2019年11月30日土曜日

謡音読会@九段下 2019年11月「熊坂」

毎月1回参加している「謡音読会」ですが、9月に「松風」を習ってから、10月は台風や施設の文化祭などがあったため、お休みでした。

それで久しぶりに出かけたところ、今回の会場は教室がとても狭く、参加者が大勢いたため、ギューギュー詰めでした。

こちらでは、こんなにたくさんのサークルがあり、抽選のため、なかなか広い教室は借りられないのだとか。


先生のお話では、来年からは会場を国立能楽堂に移すかもしれないとのこと。
そうなると広い部屋でゆっくりとできます。
ただし、現在の場所(千代田区立九段生涯学習館)は、地下鉄の駅から10秒もかからないところなので、雨が降っても傘無しで平気なので、それはメリットですね。

今回は「熊坂」という能でした。
登場人物は熊坂長範という盗賊。
そしていつものことながら、お相手は旅の僧です。


熊坂長範という人は、平安時代終わりのころの伝説上の人物だそうですが、奥州に行く吉次の荷物を狙い、逆に義経に討たれてしまった、という人です。

こちらの絵画は「牛若丸と長範」
歌川国芳作だそうです。


(ウィキペデイアより拝借しました)

お話の舞台は、美濃の国の赤坂宿というところ、今の岐阜県大垣市あたりのところです。


いつものように謡を音読して、その後に、先生について、ほんの少しの部分だけ調子をつけて謡うのですが、今回はとてもテンポが速くて、リズムも良くて、威勢がよい部分でした。
早口言葉のように思いました。
ノリの良い謡は、とっても難しいのですが、気分はよいですね。

そうそう、私のこのブログがきっかけで、こちらの音読会に参加されたという方にお目にかかりました。
びっくりですね!
拙い内容ですが、読んで下さる方がいらっしゃるというのは、嬉しいことです。

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この日の装い。

少し前に2000円(?)で購入した「大島風」着物です。
裏がピンクなので躊躇したのですが、寸法がぴったりでした。
それと値段に釣られて買ってしまいました。


帯は西浅草の「黒猫亭」でのフリマで見つけたもの。
黄色い帯が一本欲しかったので。
こちらは3000円だったと思います。


半襟は着物屋さんのイベントでのプレゼント。
ミツウロコの模様は、インパクトがあり、ちょいと便利です。

ということで、いつもお金をかけない装いです。

2019年11月29日金曜日

伊勢 2019年11月 6 オープン直後のホテルに宿泊

今回の旅行で宿泊したホテルは、伊勢ではなく、その一つ手前の松阪市でした。

実は、旅行の計画を立てていた時は、その前の日に宿泊の予定でした。
そして別のホテルを予約していました。

ところが、たまたまその翌日にオープンするという駅近のビジネスホテルを見つけて、急遽、予定を一日後ろに倒すという変更をしました。

オープンしたその日の泊まれる、なんてめったにありませんものね。

ホテルのフロントには、蘭の花がたくさん並んでいました。
まるで私を歓迎してくれたようでした。


お花は、あちこちに飾られていました。


部屋はもちろん、誰も使われていません。
お風呂やトイレもピカピカでした。


私が一番、というのは嬉しいですよね。

こちらでは飲み物は自由に飲めるようになっていました。


ただし、朝食がちょっとお粗末でしたね。


無料なので仕方がないのですが、飲み物と、パンとゆで卵しかありませんでした。
量は制限はなかったようですが、野菜も果物も全然なくて、それは不満でした。

それでもオープン割引という料金で泊まれたので、まぁまぁだったかしら。

(この項、飛び飛びに続きます)


2019年11月28日木曜日

「江戸城大奥に奉公した多摩の女性」

少し前に、「江戸城大奥に奉公した多摩の女性」▼という地域文化講演会に行ってきました。


これは地元の郷土博物館と、「史談会」という歴史グループが共催した講演会でした。

講師は畑尚子さんという國學院の非常勤講師の方で、江戸時代の大奥や奥女中の学術的研究をされていらっしゃる方です。

講演にはレジュメと家系図が配布されて、その両方を見ながらお話を聞きました。


「大奥」というと華やかな世界を思い浮かべますが、今回の女性たちは、将軍に愛された側室のような女性たちのではなく、御殿女中に仕えていた、もっともっと格下の身分の女性たちが対象でした。

