2026年9月29日火曜日

「源氏物語を楽しむ会」第98回 2026年9月

今回の「楽しむ会」は「梅枝」(うめがえ)の巻でした。

        (土佐光則「梅枝」 宇治市源氏物語ミュージアムより)

平安時代の貴族にとって、香の調合は社交の場で必要な教養でもありました。そのため、王朝文学には香に関する記述が多く見られ、「源氏物語」や「枕草子」にも登場します。

今回の「梅枝」では、光源氏の娘である明石の姫君が裳着の祝いをするため、嫁入り道具のひとつとして薫物を作る場面が登場しました。

この時代は、様々な香を焚いて楽しんだり、衣服に香を移したりするのがメインだったようで、いわゆる「香道」(香を聞く)という楽しみは江戸時代になってからの事だそうです。

私も以前、一度か二度、「源氏香(の入門編)」を体験したことがありますが、簡単に言えば5種類の香を当てて、その組み合わせを源氏物語の巻名に割り当てる一種のゲームですが、非常に難しい遊びでした。

今回の「梅枝」の中では、美しいもの、珍しいもの、海外からの貢ぎ物などがたくさん登場します。香壺を入れる箱、香炉、中国からの渡来品、敷物、高麗人が献上した綾織物など、さぞ美しいものばかりだったと思われます。

また2月の庭に咲く花も、紅梅、白梅、荷葉(かよう 蓮の葉のこと)などが登場して、非常に美しい場面が続きました。

このように貴族の生活は美しいもの、異国からの珍しいものに囲まれて、とても優雅なものでしたが、さて、庶民たちの暮らしはどうだったのでしょう。路上で亡くなってしまう人も多かったという話も聞きます。源氏物語はそのようなことには一切触れませんが、時代背景を考えるのも必要であると思いました。



2026年9月25日金曜日

百花繚乱→佐竹商店街→柳橋

この日のコースはかなりハードでした。というのも大学の友達と一緒に歩いたので、いろんな趣味と研究材料を詰め込んだためでした。

まずは上野の東京都美術館で絵画鑑賞。創立100周年だそうです。

大英博物館に行ってしまった日本を代表する浮世絵などが一斉にお里帰り。ということで、開場は超満員でした。

連休明けの平日の朝早く行きましたが、入場するまで40分待ち。チケットを購入するための行列も30分待ちとのことでした。私たちは事前に学割でチケットを購入していたので、かなりお得でしたが。

こちらは待ち時間の間に撮影した巨大ポスター。

こちらの襖絵は撮影OKの絵画でしたが、ものすごく混雑していて、4枚のうち、これしか写せませんでした。本当に激混み!


こちらは観覧終了後、記念撮影コーナーにて。

美術展の後は、上野のパンダ橋を越えて、新御徒町方面へ。佐竹商店街を目指しました。

佐竹商店街というのは昔ながらの商店街ですが、友人がこの辺りのことを研究対象としているので、そのお付き合いで行ってみましたが、歴史探偵になったようで面白いところでした。地元の人にあれこれインタビューをしたり、商店街の理事長さんに、貴重な地図を見せていただいたりしました。

ふくろうが商店街のトレードマークでした。


ちょっと人が少なくて、寂しい感じの商店街。定休日だったのかもしれません。


かつてここには案内板があり、そこを目指してきたのですが、工事中のため、見当たらず。
大きな建物がありましたが老朽化したので、現在は取り壊し作業中でした。


佐竹商店街は、都内で2番目に古い商店街だそうですが、かつて江戸時代には秋田藩・佐竹氏のお屋敷があったところです。こちらは江戸時代の風景。目の前に堀があったことが分かります。


三味線堀という堀でした。その水は不忍池から流れてきて、そして鳥越川を伝って隅田川に流れていたそうです。お堀の水が満々としていますね。

当時、水路は物流運搬のメインでした。米などの食糧、建築資材などを運搬していたのだろうと思いました。

その水路跡を歩いてみました。

下り坂を歩いていると、この先に水路があったのだろうと気づきました。

途中にあった鳥越神社。こちらは裏門でした。


鳥越神社は、1350年以上の歴史がある古い神社だそうです。
厄除け、安産、子育て、商売繁盛、出世開運と、私にはちょっとご縁のないところかも。
広い境内には、福寿神社という神社もありました。


