2010年2月28日日曜日

「炎上」

一挙に100本上映という「雷蔵祭」は終わってしまったけれど、最近、私はTSUTAYAでDVDを借りてきて、雷蔵さんの映像に感動しています。

「炎上」は金閣寺放火という実話をもとにした三島由紀夫の小説「金閣寺」を題材にした映画です。


これは1958年に市川昆監督、和田夏十脚本で作られたそうですが、なんといっても凄いのが、あの美しい雷蔵さんが坊主頭で、どもりの役をしていることです。

それまでの雷蔵さんは、源氏物語の匂宮や弁天小僧のようにきれいでかっこいい役が多かったのに、素顔で現代劇に登場して、おまけにどもりの役をするとは、どれほど決心がいったことでしょう。26歳の時の作品だそうですけれど、たとえば今なら、妻夫木聡とか小栗旬とかのようなイケメン俳優がそんな役をしたら、ファンも大騒ぎだろうと想像できますよね。

この映画はモノクロで、舞台もほとんどがお寺の中、という地味な映画ですけれど、雷蔵さんの訥々とした無口な演技に引き込まれました。

そういえば、雷蔵さんの嫌味な友人役でギョロ目で足の悪い青年が登場するのですが、これがなんと若き日の仲代達也。驚きましたね。いつものお相手役の中村玉緒さんも売春婦役で出ています。


時代劇で白塗りの二枚目役を演じつつも、現代劇でリアルな青年を演じるという雷蔵さんの姿勢は、後の「破戒」での部落出身者の役に続くのだと思います。

どもりの青年修行僧は美しすぎるお寺を自分だけのものにしたいと思ったのか、彼の周りにいる世俗にまみれた坊さんに抵抗したいと思ったのか、放火という犯行になるのですが、そのあたりの理由ははっきり分かりません。しかし、美しいお寺を放火してしまうというのは、現代のうっ屈と先の見えない世の中で、たとえば秋葉原で無差別殺人をしてしまったり、何の縁もない人を傷つけてしまうような人間がいる、というのと通じるところがあるのかもしれません。


この青年は最後には捕まってしまい、護送される汽車から飛び降りて死んでしまいます。そこで「終」というエンドマークが出るのですが、見終わってもしばらくは茫然としてしまいました。

2010年2月27日土曜日

湯島天神で小唄を味わう

さてJRのお茶の水駅から湯島聖堂、神田明神と歩いてきて、湯島天神に着きました。

天神様といえば梅の名所として有名。


「湯島天神梅まつり」のホームページはこちらをご覧下さい。境内には300本くらいの梅の木があるそうですよ。

そう、泉鏡花の「婦系図」の中で、芸者のお蔦さんと学者の卵である主税さんは、この湯島の白梅のところで別れたのでしょうか。「月は晴れても心は闇だ」というセリフが有名ですよね。

ということで、湯島天神には平日でもたくさんの人が梅を見にきていました。


境内には屋台が出たり、猿回しもあったり、いろいろなお土産も売っていました。


お庭には梅の花びらが散っていて、福寿草も咲いていました。


私は参集殿というところで行われる「若宮弾き初め会」という小唄の発表会に入ってみました。

この会は若宮三千代さんという小唄のお師匠さんが主宰していて、そこのお弟子さんたちのおさらい会でした。
ですからもちろん上手な人もいますが、それほどでもない人も舞台に上がってて、そういう人の演奏を見るのも参考になりました。


つまり上手な人というのは、三味線を弾く時に、目はまっすぐ前を向いているのですけれど、それほどでもない人は、弾く場所の自信がないため、ときどき、目が左手に行ってしまい、それが煩わしいのです。
おまけのこの会では、暗譜をしないで、楽譜を見ながら弾いていたので、顔が下を向いたり、左を向いたりで、それはやはり美しくないと思いました。

私の三味線の先生は、弾く時は目で指を追わないようにと言うので、私も左手を見ないようにしていますけれど、やはり初めからそういう癖をつけておいたほうが、いいのだなと思いました。

