今回の「楽しむ会」は「藤袴」の2回目でした。
その中に、どうしてこの巻が「藤袴」と呼ばれるのか、その理由となる和歌のやりとりがありました。
(ウィキペディアより拝借)
それは夕霧(光源氏の実の息子)が、御簾の中にいる玉鬘(光源氏の娘ではなかった)に対して、藤袴(蘭の花)を差し入れて、
「あなたと同じ野の露に濡れてしおれている藤袴、蘭の花です。かわいそうだといってください」と、玉鬘の袖を引いたのです。
と玉鬘への秘めた恋心を伝えました。
ところが玉鬘は素知らぬ素振りをしました。
「私は元は遠く離れた野の露ですから、薄紫のゆかりとは言いがかりでしょう」と答える場面がありました。
ここからこの巻は「藤袴」と呼ばれるようになったのですね。
また、「裳」について調べてみました。
それは夕霧や玉鬘にとっては祖母に当たる大宮が亡くなったので、彼らは喪服を着ていました。そして裳が明けるとなると、河原に行き、禊ぎをするのでした。当時はそのような習慣があったようです。
とはいえ、彼らの場合は、本当に水浴びをするのではなく、形式的だったと想像しますが、どうでしょう?
画像は「雅勒の散歩道」▼より引用
また貴族が乗る牛車についても、辞典で調べてみました。牛車には乗り方の決まりがあり、乗るときは後方から乗り、降りるときは前の方から降りたそうです。
========
この日は、かなり涼しくて、単衣の着物でちょうどぴったりでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿
最近、匿名さんからのコメントが多くなってきました。確認の設定をいたしましたので、ご協力よろしくお願いいたします。
「私はロボットではありません」にチエックを入れてください。
また、スマホでご覧の方は、「ウェブバージョンに表示」とすると、コメントを入力できるような仕組みになっています。by としちゃん