2024年8月22日木曜日

東急蒲田~京急蒲田へ 北糀谷で墓発見!

だいぶ日にちが空いてしまいましたが、大田区の下丸子へ行った日▼の続きです。

この時は早朝に家を出たので、武蔵新田の駅に着いた時は、まだ9時前でした。

そのまま帰宅してしまうのはもったいないと思い、蒲田駅行きの電車に乗りました。

蒲田は何回か来たちじりですが、東急、JR、京急が走っています。とはいえ、東急蒲田から京急蒲田までは800メートルほど距離があるのです。


まずは純粋に、呑川の橋巡りをしました。
最初は菖蒲橋(あやめばし)です。


江戸時代から明治にかけて、この周辺は菖蒲でいっぱいだったそうです。かつて菖蒲園があったところは、現在は小学校になっているそうです。


こちらはかつての蒲田橋。親柱が置いてありました。


昭和5年と書かれていますね。


川に沿って気楽に橋歩きをしましたが、暑かったですね。
こちらは「仲之橋」


「柳橋」


立派な橋でしたよ。


「弾上橋」。
ここまで来ると京急蒲田駅はすぐそこです。アヤメがきれいです。


橋の隣には、かつての蒲田の様子が描かれていましたが、本当に田園でのんびりとしたところのようでした。


行方弾正さんという方のお住まいが近くだったのですね。
戦国時代の人だそうです。後北条氏の家臣として仕えていました。
天正18年、豊臣秀吉が小田原城を攻めたときに、討ち死にしたそうです。


さてここからは呑川の左岸を歩きました。
めざす場所までGoogleマップを頼りに歩きました。


「逢来橋歩道橋」


「北糀谷橋」
おしゃれなデザインの橋でした。


ようやくこの日の目的地に到着。


駐車場の隅っこに追いやられていたのは、小泉次大夫一族の墓です。
かなりの数がありますね。
ここは小泉次大夫が用水を作った功績のため、徳川家康から賜った土地です。そこに小泉家の人たちが眠っているのです。400年前の事実がまだ続いているのです。

暑い中、頑張って歩いて来て良かったです。

さてここからどうやって帰ろうかと思いましたが、今更、蒲田まで戻るのはきつい。どこか大通りへ出て、バスで戻ろうと思いました。
近くを自転車で配達していた郵便局の人に尋ねて、バス停まで行きました。
何行きでもかまわないので、来たバスに乗りました。
ここから「平和島」までシルバーパスで乗りました。
そして京急と都営大江戸線を乗り継ぎ、ようやく自宅に戻りました。

この日は呑川に沿って歩きました。









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