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2026年8月26日水曜日

中野鍋屋横丁から桃園川緑道 &「着物千円」

桃園川繋がりであちこち歩いています。

その川(現在は暗渠)には「慈眼寺橋」というのがあるのですが、なんだか妙な名前なので気になっていました。「じげんじ」と読むのだそうですが、この名前のお寺はあちこちにあるのだとか。お経に「慈しみの眼で人々を見る」という意味があるのだそうです。以前にもその橋跡は見たのですが、もう一度確認のため、出かけてきました。

まずは丸ノ内線の新中野駅で降りました。駅からはほんの数分なのですが、どうも方向を間違ってしまったようで、鍋屋横丁を行ったり来たりしました。


鍋屋横丁の由来が書かれた石碑もありました。
新井薬師や妙法寺にお参りするときに通る道だったようです。


鍋屋横丁辺りは庶民的な町でした。

ようやく慈眼寺を探しました。
真言宗の寺院だそうです。室町時代の天文13年(1544)に創建されたとか。
こちらが入口。


境内にはピカピカの仏舎利塔が見えました。境内に入る門が閉まっていたので、扉の隙間から写しました。金ぴかで、日本のお寺ではないような雰囲気でした。


そこから鎌倉街道と言われる道を歩いて、桃園川の「三味線橋」へ。ここは以前にも通りましたが、もう一度寄ってみました。


まだ昔の橋の跡が残っていますね。桃園川は、今は暗渠になっています。


橋の名前の由来も書かれていました。


昭和35年に作られたそうです。今から66年前です。


この日はとても暑くて、これ以上あちこち歩くとバテると思い、中野図書館で休憩することにしました。
その図書館は紅葉山という小高い丘の上にあります。
とても広大な公園でした。

紅葉山公園内には図書館と文化ホールがあり、とても立派な施設でした。
ここは中野区による東京百年記念事業の一環として作られたものだそうです。
「紅葉山」の名前の通り、秋には紅葉が美しい所のようです。


お庭には池もありました。


図書館で資料をコピーして、涼んでいました。

その後は中野駅近くのマルイへ。
ちょうど写真展をしていました。


こちらは大正13年の桃園小学校。


やはり大正時代の桃園町。まるで田舎でしたね。


昭和11年、中野にオープンしたマルイ。


懐かしい写真がたくさんありました。
マルイは中野とは縁の深いところなのですね。

マルイの中で「着物千円」というイベントをしていました。
開店前に行ったのに、会場前にはものすごい人が並んでいました。

着物や帯はたくさんありましたが、寸法がまるで書いてないので、それでは困りますよね。メジャーは持参しましたが、やはり寸法は大事です。
それに試着もほとんどできない状況でした。
ということで着物は諦めて、黒のレースの羽織をチョイスしました。「伊勢丹製」ということでしたので、悪いモノではなさそうですが。


とはいえ、この暑さ、これから着る機会があるでしょうか。

この日のルート。




2024年8月22日木曜日

東急蒲田~京急蒲田へ 北糀谷で墓発見!

だいぶ日にちが空いてしまいましたが、大田区の下丸子へ行った日▼の続きです。

この時は早朝に家を出たので、武蔵新田の駅に着いた時は、まだ9時前でした。

そのまま帰宅してしまうのはもったいないと思い、蒲田駅行きの電車に乗りました。

蒲田は何回か来たちじりですが、東急、JR、京急が走っています。とはいえ、東急蒲田から京急蒲田までは800メートルほど距離があるのです。


まずは純粋に、呑川の橋巡りをしました。
最初は菖蒲橋(あやめばし)です。


江戸時代から明治にかけて、この周辺は菖蒲でいっぱいだったそうです。かつて菖蒲園があったところは、現在は小学校になっているそうです。


こちらはかつての蒲田橋。親柱が置いてありました。


昭和5年と書かれていますね。


川に沿って気楽に橋歩きをしましたが、暑かったですね。
こちらは「仲之橋」


「柳橋」


立派な橋でしたよ。


「弾上橋」。
ここまで来ると京急蒲田駅はすぐそこです。アヤメがきれいです。


橋の隣には、かつての蒲田の様子が描かれていましたが、本当に田園でのんびりとしたところのようでした。


行方弾正さんという方のお住まいが近くだったのですね。
戦国時代の人だそうです。後北条氏の家臣として仕えていました。
天正18年、豊臣秀吉が小田原城を攻めたときに、討ち死にしたそうです。


さてここからは呑川の左岸を歩きました。
めざす場所までGoogleマップを頼りに歩きました。


「逢来橋歩道橋」


「北糀谷橋」
おしゃれなデザインの橋でした。


ようやくこの日の目的地に到着。


駐車場の隅っこに追いやられていたのは、小泉次大夫一族の墓です。
かなりの数がありますね。
ここは小泉次大夫が用水を作った功績のため、徳川家康から賜った土地です。そこに小泉家の人たちが眠っているのです。400年前の事実がまだ続いているのです。

暑い中、頑張って歩いて来て良かったです。

さてここからどうやって帰ろうかと思いましたが、今更、蒲田まで戻るのはきつい。どこか大通りへ出て、バスで戻ろうと思いました。
近くを自転車で配達していた郵便局の人に尋ねて、バス停まで行きました。
何行きでもかまわないので、来たバスに乗りました。
ここから「平和島」までシルバーパスで乗りました。
そして京急と都営大江戸線を乗り継ぎ、ようやく自宅に戻りました。

この日は呑川に沿って歩きました。