先日、新橋演舞場で「蘭 ~緒方洪庵浪華の事件帳~」▼というお芝居を見ました。
藤山扇治郎さんが若き日の緒方洪庵役、元宝塚スターの北翔海莉さんが、その相手役の男装の麗人、というお芝居でした。
このお芝居の元となった小説を、図書館で借りて読んでみました。
「北前船始末 緒方洪庵浪華の事件簿帳」です。
本当は「緒方洪庵浪華の事件帳」の最初のシリーズを読みたかったのですが、貸し出し中だったので、第2作であるこちらにしました。
第1作を読んでいないので、話がよく見えなかったのですが、お芝居を見ていたので、大体のストーリーはつかめました。
第2作も、大坂で蘭学塾の医学生である緒方章が、いろいろな事件に巻き込まれて、大坂を陰で守り続ける「在天別流」の血統を受け継ぐ謎の男装の麗人・東儀左近(普通の時は、饅頭屋の娘・佐江として生活している)に助けられる、という基本は同じでした。
この二人の淡い恋の行方ですが、章は成績優秀であるがゆえに、江戸にもっと高度な医学を学びに行くことになるところで終わっています。
舞台に比べて、小説の方はかなり話が込み入っていて、登場人物も多く、ややこしかったのですが、さすがにお芝居にするときは、分かりやすく脚色されていたようです。
本の紹介には「痛快無比、浪華の町を悪事から守り抜くほろ苦い決意を描く」とありましたが、うーん、私にはそれほど痛快ではありませんでしたね。
ただし、これまでの時代小説は江戸が中心の話を多く読んできたので、大阪が舞台の小説というのは、大阪弁という特殊性もあり、それはそれなりに面白い部分もありました。
ちなみにこのシリーズは、テレビでは栗山千明さんというすらりとした女優さんが演じていたようです。
著者は築山桂さんという人ですが、なんとこの人は女性でした。男性だとばかり思い込んでいました。
1969年京都生まれの大阪育ち、大阪大学出身の方でした。
硬い文章のところと、妙にラフな文章のところが混じっているので、どんな人か想像がつかなかったのですが、「桂」という名前は男性とも女性ともどちらでもよく、それはヒロインである左近さんが男装しているのと、どこかで繋がっているのかもしれません。
できたら、つぎはこちらの、第1作の方も読んでみたいですね。
本のカバーがあまりに可愛らしくて、ちょっと笑ってしまいます。
2018年5月31日木曜日
2018年5月30日水曜日
「すしざんまい」で浄瑠璃三昧
先日は、築地にある有名なおすし屋さん「すしざんまい」で、浄瑠璃を楽しんできました。
お店の前では、社長さんが「いらっしゃ~い」と、両手を広げて立っています。
こちらのビルの5階にあるこじんまりとした和室で、野澤松也師匠▼の浄瑠璃演奏会が開かれました。
出演者と客席を合わせても20人ほどのスペースでしたので、ほんとに目の前で演奏されました。
実は、松也師匠は、先日亡くなった西城秀樹さんと同じ高校に通っていて、一つ違いだったそうです。ヒデキさんは、昔から有名な存在だったそうですよ。
そんなお話から、会が始まりました。
「柝(き)」の音がスコーンと鳴りました。
最初の出し物は、古典もので「生写朝顔話〜宿屋の段〜」。
恋の物語ですね。
三味線と語りは松也師匠がされて、それにお筝が加わりました。
お筝の長田悠貴能さんは、目も鮮やかな美人さんでした。
浄瑠璃にお筝が加わるのは珍しいと思いますが、とてもしっくりと音が合ったと思いました。
それにリンリンさんのお太鼓が加わりました。
休憩の後は、会津から参加された竹本仁太夫さんが、創作浄瑠璃「朝蛇朝茶飲物語」の三味線と語りをお一人でされました。
いつもさっさと行動する長男と、いつものんびりお茶を飲んでから始まる次男のお話でしたが、本場の会津弁での語りが面白かったですね。
この太夫さんは、まだ30歳とお若くて、普段は公務員としてお仕事をされていらっしゃるそうで、素晴らしい存在ですね。
こちらはお母上ですが、「鬼マネージャー」なんだそうです。
お着物があまりに見事だったので、写させていただきました。
なんと三味線の絵柄ですよ。
こんな着物、見たことありません。
3番目の出し物は、ちょいとコワイ江戸情七不思議「片葉葦」という創作浄瑠璃でした。これは今でいうストーカーの話です。怖い物語の結果、今ではここに生える葦には、片側にしか葉が生えないというお話でした。
語りは松也師匠、三味線は17歳になったばかりという初々しい野澤松玖さんでした。
松玖さんの三味線を聞くのは二回目でしたが、今回は一人で弾いていました。指が細くて長くてしなやかで、その軽やかな動きは見とれてしまうほどでした。
