2021年12月26日日曜日

駒場東大前から空川の暗渠を辿る

目黒区駒場にある日本民藝館に行った後は、空川(そらかわ)という暗渠を歩いてみようと思いました。

駒場東大前の駅にはこんな看板も出ていたので、どうしても行ってみたいと思ったのです。

空川というのは、東大の校舎とは井の頭線を挟んで反対側にある駒場野公園の中にある池などが水源だという川です。この川は目黒川に続いているとか。

井の頭線の踏切のすぐ際に、公園の入口がありました。

暖かい時期なら、駒場野公園内を散歩してもよかったのですが、なにせ12月の風が吹いていて、あまりのんびりと歩く雰囲気ではなかったので、門を撮影しただけ。

駒場野公園の周囲は明治時代には駒場農学校があったそうで、ドイツ人のケルネルさんが基礎を築いたという「ケルネル田んぼ」と呼ばれる田んぼが今でもあります。

駒場東大前の駅前です。


商店街には細い曲がった道が続いていましたが、これがかつての川だったのでしょうね。

ただしここが川だったと気づく人は少ないでしょう。

駅から続く商店街をどんどんと東方向へ歩いていきましたが、聖徳寺のあたりで道路工事にぶつかってしまいました。


お寺の前から、日本工業大学の中高校あたりまでは、ずっと工事中で、細い道にトラクターや工事関係車両がたくさん集まっていて、そこを通らせてもらうだけでも大変でした。


その道こそが、たぶん空川だったと思える細い坂道で、なんとももったいない思いをしました。緑色のフェンスの先まで行ってみたかったのですが。


ここはかなりの坂道になっていました。


道路には工事関係者がかなり多かったので、その道の風景を写すのは難しく、少し離れたところから写しただけです。

ずんずん歩いていくと、淡島通りという広い道に出てしまいました。道路の反対側には都立駒場高校が見えました。ここは井の頭線の線路の方よりもかなり高い土地になっていました。

また低い土地の方へ戻りました。駒場児童遊園です。


ただし暗渠がこんなに広い道のはずはないと思い、また戻ったりしていると、暗渠らしいものが見えてきました。急な下り坂やゆるい上り坂もありました。

とはいえ、緑のフェンスが続いていて、中に入ることはできませんでした。この先を覗いてみたかったのですが。

あちこちフラフラと歩きまわりました。こちらは目黒区立駒場保育園。


この近くは、かなり土地の高低差があり、その低いところに川が流れていたのではないかと思えました。

その後また広い通り(淡島通り)に出ていくと、ここはバスが通っているのですが、こんな標識が見えました。
渋谷が近いようです。


少し歩くと、松見坂下のバス停でした。


なんとなく気になって、近づいてみると、道路の下にはかつての川らしき細い道が見えました。


この下をくぐっていけば何かありそうな予感がしたのです。

はい、ありました!
松見坂地蔵尊です。

石碑には、なんと明治32年という文字が刻まれていました。


お地蔵さんがマスクをしているところをみると、どなたかがお世話をしているのでしょうね。


百年以上昔のものなのでした。坂の下にあるので、普通の人は気づかない場所です。

それでも明治時代には信仰の対象だったところだと思います。

このお地蔵さんは、今回の収穫でした。

空川そのものは見失いましたが、古いものを発見できてラッキーでした。

ここから南へ歩くと、大坂口分水というところに繋がっているようです。ちなみにそこは三田用水と合流しているところのようです。

こちらは松見坂の交差点です。右側に見えるのが山手通りです。


そして山手通りを北の方へ進み、かなり歩いて、神泉駅に到着しました。

空川そのものは確認できませんでしたが、細いくねくね道や断崖も発見できたので、まずは満足しました。

後でネットで調べてみると、このあたりは226事件の首謀者が潜んでいた場所だということが分かりました。今から80年以上昔の事件ですが、なんだか身近に感じられました。

そういえば、母は226事件のとき、女学生だった頃ですが、雪の日の事件だったと話していました。渋谷の学校に通っていたので、この事件のことをよく覚えていたのかもしれませんね。

この日の大まかな足取りです。

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「一日一句」

暗渠にて いにしえ思う 年の暮れ


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