2023年4月9日日曜日

久しぶりの京都 6 無鄰菴

久しぶりの京都2日目は、朝から琵琶湖疏水を散策して、そして「無鄰菴(むりんあん)」へ。

ここは以前、市民カレッジ「日本の庭園」で、「おにわさん」というサイトで、日本の庭園情報を公開している講師の方から教えていただいたお庭です。

代表的な日本庭園ということなので一度は見ておこうと思い、事前にネットで予約して行きました。

かなり人気の庭園なので、早朝の見学が良いとの情報もありました。


それでここへ朝一番に行くために、ホテルも無鄰菴の近くを選んだわけです。

またここは4年前の京都旅行で琵琶湖疏水資料館へ行った時、その案内板は見ていたのですが、なんとなく行きそびれてしまっていた、という因縁のある庭園でした。

朝9時ぴったりに入り口の重い扉が開けられて、通された場所がとても印象的でした。

これぞ日本家屋、という感じ。直線で構成されたおうちは、すっきりとして美しい。そして手前の竹がよくマッチしていると思いました。


お庭散策の前に、ガイドさんのお話を聞きました。

以下はそのお話を簡単にまとめたものです。

無鄰菴は、かつて明治の政治家・山縣有朋の別荘でした。東山を背景にした優雅なお庭です。

7代目小川治兵衛という有名な庭師が明治29年(1896年)に作庭しました。

ちなみに山縣有朋は本宅だった椿山荘が有名ですが、この方はこの無鄰菴以外にも下関、木屋町通りにも別荘があるほど、庭園好きだそうです。

ところが山縣有朋は、なんと「苔」が大嫌いだったそうです。普通は苔のあるお庭は優雅だと思うのですが、変わっていますね。ただし、京都の高湿度のため、次第に苔の美しさも認めるようになったとか。

庭には滝もありましたが、これは琵琶湖疏水から引き込んだものだそうです。山縣有朋さんは水音がお好きだったそうで、その趣味の反映でしょうか。


ガイドさんの庭石についての説明も役に立ちました。それは石がくねくねとしているのは、わざとそのように配置しているためだそうで、くねくねしていると足元を気にするように歩き、周囲の風景を見ることができません。それは実は庭師の作戦なんだそうです。

そして大きな丸い石(からん石というそうです)の所に立つと、ようやく安心して周囲の景色をしっかりと眺めることができます。
これはくねくねしたところの風景をあまり見せたくないための施策なんだそうです。なるほどね。

ガイドさんのお話の後は、自由散歩となりました。

朝一番でしたので、参加者は少なく、のんびりと歩けました。

アメリカから来日したというガーデナーさんもいましたよ。

それほど広いお庭ではありませんが、あちこちに趣向が凝らされている、という感じでした。

お花もいっぱい。



こちらは資料館です。

山縣有朋。肩書が色々書かれていましたが、元陸軍大将、内閣総理大臣、枢密院技量、貴族院議員などなどを歴任。


こちらはお庭を作った小川治兵衛。近代日本庭園の先駆者。「水と石の魔術師」とも言われたそうです。


ここで明治の政治家の重鎮4名(伊藤博文、小村寿太郎、桂太郎、山縣有朋)が集まり、日露戦争前の会議が開かれたそうです。


お茶やお菓子をいただける場所もありましたが、私は朝食後だったので、パスしてしまいました。

ということでその後はひとりで白川を歩くことにしました。

この項、まだ続きます。

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「一日一句」

水温み 山と池との 無鄰菴

 

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