みなさん着物姿で、大学の邦楽クラブの人や、かなり年配の方も出演していました。

さすがにお師匠さんは素敵でしたね。三味線も上手ですが、声にものすごく艶があって、うっとりしました。


私は小唄というのはあまり知らないのですけれど、「梅は咲いたか、桜はまだかいな」とか「東京音頭」など知っている曲があると嬉しいものです。

それに長唄とちがって、三味線をバチなしで素手で弾くのも面白かったですね。つまびく、といった感じで、これならお座敷でもさっとできそう。

唄と三味線、お囃子、それに日本舞踊もあって、けっこう楽しめましたよ。

この写真の左端の人がお師匠さんです。貫禄ありますよね。私と同じ年の方のようですが、ずっと年上の雰囲気がありました。


江戸情緒がたっぷり味わえた湯島天神でした。

2010年2月26日金曜日

お茶の水から湯島へ

お茶の水は、私の10代から20代のころにご縁があった懐かしいところです。

ここはお茶の水の駅のすぐそばにある聖橋(ひじりばし)の上から見た風景。あちらに見えるのはお茶の水橋です。


湯島聖堂とニコライ堂という聖なる場所の間にあるので、聖橋と名付けられたそうですよ。

テレビの「JIN」で写っていたCGシーンはこのあたりでしょうか?

昔はここから出るバスに乗って仕事場まで行っていましたが、今はバス路線は廃止されたようでした。

近くに湯島聖堂があります。

ここは徳川五代将軍の綱吉が儒学振興のために建てたものだそうです。
そしてその後、昌平校となったところだそうです。


お茶の水の駅は何回も利用していたのに、ここへは一度も入ったことがありませんでした。


屋根の上には立派な彫刻がありました。

ここは孔子様がまつられているようです。


こちらは湯島聖堂の梅。


孔子にあやかってか、絵馬がたくさんありました。


もうちょっと歩くと、商売繁盛で有名な神田明神につきます。


ここは、新年に企業の人がよくお参りするところで、ニュースにも登場するところです。


そこの先の坂を登ったり下ったりしてもう少し歩くと、湯島天神です。

湯島聖堂の巻は、またね。

2010年2月25日木曜日

足の手術を受けます

左足の外反母趾がひどくなってきて、たまたま「外反母趾を治す名医」というのをTVで見て、その名医に診察してもらうまで、3ヶ月くらい時間がたちましたが、ようやくそのお医者さんに診察してもらうことができました。

本当なら紹介状がないとだめなのだけれど、○○大学病院まで行きました。5000円支払えば紹介状がなくても診察してくれるのです。

最初に行ったのは去年の11月だったかしら。そのときはレントゲンを撮っただけ。

2回目は別の整形のお医者さんでしたが、「これは●●先生でないと手術ができない」と言われ、そしてその先生の予約を取りました。

そして今日、●●先生に診てもらうことになったのだけれど、朝9時ごろに病院に着いたのに、43番の番号で、ずーっと待合室待っていて、診察室に入ったのは午後1時ごろでした。持っていった本を2冊も読み終えてしまいました。

看護婦さんに聞いたら、この先生、お昼休みも取らずにいつも夕方まで診察をするのですって。

それで●●先生に診ていただいて、秋に手術を受ける予約をしてきました。

手術自体は短時間で終わるそうですけれど、でも手術の後はあまりお出かけすることもできず、2か月ぐらいは満員電車に乗ってはだめ、運動もだめと言われました。でも、このまま放っておいたらもっと外反母趾が進むと思い、決断しました。

私の場合、これは家系だと思うの。明治生まれの祖母も、大正生まれの母も、ハイヒールなどそんなにはかなかったのに、外反母趾がひどいのです。

足の親指の骨を削るそうなので、ちょっと怖いと言えば怖いけれど、「バレリーナの人も手術をして、また踊れるようになりましたよ」という先生の言葉を信じることにしました。