太鼓の「どろどろ」をしたいという一心でお囃子のお稽古を始めたというリンリンさんでしたが、太鼓の音がとても効果的に響いていましたよ。
実はこの日は、2回公演でした。
私は夕方から始まる第一部に行きましたが、その後、また第二部も同じ演奏をされたとのこと、出演者の皆様、関係者の皆様、どうもお疲れ様でした。
この演奏会は「シャミニストジャパン」として活動されていますが、「日本橋きもの倶楽部」の皆様もボランティアで活動されて、もう26回も続いているそうです。
リーズナブルなお値段で、身近に三味線が楽しめるのは嬉しいですね。
いつかはこちらのお寿司も、いただきたいものです。
お店の前では、社長さんが「いらっしゃ~い」と、両手を広げて立っています。
こちらのビルの5階にあるこじんまりとした和室で、野澤松也師匠▼の浄瑠璃演奏会が開かれました。
出演者と客席を合わせても20人ほどのスペースでしたので、ほんとに目の前で演奏されました。
実は、松也師匠は、先日亡くなった西城秀樹さんと同じ高校に通っていて、一つ違いだったそうです。ヒデキさんは、昔から有名な存在だったそうですよ。
そんなお話から、会が始まりました。
「柝(き)」の音がスコーンと鳴りました。
最初の出し物は、古典もので「生写朝顔話〜宿屋の段〜」。
恋の物語ですね。
三味線と語りは松也師匠がされて、それにお筝が加わりました。
お筝の長田悠貴能さんは、目も鮮やかな美人さんでした。
浄瑠璃にお筝が加わるのは珍しいと思いますが、とてもしっくりと音が合ったと思いました。
それにリンリンさんのお太鼓が加わりました。
休憩の後は、会津から参加された竹本仁太夫さんが、創作浄瑠璃「朝蛇朝茶飲物語」の三味線と語りをお一人でされました。
いつもさっさと行動する長男と、いつものんびりお茶を飲んでから始まる次男のお話でしたが、本場の会津弁での語りが面白かったですね。
この太夫さんは、まだ30歳とお若くて、普段は公務員としてお仕事をされていらっしゃるそうで、素晴らしい存在ですね。
こちらはお母上ですが、「鬼マネージャー」なんだそうです。
お着物があまりに見事だったので、写させていただきました。
なんと三味線の絵柄ですよ。
こんな着物、見たことありません。
3番目の出し物は、ちょいとコワイ江戸情七不思議「片葉葦」という創作浄瑠璃でした。これは今でいうストーカーの話です。怖い物語の結果、今ではここに生える葦には、片側にしか葉が生えないというお話でした。
語りは松也師匠、三味線は17歳になったばかりという初々しい野澤松玖さんでした。
松玖さんの三味線を聞くのは二回目でしたが、今回は一人で弾いていました。指が細くて長くてしなやかで、その軽やかな動きは見とれてしまうほどでした。
太鼓の「どろどろ」をしたいという一心でお囃子のお稽古を始めたというリンリンさんでしたが、太鼓の音がとても効果的に響いていましたよ。
実はこの日は、2回公演でした。
私は夕方から始まる第一部に行きましたが、その後、また第二部も同じ演奏をされたとのこと、出演者の皆様、関係者の皆様、どうもお疲れ様でした。
この演奏会は「シャミニストジャパン」として活動されていますが、「日本橋きもの倶楽部」の皆様もボランティアで活動されて、もう26回も続いているそうです。
リーズナブルなお値段で、身近に三味線が楽しめるのは嬉しいですね。
いつかはこちらのお寿司も、いただきたいものです。
2018年5月29日火曜日
日舞のお稽古 4回目
4月から始めた日舞研修生のお稽古も、4回目となりました。
2週間に一度のお稽古なので、振付をすぐに忘れてしまうので、今回はビデオを撮ってみることにしました。
昔のお稽古ではそういうことは許されなかったと思いますが、この年になると物覚えが悪いので、機械に頼ることにしました。
この日は、着物友だちの2人も見学に来ました。
見学の方が加わるたびに、先生は立ち方、座り方、ご挨拶の仕方など、初歩的なことから教えてくださいますが、それは私たちにも復習となり、役立っています。
お二人とも、お稽古を楽しまれたようです。
その時の様子がfacebookに公開されています。こちら▼
先生はそれぞれの生徒にあった曲を教えられるので、何パターンもあり、ご指導は大変だと思います。
でも私たち初心者にとっては、ほんとの基本から教えていただくので、とてもラッキーです。
これまでのお稽古を通して私が感じたことは、日舞の基本は、動作の継続性、ということではないか、という気がしました。
