また、お隣の狛江市にある水神社に行ってみました。自転車なら10分程度の近いところにあります。
そして六郷用水を作った小泉次太夫が合祀されている神社です。
由来が書かれていました。
その後、1597年に多摩川の洪水を鎮めるために水神社が建てられたそうです。
また、別の石碑の裏側には、今までは気づかなかったのですが、「東京府荏原郡六郷用水普通水理(?)組合」という文字がありました。
管理者と常任員の名前が刻まれていました。
明治時代のものでしょうか。
やはりこのあたりでも六郷用水と呼ばれていたのですね。
そして水神社のすぐ近くには、用水の取り入れ口の絵があります。
小舟に乗って、のどかな風景ですね。
六郷用水の取水工事が始まった年と、水神社が建てられた年が同じですが、やはり関係があると思います。
また、洪水が起きた場所を取水口に選んだというのは、どのような理由だったのでしょう。
六郷地区、現在の太田区の水田や畑を潤すためならば、取水口はもっと南のほうでも良かったのに、と思ってしまいました。
多摩川の土手に立つと、はるか向こうには山々の姿が見えます。玉川上水はあちらから流れてきたのでしょうね。
私が歩いていた青梅線の福生あたりは見えるでしょうか。
この神社は元々は平安時代、宇多天皇の御代に府中の大國魂神社から分かれて作られたそうです。
こちらの神社は、水神社と内容が重複しますが、かつては現在、水神社がある場所にありました。
ところが1550年に多摩川が氾濫して、神社は流されてしまったので、川から内側に入った現在の場所に移されました。
つまり、水神社はもとの伊豆美神社のあった場所なのですね。
こちらの境内は鬱蒼として森のようでした。昼でもかなり薄暗いところでした。
古い石造の鳥居がありました。和泉村の領主の三男から寄贈されたものだそうで、市内で最古の石造鳥居だそうです。
こちらが正面になります。
平日の午後でしたが、お参りに来ていた人もちらほらいました。
私はそれほど信仰心はありませんが、やはり長い時間、ずっと存在し続けたというのは、この神社は土地の人達の拠り所だったのでしょう。
神社の後は、自転車で用水跡らしき場所をあちこちサイクリングしました。
こちらは狛江リサイクルセンターの近くです。
このあたりにも用水があったと思いますの。
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