先日、練馬区石神井公園にあるふるさと文化館に行ってきました。
こちらの「水を守る」展覧会で、学芸員さんの解説を聞くためでした。
千川上水というのは、玉川上水の分水です。かつてはその取水口の境橋から巣鴨まで約22キロが開渠でした。つまり川の流れが見えていたのです。
その後の部分である巣鴨から浅草寺までの約10キロは、木樋といって土の中の管を通って流れていました。
木樋はこのようなものでした。
開場では、その千川上水の流れをパネルにして表わしていました。背景の地図は時代がさまざまで、最古は元禄時代、最近は昭和27年までの地図でしたが、それらをうまくつなぎ合わせてありました。
下の地図を見ると、千川上水は東大赤門付近、巣鴨とげ抜き地蔵、浅草橋、合羽橋付近、湯島天神などを通っていたことが分かります。
下の地図を見ると、千川上水は東大赤門付近、巣鴨とげ抜き地蔵、浅草橋、合羽橋付近、湯島天神などを通っていたことが分かります。
こちらは当時の測量の道具です。
またこの展示会には、江戸時代~明治までの千川家の仕事内容なども説明されていました。
千川家では、水を守るために、農民などからは「水料米」といってお米を受け取っていました。一種の管理費というか手数料だったのかもしれません。一反(10アール)について米3升(5.4㍑)を水料として千川家に差し出しました。これが高かったのか妥当だったのかは、よく分かりませんが。
それにしても代々、同じ仕事を引き継ぐというのは大変だったと思います。
こちらは千川上水の恩恵を受けた地域です。すごい広範囲でしたね。
玉川上水の恩恵がこんなにあったのですね。


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