ある動作から次の動作に移るときは、ブツッときらないように、パッパとしないように、連続した動きになるほうが、日本舞踊らしくて、見た目も美しいのだろうと思います。
例えば、まず左に三歩動いて、次は右に三歩動く、というような振りがあったとすると、
「ハイ、左、ハイ、右」と動くのではなく、まずは左に動いて、そして次は腰を右側に向けて、それにつられて身体も右に動くようにするということです。
そのような継続性が、すべてに共通するような気がしました。
これは三味線で音を出す時、例えば初めは4の音を弾いていて、次に7の音に移る時、まずその近くの6(これは基本の音です)のところまで指を待機して、そこからちょっとだけ伸ばせば7になります。
こういうことを三味線の先生から教えていただいて、楽に(そしてきれいに)音が出るようになりました。
4から一気に7に飛ぶとなると、正確な音が出なかったり、指が飛び跳ねたりしてあまり見かけが良くないのです。
ということで、日舞を習ってから、人間の身体の動きの連続性ということに興味が沸いてきました。
日舞や三味線などのお稽古事には、共通性があるのは、面白いことだと思います。
(バレーや、ピアノのお稽古も同じかもしれませんね)
身体の動きがスムーズにできるのが、人間とロボットとの違いではないか、アナログとデジタルの違いではないか、と思ってしまいます。
******
この日の装い。
身体を動かすと暑くなるので、叔母が着ていたちぢみにしました。
写真では分かりませんが、赤や白の模様が描かれています。
オレンジ色の帯にしましたが、これは1000円の無地の帯に、トルコレースという幅広のレースを縫い付けたものです。
2週間に一度のお稽古なので、振付をすぐに忘れてしまうので、今回はビデオを撮ってみることにしました。
昔のお稽古ではそういうことは許されなかったと思いますが、この年になると物覚えが悪いので、機械に頼ることにしました。
この日は、着物友だちの2人も見学に来ました。
見学の方が加わるたびに、先生は立ち方、座り方、ご挨拶の仕方など、初歩的なことから教えてくださいますが、それは私たちにも復習となり、役立っています。
お二人とも、お稽古を楽しまれたようです。
その時の様子がfacebookに公開されています。こちら▼
先生はそれぞれの生徒にあった曲を教えられるので、何パターンもあり、ご指導は大変だと思います。
でも私たち初心者にとっては、ほんとの基本から教えていただくので、とてもラッキーです。
これまでのお稽古を通して私が感じたことは、日舞の基本は、動作の継続性、ということではないか、という気がしました。
ある動作から次の動作に移るときは、ブツッときらないように、パッパとしないように、連続した動きになるほうが、日本舞踊らしくて、見た目も美しいのだろうと思います。
例えば、まず左に三歩動いて、次は右に三歩動く、というような振りがあったとすると、
「ハイ、左、ハイ、右」と動くのではなく、まずは左に動いて、そして次は腰を右側に向けて、それにつられて身体も右に動くようにするということです。
そのような継続性が、すべてに共通するような気がしました。
これは三味線で音を出す時、例えば初めは4の音を弾いていて、次に7の音に移る時、まずその近くの6(これは基本の音です)のところまで指を待機して、そこからちょっとだけ伸ばせば7になります。
こういうことを三味線の先生から教えていただいて、楽に(そしてきれいに)音が出るようになりました。
4から一気に7に飛ぶとなると、正確な音が出なかったり、指が飛び跳ねたりしてあまり見かけが良くないのです。
ということで、日舞を習ってから、人間の身体の動きの連続性ということに興味が沸いてきました。
日舞や三味線などのお稽古事には、共通性があるのは、面白いことだと思います。
(バレーや、ピアノのお稽古も同じかもしれませんね)
身体の動きがスムーズにできるのが、人間とロボットとの違いではないか、アナログとデジタルの違いではないか、と思ってしまいます。
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この日の装い。
身体を動かすと暑くなるので、叔母が着ていたちぢみにしました。
写真では分かりませんが、赤や白の模様が描かれています。
オレンジ色の帯にしましたが、これは1000円の無地の帯に、トルコレースという幅広のレースを縫い付けたものです。
2018年5月28日月曜日
リサイクル着物店のオープン@吉祥寺
