「桃園川緑道あるき 2回目」というタイトルですが、実は「1回目」はまだアップしていません。すいませんが、2回目からのスタートとなります。
先週、暗渠マニアのCさんと一緒に桃園川緑道の1回目をしましたが、けっこうボリュームがありました。それで最初は簡単な東中野編から書いてみることにしました。
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まずはJR東中野駅で下車。こちらがその駅のマークです。
そして太い道路(山手通り)を南下して、まずは氷川神社へ。というのも1回目のラストが「宮下交差点」だったので、その「宮」である氷川神社を探してみました。
なかなか広い敷地で立派な神社でした。
説明によると、この神社は旧中野村の鎮守社で、1030年に埼玉の大宮神社から勧請したそうです。応仁年間(15世紀)には、社殿を改築したといわれているので、かなり古い神社ですね。
江戸時代には淀橋、下宿、西町、仲宿、打越、囲、原という氏子があり、それぞれの地区の幟や提灯の美を競い、獅子舞や相撲、力石持ち上げ比べなども行われていたそうです。
そこから少し下ると、宮下交差点。
歩道橋が見えますが、桃園川に架かる「宮下橋」はありませんでした。撤去されてしまったのでしょうか。
こちらが桃園川緑道の入口です。
歩いてすぐのところに中野区立塔山小学校がありました。日の丸が立っていましたが、どうやらこの日は卒業式だったようです。桜もきれいに咲いていて、良い日になりましたね。
その先には江戸時代の「中野三重塔」の風景画がありました。
緑道は少しずつ区切られていましたが、ただ石やポールなどが立っているだけで、橋の名前がないところもいくつかありました。
ひょっとすると、こちらは立田橋と関係するものかもしれません。
こちらは名前が分かる戸井橋。道路工事をしていました。
「小淀橋」。
とても小さな橋名版でした。
フェンスの柄はセンスがありました。
次は「田替橋」。たがえはし、というのだそうです。田圃を替えたのでしょうか。
ラストは「末広橋」。ここで神田川と合流します。
カメラマンが神田川を撮影していました。
この川の近くには南こうせつの「神田川」の歌碑がありました。1973年(昭和48年)の作品だそうです。もうあれから半世紀以上、経っているのですね。大ヒット曲でした。
そこから少し北上しましたが、道が狭いというか、曲がっているというか、分かりにくいところでした。
「第六天神」という神社がありました。























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