取り上げられたのは、青梅の生まれの「たみ」さんと、日の出町の「藤波」さんという二人の女性でした。
たみさんは、家斉の息子のおうちの御末として奉公にあがりました。
奉公をするときは、本名で働くのではなく、女中名を貰うそうです。

大奥勤めをしていたというと、彼女たちの実家が潤ったということが資料から見られました。

特にたみさんは実家が青梅の太物(織物)を商売していたので、大奥とつながりができたことによって商売が繁盛して、彼女が退職するときには、いろいろなものを賜ったそうです。

大奥では、格が絶対的なものですが、彼女たちの出世がテーマになった「奥奉公出世双六」というのがあるのは、面白かったですね。
こちらの下の図は、歌川国貞のものです。
奥女中の役職ランキングとでもいえるものです。


それにしても、家系図から歴史を紐解くというのは、歴史学者には「いろは」なのでしょうが、私には難しく思いました。
歴史研究には、古い文字を読み取る力(私にはまるで読めませんでした)と、当時の生活を想像する力が必要なのでしょうね。

会場には、歴史好きのおじいさまがたくさんいらっしゃいました。
私もそうですが、年配になると、やはり歴史に興味を持つのでしょうかね。

それにしても、最後の質問コーナーで、ご自分の研究成果を発表したいのか、講演の内容とは離れたような自説を繰り返し、講師にも同意を求めていた方はちょっと困りましたね。
年配になると、独りよがりの傾向が多くみられるので、なんだかイヤになるのですよね。

私も気をつけましょう。

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この日の装い。

かなりの雨降りだったので、東レシルックのポリエステル着物にしました。
細かい格子模様なので、私は「太郎冠者着物」と呼んでいます。


帯は11月ということで、少し遅くなりましたが、黒地に赤い菊の帯。
季節限定の帯ですが、赤い菊の花が気に入っています。


着物を着始めた頃、京都在住だった友人からいただいたものです。

2019年11月27日水曜日

伊勢 2019年11月 5 本居宣長の「鈴屋」

だいぶ間が空いてしまいましたが、旅行記の続きです。

松阪では、いろいろな発見がありました。

その一つが本居宣長(1730~1801)のことです。

本居宣長については、日本史の時間にちょこっと習いましたが、「国学者」であり、古事記を研究した人、という程度のことしか知りませんでした。
どこの出身である、ということは学校の授業では学びませんよね。


(写真はウィキペディアより拝借しました)

この人は松阪の木綿商の生まれで、本業は医者だったそうです。
彼は家業を継がなくてはならなかったのですが、商売には関心がなく、学問好きの彼は、医学の道に進んだそうです。

その後、京都で5年間、神社仏閣などの研究を始め、和歌や神道の研究もするようになったのだとか。

そして松阪に戻った彼は、昼間は医者として患者を診て、夜は2階の「鈴屋(すずのや)」という屋根裏部屋の書斎で勉強をしたり、弟子たちに授業をしていたそうです。

へー、知らなかったな。

本業の他に、別の分野でも一流、という人には興味がありますね。


「鈴屋」という名前は、柱に鈴が掛けられていて、勉強に疲れた時にはその鈴を鳴らして、リフレッシュしていたことに由来するのだそうです。
どんな音がしたのでしょうね。
チリンチリン・・・。

そして、その狭い4畳半で35年の歳月をかけて、「古事記伝」を完成させたのだそうです。
また弟子たちに、「源氏物語」や「伊勢物語」の解釈もしたそうです。

彼の師は賀茂真淵(1697~1769)ということですが、この人は浜松出身で、浜松には賀茂真淵記念館▼があるそうです。
でも、浜松に行った時は全然、気づかなかったですね。
残念でした。

ところで国学というのは、日本独自の文化や思想を、日本の古典や古代史に見出すという学問ですが、本居宣長は、京都での遊学体験が影響しているのだとか。

現在は1階部分しか公開されていませんが、かなり立派な広いおうちでした。
そこには行燈しかなくて、夜はかなり暗かったのだろうと想像できます。
現在は電気スタンドが周囲を照らしていました。


こちらは座敷の外にある庭。
宣長さんも、お勉強に疲れたときには、このお庭を眺めて、ゆったりとしていたのかしらね。


この家は元は別の場所にあったそうですが、今は松阪城の中に移されています。
国の特別史跡指定です。

「ようこそ宣長ワールド」▼というサイトが面白いのでご紹介します。

(この項、続きます)

