2012年3月31日土曜日

「5-9 kimono」

「5-9 kimono」は「ごっきゅう きもの」と読みます。

これは5月から9月までの5ヶ月間に通して着られる着物、という意味なのです。

  *詳しくは月刊アレコレの記事をご覧ください。

本日はその着物のお披露目会に行ってきました。

このイベントは昨年2011年12月4日に開かれた第一回イベントの成果でもあるのです。
その時の様子はこちら▼

着物の世界というは、あれこれとしきたりがあってうるさく、たとえばどんなに暑くても寒くても、この季節には単衣でなければだめとか、袷でないとおかしいという決まりがあるのですが、今の世の中、温暖化が進み、めちゃめちゃ暑い日が続いたり、真夏クーラーが効きすぎて寒くて困るということがありますよね。

そんな現代に合う着物はないか、ということで織物屋さんや呉服屋さん、それに着る立場の女性たちがあーでもない、こーでもないとディスカッションを重ね、ようやくできたのが「5-9 kimono」なのです。
5月からちょっと涼しくなる9月まで着倒してしまおうという意気込みで作られた、これまでにない新しいジャンルの単衣の着物です。


イベントの会場は人形町でした。

会場には「5-9 kimono」の反物や、それに合わせて考案されたおしゃれな博多織の帯が並んでいました。

着物にはあまりないようなきれいな淡い色が多かったですね。
12色あるそうです。

矢絣のものは、反物で見るよりも着物になったほうがずっとよかったみたいでしたね。


会場には着物を羽織って、試してみる人も。


お披露目の後は、この着物を作ったメンバーの紹介。

その後は夏の着物のお手入れ方法や、洗濯法の紹介、そして夏の着物の下に着る肌着の紹介と続きました。
いろいろな商品を手にとって見られるのはよかったですね。

皆さんがおっしゃっていたのは、「夏は何を着ても暑い。裸でいても暑いのだから、そこは心意気で着るのが一番でしょう」ということでした。
そうなんですよね、夏に着物を着るのは暑いといえば暑いのですが、周りの人に「着物姿が涼しそうね」と思ってもらえたらいいですよね。

やはり夏は綿や麻などの天然素材に勝てるものはないそうです。

会場に来ていた人はもちろん、みなさん着物姿でしたが、呉服屋さんにちょっとした疑問などを熱心に質問をしていましたよ。

特に着物の洗濯については知りたがる人が多いのですが、呉服屋さんの答えは
「現代の人は清潔症候群がありすぎて、洗いすぎるのではないか」ということでした。

夏の着物のいろいろな知識も深まりましたね。


私の感想としては、「5-9 kimono」も悪くはないとは思うのですが、木綿と麻なのでしわがよりそうなのがちょっと気になりましたね。それに反物だけで6万円もするので、その価格に私は二の足を踏んでしまいました。

会場にはおしゃれな手作りの帯締めも展示してありました。


私には「5-9kimono」は他人が着ている姿を眺めるのはいいけれど、自分が着るとしたら少し若むきの感じのように思いましたね。

他にもおしゃれで涼しそうな浴衣生地があったので、それには心が動きました。

2012年3月30日金曜日

「私の江戸東京論」

「私の江戸東京論」と題する講演会が江戸東京博物館▼でありました。

館長さんである竹内誠さんという江戸時代を専門としている歴史学者のお話でした。


ワンコイン(500円)で面白い話が聞けるというので、会場は歴史好きで暇のあるおじ(い)さまでいっぱいでした。

私は女性の隣の席を見つけて座っていましたが、中年男性も一人や二人を相手にするのならいいのだけれど、会場に数百人もおじさまがいると加齢臭がひどくて、息苦しくなりました。トホホ・・・。


