先週のことになりますが、国立近代美術館で「鏑木清方展」を見てきました。
これは清方の没後50年を記念した展覧会でした。
鏑木清方は1878年(明治11年)に東京の神田で生まれました。父親は現在の毎日新聞創始者の一人と言われる人で、母親は芝居や文学好きの人でした。
そのため、彼は子供の時から歌舞伎や文学に親しみをもち、大きくなったら挿絵画家になろうと決めていたそうです。
10代のときに描いたものも展示されていましたが、とにかく、うまい。そして日常生活をよく見つめて、正確な絵を描いていました。
また彼は樋口一葉や泉鏡花のファンでもあり、「たけくらべ」など、文学に関連する香り高い作品も多く描いていました。
それでもなんと言っても清方は美人画の画家として有名な画家です。「西の松園、東の清方」とも言われたそうです。
気品ある顔、うつろな眼差し、美しい生え際、正確な髪型、細かい着物の模様、女性のしぐさ、そして余白の美しさなど、完璧に描いていました。
今回の展覧会では「三部作」と呼ばれる美人画が並んで展示されていたのが、印象的でした。
「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」です。
それぞれの女性の年齢は異なりますが、舞台となった築地界隈に関わりのある女性を描いていました。
実はこのあたりは、私の祖父母が住んでいた地域です。
とくにこちらの「新富町」は、私には馴染み深い地名なので、かなり長い時間、じっと向き合っていました。
またこれらの作品は、昭和2年、と昭和5年に描かれたものですが、そのころは関東大震災によって、明治時代に作られた町並みは全壊してしまったと思われます。
清方は明治時代の築地川あたりの風景を思い出して、これらの作品を描いたのだろうと思います。
またその後、東京は太平洋戦争によって壊滅的な被害を受けますが、清方はやはり明治の生活を思い出して庶民の生活や、風俗を描いていました。
またもう一つ素晴らしいと思ったのは、清方の文字です。絵ももちろん見事ですが、絵に添えた文章などの文字の美しかったこと!
(美術展とは無関係のたんぽぽ)
会場では昔のインタビューが再現されていましたが、
「自分の嫌いなものは描かない。戦争なんて嫌いだから軍記物は描かない」ときっぱりと話していたのが印象的でした。
今回は松也さんのイヤホンガイドを借りましたが、美術館の学芸員の解説も分かりやすくて、借りて良かったと思いました。
たくさんの美しい清方の絵画に接することができて、満足できる展覧会でした。
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「一日一句」
美の世界 心きよまり 四月尽く
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