2011年5月31日火曜日

おうちに入ったアマリリス

さとさんのブログで、関西の暴風雨のことを知りました。
その時はこちらはそれほどひどくはなかったのですけれど、その後、夜になってものすごい風が吹いてきました。

それでベランダにほったらかしのアマリリスちゃんも、頭が重くて倒れてしまいました。

いくらなんでもそのまま見過ごすことができないので、おうちに入れてあげました。


倒れてしまった茎に、割り箸を当てて補強しました。
いかにも応急手当という感じでしょ。

元気になったアマリリスちゃん。

初めてお世話をしてもらって、嬉しいのかな?

それにしても葉っぱとお花がアンバランスだわ。

2011年5月30日月曜日

「きものがたり」

宮尾登美子さんの「きものがたり」を読みました。

いや、読んだというよりも眺めたというほうが正しいのかもしれないわ。

この本はもともと家庭画報に載せていたものなどをまとめて出版したそうです。


この本は小説ではなくて、宮尾さんの箪笥の中にしまってある着物をみんなに公開して、それぞれの着物にまつわる思い出や思い入れを語るというもので、カラーページにはものすごい数の着物が載っているのです。

その構成は1か月ずつに分類してあって、1月は礼装用の着物、2月は羽織、3月は訪問着、薄物、刺繍の着物、絞りの着物・・・・というように12か月に分けてあり、それぞれ毎月20着ずつほどが載っています。つまり1冊まとめると240着以上の着物が見られるということ。

なんという数なのでしょうね。

でも宮尾さんは小さい時から70年以上、着物生活をしているし、いろいろな人からのいただき物の着物も多いそうで、それでこんなに数が増えてしまったのだとか。中でも宇野千代さんからの着物が多いみたいね。

それぞれの着物は、「女流文学賞を受賞した時に誂えた着物」とか「宮中にお招きにあずかったときに誂えた着物」とか「小説が映画化されたときの記念式典で着た着物」など、一般人とはちょっと格の違う着物もたくさんありました。

写真を見ているだけでも楽しいけれど、でもやはりその間に宮尾さんの着物に関する意見や思い出がたっぷりと書かれているので、宮尾ファンにとっては二重の喜びが得られます。

それにしてもこんなにたくさんの着物をどうやって保存してあるのか、全部着る機会はあるのか、ちょっと気になりますね。

「きものがたり」宮尾登美子著 1999年 世界文化社 

2011年5月29日日曜日

マンションの総会

今日はうちのマンションの総会でした。

このマンションは10年ほど経ちました。50世帯くらいが住んでいます。

マンションの総会はいつも5月の末に開かれますが、自分の住む家のことなので、私は総会にはできるかぎり出席しています。
でも、出席する人の顔ぶれはだいたい決まっているのです。
欠席の人は、自分の家のことなのに、関心がないのかしら。

気持ちよく住めるようにしておきたいし、できるならなるべく価値のあるものにしておきたいと思うのですが、管理会社任せという人も多いようですね。


10年ひと昔というけれど、ここに入居した時はまだ影も形もなかった子どもが、もう小学校高学年になっているのですね。

うちも当時は4人で住み始めましたけれど、2年前には母がホームに行き、去年、娘が結婚して出て行きました。

これからの10年はどんな変化があるのでしょう。

2011年5月28日土曜日

とうふ屋うかい

今日は親戚の集まりで、小雨の降る中、東京タワーの近くにある「とうふ屋うかい」というお店に行ってきました。

ここはかつて芝ボーリング場だったところだそうですけれど、本当に東京タワーの真下にありました。(タワーがちょっと曲がってしまっていますね)


ここはただのお豆腐屋さんではありませんよ。

広大な敷地には手入れのいき届いたきれいなお庭があり、お料理も素晴らしくて堪能してきました。


江戸時代風な建物。外国人が喜びそうな雰囲気です。


お部屋から見た風景。池には大きな鯉が泳いでいました。


八寸は蛸のうるい、ちまき寿司、湯葉とろ。


揚げ田楽。これは私でも作れますけれど、味噌のたれが特別でした。


鱧のお吸い物。


マグロと白身魚のお刺身。ガラスの器に氷がきらきらとしていて涼感たっぷり。


丸茄子の海老ふくめ煮。


名物のとうふ。さすがにすごくおいしかったわ。
豆腐の上にある昆布は、すっぽんの出しで煮たそうで、いいお味でした。
もうこのあたりでお腹がいっぱいになってきました。


