2018年3月4日日曜日

最近読んだ本から

ちょっと前に、「明治維新150年」というセミナーに参加してから、この手の歴史本を読むようになりました。
といっても、私は坂本竜馬や吉田松陰といった有名人については、それほど興味はありません。
私が興味があるのは、明治維新に負けた(?)と言われる徳川方の人たちの話です。

こんな本を読んでみました。

「大奥の女たちの明治維新 幕臣、豪商、大名 敗者のその後」   中村優一郎 著


(私が読んだのは、こんな派手なカバーは付いていませんでしたよ)

それまで江戸時代を担っていた幕府の将軍や大名、下っ端の役人たち、そして大奥の女性たちが、明治維新後にどんな行動をとり、どんな人生を歩んでいったかが描かれています。

幕臣たちは約3万人いたと言われますが、縮小してしまった徳川家で養えるのは5000人くらいだったそうで、他の人はあぶれてしまいます。
そんな彼らの取る道は、
1.新政府に仕える。
2.無禄を覚悟で徳川家について静岡に行く。
3.徳川家にはお暇願いを出して、新たに農業や商業をする。
という選択肢があったそうですが、圧倒的に多かったのは、徳川家についていった人たちだそうです。
しかし彼らは、ほんとうに貧しい生活を送らざるを得なかったようです。

面白い話として、静岡にお茶畑が多いというのは、そんな幕臣たちの救済のために、お茶作りを奨励したそうで、その結果、静岡はお茶の名産地となったということでした。
つまり静岡のお茶というのは、江戸時代から盛んだったわけではなく、明治に入ってからの産業ということでした。

意外な人も元をただせば幕臣だったということも描かれていました。
例えば福沢諭吉、彼は教育者の道を選びました。
また津田塾大学を作った津田梅子も、幕臣の娘だったそうです。

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「徳川家が見た幕末維新」 徳川宗英 著


田安徳川家十一代目である著者が、徳川家の身内としての立場から描いた江戸から明治への変わり目の話が書かれています。
子孫である彼にしか語りえない事が多く書かれていて面白いのですが、ときたま嫌味を感じさせられてしまうこともありました。

歴史はある日、急に変化するわけではなく、それまでの土台がないことには、次のステージには上れないということを考えれば、江戸時代にいろいろな土壌が培われて、それが明治維新になって開花した、と考えられるのは、当然のことかもしれませんね。

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徳川慶喜に関する小説も何冊か読みました。

そこで気になったことは、慶喜の人生は前半だけが華だったのか、ということでした。
大政奉還をしたのは、34歳の時のことだったそうです。
その後は寛永寺、水戸、静岡、東京と蟄居生活をして、その中で趣味三昧の生活をしたようですが、最後の頃には勲章をもらい、明治天皇とも謁見したとか。
慶喜は自分から進んで将軍になりたくはなかったそうで、さっさとそのお役目を返上してしまったわけですね。
ただし、彼はそれで済むかもしれませんが、上野や東北で幕府軍として戦い、亡くなっていった人たちもたくさんいました。
慶喜は、その人たちに顔向けはできなかったでしょうね。


2 件のコメント:

  1. カンカン3/04/2018

    明治維新というのは武士にって失職するという大変な革命でした。私も特に敗者の歴史に興味があります。特に会津藩の。横山大観が会津の出身と初めて大観記念館で知りました。
    会津藩の人たちが追われていった東北も何も産業が起こすことができないくらい不毛の土地でその後原発産業に向かって行った六ヶ所村があるところと聞きました。何代にもわたって苦悩の歴史が続いています。

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  2. そうなんですよね、武士にとっては明治維新は失業問題だったのですよね。
    もし今の時代に、そういうことが起きたとしたら、大変なことでしょうね。
    私も以前、大観記念館に行きましたが、会津出身とは知らなかったわ。カンカンのブログを見て、また行ってみたいと思っています。

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