竹内先生という方は今年78歳だそうですが、とにかくパワフルでお元気で面白い先生でした。

ご自身が人形町の生まれであることから自然と江戸学に興味を持ち始めたそうです。

先生のおじい様という人はなんと天保8年の生まれというのですから、あの大塩平八郎の乱のときに生まれた方なのです。そんなことで、江戸時代が身近に感じられて、歴史の勉強に進まれたそうです。

下町のことなら隅から隅までご存じのようでしたね。
長唄をされているとかで、粋な感じもしました。

竹内先生は旧制上野中学のご出身だそうで、実は私の亡くなった父もここの出身で、上野の山で遊んだりした話をしてくれていたので、先生の上野界隈のお話を聞いて懐かしく思いました。

先生のお話の中で、「地名のことを言うだけで、その人は本当の東京人かそうでないかすぐに分かる」ということでしたが、そうですよね。
同じ「町」という字であっても、「人形町」は「にんぎょうちょう」であり、「御徒町」は「おかちまち」であるとうことが、すっと出てくるのはやはり地元の人間だというのです。
町の名前の読みかたがすぐに分かるのは理屈ではありませんよね。
それは東京だけに限った事ではありませんが、子供の時から耳にしていた町の名前といのは、説明しないでもぱっとでてくるのですよね。


お話の中で面白かったのは、江戸城から皇居への移り変わりのことでした。
こういうことを調べている人もいるのだなと思いましたね。

慶応4年(1868)7月にまず江戸が東京と改められ、9月には明治と改元されました。

その年の10月に明治天皇が東京に来た時に、「江戸城」は「東京城」と改称したそうです。

翌年の明治2年(1869)3月には、今度は「東京城」は「皇城」と改称され、その後、明治5年(1872)には「皇居」と改称されました。
(これは今の呼び方と同じですね。)

ところがそこが火事になり、明治21年(1888)にようやく完成した時には今度は「宮城」と呼ばれるようになったそうです。
この呼び方はずっと長く続いていて、私の祖母などはいつも「天皇のいらっしゃるところは宮城」と言っていたことを思い出しました。

その後、第二次世界大戦の敗戦後、昭和23年(1948)に「宮城」から私たちの知っている「皇居」と呼び方が変わったそうです。

*******

東京という町は、江戸から東京に名前が変わり、そして関東大震災や大空襲という被害を受けても立ち直った大都市です。

このところ、江戸への回顧がブームになっていますが、それは江戸以来続いている日本人の助けあいの精神やお年寄りを守るという精神が、その根底にあるのではというお話でした。

江戸の人々のことを思い起こし、明治・大正・昭和を振り返ることによって新しい発見ができ、そしてまだ見ぬ世界への足がかりになるといいですね。

2012年3月29日木曜日

江戸東京博物館には江戸小紋で

「私の江戸東京論」▼という面白そうな話が聞けるというので、両国の江戸東京博物館まで行ってきました。

  *お話の内容はまた改めてお知らせしますね。

江戸に関するお話を聞くときは「江戸」にちなんで、やはり江戸小紋がふさわしいですよね。

江戸小紋はよく知られている鮫小紋などのように超細かい柄で有名なのですが、今回は「万筋」といって細い線がたくさん入っている縞の着物にしました。
この着物は、遠目で見るとまるで無地のようなのですが、一寸の間に何十本というくらい非常に細い線が描かれていて、高度な技術が必要なのだそうです。

この柄は江戸の中期から後期にかけては流行したのだとか。

おくみにはこのように絵師さんのお名前と落款が入っていました。

ちょっと高級そうでしょ?


ところがこの高級な生地の着物なのですが、なんと某百貨店のリサイクル市で1000円で手にいれました。(!)