ということで、手術をする秋まではあちこち歩き回るつもりです。


今日の都心は花粉がたくさん、舞い散っていたようです。

くすんで見えるNTTのビル。手前が大学病院です。

2010年2月24日水曜日

湯島天神梅まつり ~猿回しの巻~

湯島のほうへ行ってきました。
近いうちに、周辺の写真をアップしますが、その前に、湯島で面白い行事に出くわしたので、まずはそちらからご紹介。

湯島天神の境内では梅まつりが行われていました。


たくさんの人が来ていましたが、すごい人垣ができていたところがありました。

人の輪の中をのぞいてみると、なんと、猿回し。

はっぴを着たお姉さんが小さなお猿さんとコンビを組んで芸をしていました。

「はい、今日も頑張って芸をしようね。」


猿使い(?)のお姉さんがかわいいし、お猿さんも小さくて芸達者。

まずは階段の上でポーズをとります。


この階段は二つに分かれていて、その間隔をだんだん広げて飛ぶのです。


こんなの猿だったら、簡単に飛べるよね。

それがだんだん間隔が広がり、かなり難しくなってきました。
でも、お猿さんは、なんなく階段をクリアーできました。

ちょっと照れているのかしら。


はい、今日のお仕事はおしまい。うまくできたかな?
後ろに置いてあるかごに見物客が見物料を入れます。


「はい、おじぎをしようね。」


最後はバック転できめました。

うーん、今日の芸の反省をしているのかしら?


猿まわしなんて、久しぶりに見ましたよ。

2010年2月23日火曜日

端唄の夕べ

昨日は仕事をさっさと終えて、新橋まで出かけてきました。

内幸町ホールというところで、「端唄(はうた)の夕べ」という会があったのです。

私が習っている三味線は、長唄三味線といって、一曲が15分から20分ほどかかる長いもので、三味線もしっかりと弾く、という感じなのです。

でも端唄というのは、ほんとに短くて、三味線の弾き方もシャラン、シャランとつまびくような感じなの。

演奏をしていた本條秀太郎さんという方は、もちろんプロの三味線演奏家なんですけれど、日本全国各地に残されている「小さな唄」を集めて、それを採譜したり、また新曲を作曲されている方でした。


私は歌の内容まではよく分からないのですけれど、端唄というのは、色っぽい歌であることはたしか。

 「島田の髪が乱れる~」
 「朝の別れがつらい」
 「傘に雪が積もる」
 「合わせた肌と肌が・・・・」

なーんて感じの歌詞が続くのでした。

きっと正式な夫婦ではない辛さ、悲しさを歌ったものなのでしょうね。

会場には、どうみても素人さんではないお姉さまたちが着物姿でいらっしゃっていました。
新橋芸者とはこういう方たちのことなのかしら。
端唄が一曲終わるたびに、大きな拍手を送っていましたけれど、ご自分たちの心境と合うので感激しているのかもしれませんね。

そしてなんと驚くことに、私の隣に座っていた人は、「最後の幇間」と言われる、この方だったのです。


舞台の終わりに関係者が壇上に登り、三本締めをしたのですが、この幇間さんも私の隣の席から立ち上がって登場したので、びっくり。幇間さんは普通のセーターにズボン姿でしたが、でも髪の毛はすっきりと短く、姿勢も良くて、すてきなおじさまでしたよ。

私は昨年まで、平安朝の雅の世界に興味がありましたが、最近は江戸情緒というか、粋な世界に興味がでてきました。こんど、「江戸しぐさを学ぶ」というイベントがあるので、参加してみようと思っているの。

小唄、端唄、都々逸など、どれも三味線とは切っても切れない関係にあるので、どんな演奏がされるのかも興味シンシンです。

2010年2月22日月曜日

ひつまぶし定食

今日のランチはいつものような生協の安いランチではありませんでした。

というのも教授たちがお昼の会議に出前を取るというので、私たちもそれに便乗して一緒に「ひつまぶし」の出前を頼んだのでした。

ところが、えっ、これがひつまぶし? といぶかしがるようなシロモノでした。

だってね、お丼のふたを開けると、てんこ盛りのご飯の上にはもちろん、ウナギのカットはあったけれど、それ以上にどーんと目に入ってきたのは、レンコンとシイタケのお煮しめ。
これって、お正月の残り物みたいじゃないの。
それをきれいに花びらのように飾り、中心には生姜の薄切りが置いてありました。たれはほとんどかかっていなかったわ。

付け合わせは肝吸い、かつおの角煮、それとおしんこ。


これで1300円というのは安いのか高いのか分からないけれど、まあ、おなかは満腹になりました。

でもね、できればもうちょっとちゃんとしたウナギが食べたかったな~。
あの田舎の大学周辺でそれを望むのは無理とは知っていますけれど・・・・。
もうちょっと洗練された食べ物があるといいのですけどね。

そういえば、「ひつまぶし」で有名な料亭の女将が亡くなったという新聞記事が載っていましたね。「ひつまぶし」は愛知県の名物だそうですね。
レンコンとシイタケの乗ったこの丼でも、「ひつまぶし」の仲間に入れてもらえるかしら?

