「神代植物公園 その1」▼の続きです。
菊とダリアを見た後は、バラ園に足を向けました。
神代植物公園のバラはけっこう有名です。
春と秋の年2回、バラフェスタが開かれています。
今はアプリをダウンロードして、9色のバラの花を写すと、何かプレゼントが貰えるようですよ。
バラ園には立派なカメラを持ったシニアが、たくさんいました。
私はスマホで写しましたが、まぁまぁでしょうか。
黄色いバラたち。
ピンクのバラたち。
やはり、バラは花の女王ですね。
でも、この日は快晴すぎて、花の色が飛んでしまうほどでした。
この地域には噴水もあります。
時間によって、噴水の形が変わるようです。
バラ園には「バラのソフトアイス」というのがありました。
一口食べると、薔薇の香りが・・・・
でもちょっと安い香水のような匂いでしたね。
アイスはおいしかったですが。
バラ園で、通りすがりの人に写真を写してもらいました。
お天気がだんだん良くなってきたので、羽織を着ていると、暑いくらいでした。
この後は植物園を出て、深大寺の方へ歩いて行きました。
2017年10月31日火曜日
2017年10月30日月曜日
神代植物公園 その1
先日、よく晴れた日に、私の住んでいる市の名所の一つである「神代植物公園」▼に行きました。
ここは、京王線の調布とつつじヶ丘の中間あたりにある、都立の公園です。
武蔵野の面影が残り、四季を通して美しい草花が見られます。
シニアは、半額の250円で入園できます。
子どもが小さいころから、しょっちゅう通っていました。
今回はバラとダリアを目当てにして出かけました。
その前に、入り口にあった菊展から。
可愛い黄色の菊。
あまり日本風でない菊もありました。
つんつんした花びら。
懸崖も豪華でした。
お次はダリア園です。
ちょっと季節が過ぎてしまったようですが、まだまだ艶やかな姿を残していました。
立派なカメラを持ったおじさまがわんさかと来園していました。
ビロードのような花びらです。
白いダリアもきれいでした。
ダリアはキク科ということなので、似ていますね。
可愛いダリア。
お天気が良すぎて、お花の色が飛んでしまうほどでした。
バラ園はまたこんど。
******
この日の装い。
えんじ色に青緑の模様の紬にしました。
ちょっと昭和レトロな感じですね。
このところ、あまり着ていなかったので、虫干しを兼ねて着てみました。
帯も同じような地色の花柄の木綿です。
八王子の坂本呉服店で見つけました。
帯揚げと帯締めをトルコブルーにして、刺し色にしてみました。
ここは、京王線の調布とつつじヶ丘の中間あたりにある、都立の公園です。
武蔵野の面影が残り、四季を通して美しい草花が見られます。
シニアは、半額の250円で入園できます。
子どもが小さいころから、しょっちゅう通っていました。
今回はバラとダリアを目当てにして出かけました。
その前に、入り口にあった菊展から。
可愛い黄色の菊。
あまり日本風でない菊もありました。
つんつんした花びら。
懸崖も豪華でした。
お次はダリア園です。
ちょっと季節が過ぎてしまったようですが、まだまだ艶やかな姿を残していました。
立派なカメラを持ったおじさまがわんさかと来園していました。
ビロードのような花びらです。
白いダリアもきれいでした。
ダリアはキク科ということなので、似ていますね。
可愛いダリア。
お天気が良すぎて、お花の色が飛んでしまうほどでした。
バラ園はまたこんど。
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この日の装い。
えんじ色に青緑の模様の紬にしました。
ちょっと昭和レトロな感じですね。
このところ、あまり着ていなかったので、虫干しを兼ねて着てみました。
帯も同じような地色の花柄の木綿です。
八王子の坂本呉服店で見つけました。
帯揚げと帯締めをトルコブルーにして、刺し色にしてみました。
2017年10月29日日曜日
鉄道史研究家の講演@高校同窓会
ちょうど先週の台風襲来の日、高校の同窓会が杉並区にある母校で開催されました。
私はたまたま同期の幹事役となっていたので、出席することとなりました。
懐かしい並木道。
ここは卒業以来半世紀が過ぎても、変わることのない風景でした。
この高校は戦前に創立されていて、80年近い歴史のある学校です。
校門を入ってみると、校庭は水浸しになってしまい、滝のように流れているところもありました。
ヨレヨレになって歩きましたよ。
まずはホールに集まって、みんなで校歌を歌いました。
金田一京助作詞、山田耕作作曲のとても難しい歌でしたが、覚えているものですね。