見えないところにほんのちょぴり小さなシミがあったのですが、裏も奇麗だし、サイズもぴったりで儲け物でしたね。


なんだか胸のあたりが妙に膨らんでいておかしいですね。
ほんとはペチャ・○○なのに・・・・。

帯は白地に三つ鱗が織り込んであり、そこに梅と桜の模様があるものです。

今の季節にぴったりでしょう。


非常に長い帯だったので、二重太鼓に結びましたが、お太鼓の真ん中に折れ筋が入ってしまったわ~。

江戸東京博物館に江戸小紋を着て行って、自分では幸せだと思いましたが、どれだけの人が気づいてくれたことやら。
自己満足かもしれませんけれどね。

2012年3月28日水曜日

4月始まりの手帳

2012年の手帳は「着物手帳」▼というのを使い始めたのだけれど、これは着物の覚え書きとしてはよいのですが、通常の手帳としてはちょっと分厚くて持ち運びが不便でした。

*ちなみに1月は11回、2月は12回、着物を着ていました。
 3月は仕事などで忙しかったので、28日現在でまだ6回しか着ていませんね。

それで普通の手帳を買おうと思って文房具屋さんに出かけたところ、1月スタートの手帳はもう売りきれとのこと。
諦めていたら、「4月スタートのならありますよ」と教えてもらいました。

そうそう、私は仕事の関係上、4月スタートのほうが使いやすいのですよ。
おまけとして3月分もあるので、非常に使い勝手のよい手帳だと思いました。


手帳には日曜始めと月曜始めの2種類があり、最近は月曜始めのほうが主流のようですが、私は日曜からスタートするほうが好きなので、日曜始め版を買いました。

ド派手なピンクですが、これはバッグの中から探す出すとき、見つけやすいというのが理由です。
(ちなみにパスモ用のケースはド派手なオレンジですが、これも同じ理由から)


うちのご近所ではまだ椿の花も咲いていますが、桜に変わるのはいつかしら?

2012年3月27日火曜日

「三都画家くらべ」

先日、府中市美術館に「三都画家くらべ」▼という展覧会を見に行きました。
サブタイトルは「京、大坂をみて江戸を知る」というものでした。


江戸時代の絵画を時代別に観賞するのではなく、地域ごとに分けて、その違いを楽しむという趣向の展覧会でした。

江戸時代といってもその歴史は280年ほどあるのですから、その時代性を無視して単に地域で区切るというのはちょっと無理があるような気もしましたが、それでも江戸の昔は東海道を行くのに10日から2週間ほどかかったわけですから、今よりも地域の特色というのが濃かったのでしょうから、そういう区分けがあってもいいのでしょう。面白い切り口だと思いました。

現代なら、東京で起こったできごとがインターネットやツイッターを通じて瞬時に大阪でも京都にでも伝わってしまうのですが、江戸時代には手形がなければ旅行も簡単にできなかったわけですから、今よりもずっと江戸は江戸らしく、大坂は大阪らしい雰囲気があったのだと思います。

展覧会を見る前に、学芸員さんからスライドを見ながらレクチャーがありましたので、そのお話をちょっと紹介します。

京の画家たち


(展覧会の会場の外に飾ってあった撮影OKの絵ですが、ここは八坂神社のようですね)

まず京は、円山応挙や土佐光起など、大和絵の流れ絵をくむ画家が多く、その絵は色彩が鮮明でした。
その例として岸駒(がんく)という人の牡丹と孔雀の絵を紹介していましたが、花弁の一枚一枚、孔雀の羽根の一本一本がとても繊細に描かれていて、うっとりとするくらいでした。

お次は大坂


(場所はちょっと忘れてしまいました)

京の絵に比べると、大坂の泉必東(いずみひっとう)という画家の描いた牡丹と孔雀は同じような構図なのですが、絵も色も線もあっさりとしていて、なるほど、これが大坂風なのかと思いました。

そして江戸


(ご存じ日本橋の風景ですね)