先日、吉祥寺にリサイクル着物のお店がオープンしました。
「ふだんきもの杏」▼です。
こちらのお店とは、数年前、川崎の古民家での着物イベントで知り合い、ネットショップも利用したり、その後、吉祥寺の別の場所でお店をオープンした時にも利用していました。
店主の杏さんは、独身の時から知っていていますが、現在は新婚さんの可愛い女性です。
ちょうど私の娘世代なので、親のような気持ちで、彼女には頑張ってもらいたいと思っていましたが、ついにご自分の城を持ったのでした。
オープン当日にお店に伺いましたが、お店のある道路には、こんな立派なお花が飾られていました。
着物のマネキンが隠れてしまうほど、大きなお花でしたよ。
杏さんのお店の特徴は、何といってもリーズナブルなお値段だということ。
アンティーク着物や、豪華な帯も、お小遣い感覚で手に入るのです。
私はこれまで、杏さんのお店では、着物や名古屋帯、半巾帯、半襟、帯揚げなどいろいろとお世話になっています。
いちばん気に入っているのが、こちらの杏さん手作りの帯。
絞りの面と、ウールの格子柄の両面使えるので、1枚で2度楽しめる「旅行の友」となっています。
こちらの緑の紬の着物もお気に入り。
寸法がぴったりで、たしか3000円だったと思います。
新しいお店には、着物や帯や小物がどっさり並んでいました。
杏さんは、きびきびと接客されていましたよ。
ちょうど居合わせた着物友だちのMさん(左)と並んだ杏さん(右)。
私も写真に入れさせてもらいました。
お店の場所は、中央線・吉祥寺駅南口から、線路際に歩いて1分ほどのビルの2階です。
とても便利なところにあるので、気軽に利用できそうです。
着物の初心者の方もどうぞご利用くださいね。
着付けや、各種相談にも乗ってくれると思います。
こちらがお店の場所です。
私の買い物のポリシーは、ブランドや金額、年代にこだわることなく、また必要以上に背伸びせずに、身の丈に合ったものを選びたい、ということです。
そんな意味からも、気軽に若い感覚のお店に行ってみるのも、楽しいひと時なのです。
「ふだんきもの杏」▼です。
こちらのお店とは、数年前、川崎の古民家での着物イベントで知り合い、ネットショップも利用したり、その後、吉祥寺の別の場所でお店をオープンした時にも利用していました。
店主の杏さんは、独身の時から知っていていますが、現在は新婚さんの可愛い女性です。
ちょうど私の娘世代なので、親のような気持ちで、彼女には頑張ってもらいたいと思っていましたが、ついにご自分の城を持ったのでした。
オープン当日にお店に伺いましたが、お店のある道路には、こんな立派なお花が飾られていました。
着物のマネキンが隠れてしまうほど、大きなお花でしたよ。
杏さんのお店の特徴は、何といってもリーズナブルなお値段だということ。
アンティーク着物や、豪華な帯も、お小遣い感覚で手に入るのです。
私はこれまで、杏さんのお店では、着物や名古屋帯、半巾帯、半襟、帯揚げなどいろいろとお世話になっています。
いちばん気に入っているのが、こちらの杏さん手作りの帯。
絞りの面と、ウールの格子柄の両面使えるので、1枚で2度楽しめる「旅行の友」となっています。
こちらの緑の紬の着物もお気に入り。
寸法がぴったりで、たしか3000円だったと思います。
新しいお店には、着物や帯や小物がどっさり並んでいました。
杏さんは、きびきびと接客されていましたよ。
ちょうど居合わせた着物友だちのMさん(左)と並んだ杏さん(右)。
私も写真に入れさせてもらいました。
お店の場所は、中央線・吉祥寺駅南口から、線路際に歩いて1分ほどのビルの2階です。
とても便利なところにあるので、気軽に利用できそうです。
着物の初心者の方もどうぞご利用くださいね。
着付けや、各種相談にも乗ってくれると思います。
こちらがお店の場所です。
私の買い物のポリシーは、ブランドや金額、年代にこだわることなく、また必要以上に背伸びせずに、身の丈に合ったものを選びたい、ということです。
そんな意味からも、気軽に若い感覚のお店に行ってみるのも、楽しいひと時なのです。
2018年5月27日日曜日
「東をどり」
新橋芸者さんたちの踊りの公演、「東をどり」▼を見てきました。
会場の新橋演舞場までの通りある銀座の柳は緑が美しく、「東をどり」のぼんぼりが飾られていました。
京都の上七軒で行われる「北野をどり」は2回ほど見たことがありますが、新橋の芸者さんたちの踊りは初めてでした。
実はこの踊りの三味線伴奏は、私の三味線の先生も出演されているのでした。