2010年2月21日日曜日

秋吉久美子さん 登場!

今日は、私の住んでいる市にあるコミュニティセンターが開館5周年だということで、そのスペシャルイベントとして、女優のあの秋吉久美子さんのお話を聞きに行ってきました。


講演会のタイトルは「周りとの関わりの中で私を生きる」というもの。

どうしてそこに秋吉さんなのかと思うでしょ?

でもね、彼女のお話を聞いていたら、こういう人こそ、地域を活性化するイベントには最高の人だと思いました。

私たち世代にとっては秋吉さんというのは独特のスタイルのある女優さんですよね。そのスタイルは今も変わっていないと思うのですが、昔より一段と味が出てきて、素敵になっていました。

秋吉さんにとっては、この市は、彼女が出演した映画「赤ちょうちん」や「いもうと」を撮影した日活撮影所があるので、親しみがある場所だそうです。でもそのときは女優業というのをあまり好きじゃなかったみたいですね。


その彼女も50歳を過ぎて、両親を亡くし、なにかしたいと思ったのでしょうけれど、そのとき彼女がしたことは、もう一度勉強しなおすということだったのです。もともと進学校に通っていて、勉強は好きだったそうですが、彼女は早稲田大学の政治経済学術院という大学院に入って、週2日は朝から晩まで大学で公共経営というのを勉強をしたそうです。
そして書き上げたのが熊野の古道に関する修士論文でした。
熊野というところは昔から神道や仏教の聖地だったそうですけれど、いろんな宗教をうまくMIXしているところだそうです。
彼女に言わせると、今は宗教対立(キリスト教とイスラム教など)の時代だそうですけれど、熊野というところはその対立がなく、うまく融合したところだそうで、それゆえに世界遺産として認められている場所だということでした。

彼女は外見は昔とほとんど変わらず、とてもチャーミングでしたが、それ以上に中身が充実していると思いました。

いろんなことを学べば学ぶほど、自分が謙虚になれると言っていました。

お話の中で、なんと「20日で学べるペン習字」という本を買ってきて、毎日、書いているいうことでしたが、ペン字の書き方ひとつとっても、今までご自分が生きてきてまったく気付かなかったことがあるというのです。あんなに有名な女優さんになっても、ペン習字をしているというのはすごいなと思いましたね。

彼女の好きな言葉はガンジーの「明日死ぬように生きなさい」という言葉なんですって。そしていつも感謝の気持ちを持って生きていたいというのが、とても参考になりました。

今回は、市内の女医さんとの対談形式で行われましたが、秋吉さんはほんとうに自分の言葉で語っていましたね。歴史や政治経済、宗教、地域の問題など、普通の女性にとっては難しいと思われることでも、きちんと意見を持っているのですごいと思いました。

女優さんと言うとなんとなく敬遠していましたけれど、秋吉さんのお話を聞いて見直しました。
自分の意見が言える女優さんというのは、素敵だなと思った講演会でした。

2010年2月20日土曜日

「げんげ畑」

普段はほとんど外食はしないんですけど、今日はなんだか急にお魚料理が食べたくなって、つつじヶ丘の「げんげ畑」という魚料理専門店まで行ってきました。

ここは富山のお魚をメインに出していて、お酒や焼酎が美味しいお店です。

ちなみに「げんげ」というのは魚の名前なんです。あまり聞いたことないですよね。

料理は携帯写真で写したのでぼけていてすいません。

まずは「かいわり」という魚の刺身を頼みました。
あじのようなお魚でしたけど、おいしかったわ。
普通にわさび醤油でいただきましたが、ユズコショウも良く合っていました。


こちらはその骨身をから揚げにしてくれたもの。ものすごくパリパリ。


刺身とから揚げの両方で400円というのは、破格のお値段ですよね。

次のお刺身は「ミヤマオコゼ」。ピンクできれいな色です。ぷりぷりしていたわ。


こちらはムール貝の味噌マヨネーズ焼き。ものすごく熱くて、オリーブオイルが効いていて味もばっちり。
ムール貝と味噌味なんてどうかしらと思いましたが、こっくりとしておいしかったわ。