江戸の画家は、安土桃山時代の狩野探幽の流れをくんでいるそうですが、空間(余白)に美しさが見られるような絵が多くありました。幕府の御用絵師として活躍した人も多く、狩野永徳のころに江戸風が確立されたようです。
そして江戸の絵というのは、京や大坂の絵に比べて、博物学を元にした精密さや科学性を持った絵も多くなり、18世紀の宋紫石(そうしせき)という画家の蓮池水茎図は蓮の繊細さと美しさ、そして大胆な構図がマッチして面白い絵になっていました。

また江戸の画家は西洋の絵画に影響された人も多く、幕末の司馬江漢(しばこうかん)という画家の絵はまるで西欧の絵画のようで、遠近法を用いていて、日本画とは思えないようでした。西欧の画風を取り入れるというのはやはり江戸の画家の特徴だったようです。

以上は地域の特性ですが、絵画に「笑い」という要素を取り入れたのは、関西の画家に多かったようです。
とくに長沢蘆雪(ながさわろせつ)という画家の「なめくじ図」はひと筆書きのような絵でしたが、なめくじを画材にするなんて、意外でしたね。この画家はナメクジのほかにも猿や虎などの動物の絵もたくさん描いていました。

また商人の町といわれた大坂の絵画は、「文人画」と呼ばれるジャンルのもので、もともとは中国の文人が余技として絵を描いた絵のことをさすのですが、大坂でも絵の専門家ではない商人などが趣味が高じて描くことが多く、水墨画が多かったようです。

私自身は色のない絵はあまり興味がなく、どれを見ても同じように思えてしまうのですが、絵を描くことが教養人としてのステイタスでもあったのでしょうね。

前にも▼にも書きましたが、ここの美術館は相当のおかねと人材をつぎ込んでいるようでした。

建物も豪華でしたが、パンフレット類もかなり気を入れて制作しているように思えました。


春らしい黄緑色でまとめたパンフレットです。
こちらのポスター▼も同様の配色ですね。

展示品のカタログのほかに、画家を五十音に並べて簡単な説明もありました。


子供向きにはクイズ形式のパンフレットもありましたが、これが結構面白くて、大人の私でも観賞に役立ちました。


私が興味を魅かれたのは、渡辺崋山の絵でした。
この方は三河の国の田原藩士として江戸に生まれましたが、非常に貧しかったため、最初は家計を助けるために絵を描いていたそうです。つまり武士の内職だったのですね。扇に花の絵を描いたものはとても美しい絵でした。肖像画なども多く描いていました。
彼はその後、藩の家老となりましたが、幕府を批判したことにより蟄居を命じられ、のちに失意のうちに納屋で切腹をしたそうです。
武士の家に生まれていなかったのなら、思う存分絵を描いて一生を送れたでしょうに、政治の世界にいたために悲惨な運命を送った人だったようです。

私は絵のことはよく分からないのですが、その画家の生涯を知るほうが面白く感じられます。
美しい絵を描く人はいったいどんな人だったのだろう、どんな生き方をしていたのだろう、ということが知りたくなります。
どうやってその感性を磨きあげたのだろうと思ってしまうのです。

画家でも作家でも、その人の生涯を知って、そしてその生涯のうちのいつごろに作られたのかが分かると、作品に接するのが面白くなりますね。

2012年3月26日月曜日

春の公園

とてもお天気の良かった日曜日。

公園にも青空が久しぶりによみがえりました。


ここは「武蔵野の森」という名前がぴったり。


広々とした公園です。


この噴水の巨大モニュメントは何を表わしているのでしょうね?


日本庭園のある池の周りには、いろとりどりの梅が咲いています。


水鳥に餌をやるおじさん。
鳥がどんどん集まってきて、すごかったですよ。

こちらの親子連れは、行く先々で一緒になりました。


子供が3人に、犬を2匹飼っている若い夫婦でした。
カラフルなヘルメットがとても可愛らしかったわ。


みんな、のんびりゆっくりと歩いていました。

桜の開花が待ち遠しいですね。


こういう公園を着物を着て、カメラ片手に歩いていたので、ちょっと変人だと思われたかも?

