2021年12月17日金曜日

旧京王線を歩いてみた《その2 ルート》

さて、旧京王線を歩くプチ・ツアーの出発は調布銀座でした。かつての調布駅はこの地にあったということです。

旧京王線は、京王電気軌道株式会社が大正2年(1913年)に笹塚〜調布間(12.2キロ)を開通させました。新宿まで開通したのは、その2年後の大正4年(1915年)でした。

そのころ、調布に住んでいた人たちは、普通はどこへ行くにも徒歩で行ったそうです。ときには人力車や乗合馬車を利用する人もいたそうですが、電車が登場して、どんなに驚いたことでしょう。

現在、東京近辺には多くの私鉄が走っていますが、営業キロ数で見ると、京王線は約84キロと、一番短距離だそうです。

ちなみに小田急線は約120キロ、一番長い東武線は463キロも走っているのだとか。

距離は短いですが、京王線は、都心の新宿と多摩地域を走る私鉄として、私たちの生活と深く結びついていますね。

さて、調布銀座の向かいにある「てつみち」のフェンスにかかっていたのは、昔の調布駅の風景でした。いつ頃の景色でしょうね。プラットホームが低くて、路面電車のような感じでした。

この近くにあるたばこ屋さんの傍には、かつての調布駅の跡がわかるコンクリートがあったそうですが、京王線の地下化工事の際に撤去されたのか、今回は残念ながら確認が取れませんでした。

調布銀座を後にして、地下化される以前の京王線の跡をブラブラと歩いて、旧甲州街道にある常性寺(じょうしょうじ)へ。

ここは真言宗のお寺で、成田山長楽院常性寺というのだそうです。「調布七福神」の一つであり、布袋尊がまつられています。


昔の布田駅はこの近く、旧甲州街道沿いにあったということですが、その痕跡は分かりませんでした。

ちなみに旧京王線の他の駅(調布、国領、柴崎、金子、仙川)は大正2年に開通されていますが、布田駅だけは大正6年に開業されています。

ここは「調布不動尊」として知られていて、そのためこの一帯が「不動通り商店街」と呼ばれていることに納得しました。

お寺の近くで、ちょっと不思議な一角を見つけました。それは他の建物とは明らかに方向が異なって建っているマンションの塀でした。ここだけ斜めになっていたのです。

ガイド役のAさんの説明によると、これは昔の京王線の線路との区切りであるらしいとのことでした。確かに塀の際には、とても古そうな頑丈な石が埋め込んでありました。

100年前の遺跡でしょうか。面白いですね!

そして甲州街道のスバルのところから、脇道に入りました。

住宅街をくねくねと歩くと、八雲台のあたりでまたも不思議な敷地を発見。そこだけ他とは明らかに違う方向の、細い直線の敷地でした。これも旧京王線の線路跡だろうということです。

普段、何気なく歩いている道も、隠された歴史があるのですね。

そしてその近くに「北浦」の標識がありました。これを見たかったのです!

昔の国領駅の跡です。

現在、国領駅と呼ばれている駅は、旧京王線では今よりももっと北にあり、一時的に「北浦」と呼ばれていたのです。

標識の脇に路線図も描かれていましたが、あまり目立ちませんね。こちらは「北浦」ではなくて「国領」でと書かれていました。

この標識が、いつ設置されたのか分かりません。できたら設置年を記載してもらいたかったです。

その後は野川方面に向いました。近くには「細田橋児童遊園」という小さな公園がありました。

そういえば今年の5月に野川沿いを散歩した時、細田橋を通った記憶がありました。

橋の集合写真の右上が「ほそだはし」です。

こちらの真っ直ぐの道も、旧京王線の線路跡のようです。左にテニスコートがありました。正面には現在の国領駅前のビル(あくろすが入っている建物)が見えました。

近くには、旧京王線の線路に使われたと思われる石の塊や、手すりのようなものもあり、ひょっとすると関連があるかもしれませんが、戦前のものが残っているかどうかは不明です。

そして少し歩くと、ありました!