2019年11月26日火曜日

和のお稽古ごと

先日、地元で「日本舞踊連盟」の勉強会がありました。


実は、私もかつてはこちらの研修生として日舞を習っていたことがありました。
その頃の様子です→こちら▼

日本舞踊は、その後も別の先生に、市民カレッジで習う機会がありました。

しかし、日舞は小さいころから親しんでいたものではなく、基礎もないため、あるいは私の相性が悪かったのか、のめり込むことができずに、1年半ほどでリタイアしてしまいました。

それでも当時の研修生仲間たちが舞台に立つというので、勉強会に行ってきました。

この会は、本来は10月に実施される予定でしたが、その日は台風の暴風雨のため、11月に延期となったのでした。
また日程が変化したため、会場が広い舞台ではなく、和室の大広間となりました。
踊る方にとっては、観客が目の前の畳に座っているところで踊る、という状況はかなり緊張されたのではないでしょうか。

そんな変更があったのですが、みなさん、とても素晴らしい舞でした。
踊りももちろんですが、顔つきも着姿も、全身の緊張が伝わってきました。
みなさん、充実された表情でした。

やはりお稽古は大事ですね。
しっかりとお稽古をされたのが、よく分かりました。

こちらの様子は、facebookの「調布日本舞踊連盟」▼でご覧いただけます。

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お稽古ごとといえば、私も来年の1月にはこちらの「和の出会い」という会に出させていただきます。


長唄三味線「智の会」の仲間と一緒に、「鷺娘」を演奏する予定です。
この会に参加するのは3回目でしょうか?


日頃のお稽古の成果が出るよう、頑張りたいと思います。
会場にいらっしゃった方に、「前よりもよくなった」と言われたいですね。

2019年11月25日月曜日

高校の古希同期会

長らく生きてきて、とうとう古希をオーバー。

ということで、先日、新宿で高校同期生の古希を祝う会が開かれました。
同期の500名くらいのうち、150人ほどが参加しました。


(こちらは3クラス分の集合写真)

思い出せば、還暦を祝う会は10年前に開かれましたね。
あれから10年たち、同期生たちも当然のことながら、みんな10歳、年をとりました。

私たちは団塊の世代なので、とにかく人間が多い。
高校も1学年に9クラスありました。
1クラスは50名以上いたと思います。

細長いパーティー会場にはぎっしりと人が集まり、身動きできないほど。


まずは開会挨拶があり、乾杯することなく、すぐに写真撮影。
アルコールが入る前に撮影しないと、収拾がつかなかったのかも。

その後、長老の先生の乾杯の後、ようやく食事にありつけました。
今回は料理も飲み物も、たっぷりあったようです。

私たちのクラス担任だった先生は、85歳だというのに、とても若々しくて、どちらが先生で、どちらが生徒だか分からないほどでした。

会場の大きなスクリーンには、高校生の頃の私たちの写真が映し出されていました。
遠足や運動会、マラソン大会の写真などなど。
当然のことながら、みんな若かったわね~。

でもあまりに生徒数が多かったので、同じクラスだった人は覚えていますが、他のクラスの人は、クラブでいっしょだったとかでもないと、あまり覚えていませんね。

こちらは同じクラスだった友人たちと。
いつまでも美人のM子さん、着物を楽しむようになったカンカン▼


こちらは今回の会の実行委員長のI君(右)、左は学年の評議員のS君と共に。
大の大人に「君」は申し訳ないのですが、半世紀以上たった今でも、やはり男子は「君」なのです。
私ももちろん、旧姓で呼ばれていました。


こちらは1年生の時のクラスのメンバーですが、なかなか名前とお顔が一致しませんでしたね。
もともと女子は少ない学校でしたが、こうしてみると、おじさんばかりですね。


みんなで校歌斉唱もしました。
金田一京介作詞、山田耕作作曲という素晴らしい校歌です。


結構覚えているものでね。
「応援歌」も歌いました。

実行委員のみなさま、幹事のみなさま、ほんとうにお疲れ様でした。

実はこの同期会は本来は10月の予定でしたが、台風のため、延期されたのです。
それでもこんなに多くの人が集まり、楽しい時間が過ごせたのも、あらかじめ予備日を設定していたためだと分かり、さすがだと思いました。
危機管理に詳しい人がいたのでしょうね。

この後、多くの方が二次会に参加したようですが、私は喉が痛かったのと、伊勢旅行を控えていたので、一次会のみで失礼しました。

私たち世代は人間が多いけど、その分、若くして亡くなった人も多くいました。
彼らは惜しいことをしましたが、いつまでも若く元気な頃の面影が残っています。
そういう人たちを、偲ぶ時間にもなったと思います。
そんなことを思い出しながら、会場を後にしました。


みんな長く生きてきて、それぞれの分野で活躍してきたことでしょう。
いろいろな経験を積んできました。
もう現役ではないかもしれないけれど、まだまだ、ひと花咲かせることはできますよね。
楽しいひと時を過ごせたことを感謝します。

今回はプロのカメラマンの撮影があり、膨大な量の写真データをいただきました。
カメラマンさん、手配された幹事さん、ありがとうございました。

さて次の同期会はいつのことでしょう?