2012年3月25日日曜日

三都物語・・・・?

「三都」と聞いて、どこを思い出すかしら?

東京、パリ、ニューヨーク?

それとも東京、京都、神戸とか?

私が今日、見てきた美術展は、江戸時代の都である江戸、京、そして大坂(大阪ではありませんよ)、という三つの都市の画家たちの展覧会でした。


江戸時代の画家たちと一口に言っても、それぞれ住んでいたところによって、画風もかなり違いがるのがあるのですね。

江戸時代以前は、単に地方の一つであり何もないところからスタートした江戸では、幕府のお抱え絵師から始まり、だんだんと洗練された絵画になっていきます。
これに比べて長い歴史と文化のある京の絵画は繊細で華麗です。
そして商人の町大坂では文人画やおもしろ画が中心だったようです。

展覧会を見る前に、そのようなお話を学芸員さんからスライドを見ながらレクチャーを受けました。

展示されている絵の説明に、それぞれ「江戸」、「京」、「大阪」と書いてるので、比較ができてよかったですね。初めは絵だけを見て、「これはどこの絵かしら?」と想像しながら見ていました。当たったりはずれたりしましたが、そういう観賞方法も面白ですね。

(絵画のお話はまたお知らせします。)

この展覧会は私の住んでいるところのお隣の市で開催されたのですが、お金のある市とそうでない市とはこんなに差があるのかと思い知らされるほど、豪華な建物や贅沢な空間に圧倒されました。
国立の美術館なみの施設でした。


うちの市には劇場やホールはあるのですが、美術に関してはあまりお金をかけていないように思われます。

さて今日は久しぶりに気持ちよく晴れたので、心も軽く、薄い藤色の紬にしました。
例の骨董市のおじさんのお見立てです。

この着物は、私に絶対に似合うというので、他のお客さんには売らずにいたそうで、さすがにサイズもドンピシャでした。私もとても気に入り、即決で買った着物です。


帯は有楽町の国際フォーラムで開かれた大江戸骨董市で、おもしろいおばちゃんにつかまってしまい、「これは絶対にお買い得なんだから買わなきゃだめだよ」と勧められた更紗の帯です。裏は紫色なのです。まるで新品なのに3500円という格安帯です。もっと派手だと思いましたが、締めると意外に地味でしたね。

四角い襟の道行は、私が着ると幼稚園生のスモッグのようになってしまうので、あまり好きでないのですけれど、もう黒っぽい色の上着は着たくないので、桜色なので季節が良いかなと思って着ました。


よく見ると細かい菊の柄なのですが、いつ着たらよいのでしょうね。これも骨董市のおじさんのお勧めで、格安で買ったものです。

暖かい日差しの中、1週間ぶりに着物を着て、ゆっくりとした時間が過ごせてよかったわ。

2012年3月24日土曜日

お片付け~

ようやくまとまった時間ができたので、部屋のお片づけをすることにしました。

ブログ仲間のMさんが「断捨離」▼をされたり、Hさんが「お片付け」▼をされた影響でしょうね。

それと先日、職場の同僚が突然死でお亡くなりになったことも、影響しているかもしれませんね。
汚い部屋のまま、死んだら、残されたものはすごく迷惑でしょうから。

目指したのは、2009年6月にこの部屋ができた当時の風景▼です。

こんなにすっきりとしていたのですね~。我ながら信じられません。

その後、2010年5月(今から約2年前)▼にまた大片付けをしました。

今はもう机の上もごちゃごちゃになってしまいました。


そうそう、このところ、渡辺昇一さんという人の本を読んでいて、(この方の説にすべて同意しているわけではないのですが)この人は80歳くらいの時にかなりのお金をかけて大書斎(図書館並みのものだそうです)を作ったそうです。
この方は学者さんなので膨大な書籍をお持ちなのですが、あまりに本が多すぎて、横積みにしておくと下の本が取れなくなったり、崩れてくるようになり、それを防ぐにためにはお金をかけても図書館並みに本の整理をすれば、ご自分も気持がいいし、後世の人が片づけたりするのも楽になるとお考えになり、一大決心をして大書斎を作ったそうです。