それで鑑賞に出かけました。
新橋演舞場ですが、ここではつい数日前には宝塚スターさんのお芝居を観た▼ばかり。
その時とはまるで雰囲気が違っていましたね。
宝塚の時はほぼ99パーセントが女性客でしたが、今回は男性のお客様(それも着物姿)の方がかなりいらっしゃいました。どこかの旦那衆という感じの方が多かったような感じでした。
もちろん、女性も着物姿が多くいらっしゃいましたよ。
私が選んだ席は2階でしたが、最前列でしたので、舞台全体がとてもよく見渡せました。
1階の値段の高い席よりも、安いわりには良く見えて、ラッキーでした。
唄や三味線の音も、とてもよく聞こえました。
第一部は、長唄と踊り。
芸者さんたちが長唄に合わせて、日本髪にお引きずりの美しい着物で踊りました。
艶やかでしたね。
私の先生も、豪華な裾模様の黒留袖姿で、気持ちよさそうに演奏されていました。
お花見の踊りは、とてもきれいでしたよ。
幕間には、芸者さんがたくさんロビーにいらっしゃって、ご贔屓の方(?)たちと歓談されていました。
私も写真を撮らせていただきました。
さすがにおきれいでした。
ここではお酒やワイン、お寿司なども振る舞われていて、さながら料亭のお座敷のような雰囲気でした。
みなさん、気持ちよさそうに飲食されていました。
第二部は清元と踊り。
花魁の恋物語などの踊りでした。
最後には舞台にずらりと勢ぞろいして、芸者さんたちの口上。
そしてお客さんたちに向かって、ご祝儀の手拭いを投げていました。
この東をどりは、もう94回も続いているそうです。
初公演は、大正14年の新橋演舞場のこけら落しの時だったそうです。
関東大震災があったのが大正12年ですから、すごい歴史のある公演なのですね。
ちょうど本日は最終日。1日に3回公演です。
みなさま、お疲れ様です。
本来なら、料亭のお座敷でしか見ることができない花柳界ですが、劇場で日ごと磨かれた芸者さんたちの美しい踊りを楽しむことができました。
******
この日の装い。
かなり暑くなると予想されていたので夏着物にしようかとも思いましたが、会場は冷房で寒いと思って、単衣にしました。
冷風がガンガン流れていて、単衣にして正解でした。
帯は、だいぶ前に骨董市で買ったもの。
ものすごく長くて締めにくくて、大変でした。
なんだか全体が淡い緑色になってしまいましたね。
会場の新橋演舞場までの通りある銀座の柳は緑が美しく、「東をどり」のぼんぼりが飾られていました。
京都の上七軒で行われる「北野をどり」は2回ほど見たことがありますが、新橋の芸者さんたちの踊りは初めてでした。
それで鑑賞に出かけました。
新橋演舞場ですが、ここではつい数日前には宝塚スターさんのお芝居を観た▼ばかり。
その時とはまるで雰囲気が違っていましたね。
宝塚の時はほぼ99パーセントが女性客でしたが、今回は男性のお客様(それも着物姿)の方がかなりいらっしゃいました。どこかの旦那衆という感じの方が多かったような感じでした。
もちろん、女性も着物姿が多くいらっしゃいましたよ。
私が選んだ席は2階でしたが、最前列でしたので、舞台全体がとてもよく見渡せました。
1階の値段の高い席よりも、安いわりには良く見えて、ラッキーでした。
唄や三味線の音も、とてもよく聞こえました。
第一部は、長唄と踊り。
芸者さんたちが長唄に合わせて、日本髪にお引きずりの美しい着物で踊りました。
艶やかでしたね。
私の先生も、豪華な裾模様の黒留袖姿で、気持ちよさそうに演奏されていました。
お花見の踊りは、とてもきれいでしたよ。
幕間には、芸者さんがたくさんロビーにいらっしゃって、ご贔屓の方(?)たちと歓談されていました。
私も写真を撮らせていただきました。
さすがにおきれいでした。
ここではお酒やワイン、お寿司なども振る舞われていて、さながら料亭のお座敷のような雰囲気でした。
みなさん、気持ちよさそうに飲食されていました。
第二部は清元と踊り。
花魁の恋物語などの踊りでした。
最後には舞台にずらりと勢ぞろいして、芸者さんたちの口上。
そしてお客さんたちに向かって、ご祝儀の手拭いを投げていました。
この東をどりは、もう94回も続いているそうです。
初公演は、大正14年の新橋演舞場のこけら落しの時だったそうです。
関東大震災があったのが大正12年ですから、すごい歴史のある公演なのですね。
ちょうど本日は最終日。1日に3回公演です。
みなさま、お疲れ様です。
本来なら、料亭のお座敷でしか見ることができない花柳界ですが、劇場で日ごと磨かれた芸者さんたちの美しい踊りを楽しむことができました。