その後は総会。
そして、私と同期だった方の講演会がありました。
「鉄道遺産が物語るもの」というお話でした。
講師は、高校教師などを経て、現在は鉄道史研究家という方でした。
当時は多くの生徒がいたので、クラスが違うと、ほとんど誰が誰だか分からない状況で、
この方もまるで知らない方でした。
彼は、高校生時代から鉄道研究会の部員で、かなりの鉄道オタクだったようです。
お話はとても面白くて、講演時間が足りないほどでした。
主に東京西部地域における鉄道の歴史を、昔懐かしい写真と共に語ってくれました。
明治20年に、甲武鉄道というのがスタートしたそうです。
その後、日本鉄道、西武線、小田急線、井の頭線などが次々に走り出しました。
私が子供のころから乗っていた中央線、そして現在利用している京王線のあれこれが話題だったので、引き込まれるように聴きました。
大正2年(1913年)に作られた京王線は、初めは笹塚と調布の間を走っていましたが、その後、新宿まで延びたのですが、その頃の新宿駅は、現在の伊勢丹のあたりにあったのだそうです。
それが戦後、現在の新宿西口に移動したのだとか。
またうちの近所にある京王閣は、今は競輪場ですが、以前は一大レジャーランドで、動物園や植物園、プールなどもあったそうです。
また「武蔵中央電気鉄道」という環状の鉄道も作る大計画があったそうです。
幻の電車でした。
他にも面白いお話をたくさん伺いました。
詳しい内容は、同級生のカンカンのブログ▼をご覧ください。
写真と共に説明がされています。
その後は、場所を移して、立食パーティ。
150名くらいの参加者があったそうですが、会場は満員でした。
もう誰が誰だか分からず、先生と生徒の差もありませんでした。
ノンアルコールビール、サンドイッチ、お寿司で乾杯。
私たちの同期が、いちばん参加者が多かったかしら。
実は私たちのクラスは、また11月にクラス会の予定があるのですが、それでも8名ほどの方が集まりました。
お世話をしていただいた同窓会事務局や評議員のみなさま、どうもありがとうございました。
******
この日の装い。
台風なので、濡れても大丈夫な東レシルック着物。
これにナイロンの腰巻(二部式雨コートの下のみ)を巻き付けて、長靴を履いて出かけました。
母校の校庭はまるで湖のようになっていたので、長靴で正解でした。
草履を持参しましたが、会場ではスリッパの用意があったので、草履は不用でした。
帯はタイシルクの帯。
着物も帯も「ゆめこもん」さんで選んだものです。
着物で来ていたのは私だけでした。
帰宅したら、着物はすぐに洗濯機へ。
それが、洗える着物の良さですね。
私はたまたま同期の幹事役となっていたので、出席することとなりました。
懐かしい並木道。
ここは卒業以来半世紀が過ぎても、変わることのない風景でした。
この高校は戦前に創立されていて、80年近い歴史のある学校です。
校門を入ってみると、校庭は水浸しになってしまい、滝のように流れているところもありました。
ヨレヨレになって歩きましたよ。
まずはホールに集まって、みんなで校歌を歌いました。
金田一京助作詞、山田耕作作曲のとても難しい歌でしたが、覚えているものですね。
その後は総会。
そして、私と同期だった方の講演会がありました。
「鉄道遺産が物語るもの」というお話でした。
講師は、高校教師などを経て、現在は鉄道史研究家という方でした。
当時は多くの生徒がいたので、クラスが違うと、ほとんど誰が誰だか分からない状況で、
この方もまるで知らない方でした。
彼は、高校生時代から鉄道研究会の部員で、かなりの鉄道オタクだったようです。
お話はとても面白くて、講演時間が足りないほどでした。
主に東京西部地域における鉄道の歴史を、昔懐かしい写真と共に語ってくれました。
明治20年に、甲武鉄道というのがスタートしたそうです。
その後、日本鉄道、西武線、小田急線、井の頭線などが次々に走り出しました。
私が子供のころから乗っていた中央線、そして現在利用している京王線のあれこれが話題だったので、引き込まれるように聴きました。
大正2年(1913年)に作られた京王線は、初めは笹塚と調布の間を走っていましたが、その後、新宿まで延びたのですが、その頃の新宿駅は、現在の伊勢丹のあたりにあったのだそうです。
それが戦後、現在の新宿西口に移動したのだとか。
またうちの近所にある京王閣は、今は競輪場ですが、以前は一大レジャーランドで、動物園や植物園、プールなどもあったそうです。
また「武蔵中央電気鉄道」という環状の鉄道も作る大計画があったそうです。
