不忍池の南に、「下町風俗資料館」というのがありました。
資料館といっても、のぼりが立っていたりして、ちょっとした芝居小屋のような感じです。
不忍池を廻った後で、ここに入ってみました。
わー、懐かしいものがいっぱい。
写真は全体の様子を写すのなら自由に撮影できます。
でも室内は薄暗いので、手ぶれしてしまいます。
駄菓子屋さんの店先、お風呂屋さん、昔のカフェ、下駄屋さんなどのお店の様子などがそのままに展示されています。
グリコのキャラメルや、都こんぶなどもありました。
こちらはお風呂屋さんの番台。
籐の脱衣籠なども置いてありました。
また普通の人の家の様子も展示されています。
部屋の中のシンガーのミシンは、「これはハクライだから」と言いながら母がずっと使っていたのと同じ形でした。
こういう桐のタンスは、祖母が使っていました。
右側にある小さな食器棚には、我が家ではお菓子が入っていました。
木製の冷蔵庫も我が家にもあったのを覚えています。
右にあるアルミ製の三角の筒は、麦茶入れだそうですけれど、これは知りませんでした。
かき氷作り器は今も昔もあまり変わりがないかしら。
これは喫茶店の中に置いてあった蓄音器。
生活の道具って、見ているだけで楽しくなります。
昔遊びの道具も、手にとって遊べるように置いてありました。竹で作ったおもちゃや、木製のおもちゃがたくさんありました。
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上野界隈には明治や大正時代の名残りがありましたが、関東大震災や戦災によってその面影を失くしてしまい、またその後の高度成長期の開発で、街や人の生活がまるで様変わりしてしまいました。
それを憂う人たちの声により、次世代に庶民の歴史を残したいという思いで、この資料館は昭和55年に開館されたそうです。
一番新しい資料は昭和39年の東京オリンピックでした。
当時の地図や写真もふんだんに展示されていて、それによると昔は上野に高いタワーがあったとか、万国博覧会が開催されたとか知らないことばかりでした。
よくぞ、ここまで保管してあると言う貴重な資料ばかりでした。
こういうのを見ると、何でもとっておいたほうがいいのかしらと思うのですが、私は「捨て魔」なので、あまりお役には立てません。
せめてブログ上で、今の生活様式を伝えておくことができるくらいかしら。
普段使っているもの、たとえばパソコンにしても、携帯電話にしても、あと何年か後には、博物館行きになるのでしょうね。
うわ~!!
返信削除素敵なところですね。
カメラ持って行きたいです。
私も「捨て魔」になりたけど、誰かの役に立つなら取っておくかー。
なんちゃって。
ちゃんと片付けます。
懐かしいものだらけ。
返信削除我が家に有った物が生き返ったような
嬉しさです。
私は上野に行くと美術館かお食事どころ
に行くだけ。今度はゆっくり巡ってみます。
私は昭和の時代を覚えているけれど、
返信削除shiollyさんのように若い人にとっては、
大昔のように感じるかもね。
レトロがいっぱいのところですよ。
池のすぐ際にあるから分かりやすいの。
匿名さん、懐かしいでしょ。
返信削除私も上野にこういう資料館があるって知らなかったの。楽しいひとときがすごせましたよ。
美術館や博物館もいいけれど、たまにはこういう場所もいいものですよ。
匿名は真蘭でした。
返信削除はいはい、私も多分、真蘭さんだと思っていました。(笑)
返信削除美術館巡りといえば真蘭さんですから。
真蘭さんが以前、いらっしゃった料理屋さんにも行ってきましたよ。そのうちアップしますね。
おぉぉぉ~!
返信削除存在は知っていましたが、こんな素敵な所とは!
今度じっくり見に行きます!
ちょっと東京が恋しい(笑)
史子さんならこの辺りは縄張りでしょう?
返信削除私など昔の人間なので、「あー、これ知っている! 知っている!」とか言って興奮して見ていましたよ。
祖母などが生きていた時代(明治・大正)のころの品物がたくさんありました。でももし祖母が今生きていたとしても、「こんなもの、そこらへんにいやというほどあったよ」と、そっけない態度をするのかもしれない、と思いましたよ。とにかく口の悪いおばあさんでしたから。
上野にこうした資料館があったなんて、驚きました。好きなんですよ、こういうところ。
返信削除東京の万博は第二次世界大戦で開かれなかったのですよね。父が入場券を持っていたのを見たことがあります。貴重なものとか言っていたのにどうしたのかしら・・・
まぁ、トントンのお父さまは万博に行く予定にしていたのね。それが戦争で使えなくなってしまったのでしょう。
返信削除いろいろ貴重な資料もたくさんありましたよ。今度上野に行った時には、寄ってみてはいかがでしょう。