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この日の装い。
かなり暑くなると予想されていたので夏着物にしようかとも思いましたが、会場は冷房で寒いと思って、単衣にしました。
冷風がガンガン流れていて、単衣にして正解でした。
帯は、だいぶ前に骨董市で買ったもの。
ものすごく長くて締めにくくて、大変でした。
なんだか全体が淡い緑色になってしまいましたね。
2018年5月26日土曜日
「源氏物語を原文で読む会」 2018年5月
毎月1回参加している、「源氏物語を原文で読む会」▼もだいぶ読み進んできました。
いつものように、美しいローズティーを飲みながら、主宰者のSさんに源氏物語の解説をしていただきます。
今回は「須磨」の巻を読み終えました。
光源氏が須磨に左遷されて、侘しい住まといで都の人々を思い出しては泣いている、というところです。
お友達の頭中将がやってきて、一緒に楽しいひと時を過ごしたりしています。
また明石の入道が、彼の娘をなんとか光源氏に気に入っているもらおうとするあたりです。
実は私は、明石のころのお話はあまり好きではありませんでした。
都で蝶よ花よという日々を過ごしていた光源氏が都落ちした場面ですが、なんとなくピンと来なかったのです。
ただし、モノの本によれば、紫式部が書いた源氏物語は、この場面がスタートだったという説もあるそうです。
当時の人にとっては、都と兵庫県ではかなりの隔たりを感じていたのでしょうね。
登場人物の中では、明石の入道の奥さんの気持ちが一番よく分かりますね。
「華やかな都から来た人に、うちの娘が釣り合うわけはない」と率直な感想を述べています。
これがフツーの感覚でしょうね。
会場の造花屋さん「オロール」の前に立つ、Kさん。
写真では道行に隠れてしまいましたが、すっきりとした帯が素敵でした。
私も単衣着物に合う帯を探しているのですが、いまだに良いのが見つかりません。
******
この日の装い。
写真がぼけていますが、大島紬風の藍色の単衣です。
ちょっと南国風の名古屋帯を合わせてみました。
藍色×辛子色は、日本人の肌にはマッチするのでしょうね。
いつものように、美しいローズティーを飲みながら、主宰者のSさんに源氏物語の解説をしていただきます。
今回は「須磨」の巻を読み終えました。
光源氏が須磨に左遷されて、侘しい住まといで都の人々を思い出しては泣いている、というところです。
お友達の頭中将がやってきて、一緒に楽しいひと時を過ごしたりしています。
また明石の入道が、彼の娘をなんとか光源氏に気に入っているもらおうとするあたりです。
実は私は、明石のころのお話はあまり好きではありませんでした。
都で蝶よ花よという日々を過ごしていた光源氏が都落ちした場面ですが、なんとなくピンと来なかったのです。
ただし、モノの本によれば、紫式部が書いた源氏物語は、この場面がスタートだったという説もあるそうです。
当時の人にとっては、都と兵庫県ではかなりの隔たりを感じていたのでしょうね。
登場人物の中では、明石の入道の奥さんの気持ちが一番よく分かりますね。
「華やかな都から来た人に、うちの娘が釣り合うわけはない」と率直な感想を述べています。
これがフツーの感覚でしょうね。
会場の造花屋さん「オロール」の前に立つ、Kさん。
写真では道行に隠れてしまいましたが、すっきりとした帯が素敵でした。
私も単衣着物に合う帯を探しているのですが、いまだに良いのが見つかりません。
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この日の装い。
写真がぼけていますが、大島紬風の藍色の単衣です。
ちょっと南国風の名古屋帯を合わせてみました。
藍色×辛子色は、日本人の肌にはマッチするのでしょうね。
2018年5月25日金曜日
「浮世絵にみる江戸の暮らし」2
先月から開講した市民カレッジ「浮世絵にみる江戸の暮らし」の2回目のレポートです。
1回目はこちら▼。
2回目も浮世絵を見ながら、藤澤茜先生に江戸時代の人々の生活を教えていただきました。
今回のテーマは「江戸時代の行楽と行事」でした。
現在でも、江戸時代から続いている行事はいろいろありますね。
一番興味深かったのは、七五三の浮世絵でした。
当時は、小さな子供は男女ともに、くりくり坊主にしていたそうです。
そうしたほうが、大きくなってから良い髪の毛が生える、という理由からです。
そして3歳になった時、「髪置き」といって、髪の毛を伸ばし始めました。