これはレンコンもち。本当のお餅みたいにもちもちとしていました。


げんげのチゲ。げんげというのはなんだかナマズのような形の魚のようですけれど、白身で食べやすかったです。


イカの塩辛。イカが細く切ってあって、食べやすく工夫されていました。


ぞうすい。これ、魚の出しがきいて、最高でした。


お魚料理を堪能しました。
焼酎のお湯割りもおいしくて、体が温まりました。

2010年2月19日金曜日

「京まんだら 上・下」

寒い日が続くので、読書と三味線、そしてお仕事という毎日です。

今日の読書感想は瀬戸内晴美さんの「京まんだら」。上下2冊組です。

そう、この本はまだ瀬戸内さんが俗世間で活躍していた時に書かれたもので、この1年か2年後に剃髪されたのです。

瀬戸内さんと言えば、私の大学の大先輩に当たる方。
これまで瀬戸内さんの著書はたくさん読んできましたが、今回の「京まんだら」は本当に内容が充実していました。

京都の祇園を舞台に、そこで生きる女将や芸妓さん、舞妓さん、そこを訪れる女性たち、そしてその恋人たちとのかかわりあいを描いた力作です。

私がこの本に惹かれたわけは、そのたくさんのヒロインたちの中で、一人の女性が私とまるで同じ名前だったからです。
このT子さん、未亡人ながら出版会社の社長としてなかなかのやり手で、京都紹介の本を出す予定なのです。
それで足しげく京都に通っているのですけれど、そこで出会う女性たちの恋話に刺激されたのか、自分の会社に勤めている若い会社員が好きになってしまい、年甲斐もなく胸キュン状態になってしまうのです。ところが彼は、この女社長の姪でやはり同じ会社に勤める律子(ま、私のいとこと同じ名前)と結婚するというので、このT子さん、発狂しそうになってしまいました。そんな女性が同姓なので、他人事ではないですよね。でも私はこのTさんのように胸に秘めるというタイプではないので、彼女の態度にはちょっとイライラしてしまいましたが。

この本には、17人も相手を次々に変えたという女将が登場したり、焼けぼっくりに火がついたような恋をした人がいたり、男を手玉に取るような人、若い人もあり、中年もあり、老年もあり、ありとあらゆる女たちが躍動する世界です。


でもね、この本は単なる恋愛小説ではないのです。

それはタイトルからも分かるように、ある種の京都の案内本でもあるのです。京都の様子をまんだらのように織り込みながら紹介しています。

彼女たちがたどる清水寺や高山寺のあたり、夏の鴨川の床、雪の小路、嵯峨野や詩仙堂の紅葉、葵祭りや大文字送り火などの行事が丁寧に描かれていて、読んでいるだけで京都に足を踏み入れたような気分になり、すぐれたガイド本になっています。

とくに素晴らしい描写だと思ったのは、泉涌寺の情景でした。あそこは山門を入ると、本堂は下のほうにある不思議なお寺なのですが、それを「本当に素敵に表現していました。

京都ならではの風習のお勉強にもなります。
五山の送り火を見るときは、お猪口にお酒を入れて、その燃える火をお酒に写して、その字を飲み込むといいことがあるとか。へー、私もいつかそういうことをやってみたいと思いました。

そしてたくさんの京ことば。はんなりしていて、それでいて伝えたいことはきちんと伝えてしまう京ことば。
読んでいて、その言葉がどこからとなく聞こえてくるようで、本当に京都の町を歩いているような気分になりました。

でも、電車の中で読むにはちょっと恥ずかしい部分もある扇情的な本でした。いろんな性の技も教えてもらえるのですから。

これは日本経済新聞に掲載されたものだそうですけれど、世の中のお父さんたち、この小説を読んで少しは女性の気持ちに近づけたかしら?


この中で、随筆家の恭子さんという中年女性が登場するのですが、彼女は以前は男性との間にいろいろあったようですが、ある時から髪を剃って仏門に入りたいという気持ちを持つようになりました。きっとこの人は瀬戸内さんの分身なのでしょうね。

本の後ろの解説の部分に、「この本は、瀬戸内さんにとって《源氏物語だ》」と書いてありました。光源氏は登場しませんけれど、多くの女性の愛の喜びと悲しみを綴ってあり、まさに現代の源氏物語と思われるそんな本でした。

2010年2月18日木曜日

生姜キャラメルの味

寒い日が続いていますね。

今日、大学の生協でちょっと変わったお菓子を見つけました。

「生姜キャラメル」です。

チャイ風と書いてあるので、どんな味なのか、つい買ってみました。


「冷え知らず」さんのため というのも気になりました。
これを食べるとぽかぽかになるそうです。

このキャラメル、なんと永谷園が出しているんですよ。
永谷園といえば、お茶漬が有名ですよね。
そこのキャラメル!