幻の電車でした。
他にも面白いお話をたくさん伺いました。
詳しい内容は、同級生のカンカンのブログ▼をご覧ください。
写真と共に説明がされています。
その後は、場所を移して、立食パーティ。
150名くらいの参加者があったそうですが、会場は満員でした。
もう誰が誰だか分からず、先生と生徒の差もありませんでした。
ノンアルコールビール、サンドイッチ、お寿司で乾杯。
私たちの同期が、いちばん参加者が多かったかしら。
実は私たちのクラスは、また11月にクラス会の予定があるのですが、それでも8名ほどの方が集まりました。
お世話をしていただいた同窓会事務局や評議員のみなさま、どうもありがとうございました。
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この日の装い。
台風なので、濡れても大丈夫な東レシルック着物。
これにナイロンの腰巻(二部式雨コートの下のみ)を巻き付けて、長靴を履いて出かけました。
母校の校庭はまるで湖のようになっていたので、長靴で正解でした。
草履を持参しましたが、会場ではスリッパの用意があったので、草履は不用でした。
帯はタイシルクの帯。
着物も帯も「ゆめこもん」さんで選んだものです。
着物で来ていたのは私だけでした。
帰宅したら、着物はすぐに洗濯機へ。
それが、洗える着物の良さですね。
2017年10月28日土曜日
ビーズ帯締め完成!
先日、「キモノEXPO」でビーズの帯締めを習ってきましたが▼、時間内に出来上がりませんでした。
それで、頑張って続きを家でやってみました。
その成果です。
ようやく出来上がりました!
上に置いてあるのは、余ったビーズです。
ちょいとクネクネしていますが、こうやって銀色の三分紐に縫い付けてしまえば分かりません。
老眼の身で、よく頑張りました。
自分をほめてあげたい。
さて、どの帯にしようかしら?
ほんとうに不器用な私ですが、なんとかできました。
それにしても、肩が凝りました。
それで、頑張って続きを家でやってみました。
その成果です。
ようやく出来上がりました!
上に置いてあるのは、余ったビーズです。
ちょいとクネクネしていますが、こうやって銀色の三分紐に縫い付けてしまえば分かりません。
老眼の身で、よく頑張りました。
自分をほめてあげたい。
さて、どの帯にしようかしら?
ほんとうに不器用な私ですが、なんとかできました。
それにしても、肩が凝りました。
2017年10月27日金曜日
地元で映画「ミックス」
私たちの住んでいる町に、先月末、新しい映画館ができました。
「シアタス調布」▼といって、なんと全部で11ものスクリーンがあるそうです。
ということで、久しぶりに映画を見てきました。
どうせ見るなら、楽しい映画が良いと思って、「ミックス」▼にしました。
ダメなスポーツチームが、みごとによみがえるという、よくあるパターンの映画です。
それに恋愛がからんだロマンチック・コメディ路線の映画でした。
主演は新垣結衣という女の子でした。
名前は聞いたことがありましたが、見たのは初めて。すらりとした女性でした。
相手役は瑛太。私の好きなタイプです。
元ボクサーの役で、引き締まった肉体が、かっこよかったです。
この二人が卓球の混合ダブルスを組むというお話です。
ほかにもいろいろなタレントさんが出ていました。
ダサいおばさん役の人が出ていて、どこかで見たことがあると思ったら、なんと広末涼子でした。びっくり。でもセレブ妻の場面では、とてもきれいでしたが。
映画の中では、タレントさんたちのプレイ、卓球のポーズはサマになっていたと思いました。
たぶん特撮でしょうが、試合のシーンは楽しめました。
いつも選手が集まる中華料理屋の中国人が、実は中国では卓球がすごい強い選手だったという場面は、爆笑モノでした。
現役の卓球選手もちらりと登場して楽しませてくれましたよ。
水谷隼選手をはじめ、石川佳純選手、伊藤美誠選手なども出ていました。
それほど期待してみた映画ではありませんでしたが、結構楽しめました。
こういうジャンルは、ラブコメというようですね。
ちなみに私たちの町は「映画の町」というキャッチフレーズがあります。
この日は、お客さんはパラパラとしかいませんでした。
「映画の町」にふさわしい町になれるでしょうか。
映画館は建物の2階にあり、1階はレストランが入っていましたが、そこはどこも混んでいたようでした。
*******
この日の装い。
年若い着物ともだちから、「着物交換会」で譲ってもらったウールの着物です。
なんと私で4代目なのだとか?