こちら▼にその立派な書斎の前で立っている写真がありますね。

私は本を手元に保管しておく主義ではないし(ほとんど図書館で借りています)、それにそんなに価値のある本を持っているわけではないので、読み終わった本はすっぱりと処分することにしました。
もう1回読むだろうと思うものだけ残してみたら、実用書ばかりになりましたが、かなりすっきりしました。

いろいろな資料もばっさりと処分しました。
源氏物語や江戸絵画に興味があった時の資料もたくさんありましたが、その時の感想はブログに書いてありますし、教えていただいたことでも忘れてしまったら、しょせん、その程度の影響しか受けなかったものだと思い、また資料は必要な時にはいつでもどこかで入手できると思いったので、これもかなり捨てました。

洋服ダンスにかかっていた服は、一度すべて外に出して、そしてまた入れ直しました。
あまり捨てる洋服はありませんでしたけれど、「あれ、こんな服あったっけ?」と忘れていた服が埋もれていたりでした。一昔前の肩パッドが入った服は処分しました。

洋裁道具とか手芸道具などは「いつか使うだろう」と思って取っておくことが多いのですが、これも半分くらいは処分しました。

箪笥の中は恥ずかしくてちょっとお見せできませんけれど、本関係はこの程度にコンパクトにしました。


ほ~んとに、小さな棚にちょっぴりだけになりました。

今日、手がつけられなかったのは、あちこちでもらう化粧品のサンプルや固まってしまったマニュキュア類ですね。これも近いうちに処分したいですね。

今の自分にとって必要なものだけが手元にある、というのは精神的にいいですね。

物を探す時間が短縮されたのが嬉しいわ。

2012年3月23日金曜日

忙しい・・・

あまり「忙しい」という言葉は口にしたくないのですが、このところ、すべき用事が多くて、端からどんどん片づけているような状況が続き、後ろを振り返る暇もありません。

特にこのところ、私の生活時間の中で仕事が占める割合が多くて、せかせかしてしまいそうです。

三味線のお稽古もあまりできずに、どうしましょう。
好きな読書も時間がとれずに残念だわ。

そんな時には、好きな着物を着てお出かけすればいいのでしょうけれど、やはり慌しいときにはゆっくりと着物を選んでいるゆとりもありませんね。


上の写真は3月の上旬に買った春向きの帯揚げと帯締めなんですけれど、あれこれ忙しくて使う暇がありません。
うーん、もったいないわ。


縮緬の帯揚げも、ぼかしの帯締めも、銀座で買ったとは思えないほど、ものすごく格安だったのです。
こちらのお店の紙袋です。

なかなか定価で買い物をすることに躊躇しているけちな私です。

こんどの日曜日あたりは着物で過ごしたいですね。

2012年3月22日木曜日

春よ来い

昔の童謡に「春よ来い、早く来い」という唄がありましたね。

♪ 歩き始めたミヨちゃんが、おんもに出たいと待っている ♪
でしたっけ?

そしてユーミンの「春よ、来い」もいい歌ですよね。
春を待つ心が伝わってきますね。

今年の東京は春が来るのが本当に遅いこと!