和牛の炭焼き。このくらいの量がちょうどいいわね。


深川めし。赤だしがおいしかったわ。


びわのゼリーとよもぎ餅。デザートは別腹なのでちゃんといただけました。


おなかいっぱいになりました。

食事が終わって庭に出たら、東京タワーがきらきらと輝いていましたよ。

雨が降っていたのでこんな着物コートを着て行きました。


世田谷のボロ市で1000円で買ったもの。

なんだかおばさんぽくて嫌なんですけれど、おばさんだから仕方ないわ。
でもそれほど大雨にならずに助かりました。

2011年5月27日金曜日

アマリリス日記

うちのベランダに放置されている鉢があります。

それはアマリリスの鉢。

このアマリリスちゃん、お利口さんというか、おバカさんというか、律義というか、なーんにも肥料をやらないのに、時期が来るとちゃーんと花が咲くのですよ。

その花のでかいことといったら、びっくりするくらいです。

さて今年も5月の連休の頃、鉢から葉っぱが出てきました。


今年も花が咲いてくれるかな。


1週間ほど経った頃です。茎がにょきにょきと伸びています。


5月20日ごろ、蕾ができて・・・


膨らんできて・・・


5月25日、プロペラのように両方に花を広げています。


そして5月27日の朝、花を咲かせました。蕊がびょーんと長いこと。


これ以上になると、だらしのない花になってしまうの。

2010年のアマリリス

2009年のアマリリス

手入れも何もしないのに、よく咲いてくれるアマリリスちゃん。

でもちょっとケバいんですよね。
もう少し、可憐だといいんだけどな。

2011年5月26日木曜日

前髪

私はもう何年も前からずーっとショートヘアで、前髪は斜め左の方から右へ向かって流すようなヘアスタイルを続けています。

ところが最近、どうも前髪がうまく決まらないの。


後ろの方は短いので、適当にさっさとなでつけているだけですぐに終わるのですが、前髪は以前はふわっと流れていたのに、このごろはなんだかちびまる子ちゃんのお母さんのよう、というか、くちゃっとしてしまって、全然気に入らなくて、髪の毛を整えるのに時間がかかってしまうのです。

それって、前髪が薄くなってきたせいなんでしょうか?

ドキッですよね。

最近、女性用のかつらのCMを見ますが、それってやはり女性でも髪が薄くなる人が増えているのかしら。

私の場合、髪の毛が太くて多いので、地肌が透けてしまうようなことはないのですけれど、どうも前髪が気になるわ。


「まだ上げそめし前髪の
 りんごのもとに見えしとき・・・・」

島崎藤村が歌った初恋も、少女の髪の毛がふんわりとしていたから素敵な詩になったんですよね。

ああ、年は取りたくないわね。

2011年5月25日水曜日

娘のところへ

前にも書いたかもしれませんけれど、私は高年齢出産だった割には、妊娠中は何のトラブルもなく、おまけに無痛分娩というのだったので、いわゆる世間の妊婦さんの苦労はほとんどしないで済んでしまいました。


ところが昨年結婚した娘は、妊娠初期からつわりがひどく、4月半ばには切迫流産という状態になり、トイレ以外はどこにも行けないという絶対安静を40日ほど過ごしていました。
それでもようやく落ち着いた状況になり、医者から外出の許可も出て、仕事も短時間ずつなら再開できそうなところまで良くなってきました。

その間、娘はいろいろ不安なことが多いのでしょうけれど、出血したとか、胎動が止まってしまったとかあれこれメールで言ってくるので、私もどうなることかと心配でした。

でも一段落したので、娘が仕事に復帰する前に、一度ランチをしようというので、埼玉の家まで行ってきました。


医者からは「子どもは元気に育っていますよ」と言われたそうで、娘は顔色もよく、私もほっとしました。

それでもまだ疲れるのか、のそのそとしていて、椅子に座っているのも辛いそうです。

今日の装いですが、娘はあまり着物っぽいスタイルは好きでないと思い、洋服感覚の黒にグレーの格子柄の単衣にしました。京都の女医さんからのいただきもの着物です。


帯は京都で買った1000円の作り帯。重宝しています。


娘は、先日私が代理でもらってきた水天宮のお守りの小布をまだ縫いつけていないというので、糸と針(携帯用の小さなもの)を借りて、私が妊婦用ガードルのお腹のところにワッペンのように縫ってきました。