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この日の装い。

着物で参加すると、目立ってしまうのですが、どうせ目立つのなら、きれいな色の着物のほうが良いかしらと思って、青い付け下げ(?)にしました。
白いてっせん(?)の花が描かれています。


帯は川島織物の白い帯。


着物も帯もリサイクルですが、目立つ色だったので、膨大な写真データの中から自分の姿を見つけるのに役立ちました。


2019年11月24日日曜日

伊勢 2019年11月 4.伊勢みやげ

今日のblogは簡単に、伊勢みやげ。

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伊勢と言ったら、伊勢神宮。
そして何より「赤福」です。

2個入りで十分だと思ったのですが、それは伊勢神宮の内宮にある本店でしか買えないのだとか。

それで今回は駅で買ったので、一番少ないのを選び、それでも8個入りでした。


揺れる近鉄の車内で写したので、ボケています。


松阪では、「松阪牛」という名前の日本酒をお土産に買いました。
飲みやすくて、おいしかったですよ。


こちらはクッキーのようなせんべい。
元祖「松阪牛」せんべい。
三重限定とのこと。


松阪牛のしぐれ煮。
ほんの少量しか入っていません。
使われた牛の個体認識番号が書かれていました。


どれも松阪牛。
今回のお土産は、みごとに食べものばかり。

松阪木綿の端切れを見つけましたが、小さすぎて私には使い道がないので、諦めました。

(この項、続きます)

2019年11月23日土曜日

フォークダンス講習会 修了式

今年の11月から参加したフォークダンス講座ですが、4回目まで終わり、修了式もありました。
お偉いさんがご挨拶にいらっしゃり、なんと修了証書なるものまでいただきました。


よく見ると、「介護予防」と書いてありますね。
なんだか年寄りっぽい。
そういう目的の講座だったとは気づきませんでした。
でも、楽しめたから良かったです。

教え方がとても分かりやすくて面白い先生、
サポートがとても上手な先輩たち、
受付などを担当されたスタッフさんたち、
そして一緒に踊った仲間たちのおかげで、楽しく過ごせました。

先輩たちの可愛らしいお姿をご紹介。


この講座は平成6年から続いているので、私たちは26期生、ということです。

来月からは「すみれ」という自主サークルに参加して、フォークダンスは続けようと思います。
身体も頭もリフレッシュできるフォークダンスに、はまりそうです。



2019年11月22日金曜日

伊勢 2019年11月 3.伊勢へ出かけたわけ

令和の大嘗祭が終わって、天皇ご夫妻が伊勢神宮に報告にお出かけされたようですね。

私もこのお二人に先がけて(というわけではありませんが)、名古屋から近鉄特急に乗って、伊勢まで行ってきました。


ただし、私の目的地は伊勢神宮ではなく、その手前の松阪市でした。

私は特別な皇室愛好者でもなく、神道崇拝者でもありません。
それなのに、伊勢に行ったわけは、以下のような理由からでした。

私の旅行スタイルは、有名な観光地に行ったり、ものすごい秘境に行く、というようなスタイルではありません。
ちょっとした小都市を、自分の足で歩くのが一番好きです。

それで、どこか町歩きに適した面白そうなところはないかな、と探していました。

そしてたまたま、松阪市の観光案内が新聞に掲載されていて、その記事を読んで、松阪市は歴史の宝庫でもあり、なかなか素敵なところだと思ったのです。
つまり、新聞広告に影響されて、松阪まで出かけたのでした。


そして松阪だけではもったいないので、伊勢神宮も行ってみることにしたのです。
ということで、伊勢は宗教的理由で出かけたわけではないのです。
(伊勢神宮は9年ほど前に参拝しています。)

今回、交通手段は、近鉄の「伊勢神宮参拝きっぷ」という周遊券を利用しました。
これは近鉄の名古屋発着で、伊勢方面なら、何回でも乗り降り自由で、三重交通のバスも乗り放題というお得な切符です。
(大阪発着の同様の切符もあります)
他にもお得なことがある切符でした。