帯は千円の無地の帯に、幅広レースを貼り付けたもの。
ご近所を歩くには、ちょうどよい組み合わせでした。
「シアタス調布」▼といって、なんと全部で11ものスクリーンがあるそうです。
ということで、久しぶりに映画を見てきました。
ダメなスポーツチームが、みごとによみがえるという、よくあるパターンの映画です。
それに恋愛がからんだロマンチック・コメディ路線の映画でした。
主演は新垣結衣という女の子でした。
名前は聞いたことがありましたが、見たのは初めて。すらりとした女性でした。
相手役は瑛太。私の好きなタイプです。
元ボクサーの役で、引き締まった肉体が、かっこよかったです。
この二人が卓球の混合ダブルスを組むというお話です。
ほかにもいろいろなタレントさんが出ていました。
ダサいおばさん役の人が出ていて、どこかで見たことがあると思ったら、なんと広末涼子でした。びっくり。でもセレブ妻の場面では、とてもきれいでしたが。
映画の中では、タレントさんたちのプレイ、卓球のポーズはサマになっていたと思いました。
たぶん特撮でしょうが、試合のシーンは楽しめました。
いつも選手が集まる中華料理屋の中国人が、実は中国では卓球がすごい強い選手だったという場面は、爆笑モノでした。
現役の卓球選手もちらりと登場して楽しませてくれましたよ。
水谷隼選手をはじめ、石川佳純選手、伊藤美誠選手なども出ていました。
それほど期待してみた映画ではありませんでしたが、結構楽しめました。
こういうジャンルは、ラブコメというようですね。
この日は、お客さんはパラパラとしかいませんでした。
「映画の町」にふさわしい町になれるでしょうか。
映画館は建物の2階にあり、1階はレストランが入っていましたが、そこはどこも混んでいたようでした。
*******
この日の装い。
年若い着物ともだちから、「着物交換会」で譲ってもらったウールの着物です。
なんと私で4代目なのだとか?
