水道橋というと、昔、この近くの本郷に叔母一家が住んでいたので、祖母に連れられて出かけたことを思い出します。当時は水道橋から本郷まで都電に乗って行ったのか、よく覚えていませんが。その後、父に連れられて後楽園球場に行った時にも、水道橋の駅を利用していたので、なんとなく懐かしい思い出の場所です。
今回は、御茶ノ水の聖橋に行ったついでに、そのまま戻るのは惜しいので、お茶ノ水橋から水道橋まで神田川沿いに歩いてみることにしました。
神田上水は、水戸藩邸の中を通り、このあたりで神田川の上を掛樋で渡り、江戸の中心部に給水していたのですね。上水が川の上を渡るという発想は、誰が考えたのか知りませんが、すごい発想だと思います。
後ろに、総武線が走っています。
こちらは御茶ノ水分水の石碑です。今でも分水はあるようです。
よく見ると、井の頭池からの水路が描かれていました。関口の大洗堰を経て、江戸市中まで経路が続いていました。
神田上水は、江戸時代を通して給水されていましたが、明治34年(1901年)に給水は廃止されたそうです。長い間、活躍したのですね。
後楽園遊園地が見えてきました。
掛樋はここから150メートルほど先のところにあったそうです。
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