一口舐めてみると甘いんです。

でもそのうち、生姜の味が口の中に広がってピリピリとしてきました。

うーん、でも心なしか体が温まってきたようですよ。

一袋が200円以上して、普通のアメよりもちょっと高いのですけれど、ま、話のタネになるかも。

2010年2月17日水曜日

「無欲越え -熊谷守一評伝-」

中国の古いことわざに、読書をするのは「冬・雨・夜」がよい、というのがあるそうです。
この冬は寒い雨が続いているので、読書にはぴったり。

というので、今日のブログは読書感想です。

「無欲越え」は、明治・大正・昭和を生き抜いた画家・熊谷守一の人生を縦糸に、彼と同じ時代に生きた人たち(夏目漱石など)との生き方の対比や、交流のあった人々(志賀直哉、谷川徹三など)との手紙などのやり取りを横糸にして、あるがままに生きた熊谷の97年の生涯を紹介している本です。


著者の大川公一さんという方は、成城学園の国語の先生や校長の経験がある方で、熊谷守一の絵に魅せられて、彼の描いた絵なら全部鑑賞したことがあるとか。すごいですよね。

この本は、従来の伝記ものとは異なって、この特異な画家が生きた明治から昭和までの時代的背景がよく分かる本です。

熊谷守一の「オレはオレ」という生き方がメインになっています。

その原点は、彼の父親は初代岐阜市長を経て、国会議員までなった人でしたが、彼はその父親の若い愛人に育てられ、大勢の大人の中で生活してきたので、小学生のころから世の中のことを分かってしまい、人と争うのを避けるようにして生きてきたと、判断しています。

世の中に熊谷ファンはたくさんいるでしょうけれど、この著者ほどのファンはいないことでしょう。熊谷守一が残した絵や書、手紙や日記を詳細に分析しています。


私が先日、熊谷守一美術館でその絵を見て、一番気になったこと、それはある時代から彼の絵に赤い線の縁取りがでてきたことでしたが、どういう理由でそういう画風になったのを知りたかったのですが、そのあたりはあまり詳しく書かれていなくて、ただ熊谷が、「そのころ、気持が大きくなった」と言ったということくらいしか、分かりませんでした。

私は、熊谷守一の自画像や写真を見ていて、「この人はまるでキリストのようだ」と思ったのですが、やはり熊谷の周りにはそのように感じた人も多くいたようで、私は自分の直感がそれほど的外れではなかった、とほっとしました。ぼうぼうの髪の毛や落ちくぼんだ目、よれよれの服装、そして子供好きなことなど、キリストとはこんな人ではないか、と思ったのでした。

それにしても貧しい生活の中、「絵を売る」という発想を持たず、ただ絵を描いていただけの画家、というのは一緒に生活していた奥さんにとっては辛いことだったろうと思います。それでも子供が次々に生まれて、どうしても生活費が必要になり、ようやく絵を売る、ということに至ったようです。

その奥さんとのなれそめもこの本に書いてありましたが、その女性は、親友の弟さんの奥さんだった人で、三角関係の中からその人を奪って結婚したそうです。熊谷が40歳近く、そして奥さんは18歳年下でした。
お金もない、中年の貧乏画家と所帯を持つ、というのはよほど覚悟がいったことでしょう。

それでも熊谷守一という人は多くの友人や知己に恵まれていたようで、いつも彼を金銭的・精神的にサポートしてくれる人が周りにいました。人徳なのでしょうか。

この本には、彼が文化勲章を辞退したことや、毎日の食事の内容まで詳しく書かれています。本当によく調べ上げたものだと思いました。

何より感心したのは、熊谷守一が生きた97年間には、武者小路実篤も、黒田清輝も、モネもルノアールも、ピカソもみんな生きて亡くなってしまったという年表が作成されていたことでした。この表を見ると、現代日本の絵画や文学の歴史が一目瞭然に分かるのです。こういうことに取り組んでいる人は少ないのではないでしょうか。