昨日、妹は10日間の日本滞在を堪能してカナダへ戻りましたが、あちらでは今日は24度の天候だとか。
こちらよりも先に桜が咲いてしまうかもしれませんね。

東京では今は梅が満開です。


白い梅、ピンクの梅、赤い梅、小ぶりの梅、大きな梅といろいろな種類の梅が一斉に咲きだしました。

妹は「花より団子」でしょうか、日本に滞在中は、普段食べられない日本食を食べまくっていました。

最後の夜はこちらのケーキでした。


日本のケーキは美しくておいしくて、最高だと言っていました。

それにしても早く本当の春になってほしいわね。

きっと春を飛び越して、急に暑くなりそうな気配がしますね。

2012年3月21日水曜日

お里帰り

うちの娘は去年の夏に妊娠中のときにやって来てから、我が家からはずっと遠ざかっていました。

切迫流産で寝たきりの時も、妊娠中毒症になった時も、そして出産後もお婿さんと二人で埼玉県で頑張って生活していました。

そして昨日、初めて、娘とお婿さんが秋に生まれた赤ちゃんを連れて我が家にやって来ました。

5か月になったYくんです。
寝返りをしているところ。


この子は、知らない場所でもへっちゃら。
泣くかなと思いましたが、大丈夫でした。

我が家のリクライニング・チェアに座らせたところ、足をバタバタさせて喜んでいました。


目がくりんくりんで可愛いでしょ。(孫ばか?)

娘も日ごろの育児漬けから解放されたようで、リラックスしていました。

「実家が一番」とこっそり言っていましたよ。

2012年3月20日火曜日

お墓参り

来日中の妹と一緒に、父のお墓参りに行きました。

といってもロッカー式のお墓です。

お彼岸の中日なので、混雑を避けて、朝早く出かけました。

まずはドームの入り口で献花とお線香をあげますが、お供え物ができるのは、ここまで。


きれいなお花が置かれていました。


そしてちょっと長い回廊を歩きます。


お墓はドームの地下にあります。

広いホールの真ん中にはどーんと大きなモニュメントが立っています。

人と比べるとどれだけ大きいかが分かりますね。


下のほうには水が流れています。

この周りにきれいな壁面があり、その陰に箪笥のようなお墓が立っているのです。

壁面の絵がとても優雅できれいです。


天窓から明かりが差し込んでいます。


このホールの上のほうに父の骨が眠っているのです。


葬式とか形式ばったことが嫌いだった父にはぴったりのお墓です。

早朝に出かけたので、人もそれほど多くなかったのですが、ここから出てきたら、大勢の人が普通のお墓参りに来ていました。

久しぶりに日が射して、お彼岸らしい穏やかな春になって、よかったです。

2012年3月19日月曜日

市民歌舞伎

毎年恒例の市民歌舞伎を見てきました。

こちらが会場です。


今年で11回目の公演だそうですが、年々出演者のレベルが上がってきていて、かなり本格的なお芝居でした。

大道具、小道具、衣装、かつらなどもすべて本物の歌舞伎のものを使用しているそうです。義太夫や三味線もプロの人が出演されていました。


(写真のチラシは調布市民歌舞伎のHP▼からお借りしました。)

この市民歌舞伎は中村芝喜松さんという役者さんが演技の指導をされているのですが、この方は福助さんの後見をしている関係で、会場には福助さんからの大きな花束が届いていました。

そしてお芝居の終了後にはそのお花をばらして、お客さんに1本ずつプレゼントされました。
粋な計らいですよね。

来日中の妹と一緒に見に行ったので、カーネーションを2本いただきました。

家に戻って、グラスに入れたところ。


出し物は「双喋々曲輪日記 引窓」という長いお話。1時間半も続きました。

次は「多摩川」という可憐な乙女たちの踊り。
長い布(さらし)を手に持って、それを新体操のようにひらひらと揺らしながら踊っていましたが、きれいでしたね。

最後は「白浪五人男」でした。
弁天小僧や日本駄右衛門など5人の悪役が登場します。
彼らがから傘を持ちながら一人一人名前を名乗る場面はおなじみですね。

市民歌舞伎の会員の皆さんは本当に熱演していましたね。

これほど本格的なお芝居とはびっくりしたと、みんな感心していた様子でした。

私もこれは本物の歌舞伎にも負けないくらいだわ、と満足でした。