それで3歳が、七五三のお祝いになるのですね。
その後、5歳の男児は「袴着」、7歳の女児は「帯解き」に合わせてお祝いをしました。
それぞれ人生の節目をお祝いする行事でした。
七五三のお祝いは、現在でも引き継がれていますね。
昔は、乳児の死亡率が高かったので、きっと7歳まで順調に成長する子供の数は、今よりもずっと少なかったと思います。
親にとっても、周囲の人にとっても、喜ばしいお祝いだっただろうと想像できますね。
また行楽に関しても、江戸時代の人たちも、現在と同じようなことをして楽しんでいたことが分かります。
たとえば花見。
当時は上野の寛永寺の桜が一番有名だったようです。
他にも、隅田川、御殿山、飛鳥山などに花見に出かけました。
桜の木の下に敷物を敷いて、そこで飲食を楽しむ浮世絵もありました。
また、花火も江戸時代を象徴するものですね。
こちらは、両国の花火の様子です。
涼しげな様子が伝わってきます。
また「祭」の賑わいを描いた浮世絵もたくさんありました。
こちらは前回の講座の時に、時間が足りなくて説明されなかった「寺子屋」の浮世絵です。
江戸の人々の識字率はとても高くて、90パーセントくらいの人は文字を読めたそうです。
パリやロンドンの識字率は20パーセントくらいだったことに比べると、江戸の人の教育程度がいかに高かったかが分かりますね。
それは寺子屋という制度があったおかげでしょう。
こちらの浮世絵では、子供が「いろは」のお手本を持っているのが分かります。
また右上のある囲みの中には、小野小町の歌が書かれているそうですが、和歌の教養も高かったのですね。
この講座では、プロジェクターに浮世絵を大きく映し出して鑑賞するので、今まで展覧会で見ていても気づかずにいたことが、よく分かるようになりました。
こちらは、他市から参加されている着物友だちのUさんの後姿です。
とても素敵な帯でした。
写真ではよく分かりませんが、半襟と帯揚げがどちらも鮮やかな黄緑色で、とても美しかったですよ。
この後は、お隣にある市役所でランチをいただきました。
白身魚の揚げ物に野菜のあんかけ、味噌汁、サラダ、ご飯のヘルシーメニュー定食。
ワンコインでした。
1回目はこちら▼。
2回目も浮世絵を見ながら、藤澤茜先生に江戸時代の人々の生活を教えていただきました。
今回のテーマは「江戸時代の行楽と行事」でした。
現在でも、江戸時代から続いている行事はいろいろありますね。
一番興味深かったのは、七五三の浮世絵でした。
当時は、小さな子供は男女ともに、くりくり坊主にしていたそうです。
そうしたほうが、大きくなってから良い髪の毛が生える、という理由からです。
そして3歳になった時、「髪置き」といって、髪の毛を伸ばし始めました。
それで3歳が、七五三のお祝いになるのですね。
その後、5歳の男児は「袴着」、7歳の女児は「帯解き」に合わせてお祝いをしました。
それぞれ人生の節目をお祝いする行事でした。
七五三のお祝いは、現在でも引き継がれていますね。
昔は、乳児の死亡率が高かったので、きっと7歳まで順調に成長する子供の数は、今よりもずっと少なかったと思います。
親にとっても、周囲の人にとっても、喜ばしいお祝いだっただろうと想像できますね。
また行楽に関しても、江戸時代の人たちも、現在と同じようなことをして楽しんでいたことが分かります。
たとえば花見。
当時は上野の寛永寺の桜が一番有名だったようです。
他にも、隅田川、御殿山、飛鳥山などに花見に出かけました。
桜の木の下に敷物を敷いて、そこで飲食を楽しむ浮世絵もありました。
また、花火も江戸時代を象徴するものですね。
こちらは、両国の花火の様子です。
涼しげな様子が伝わってきます。
また「祭」の賑わいを描いた浮世絵もたくさんありました。
こちらは前回の講座の時に、時間が足りなくて説明されなかった「寺子屋」の浮世絵です。
江戸の人々の識字率はとても高くて、90パーセントくらいの人は文字を読めたそうです。
パリやロンドンの識字率は20パーセントくらいだったことに比べると、江戸の人の教育程度がいかに高かったかが分かりますね。
それは寺子屋という制度があったおかげでしょう。
こちらの浮世絵では、子供が「いろは」のお手本を持っているのが分かります。
また右上のある囲みの中には、小野小町の歌が書かれているそうですが、和歌の教養も高かったのですね。
この講座では、プロジェクターに浮世絵を大きく映し出して鑑賞するので、今まで展覧会で見ていても気づかずにいたことが、よく分かるようになりました。
