「私の江戸東京論」と題する講演会が江戸東京博物館▼でありました。
館長さんである竹内誠さんという江戸時代を専門としている歴史学者のお話でした。
ワンコイン(500円)で面白い話が聞けるというので、会場は歴史好きで暇のあるおじ(い)さまでいっぱいでした。
私は女性の隣の席を見つけて座っていましたが、中年男性も一人や二人を相手にするのならいいのだけれど、会場に数百人もおじさまがいると加齢臭がひどくて、息苦しくなりました。トホホ・・・。
竹内先生という方は今年78歳だそうですが、とにかくパワフルでお元気で面白い先生でした。
ご自身が人形町の生まれであることから自然と江戸学に興味を持ち始めたそうです。
先生のおじい様という人はなんと天保8年の生まれというのですから、あの大塩平八郎の乱のときに生まれた方なのです。そんなことで、江戸時代が身近に感じられて、歴史の勉強に進まれたそうです。
下町のことなら隅から隅までご存じのようでしたね。
長唄をされているとかで、粋な感じもしました。
竹内先生は旧制上野中学のご出身だそうで、実は私の亡くなった父もここの出身で、上野の山で遊んだりした話をしてくれていたので、先生の上野界隈のお話を聞いて懐かしく思いました。
先生のお話の中で、「地名のことを言うだけで、その人は本当の東京人かそうでないかすぐに分かる」ということでしたが、そうですよね。
同じ「町」という字であっても、「人形町」は「にんぎょうちょう」であり、「御徒町」は「おかちまち」であるとうことが、すっと出てくるのはやはり地元の人間だというのです。
町の名前の読みかたがすぐに分かるのは理屈ではありませんよね。
それは東京だけに限った事ではありませんが、子供の時から耳にしていた町の名前といのは、説明しないでもぱっとでてくるのですよね。
お話の中で面白かったのは、江戸城から皇居への移り変わりのことでした。
こういうことを調べている人もいるのだなと思いましたね。
慶応4年(1868)7月にまず江戸が東京と改められ、9月には明治と改元されました。
その年の10月に明治天皇が東京に来た時に、「江戸城」は「東京城」と改称したそうです。
翌年の明治2年(1869)3月には、今度は「東京城」は「皇城」と改称され、その後、明治5年(1872)には「皇居」と改称されました。
(これは今の呼び方と同じですね。)
ところがそこが火事になり、明治21年(1888)にようやく完成した時には今度は「宮城」と呼ばれるようになったそうです。
この呼び方はずっと長く続いていて、私の祖母などはいつも「天皇のいらっしゃるところは宮城」と言っていたことを思い出しました。
その後、第二次世界大戦の敗戦後、昭和23年(1948)に「宮城」から私たちの知っている「皇居」と呼び方が変わったそうです。
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東京という町は、江戸から東京に名前が変わり、そして関東大震災や大空襲という被害を受けても立ち直った大都市です。
このところ、江戸への回顧がブームになっていますが、それは江戸以来続いている日本人の助けあいの精神やお年寄りを守るという精神が、その根底にあるのではというお話でした。
江戸の人々のことを思い起こし、明治・大正・昭和を振り返ることによって新しい発見ができ、そしてまだ見ぬ世界への足がかりになるといいですね。
そういえば、大正3年生まれの父は、祖父が70歳の時の子供・・これがすごいでしょ・・だったのでしっかり江戸時代の人。いったいいつ頃だったのやら・・
返信削除もっと話を聞いておけば面白かったのでしょうけど・・あったこともない祖父は、私の中では、昔々の人という感じで、そばで甘えた、母方の祖母とは全く違う思いです。
えー、トントンのお父様は70歳のときに生まれたお子さんだったの?
返信削除そのころは平均年齢は50歳くらいだったかもしれないのに、すごいおじい様だったのね。
そういえば、私も子供のころ親戚の集まりの時に、「あの人は慶応生まれだよ」と呼ばれるおじいさんがいたことを思い出したわ。
ほんとに、昔の人の話はもっとちゃんと聞いておけばよかったなーと思うことがあるわね。