もうだいぶ前のことになりますが、1月に川崎平右衛門の足跡を追って、国分寺まで行ってきました。
そこは「観音寺」というお寺で、住所は国分寺市西町になのですが、JR国立駅から行くところでした。
国分寺市と国立市は、ビミョーに入り組んでいて、分かりにくいですね。
鉄道総合技術研究所を通過。
ここは新幹線などの研究をする所のようです。かなり広い敷地でした。
そこを通り過ぎて、住宅街をずーっと歩いていくと、立派なお寺が見えてきました。
「観音寺」という真言宗のお寺です。
中に入って、川崎平右衛門さんを訪問したことを告げると、親切に供養塔のある場所を教えてくれました。ところがお墓というのは、似たようなものが多くて、なかなか見つかりません。かなり長く墓地を歩き回りましたが、見過ごしていたのでした。
ようやく見つかりました。
こちらがその供養塔です。大きくて立派でした。
寛政7年(1795)に中藤新田、谷保新田、高木新田の人々と観音寺の和尚により中藤村から現在地への移転に尽力した南北武蔵野新田世話役(後に代官)川崎平右衛門と、住職を供養するために建てられたものだそうです。寺院と村人との結びつきの強さが表れていると書かれています。平右衛門さんが亡くなってから30年くらい経っていました。
国分寺市にある妙法寺の謝恩塔▼よりは、4年早く造られたそうです。
川崎平右衛門さんがみんなから親しまれて、尊敬されていたことが伝わってきました。
帰路はお寺の方に教えていただいたように、バスで戻りました。
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