は中野区の管轄になりました。


2026年8月2日日曜日

喜寿のお祝い

誕生日はだいぶ前に過ぎてしまいましたが、婿さんが喜寿のお祝いをしてくれました。

恵比寿にあるディンタイフォンでした。

どういうわけか、部屋の一番奥にある、特別室のようなところに通されました。

目の前には大きな窓ガラスがあり、眼下の恵比寿駅前では盆踊りをしていました。

コース料理を予約してくれて、いろいろと楽しめましたがが、やはりここのお店はショウロウンポーですね。肉汁がジュワーッと出てきました。

デザートの杏仁豆腐もとても美味しかったです。


そしてお花までプレゼント。きれいな黄色系の花でした。

娘夫婦には中学3年の男の子と、小学5年の女の子がいるのですが、最近の学校ではどんな教科書を使っているのか、興味があったので、持ってきて貰いました。

まぁカラフルで、楽しい教科書でした。

案内役の少年少女の名前が、あまりに今風でびっくりしました。昔は太郎さん、花子さんくらいでしたよね。

こんな明るい教科書で学べるなんて幸せですね。

しっかりお勉強してくださいね。



2026年7月26日日曜日

二日続きの夏着物

このところ、あまりの暑さのため、夏着物を着る機会がありませんでした。

それでも歌舞伎を見るときくらいは、館内は冷房なのでそれほど暑くはないだろうと思い、新橋演舞場へ向かいました。

今回のお芝居はスーパー歌舞伎の「もののけ姫」でした。ストーリーはよく知りませんでしたが、実は原作者の宮崎駿さんは、私の高校の先輩でいらっしゃるので、ちょっと興味がありました。

このお話は、室町時代頃を想定しているそうですが、そうだったのですか。

主演の團子さんは、とてもお顔が小さい今風の青年でしたが、声も良く通るし、殺陣も上手だし、歌舞伎の将来を背負って行く役者さんだろうと思いました。

会場はものすごく混雑していて、びっくり。人気があるのでしょうね。

こちらは終了後に歌舞伎座の隣にある歌舞伎稲荷大明神にて。


ご一緒した粋なUさんの浴衣姿もかっこよいですね。

二日目は飯田橋にある大学の施設まで。東京都のさまざまな文書などが保管されている図書館も覗いてみました。誰でも無料で利用できるようです。

この建物はとにかく冷房がきついので、洋服では凍えそうになります。というので透けた麻の着物にしました。


帰路は九段下まで歩いて、都営大江戸線でシルバーパスにて帰宅。
このシルバーパスは、今秋からパスモと合併して利用できるようになるのですが、その手続き、お年寄り(私もそうですが)にはかなり分かりづらい説明書でした。便利になるのは良いけれど、その交換手続きがややこしいと、使えない人もいるだろうなと感じました。
ちなみに私はそのオンライン手続きを早くやりすぎたせいか、その日はすごく混雑していたせいか、まるで繋がりませんでした。しばらくして再手続きしたら、1分ほどで完了。あまり早くするのも考えものですね。


2026年7月22日水曜日

多摩川あるき

 秋に大学の某サークルでフィールド・ワークをするのですが、今度は私が担当ということになりました。時期的にまだ先の話ですが、いろいろな都合上、暑い中を下見してきました。

自分の身近な場所でよい、ということなので、やはり多摩川を選んでみました。私が大学の1年目の研究対象にした、二ヶ領用水を見てもらいたいと思ったのです。そして調布の地形を知るためには、「はけの道」が良いと思い、そのコースを考えました。

少々見づらいのですが、京王相模原線の京王多摩川駅からスタートして、緑道を歩き、そして多摩川の土手に出ました。


朝早かったので、緑道はほとんど人がいませんでした。


こちらは「彫刻のある散歩路」です。


私の好きな石に二人の少女の彫刻。

そして、市民プールの跡地のところから多摩川へ向かいました。


土手に上りました。
とても暑い日でしたが、土手をジョギングしている人もたくさんいました。面白かったのは、大木の木陰でアコーディオンを弾いているおじいさんに出会ったこと。にっこり笑って挨拶しましたが、廻りの人を気にせずに弾いていて、とても良い雰囲気の方でした。