この橋を渡ると境内になります。


こちらは鳥越神社の正面。


もうひと踏ん張りして神田川に沿って歩くことにしました。

こちらは私の好きな橋、神田川に架かる柳橋です。この緑色と、カーブの具合が気にいっているのです。

柳橋のたもとで。

こちらは橋の傍にある風流な船宿。


この後も馬喰横山まで歩きました。

さすがに疲れましたが、いろいろと収穫ができて良かったです。

だいたいのルートです。




2026年9月21日月曜日

「江戸の三大改革」→「リア王」

先日、まずは飯田橋にある大学キャンパスで、江戸時代のお勉強でした。

江戸の三大改革といわれる享保の改革、寛政の改革、天保の改革という3つの政治改革について学びました。ただし、こういう改革があっても、いわゆる庶民にどのような影響が及んだのかは、よく分かりません。節約をせよとか、年貢がアップしたとか、出稼ぎ者には田舎へ帰れとか、領地を取り上げたり、といろいろな政策を行いましたが、締めつけが多くなって庶民の生活は実際はどのように変化したのでしょうね。やはり不満が多くなったのでしょうね。

次回は来年の冬に、幕末のお話になるようです。ただし、私は幕末はどうも苦手。いろいろな人物が登場して、よく分かりません。

その後は、キャンパス仲間とおしゃべりをして、新橋演舞場へ。

「リア王」の観劇でした。

歌舞伎役者の中村芝翫さんがリア王に扮した劇でしたが、もちろん土台はシェイクスピアのお話です。この方は16世紀から17世紀にかけて生きた方ですが、今回の舞台は役者さんは室町時代のような衣装を着て、演じていました。室町時代というと14世紀から16世紀くらいで、シェイクスピアよりは昔でしょうか。

「リア王」は3人娘が登場する話、くらいの認識しかありませんでしたが、かなり込み入ったお話でした。また衣装も凝っていましたが舞台装置も凝っていましたね。

迫力満点の舞台でした。

中村芝翫さんというと、私には先代のイメージが強くて、今の芝翫さんは三田寛子の旦那さんという印象が強いですね。それでもリア王を見て、すごい役者さんだったのだと思いました。膨大な台詞を堂々と発する姿は、普通の役者さんではなかなかできないと思うのですが、さすがに歌舞伎の舞台で鍛えていたためだと思いました。

彼の迫力に比べると、若い役者さんはやはり軽い感じでした。私は花道のすぐ隣に座っていたのですが、若い役者さんが白の下着姿一枚で通るのを見ましたが、あまりに体が貧弱で、その肉体を見るのは忍びない感じでした。

それと長女役の松下由樹さんは、堂々としていましたね。衣装のせいかもしれませんが、なんとなく皇后雅子さんのような雰囲気でした。

とにかく上演時間も長いし、終演後にはトークショーがあり、劇場には4時間以上滞在していましたので、さすがに疲れました。

見ているだけでも疲れたので、ほんとに役者さんは大変だと思いましたね。

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この日の装い。

雨は降らないと予想して、久しぶりに着物にしました。

英(はなぶさ)のポリの着物です。


先日、中野で買った黒いレースの千円羽織。





2026年9月20日日曜日

千川上水あるき

 このところ雨模様の日々が続いていますが、たまたま晴れ間の見えた朝、千川上水あるきを思い立ちました。

京王線で芦花公園まで行って、そこからバスで中央線の荻窪駅まで。そして荻窪駅北口からバスに乗って青梅街道の水道端というところで下車しました。ここから千川上水の開渠が始まります。

千川上水というのは、かの有名な玉川上水の分水で、6つある上水の一つです。

今から330年前にできた古い水路です。もともとは小石川や本郷、浅草方面へ上水として給水する予定でしたが、その後、農業用水としても利用されてきました。ただし途中、中止になったり復活したりという水路です。

この千川上水にはいくつもの分水があり、つまりそれらはみな玉川上水の孫やひ孫といった存在です。私の研究対象である桃園川も、かつてはこの千川上水から水をもらっていました。

こちらはスタート場所の水道端バス停。


こんな道を歩いて行きました。水路が見えました。


最初の橋は竹下橋。まだ農家が残っています。


お次は久山橋。

お次は田中橋。この辺りはずっと練馬区です。


上水は割と浅めでした。玉川上水はとても深くて怖い感じがしますが、こちらは万が一、落ちても助かりそうです。


北は武蔵関駅、南は吉祥寺駅という標識がありました。
分かりやすいですね。取水口まで4.5キロと書かれていましたが、ちょっと遠いな。


このあたりは、彼岸花が満開でした。
こちらは紅白が揃っていたところ。


赤い彼岸花に、黒い蝶がやってきました。
パタパタと動き回るので、なかなか写すのに苦労しました。
実はこのとき、そばにカラスもいたので、ヒヤヒヤしながらの撮影でした。


