2024年1月17日水曜日

水路を考える ~Toshikoさんと行く世田谷区北部さんぽ~

さて、Toshikoさんの案内で玉川上水の最初の橋を確認した後は、もう少し世田谷区北部をお散歩することにしました。

前にも書きましたが、世田谷区の北側は杉並区と接している地域です。

そしてその南側には中央高速道路があり、その南には甲州街道、さらに南には京王線が通っています。

そのまた南側には小田急線が走り、その南には首都高速道路や田園都市線が走っています。

そして最南端には多摩川が東西に走っている地域です。世田谷区のその先は川崎市になります。

私たち現代の人間は、地域を考えるとき、ついそれぞれの自治体や、電車の路線、道路の位置などで考えてしまいますが、大昔は当然、そのような地図の区分はありませんでした。

自分の位置は、川や水路を中心にして、人々は生活していたのではないか、と考えられます。あの川を下れば、あの橋を渡れば、隣村になるという感覚だったのでしょう。また地方によっては、山の位置や、星の位置を地図代わりにしていたのでしょう。

そのことを私も今回の世田谷散歩で身近に感じました。この地域の水路は、南北に走っていることが多いのでした。

そして現在、東京の西側地域においては、東西の移動は楽にできますが、南北の移動は何回も電車を乗り換えをしなければならない、ということも日々痛感しているのです。

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今回のブログの中で、Toshikoさんに案内されて歩いたところは、杉並区の南端にある久我山あたりの玉川上水から、世田谷区に入ったところでした。そこには大きな団地がたくさん並んでいました。烏山北住宅のようです。

そしてその敷地内には、古い橋の跡があちこちにありました。

こちらの車止めは、団地の中で最初に出会ったものです。

地図で確認すると、これは烏山川の跡にある車止めのようでした。

烏山川というと、以前、暗渠マニアのCさんと一緒に烏山川緑道を歩いた川です。

https://toshiko72.blogspot.com/2021/06/blog-post_10.html

その烏山川は、世田谷文学館のあたりを流れて、環状八号線を越え、環状七号線を越えて、目黒川と合流する二級河川です。

また烏山川の源流と言われるのは世田谷区寺町にある高源院の鴨池ですが、そこにも行ったことがあります。

https://toshiko72.blogspot.com/2023/06/blog-post_5.html

それなのに、その中間である世田谷北部はまだ歩いていなかったのです。

これでは片手落ちですね。

ということで、今回、玉川上水のおまけで世田谷北部を歩くことができて、烏山川のラインがつながることになりました。

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ここからは先ほどの車止めからは少し離れた場所になりますが、フェンスの中には川らしき痕跡がありました。

そこに架かっていた橋ですが、名前はついていませんでした。


中を覗いてみましたが、水はありませんでした。

広い団地の敷地内に、残っていた橋ですが、後で地図で調べてみると烏山川のようでした。

こちらの団地の中にありました。「烏山北住宅」ですね。


団地の中を中央高速道路が突っ切っているところです。
高速の下には、子供向けのカラフルな遊具がありました。

以前訪れた高源院は寺町通りにありますが、その東側には松葉通り、そしてそのまた東側には烏山川があるのが分かりました。そしてそのまた東側には烏山分水もあったのです。

これを見ると、ふだんよく目にする地図は、東西に走る電車の路線が中心的存在ですが、実際に歩いてみると、この地形の特徴的存在の水路は南北に走っているということを確信したのでした。

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烏山川を見つけた後は、ぶらぶらとお散歩。

この日は1月の割には風もなく、とても歩きやすい日でした。

寒椿も咲いていました。

周辺には公園がたくさんありました。

世田谷区立北烏山3丁目松葉記念公園。


木の公園。


烏山公園。


烏山公園はとても広々とした公園で、カラフルで楽しそうな遊具がありました。幼児から中学生くらいまでの子供たちがたくさん遊んでいました。私も遊んでみたかったな。

この後は、またも暗渠を発見。

烏山松葉通住宅という団地の中でした。

怪しい水路跡のような細い道がたくさんありました。


そしてその団地の外側のフェンスには、あきらかに橋の跡と思われるものがありました。


ここは甲州街道に面した場所になります。


甲州街道を渡ったその先にも面白いものがありました。
そこは「CHITOSE HOTEL」という建物のすぐ隣りでした。


ホテルの隣は、フェンスで囲まれていましたが、そこには不思議な光景がありました。


こんなお地蔵さんが立っていたのです。


案内役のToshikoさん。


このには塔は、「武州烏山 大橋場の跡」と刻まれていました。


この庚申塔には、元禄13年と書かれていました。


千歳ホテルの前の道はどこまで続いているのか確認しませんでしたが、この日はたくさんの川の跡を見て満足して、京王線に乗って帰宅したのでした。

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「一日一句」

世田谷に 寒椿咲く 川の跡


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