まだまだ早産などのおそれもあるそうなのですけれど、あと5カ月、妊婦さんにはがんばってもらいたいですね。

2011年5月24日火曜日

銀行とのつき合い方

金銭的なことにはまるで疎い私。

自慢ではないけれど、自分の銀行口座にいくら預金があるのかちゃんと分かっていませんでした。

ずっと前から銀行に行かなくちゃと思いつつも、そのままにしていました。

たまたま今日は銀行が開いている時間に私の身体も空いていたので、恥を忍んで銀行に行って確認してきました。

2階の窓口に案内されました。
順番が来て呼ばれたので、私は担当のお姉さんに、
「すいませんけれど、すごくずぼらなもので、自分の口座の残高が分からないのです」と切り出したのですよ。

それというのも、普段、使っている普通口座の通帳はたまには記帳するのでだいたいの残高は分かるのですけれど、それ以外の定期預金とか積立預金の通帳が見当たらなかったのです。

お姉さんは笑って「私もずぼらなんですよ」と言いながら、いろいろ調べてくれました。
けっこう残高があったので、我ながら驚いたわ。
お姉さんは「その通帳はディズニーの柄の通帳ですよ。おうちでもう一度探してみてください。」と教えてくれました。


一度家に戻って、あちこち探したら、クマのプーさんの通帳が見つかったわ。

それを持ってもう一度銀行に行って、今度はマシンで記帳したら、ガチャガチャと音がして、ずらーっと2年分、記帳されました。

まったくずぼらな私です。

でもね、どうしてこうなったかというと、銀行があまりにも合併と行名変更を繰り返していて、おまけに支店も合併されたり、通帳も何回も何回も更新されて、どれがどれだか分からなくなってしまっていたのですよ。

優しいお姉さんでよかったわ。
でも内心では、「このお客さん、おかしいんじゃないの?」と思っていたかもね。

今日の写真は、某化粧品会社からお借りしました。

2011年5月23日月曜日

「櫂」

櫂というのは、船を漕ぐときの道具なのだけれど、それをタイトルにした宮尾登美子の「櫂」。

どうしてそのタイトルにしたのかは不明だが、主人公の女性が、水に流されまいとして必死に漕いでいる姿を象徴したかったのだろうか?


この「櫂」は10年ほど前に読んだことはあるのだけれど、すっかり内容は忘れてしまっていた。
覚えているのは、最初のシーンに四国の高知では初夏ごろに「楊梅」(やまもも)という果物を食べる習慣があるということと、旦那さんの名前が「岩伍」であるということ、そして娘の名前が「綾子」だということくらいしか記憶に残っていなくて、いかにいい加減に読んでいたかが分かってしまう。

この小説の舞台は明治から大正、そして昭和へと続く高知。

主人公は素人の家の出であったのに、若くして結婚した相手の夫が芸妓紹介業となり、多くの男女の使用人に囲まれながら賑やかに暮らしていた。
それが病弱な長男の世話、遊び人になってしまった次男の世話に追われていた頃、夫が娘義太夫といい仲になり、子どもができてしまった。その赤ん坊を引き取って育てていくことによってだんだんと彼女の世界が変わってくる。

女の売買を生業とする夫とは次第に距離を置くようになり、いろいろなトラブルが起こり、使用人もだんだん減らされてしまい、最後には家を追い出されて、貧困生活をするようになってしまう。ラストでは可愛いがっていた義理の娘ももぎ取られるようにして、主人公が一人になってしまうところは本当に切ない。