調布七中の構内に「元京王電車ここを通る」の記念碑です。


当時は「京王電気軌道」という名前でした。その軌道敷跡が矢印で示されていました。


ここから野川沿いに歩いていきました。春には、桜並木が美しいところです。


七中の裏のほうに、こんな標識がありました。

「停留所 あっちこっち」

昔は駅のことを「停留所」と呼んでいたのですね。


その後は野川の「中島橋」を渡りました。上にある橋の集合写真にも入っています。

現在の野川は広々としていて、川の水もゆったりと流れていますが、百年前の京王線が渡ったのはどんな橋だったのでしょうね?

このあたりは住宅と農地が点在しているところでした。

こちらの農地とのフェンスも非常に鋭角で、京王線の線路跡と思われます。写真ではわかりにくいかもしれませんが、他の区切りとはまるで違っていました。

こんなふうに、歩いているだけで昔の風景を偲ぶことができるのでした。

途中、かつての柴崎駅と思われる建物を通りました。今はアパートになっていますが、ちょうどその大きさが駅のプラットホームにぴったりのところでした。

柴崎駅は、当時は深大寺に近い駅として、参拝客の便利のために作られたのではないかという説もあるようです。

その後は現在の甲州街道を歩きました。「柴崎駅入口」の信号を通過したところで、トイレ休憩を兼ねて「キテラタウン」へ。

ここは昔は「クロスガーデン」と呼ばれていたショッピングセンターで、その前はジーンズ屋さんがあったような気がしますが、違ったかしら。

せっかくなので屋上の駐車場まで登ってみると、目の前に大きな富士山が迫ってきて、嬉しかったですね。

手前に見えるのは、調布自動車学校の車です。

ここからは、今歩いてきた道がくっきりと見えたのです。

目を凝らすと、右手には現在の調布駅前にあるパルコの丸い建物が見えました。

下の写真も屋上からの風景です。現在、交番があるところの近くを旧京王線が走っていたようです。

キテラタウンの屋上は、いつまでもずっと眺めていたい場所でしたが、つつじヶ丘を目指して、また甲州街道を歩きました。

この辺りは、100年前はきっと農家がほとんどではなかったでしょうか。田んぼに使った用水の跡などが残っているようです。

こちらは何に使われたのか分かりませんが、橋の一部のようでした。かなり古めかしいものでした。

その後、つつじヶ丘駅の前身である「金子」駅を探してみましたが、はっきりとした跡は分かりませんでした。ちなみに「つつじヶ丘」と名前が変わったのは、昭和32年(1957年)のことだそうです。

仙川まで歩こうと思いましたが、上り坂があるということで、今回はつつじヶ丘で終了。

京王線の駅まで戻りました。

調布駅からつつじヶ丘駅まで、およそ1万歩、4.5キロほどの小さな旅でした。

私は熱心な鉄道マニアではないので、今回の記録は鉄道ファンには物足りないかもしれません。でも長年住み慣れた地元の歴史を、実際に歩いてみたのは、貴重な体験でした。

こちらは10年くらい前の調布市の観光地図です。まだ京王線が地上を走っていた頃のものです。

今回のウォーキングルートを水色で表示してみました。あまり正確ではありませんが、こんなところを歩きました。

またの機会を楽しみにしています。

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参考資料

■京王の電車/バス開業100周年年表

■「俺の居場所」多摩地域周辺のまちづくりと日々のできごとを綴るブログ 《京王線仙川〜調布駅間の旧線跡をたどる》2017年

■「京王線井の頭線沿線の不思議と謎」岡島建著 実業之日本社 2015年

■調布市生活文化スポーツ部文化生涯学習課 地域デビュー「調布再発見」《調布と京王線》

■「京王沿線の近現代史」専修大学 永江雅和 2018年

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「一日一句」

のんびりと 師走の町を さぁ探検


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