2023年7月12日水曜日

船堀へ その2 新川

さて初めて足を踏み入れた江戸川区船堀ですが、ここは西には中川、南には新川という川が流れています。

都営新宿線の船堀駅を南に向かって歩きました。この道路は船堀街道というそうです。

この船堀街道には新小岩行き、葛西行きなどのバスが通っていますが、このあたりの地理感がないので、その行き先が近いのか遠いのか分かりませんでした。

しばらく歩くと、右側に船堀小学校がありました。ここを目印にしていましたので、新川はもうすぐです。

車は坂の上を走っていますが、脇の道を下ると目の前に流れているのが新川です。けっこう水が満々としていました。

左上に見える青い橋は宇喜田橋です。

新川という川は、昔は行徳川と呼ばれていたそうです。江戸時代には房総と江戸を結ぶ重要な運河だったそうです。野田の醤油や行徳の塩などが運ばれてきたそうです。西にある中川と、東にある旧江戸川を結ぶ運河だったのです。 

川が交通の拠点だったころのことですね。

宇喜田橋を降りて、ちょっと右に向かって歩いていくと、木造の橋がありました。なんだか時代劇に出てくるような懐かしい橋でした。


「擬宝珠(ぎぼし)橋」でした。
ちなみに「ぎぼし」とは、写真の上にあるように、橋の上にあるねぎ坊主のような丸い飾りです。この擬宝珠は銅や青銅などの金属製で作られていることが多いので、雨水による木材の腐食を抑える役目もあるそうです。


橋の上に立つと、向こう側に水門が見えました。西水門でした。

その水門までは500メートルほど歩くと到着するようですが、あまりに日差しが暑かったので、眺めただけで行くのはまたの機会にしました。

とにかく暑い日でしたので、無理は禁物です。

藤棚がいい感じ。


擬宝珠橋を渡り、向かい側の「休養公園」に着きましたが、うーん、なんとも妙な名前ですね。公園と言ってもとくに何もなくて、空地といった感じでした。

先程の水門までは500メートル、と書かれた道標が立っていました。

宇喜田橋を渡り、駅に戻ることにしました。

この橋の名前の由来を知りたかったのですが、よくわかりませんでした。

駅に近づくと、船堀タワーの大きさが目立ちました。


このタワーができた1999年当時は、周囲には高い建物はなかったと思いますが、今は高いマンションがたくさん立っていました。
タワーはなんとなくロケットの発射台のように見えました。

船堀駅に戻り、都営新宿線で戻りましたが、初めての船堀はなかなか面白かったですよ。

また知らない町の川歩き、橋巡りをしたいものです。

*******

「一日一句」

夏の町 タワーと川が お出迎え


0 件のコメント:

コメントを投稿

最近、匿名さんからのコメントが多くなってきました。確認の設定をいたしましたので、ご協力よろしくお願いいたします。
「私はロボットではありません」にチエックを入れてください。
また、スマホでご覧の方は、「ウェブバージョンに表示」とすると、コメントを入力できるような仕組みになっています。by としちゃん