帯は千円の無地の帯に、幅広レースを貼り付けたもの。
ご近所を歩くには、ちょうどよい組み合わせでした。
2017年10月26日木曜日
都立高校公開講座 2 雨の文学散歩
「都立高校公開講座 1」▼の続きです。
下の地図、ちょっと見づらくてすいません。
赤い線が、今回私たちが歩くコースです。
中央線の荻窪駅の北側を通り、阿佐ヶ谷まで行く予定です。
さて、都立六本木高校から荻窪まで着いた私たちは、雨の中、青梅街道を歩き出しました。
この辺りは、私もかつては良く歩いた道ですが、周囲の風景はまるで違ってしまっていました。
こぎれいなお店が並んでいて、びっくり。
杉並公会堂もガラス張りのきれいな建物になっていました。
そして四面道の少し手前で、右側に折れました。
太宰治が昭和12年6月から13年9月まで住んでいた「鎌滝」という下宿の跡を見つけました。
朝から晩まで、彼の友人たちがいつもここに集まっていたそうです。
現在はこんな洒落たアパートになっていました。
この近くには井伏鱒二が住んでいた家が残っていました。
昭和2年から平成5年に亡くなるまで、ここに住んでいたそうです。
そこは清水町にあたるので、井伏鱒二は「清水町の先生」と呼ばれたそうです。
現在は、親戚の方が住んでいるようでした。
この近くには天沼教会▼があります。
井伏鱒二はこの教会で密葬されました。
ここの隣にはキリスト教の理念に基づいた東京衛生病院▼があります。
井伏鱒二の奥さんは、こちらの病院に入院していました。
この辺りは教会通りと呼ばれていて、太宰治や徳川夢声なども住んでいたそうです。
もう少し歩くと、天沼八幡神社がありました。
ここは井伏鱒二の散歩道コースだったようです。
この近くには天沼弁天池公園がありますが、ここはもともとは八幡神社の敷地だったそうです。
かつては池があったそうですが、現在は枯渇してしまっています。
この「弁天池」が「天沼」の名前の由来とされているのだとか。
現在は、杉並区郷土博物館が併設されています。
この辺りは完全な住宅街ですが、時々面白いものが残っていました。
これはなんだったか、忘れてしまいましたが、この隣には「東京市」と彫られた石碑も立っていました。
近くには上林暁という小説家の家もありました。
現在はかなり古くなっていて、蔦の絡まる家でした。
そして賑やかな道を通って、阿佐ヶ谷駅北口まで近づきました。
アーケードの中を歩きます。
西荻窪の雰囲気と似ていますね。
こちらは現在はイトーヨーカ堂がありますが、かつては「ピノチオ」という中華料理屋さんがあり、井伏鱒二を初めとして、文学者たちが多く集ったところだったそうです。
昭和31年まで営業されていたそうですが、今は跡形もありません。
終点が見えてきました。
阿佐ヶ谷駅は、土日は快速が止まらず、ちょっと不便な駅です。
私は阿佐ヶ谷というと、南口のパールセンターの七夕を思い出しますが、北口も面白いところでした。
案内していただいた六本木高校の先生たちに感謝いたします。
この日は雨降りでしたので、さすがに着物はやめて、こんな格好で歩きました。
次回は林芙美子の家がある中井を散策予定です。
その時は晴れてほしいですね。
下の地図、ちょっと見づらくてすいません。
赤い線が、今回私たちが歩くコースです。
中央線の荻窪駅の北側を通り、阿佐ヶ谷まで行く予定です。
さて、都立六本木高校から荻窪まで着いた私たちは、雨の中、青梅街道を歩き出しました。
この辺りは、私もかつては良く歩いた道ですが、周囲の風景はまるで違ってしまっていました。
こぎれいなお店が並んでいて、びっくり。
杉並公会堂もガラス張りのきれいな建物になっていました。
そして四面道の少し手前で、右側に折れました。
太宰治が昭和12年6月から13年9月まで住んでいた「鎌滝」という下宿の跡を見つけました。
朝から晩まで、彼の友人たちがいつもここに集まっていたそうです。
現在はこんな洒落たアパートになっていました。
この近くには井伏鱒二が住んでいた家が残っていました。
昭和2年から平成5年に亡くなるまで、ここに住んでいたそうです。
そこは清水町にあたるので、井伏鱒二は「清水町の先生」と呼ばれたそうです。
現在は、親戚の方が住んでいるようでした。
この近くには天沼教会▼があります。
井伏鱒二はこの教会で密葬されました。
ここの隣にはキリスト教の理念に基づいた東京衛生病院▼があります。
井伏鱒二の奥さんは、こちらの病院に入院していました。
この辺りは教会通りと呼ばれていて、太宰治や徳川夢声なども住んでいたそうです。
もう少し歩くと、天沼八幡神社がありました。
ここは井伏鱒二の散歩道コースだったようです。
この近くには天沼弁天池公園がありますが、ここはもともとは八幡神社の敷地だったそうです。