5月には、熊谷守一美術館創立25周年記念があり、常設展とは違った作品が見られるそうです。
また、その頃に出かけてみたいと思いました。

2010年2月16日火曜日

確定申告しました~

今日は市役所に確定申告の用紙を提出してきました。

今回は医療費控除しかなかったので、微々たる金額しか戻らないんですけれど、でも少しでも税金は取り戻さないとね。

だって所得税だけでなく、固定資産税も払っているし、私の場合は自分で市民税も払っているし、ほんと、国民の税金はちゃんと使ってほしいわ。


これはテレビのニュースでも見たけれど、高橋英樹夫妻が申告をしているところ。E-TAXにすると、それだけで5,000円バックするみたいですけれど、これって意外と手続きが面倒みたいね。

そうそう、どこかの首相は贈与税を何億円も払ったそうですけれど、それだけお金があるというのもすごいわね。

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夕方は三味線のお稽古に行きました。
今日は、ばちの動きがすごく細かいところだったの。
でも先生に、「よくお稽古してきましたね」とほめられて、ちょっと嬉しかったわ。

三味線って、ただシャンシャンと弾いているだけにみえるけれど、下から持ち上げるようにしたり(スクイ)、薬指でひっかけるようにしたり(ハジキ)、弦を弾かないでただ叩くように音を出すだけとか、いろんな手法があるんですよ。

少しずつでも曲が弾けるようになれるのは、嬉しいわ 

2010年2月15日月曜日

ブランケット できあがり~

ハンドメイドシリーズです。

これは「はんど&はあと」1月号の付録だったかしら。今頃になって1月号なんて遅いわよね。
ひざかけなので、早くしないともう使えないと思って、急いでとりかかりました。

キットセットには、かわいい水玉模様のほわほわの布と水色の毛糸が入っていて、この布にただ周囲を毛糸でかがるだけなんですけどね。

これが雑誌に載っていた出来上がりの写真です。


ただかがるだけなんで、ハンドメイドなんて言えないんですけれど、でも糸は14メートルほどあり、周囲をかがるだけでも、かなり時間がかかりましたよ。

布の周りをブランケット・ステッチでかがるのですけれど、そうか、ブランケットにするからブランケット・ステッチというのね、と妙に納得しました。


うまく等間隔にかがれないけれど、まぁ、ご愛敬ね。

オレンジの大きなボタンをつけると、腰や肩に巻いてもずれてこないので便利です。

まだまだ12月号のクリスマス用飾りなんていうのも手をつけていないのだけれど、さすがにこれはする気がしないな。

私のハンドメイドは気まぐれだから、する時としない時の差があるのです。

2010年2月14日日曜日

炭酸ガスで ほっかほか

いつも行くスポーツクラブに、エステサロンが併設されているの。

そこに「炭酸ガスパック2月13日限定」というお知らせがあったのよ。

炭酸ガスと言えば、以前、さとさんのお店にお邪魔した時、試しに炭酸ガスのスプレーをしゅっとひと吹きしてもらったら、それだけで小顔になったというすごい経験をしたので、それと同じものなのかしらと思って申し込みました。


今回のはスプレーではなくて、なんだか粉末のものに炭酸(バリウムを飲むときに事前に飲むアレみたいなもの)を混ぜて、それを顔に塗ってパックして、そしてラップをかけるというものでした。

炭酸パックをしていると、顔がすごくホカホカしてくるの。なんだか効いてくる、という感じね。

エステのお姉さんは「あら、お客様は私の母と同じ年ですね。でもお若いですね。」とか言いながら、私がパックをしている間、首に超音波でマッサージをしてくれました。

パックは20分くらいしていたかしら。ラップをはがし、そしてパック剤をはがしたところ、エステのお姉さんは「わぁ、お顔が明るくなりましたよ!」と言ってくれたけれど、どうかしら、自分ではよく分からないわ。でも顎のあたり、すっきりとしたように見えました。


ということで、いろいろおだてられた私は、その炭酸ガスパックを1箱買うことにしました。
結構いいお値段なんだけど、まぁ、少しでもきれいになれたらいいかな。

今日の写真はちょいとピンボケの椿。
でもこんなふうにあでやかで妖艶になれたらいいわね。