そしてこの周遊切符が利用できる範囲の中で、一番遠いところの賢島にも行ってきました。

こちらの地図で松阪、伊勢、賢島の位置関係が分かると思います。


赤い丸印を付けた一番北側が松阪市、真ん中が伊勢市、そして右下が賢島になります。

この3地点を、近鉄を利用して出かけてきました。

(こちらは名古屋往復に利用したJRの新幹線)


ふとした思いつきで松阪まで行きましたが、行ってみるとなんとも不思議な出会いも経験しました。
それについては、またの機会にお知らせしますね。

(この項、続きます)

2019年11月21日木曜日

市民カレッジ「眠くならない能」1回目

伊勢旅行記の途中ですが、旅行以前のことを忘れないうちに書き留めておきます。

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また市民カレッジの季節がやってきました。
今回は、「金春流能楽講座~能楽最古の流派から学ぶ日本の心~」という講座です。


講師は金春流のシテ方の山井綱雄先生です。
40台半ばで、能楽の世界ではまだ「若造」ということですが、5歳の初舞台から芸歴は40年以上とのこと。
面をつけるのがもったいないくらいのイケメン能楽師です。

能楽というのは、これまで習ってきた中では「650年の歴史を持つ」と思っていましたが、金春流はなんとそれ以前、聖徳太子の時代からあるそうで、となると1400年くらい続いているのですね。

その後、世阿弥の時代になり、金春禅竹という人が世阿弥の女婿となり、能楽の業績拡大に関わったのだそうです。

そして戦国時代や徳川時代には武士の間で愛好されましたが、明治維新により幕府の保護がなくなり、また戦争の影響もあり、時代の風潮とともに新しい境地に入っているようです。

とはいえ、現代の日本人のうち、能を実際に見たことのある人というのは、内閣府の調査では2パーセントとのこと。
やはり敷居が高いと感じる方が多いのでしょう。

そういう状況に対して、山井先生は非情に危機感を持っていらっしゃり、いろいろな多文化との交流を積極的にされていらっしゃいます。

今回の市民カレッジは毎月1回の5回シリーズなのですが、4回目には国立能楽堂での能楽鑑賞も含まれています。


1回目は、能の演者についての説明や、能楽のあゆみについての講義でした。
特に歴史についてのお話は興味深かったですね。
さすがに金春流は最古の流派だと思いました。

先日の白百合女子大学の「能楽茶時」▼の時も、金春流の若い女性の能楽師でした。
いろいろと能楽の可能性を広げていく取り組みをしているのですね。

また、今回の受講者の中には、大昔や、ちょっと前に交流のあった方もいらっしゃり、いろいろと楽しめそうです。

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この日の装い。

11月中旬でしたが、まだ単衣着物でちょうどよいくらいでした。

大和骨董市で見つけた深緑色の紬です。
たしか2500円だったかしら。
お店のお兄さんから「どんな帯でも大丈夫」と言われて買った記憶があります。


今回は花模様の織の帯を合わせました。
たんすやさんの催事で3500円だったかな。


羽織は菊の模様。
これは地元のフリマでワンコインだったと思います。


安上がりで申し訳ないくらいですね。




2019年11月20日水曜日

伊勢 2019年11月 2.着物も帯も着替えなし

私の旅行は、ほとんどが1泊2日というスタイルです。

荷物は極力少なくしたいので、着物の着替えは持ちません。
その代わり、帯はリバーシブル帯にしています。
そして帯揚げと帯締め、半襟(二枚重ね、あるいは二部式を利用)を変えて、2日間に違いをつけています。

今回の伊勢旅行では、事前の天気予報が雨だったため、ポリ着物にしました。


1日目は帯の裏側です。
ワインレッドの無地の面を使いました。
帯揚げと帯締めは模様入り。
半襟は真っ白。


2日目は帯の表側。
縞模様です。
(ホテルで写したため、照明がちょっと暗かったですね)


帯揚げと帯締めはオレンジ系の無地のものにしました。
半襟はベージュ系。


他人様が見たら、何の変りもないように思うかもしれません。
まぁ、自己満足と言えば、それまでです。
それでも変えてみたいのです。

今回は、着物とお揃いのバッグ(いろはさん制作)をお供にしました。


あちこちでいただいたパンフレットや、ペットボトルなど、大容量に使えるので、とても便利なバッグです。

着物も帯も、よく顔見知りの方のところで選んでいるもので、旅行中でも安心して着用できます。