向こう岸にうっすらと見えるのはよみうりランドの観覧車です。


こちらが二ヶ領用水の施設。川崎側からはもっとよく見えます。


堰から落ちる水は、何度見ても迫力があります。


こちらは最近できた多摩川市民広場というところ。


広々とした施設でした。


ここからは三中通りを北上しました。ここを西に戻って日活撮影所を通るというアイディアも考えられますが、現在、スタジオは見学できないようです。


そしてハケの下に着きました。
「羽毛下橋」の信号。


あまりに暑かったので、この交差点の処にあるコンビニで身体を冷やしました。

そこを東に曲がると「染地せせらぎの散歩道」になります。


なかなかきれいに手入れされていました。この東屋風の建物は、何でしょうか。


この辺り、ものすごい断崖絶壁の下になります。
和風な感じが良いですね。


ちゃんとトイレの場所も確認。


きれいな花が咲いていました。これは芙蓉かしら?


ここから北上して品川道まで歩きました。

一休みしたかったのですが、まだ早朝のため、あまりお店も開いていなくて、結局、国領駅まで歩いてしまいました。

もう少し、コースを検討してみましょう。



2026年7月21日火曜日

「源氏物語を楽しむ会」第96回報告 2026年7月 

 このところ学校の用事が重なり、なかなかブログにまで手が回らない状況です。

一緒に「源氏物語」の読書会をしているUさんが、そんな状況を見て、レポートを送ってくれました。

ちょうど私も先日の分をまとめていたところですので、二人の報告を見ていただき、想像していただくと良いかもしれません。

Uさんのまとめ

鬚黒大将は、意にそまない結婚となった玉鬘が沈んでいるし、帝や源氏も出仕させないのは不満であろうと、中断していた尚侍(ないし)としての出仕をさせることにした。代理の承香殿に局を与えられる。

正月14日の宮中儀礼、男踏歌は、帝の前(清涼殿)で足拍子を踏み、舞を舞う。その後、秋好中宮の局(梅壺)、朱雀院、東宮(梨壺)を回る。舞や歌には、内大臣の子息(玉鬘の兄弟)や鬚黒の長男も加わっている。玉鬘の局は、水駅(みずむまや)になり、一行をさけや湯漬けで饗す。鬚黒が手配している。

兵部卿宮から、恨みがましい歌が届いたところに、宮の訪れ!源氏と瓜二つなのに驚く玉鬘。

帝とは玉鬘に、深く思っていて、尚侍としての玉鬘に三位(紫色の礼服を許す)を与えたのに、と歌をみかけるが、玉鬘はその格別のはからいに感謝する歌を返す。鬚黒は一刻も早く玉鬘を自邸に連れて帰りたい、と気が気でない。

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私の訳(林望、玉上琢彌訳を参照)

もろもろの事が続き、憂鬱になった玉鬘の様子を見て、鬚黒は年が明けてから彼女を参内させました。

今年は宮中で男踏歌(おとことうか)が行われる年でした。源氏や内大臣、鬚黒大将、内大臣の公達達も集まりました。玉鬘の局は承香殿の東面でした。宮中は華やかで優雅な様子でした。また秋好む中宮、弘徽殿女御、式部の卿の宮女御、などがいずれも妍を競っていて、風情豊かなようすでした。誰もが美しく装い、また御殿の御簾の下から見える袖口の重なり具合も非常に風情がありました。

まず帝、中宮、朱雀院と次々に廻って夜が更けました。朝が明けると、内大臣の息子達は酔いがまわっていました。まだ童の八郎気味はとても可愛らしくて、とても大事に育てられている様子でした。

玉鬘も六条院で鬱々と過ごすよりも、こうした晴れ晴れとした宮中で過ごしたいと思うのでした。

大将は一日に何度も玉鬘の元へ手紙を渡していました。鬚黒にしてみれば、玉鬘が宮中を気に入ってしまうのを恐れていたのです。

また兵部卿の宮も、玉鬘へ懸想文を送りました。玉鬘はそれを見て、嫌な気持ちになりました。ちょうどそのとき、宮がお出ましになりました。月が明るくて、帝のお顔はなんともいえないほど美しく、源氏の大臣にそっくりでした。しかし玉鬘は帝の思いやりがうっとうしくなり、黙ってしまうのでした。彼女は、好意のあるようなそぶりはすまい。男と女の中は面倒なものだと思うのでした。


2種類の解説があると、なんとなく分かったような気分になりました。

それにしてもモテモテの玉鬘さん、美人は美人なりに苦労があるのですね。