テレビドラマや映画でもお馴染みの「忠臣蔵」は、さまざまな立場かの人からの話がありますが、こちらの「義にあらず」は、吉良上野介の妻の立場から綴った小説です。
妻・富子は上杉謙信に連なる家系の米沢藩上杉家出身です。吉良と結婚するまでは三姫という名前の大名家のお姫様でした。
そしてイケメンの吉良に嫁ぎ、多くの子供を産みますが、生まれてくるのは女の子ばかり。後継ぎの男子はなかなか生まれず、ようやく生まれた男子は早世してしまいます。跡取りがいないとお家断絶になってしまう武家社会の妻としては、非常に心苦しかったことでしょう。それでも吉良は側室も置かず、二人は仲のよい夫婦として過ごしていました。
吉良は仕事熱心の上、また世間をうまく泳ぎ渡る才能もあり、高家筆頭としての地位を確立していきます。
それでも社会的な付き合いや能楽に参加するため出費が多く、懐事情は苦しく、いつも富子の実家の上杉家に経済的に頼り切りにしていました。
そのようなことに応えるためにも、ようやく生まれた息子を上杉家の養子に出してしまいました。上杉家もお家断絶の瀬戸際にあったのです。
このような家族間の話が続き、姻戚関係がややこしいので、何回も家系図を見ながら、読み進めました。
彼女の周囲では、多くの家族の生死があり、また火災や水害も続き、そして最後に襲ってきたのが、松の廊下での事件でした。
彼女の心労は最高潮に達してしまったのです。
その後、幕府が下した制裁も、吉良家に対しては悲惨なものでした。「喧嘩両成敗」とはならず、世間の風評によって、かなり変化してしまったようでした。
仇討ちは本来なら、被害者が加害者に対して行うものでしょうけれど、この事件では一方的な被害者である吉良が襲われる、という異常事態になってしまったのは、恐ろしいことだと思いました。
今の世間でも、ネットで叩かれたりすることも多くありますが、幕府も一般大衆におもねてしまったのでしょうか。
私はこの小説を読んで、いわゆる忠臣蔵の事件そのものよりも、武家社会における妻の立場がいかに厳しいものかを知りました。家族だけではなく、多くの家来や使用人にも注意を払い、家をまとめ、そして何よりも家を繋いでいくことが求められます。
このような嫁がいたからこそ武家社会は続いたのでしょうけれど、子供が生まれなかった妻は「3年なきは去る」と言われたように、離婚させられてしまいます。
そのような家意識は、21世紀の社会になってもまだ続いている地域もあることでしょう。
富子や彼女の姉妹たちが苦しんだような家意識が、なくなることを願います。
ちなみに著者の鈴木由紀子さんは、富子の上杉家と同じ米沢の出身です。それでこの小説を書いたのかもしれませんね。多くの資料にあたり、本当はなんだったのかを知りたいという目的で書かれていました。
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「一日一句」
散る桜 お家第一 忍ぶ嫁
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