お次は吉祥寺橋。


ここは練馬区と武蔵野市の分かれ目になっています。

東北浦橋。


桂橋。


北裏橋。


千川上水慈雲堂なんとか碑でした。近くに慈雲堂病院というのがありました。慈雲堂というのは、日蓮宗の僧侶の精神に基づいて作られた精神科の病院だそうなので、それと関連しているのかもしれません。


こちらは千川上水全体の案内図です。練馬区と武蔵野市、西東京市の境を流れています。


こちらは公園というよりも、広場というか、通路というか、細長い道でした。


近くに「庚申塔」があるようでしたが、こちらは「更新橋」


こちらは庚申塔。この案内板を見ると、更新橋には庚申塔が立っていたのです。ややこしい。この庚申塔は、250年ほど前に建てられたそうです。吉祥寺村と練馬の村が共同で建てたそうです。


このあたりの様子。穏やかな雰囲気の所でした。

西窪橋。

関前橋ももう少しです。

名前が不明の黄色い橋。子供が喜びそう。


三郡橋。


武蔵野市、西東京市、練馬区の境にあるそうです。


この先は、NTTの大きな施設が続いていました。
青梅街道も近くて、かなり交通量が多いところでした。

関前橋に到着。
なんとなく周囲の雰囲気に見覚えがあると思いましたが、昨年、関前新田を歩いていたときに出あったところでした。そういえば武蔵野の博物館の展示に、「関前新田では千川上水の水を利用していた」とあったことを思い出しました。
なるほど、このあたりのことを説明していたのですね。


ここは交通の要所で、吉祥寺行きや三鷹行きのバスも通るところです。
傍のベンチに座ってちょっと休憩しました。


この先、頑張って歩こうかと思いましたが、ここから先は、バスで何回か通過したところなので、またの機会に歩くことにしました。
ここをずっと歩くと、境橋になり、そこで玉川上水から分水されたのです。

ということで今回は荻窪経由、バスと徒歩、吉祥寺までのバス、という経路で歩いてきました。

やはりどんな川でも橋でも、自分の目で見ると違いますね。千川上水はもう少し広い幅のところだと思っていましたが、意外とこじんまりとしていて、可愛らしい上水でした。
こんな上水を6つも作ってしまうなんて、江戸時代の人の技術はすごかったのだなと改めで感じました。




2026年9月17日木曜日

またまた つくばへ

大学の友人達と一緒に、つくばの国土地理院へ出かけました。

つくば詣は3回目になります。

今回は暗渠友達のCさんも一緒。というのも今回は「昭和100年 国土地理院の測量と地図」というイベントが開催されていたので、地図好きのCさんを誘ったのです。

まずは秋葉原からつくばエクスプレスに乗って、「研究学園駅」で下車。ここからバスで10分ほど行くと、国土地理院に到着です。

地図展はなかなかワクワクする催しでした。古い地図がたくさんあって、感激しました。

入館料は無料です。

とくに貴重だったのは、天皇が代替わりするときに発行されたという特別な地図でした。

大正天皇、昭和天皇、平成天皇、令和天皇の御即位記念に作られた地図ですが、東京や京都の美しい地図が描かれていました。そんな地図が作られていたなんて、初めて知りました。

また私の父が生まれ育った上野の昔の町名が残る地図も、間近に見られて感動しました。

ここにはお土産屋さんがあるのですが、今回は「関東大震災図」というクリアファイルを購入。大正12年の地震で、どの地域が火災に遭ったかということが一目瞭然に分かる地図です。あまり縁起が良いモノではありませんが、東京中が被災したことがよく分かりました。

あれこれ見学して、お昼は前回と同様、「ばんどう太郎」というお店に入りました。ここはおそば、うどん、寿司などがすごく大盛りで提供されるお店です。食べきれないので、「ミニセット」というのを注文しましたが、それでもカツ丼とおそばでお腹いっぱいになりました。


食後に、お店の前で記念撮影。

地理院で写すのを忘れました。

あれこれ楽しんで、夕方には帰宅。

ちょっとした出張気分になりました。