かつては池があったそうですが、現在は枯渇してしまっています。
この「弁天池」が「天沼」の名前の由来とされているのだとか。
現在は、杉並区郷土博物館が併設されています。
この辺りは完全な住宅街ですが、時々面白いものが残っていました。
これはなんだったか、忘れてしまいましたが、この隣には「東京市」と彫られた石碑も立っていました。
近くには上林暁という小説家の家もありました。
現在はかなり古くなっていて、蔦の絡まる家でした。
アーケードの中を歩きます。
西荻窪の雰囲気と似ていますね。
こちらは現在はイトーヨーカ堂がありますが、かつては「ピノチオ」という中華料理屋さんがあり、井伏鱒二を初めとして、文学者たちが多く集ったところだったそうです。
昭和31年まで営業されていたそうですが、今は跡形もありません。
終点が見えてきました。
阿佐ヶ谷駅は、土日は快速が止まらず、ちょっと不便な駅です。
私は阿佐ヶ谷というと、南口のパールセンターの七夕を思い出しますが、北口も面白いところでした。
案内していただいた六本木高校の先生たちに感謝いたします。
この日は雨降りでしたので、さすがに着物はやめて、こんな格好で歩きました。
次回は林芙美子の家がある中井を散策予定です。
その時は晴れてほしいですね。
2017年10月25日水曜日
キモノEXPO2017
秋は着物関連の展示会が、あちこちでたくさん開かれますね。
先日は、「銀座いち利」▼が主催している「キモノEXPO2017」▼にお邪魔しました。
メルサの6階で開かれましたが、この会場は迷路のようになっていて、とても広いところでした。
素敵な着物のコーディネートや、オシャレなコートや鞄などが展示されていました。
いろいろなワークショップも用意されていました。
つまみ細工、羽織紐作り、帯留作り等々。
私はたまたま目にしたビーズ帯締めのワークショップに参加してみました。
本当は事前予約が必要だったようですが、空きがあったので、入れてもらいました。
こちらは、材料のビーズセットです。
3色のビーズが用意されていましたが、どれも素敵で目移りがして、どれを選ぶかで、かなり時間がかかってしまいました。
生徒は6人ほどいたと思いますが、私が一番出来の悪い生徒でした。
というのも、ビーズがキラキラ光っていて、糸(テグス)を通す穴が全然見えないのです。
老眼には厳しい作業でした。
やり始めて、すぐに後悔しましたよ。
こちらは早く出来上がった方の作品です。
これを三分紐に縫い付けて使用します。
私も頑張って2時間くらい根をつめて作業しましたが、半分しかできませんでした。
おまけにくねくねとしています。
ホントに下手ですね。
がっくりしましたが、そのうち家で続きを作るつもりです。
ずっと下を向いていたので、疲れた顔をしていますね。
あると便利なお土産をいただきました。
「着付けクリップ」です。
私は洗濯ばさみで代用していたのですが、あると助かりますね。
いやはや、手作りはなんとも疲れるものです。
先日は、「銀座いち利」▼が主催している「キモノEXPO2017」▼にお邪魔しました。
メルサの6階で開かれましたが、この会場は迷路のようになっていて、とても広いところでした。
素敵な着物のコーディネートや、オシャレなコートや鞄などが展示されていました。
いろいろなワークショップも用意されていました。
つまみ細工、羽織紐作り、帯留作り等々。
私はたまたま目にしたビーズ帯締めのワークショップに参加してみました。
本当は事前予約が必要だったようですが、空きがあったので、入れてもらいました。
こちらは、材料のビーズセットです。
3色のビーズが用意されていましたが、どれも素敵で目移りがして、どれを選ぶかで、かなり時間がかかってしまいました。
生徒は6人ほどいたと思いますが、私が一番出来の悪い生徒でした。
というのも、ビーズがキラキラ光っていて、糸(テグス)を通す穴が全然見えないのです。
老眼には厳しい作業でした。
やり始めて、すぐに後悔しましたよ。
こちらは早く出来上がった方の作品です。
これを三分紐に縫い付けて使用します。
私も頑張って2時間くらい根をつめて作業しましたが、半分しかできませんでした。
おまけにくねくねとしています。
ホントに下手ですね。
がっくりしましたが、そのうち家で続きを作るつもりです。
ずっと下を向いていたので、疲れた顔をしていますね。
あると便利なお土産をいただきました。
「着付けクリップ」です。
私は洗濯ばさみで代用していたのですが、あると助かりますね。
いやはや、手作りはなんとも疲れるものです。
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