そんな女性の話だが、この義理の娘である綾子は作者・宮尾登美子の分身ともいえる。

この「櫂」はその後、主人公を変えながら「朱夏」「春燈」「岩伍覚書」「仁淀川」の4部作と繋がっていく。
とくに「朱夏」では結婚した綾子が満州に行き、戦後、ボロボロになって引き上げてくる様子が描かれている。

この本ではもう今から80年ほど昔のいろいろな習慣や言い伝えなども丁寧に描かれていて、昔の人はこうやって生活してきたのだ、ということがよく分かる。また方言も美しく、心に沁みるシーンも数多くある。

かなり長い小説だし、読みにくいところもあるので、誰にでもお勧めするような本ではないのだけれど、私はやはり女性作家の書いた本が好きなんだなと思う。

「耐えて耐えて、それが結婚」という台詞があったけれど、当時からすると今の女性は強くなったのでしょうかね。

2011年5月22日日曜日

「ブラック・スワン」

今を去ること、ウン○十年前、私は少女雑誌の「りぼん」や「少女フレンド」などで、よくバレエ漫画を読んでいました。

そこに登場するバレリーナはお金持ちの意地悪なお嬢様、その取り巻きの少女たち、冷酷なバレエ教師、そして主人公は当然ながら貧乏で真面目でけなげな女の子でした。
そんなバレエ少女たちが、プリマの座を巡ってねたみやそねみ、悪口などの手練手管を駆使しながらも、真面目に明るく生きて行く主人公。そして最終的には貧しい主人公が栄光の座を占めるというストーリーがほとんどで、そういう漫画を読みつつ、私はバレエの世界を垣間見たり、また少女の友情というものを学んだりしていたのでした。

多分、いつの時代でも女の子というのはそういうヒロインを応援しつつ、大人の世界に育っていくのだと思うのよ。


さてそんなバレエ漫画を読んで大きくなった私は、「ブラック・スワン」を見る前に、そんな淡い少女漫画を思い出していました。

でも映画の方はそういう私の郷愁とはまるで違っていて、ホラー映画というか、スプラッター映画というか、心理スリラー映画のようで、ちょっと私には性が合いませんでした。

でも主人公を演じた女優のナタリー・ポートマンは本物のバレリーナに見えるように9キロもダイエットをして、猛訓練のおかげでアカデミー主演女優賞を取ったのだそうです。


たしかに彼女は頑張っていましたよ。
女性同士のレズビアンシーンあり、自慰シーンありで、女優さんというのはこういう姿も見せなきゃならんのかと、なんだかご苦労さまという感じでした。

彼女のお母さんというのが昔はプリマを目指したのに、群舞どまりの人で、娘に対する異常な愛情ぶり。娘の方も、ママ、ママといっていい娘でした。
こういうマザコンってこういう映画によくあるパターンだと思いましたね。ちょっと類型的かな。

彼女のライバルとなるもう一人のバレリーナは私好みでした。
ちょっぴり丸顔ですけれど、色っぽいし、可愛さと凄さの両方を持っている人だと思うわ。

それに引き換え、男優はぱっとしないというか、気味悪かったです。
ブラックスワンを踊るには、もっと官能的にならなきゃいけないとバレエの団長(?)から迫られるんですけれど、この男、気持ち悪いったらありゃしない。
「こんな男に抱かれたりするなよ!」と思わず檄を入れたくなりました。


この映画では、主役に抜擢されながらも、その座を取られそうになる主人公の不安な気持ちや恐れや苦しみを描くために、血みどろのシーンや幻想シーンがたんまりとあって、血の嫌いな私は半分目をつぶっていたわ。


亡くなった淀川長治さんではないですけれど、
「ナタリー・ポートマン、きれい、きれいでしたね~」
「でも、この映画、怖かったですね~」
というのが私の正直な感想です。

さよなら、さよなら、さよなら~

2011年5月21日土曜日

根津の路地にて

昔の下町の面影を残している町、根津の路地にあるギャラリー「りんごやさん」に行ってきました。


こんな作品展でした。


この中でお人形さんとパッチワークは高校の同級生の作品なのです。

作者みたいに愛らしいお人形さんたち。ひと針ひと針、形を作り上げていくというのは大変な作業でしょうね。


その作品を眺めながら、同級生7~8人が集い、おしゃべりに花を咲かせました。


この藍染は同級生の作品ではありませんが、とても素敵でした。


ショールの色がいいわね。


手仕事に打ち込んでいる人、趣味を楽しんでいる人、介護で忙しい人、それぞれの人生は一言で語れるものではありませんけれど、青春の一時期を同じ高校で過ごしたというだけで、いろんな共感が湧いてきます。

