2026年1月31日土曜日

郷土博物館 1 杉並区本館

杉並区の郷土博物館は本館と分館の二つあります。

本館は、大宮八幡の近くにありますが、永福町と高円寺の中間にあり、ちょっと不便なところです。

博物館に出かけたのは2回目でした。

その前に、大宮八幡にお参り。ここには何回か来ていますが、今回は西永福から歩いてきました。

大きな鳥居をくぐります。


この日は、ちょうど成人の日だったので、晴れ着姿のお嬢さんがお参りにきていました。

この神社には水神が祀られていました。


なかなか立派な神社でした。
ここでおみくじを引いたら、なんと大吉でした。ラッキー!

まっすぐ伸びる竹林が美しいところでした。

ここから善福寺川にかかる宮下橋を通りました。

お次は大宮橋。

この橋を渡り、善福寺川に沿って歩くと、郷土博物館があります。

この建物は、愛新覚羅浩さん(満州国皇帝溥儀の弟の溥傑の妻)が、結婚式を挙げたとき、この本館があった場所から式場までお嫁入りをしたというので、確認してきました。

当時、この博物館は浩さんのおじいさまのお屋敷だったのでした。

その名残はこの庭石にありました。

「旧嵯峨侯爵庭石」と書かれていました。

彼女は「流転の王妃」として有名な方ですが、本当に運命に翻弄された人生を送った方でした。

またもう一つ見たいものがありました。それは新堀用水のこと。天保の時代、桃園川に水が少なくなってしまったので、善福寺川の水を入れるために、用水を作ったのだそうです。

学芸員さんに説明していただきました。

以下は展示の説明文より

「農業生産を行う上で、用水の確保は死活問題です。

天沼弁天池を水源とする桃園川は、高円寺村、馬橋村、中野村にとって重要な灌漑用水でしたが、水量が少なく、灌漑には雨水を頼ることも多い状況でした。

天保年間には日照りが続いたこともあり、天保11年(1840)には3つの村の名主が協議し、水量の多い善福寺川から桃園川へ引水する用水路の建設を幕府へ願い出ました。

馬橋村名主の大谷助次郎が請負人となり、大工の川島銀蔵が設計したこの新堀用水は、田端村広場堰から取り入れて、成宗弁天池を中継し、台地の尾根筋を通る青梅街道を地下トンネルで通して、桃園川へ流し込むものでした。

翌年には土手崩壊などのため、一部流路が変更されますが、総計2キロ以上におよぶ大工事によって3つの村は干魃からのがれることができました。」

阿佐ヶ谷辺りに中野村、高円寺村、馬橋村三ヶ村用水祈念碑というのがあるそうです。近いうちに出かけてみます。

こんど桃園川緑道も歩いてみたいですね。







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