その後、私はみんなと分かれて根津や千駄木、谷中あたりをぶらぶらしてきました。

こちらは根津神社。


谷中銀座の「ひぐらしだんだん」の階段。


それにしても今日は暑かったわ。

藍染めに合わせてブルーの単衣の紬を着ました。
下にはことし初めて麻の襦袢を着ましたが、暑くてボーっとしてしまいました。


でも今日も12,000歩ほど歩きましたよ。

人形作家:ゼペットおばさんのブログ
刺繍作家:トントンのブログ

2011年5月20日金曜日

やはりラテンが好き

最近は三味線のお稽古をしたり、日本舞踊を始めたりと和風趣味人間だと思われている私ですが、久しぶりでラテン系のエアロビックダンスを3日連続で楽しんできました。


震災後はみんなそうかもしれないけれど、私はなんとなくユーウツな気分が続き、おまけに家族の健康状態が良くなかったり、仕事面でも落ち着かないことがあったりして、ダンスをする気が失せていました。

でもこのままじゃまずいと思い、意を決して踊ってきましたが、だんだんとハイテンションになってきました。

サンバやルンバ、チャチャ、ランバダ、サルサなど気持ち良かったわ。


私は日本にいるときはA型人間というか、どちらかというときっちりしていないと嫌なタイプなんですけれど、昔、南米に1か月くらいいた時には、自分がとても解放されて、ラテン系のノリが合っているんじゃないかと思ったりしていました。

ラテンのステップは多少間違っても、気にしないで踊れます。

とにかく踊っていると笑顔が出てきて、ハッピーな気分になれるのがいいですよね。

このレッスンでは、初めてのインストラクター、初めての曲、初めての振りばかりでしたが、それでも何とか、ついていくことができました。


なんだかんだと言っても、中断はあってもかれこれ30年は踊っているので、この年になってもすぐに踊れるのは嬉しいですね。

その点、日本舞踊は、素地がまるでないから、次の動きが読み取れないんですよね。どうしてこういう動きになるんだろう、と考え込んでしまうのですよ。

やはりなんでも若いころにちょっとでもかじったものは、年取ってからでも楽しめるものですね。

写真は去年の神代植物公園のバラ。
今年ももうきれいに咲いているようです。

2011年5月19日木曜日

さとさん絣で

昨日はかなり暑くなったので、京都のさとさんからいただいた絣の単衣の着物を着て、日本舞踊のお稽古に行きました。

絣って子どもっぽくなったり、野暮ったくなったりして、意外と着るのが難しいのですよ。


連休などがあったために、稽古は1ヶ月ぶりだったので、「潮来出島」の振りもほとんど忘れてしまったわ。

手の動きに注意していると、足の動きがおかしくなるし、足に気を取られていると、扇の持ち方がおかしくなったり・・・。
日本舞踊はボケ防止にはちょうどいいかもしれないけれど、可憐にじっくりと踊るというのは難しいものです。

お稽古の後は母のいるホームまで。

おばあさんたち数人がリビングに集まっていましたけれど、私が絣の着物を着ていたせいか、みなさんの注目の的になってしまいました。


私の好みの渋い着物を着ているときには、おばあさんたちもあまり話しかけてはこないのですが、黄色と赤いの派手な柄だったせいか、みんな、「私も若い時にはよく着物を着たのに、全部娘にやってしまったわ」とか「私は九州に住んでいたから博多帯はたくさんもっていたのよ」とか「私は肩が張っているから着物が似合わなくてね」とかおしゃべりに花が咲きました。

黄色の半襟は手ぬぐいだと説明すると、みんなびっくりしていましたよ。

私も気づかなかったのですが、半幅帯の柄がつばめだということも、おばあさんたちから指摘されて気づいたわ。

ちょっと若向きかと思ってあまり着なかった絣ですけれど、みんなに喜んでくれると嬉しいですね。