こちらは、他市から参加されている着物友だちのUさんの後姿です。
とても素敵な帯でした。
写真ではよく分かりませんが、半襟と帯揚げがどちらも鮮やかな黄緑色で、とても美しかったですよ。
この後は、お隣にある市役所でランチをいただきました。
白身魚の揚げ物に野菜のあんかけ、味噌汁、サラダ、ご飯のヘルシーメニュー定食。
ワンコインでした。
2018年5月24日木曜日
「ショパンとドビッシー」2
今回の市民カレッジは、先月▼に続いて、「ショパンとドビッシー」の解説付きピアノ演奏会の2回目でした。
解説は馴染みのピアニスト・津田真理先生です。
今回のお話は、二人の青春時代についてでした。
まずはショパンの青春時代について。
彼は20歳の時、生まれ故郷のポーランドを去り、ウィーンへ向かいました。
ところがショパンの音楽は、ウィーンではあまり好まれませんでした。
その後、パリに渡り、そこは水があったのか、名声を得るようになりました。
その頃の曲を演奏していただきました。
「華麗なる大円舞曲」1番
「スケルツォ」1番
「夜想曲」8番
私は夜想曲というのは1曲しかないのだと思っていましたが、何種類もあったことには驚きました。
軽やかで清々しく、繊細な感じのする曲でした。
ちなみに先生が演奏するのは、プロの方には申し訳ないくらいの小さなピアノです。
それでも先生は見事な演奏をして下さいます。
*******
一方ドビッシーですが、彼は時代的にはショパンよりも50年くらい後の人です。
そして今年は没後100年ということで、あちこちで追悼演奏会があるそうです。
彼はパリの生まれですが、20代の初めに、ローマ賞という作曲の賞を受賞して、ローマに修行に行くことになりました。
貧しい家の生まれでしたが、パトロンからの庇護を受けて、今までになかった音楽を生み出しました。
今回の演奏曲は
「夢」
「映像」より
「水の反映」
「動き」
の3曲でした。
流れるような美しい曲でした。
テレビのコマーシャルで使ったらぴったり、絵になるような躍動感が感じられました。
ドビッシーの音楽というと、イメージがつかめなかったのですが、先生の説明で、「ドビッシーの曲は、モネの絵画のようだ」と説明されて、納得しました。
*****
この日の装い。
写真がぼけていてすいませんが、青緑色の縦縞の単衣です。
表参道にある「オリエンタルバザー」▼という外国人向けのお土産用品が売られているお店で、3500円で見つけました。
帯は型染めの名古屋帯。
解説は馴染みのピアニスト・津田真理先生です。
今回のお話は、二人の青春時代についてでした。
まずはショパンの青春時代について。
彼は20歳の時、生まれ故郷のポーランドを去り、ウィーンへ向かいました。
ところがショパンの音楽は、ウィーンではあまり好まれませんでした。
その後、パリに渡り、そこは水があったのか、名声を得るようになりました。
その頃の曲を演奏していただきました。
「華麗なる大円舞曲」1番
「スケルツォ」1番
「夜想曲」8番
私は夜想曲というのは1曲しかないのだと思っていましたが、何種類もあったことには驚きました。
軽やかで清々しく、繊細な感じのする曲でした。
ちなみに先生が演奏するのは、プロの方には申し訳ないくらいの小さなピアノです。
それでも先生は見事な演奏をして下さいます。
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一方ドビッシーですが、彼は時代的にはショパンよりも50年くらい後の人です。
そして今年は没後100年ということで、あちこちで追悼演奏会があるそうです。
彼はパリの生まれですが、20代の初めに、ローマ賞という作曲の賞を受賞して、ローマに修行に行くことになりました。
貧しい家の生まれでしたが、パトロンからの庇護を受けて、今までになかった音楽を生み出しました。
今回の演奏曲は
「夢」
「映像」より
「水の反映」
「動き」
の3曲でした。
流れるような美しい曲でした。
テレビのコマーシャルで使ったらぴったり、絵になるような躍動感が感じられました。
ドビッシーの音楽というと、イメージがつかめなかったのですが、先生の説明で、「ドビッシーの曲は、モネの絵画のようだ」と説明されて、納得しました。
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この日の装い。
写真がぼけていてすいませんが、青緑色の縦縞の単衣です。
表参道にある「オリエンタルバザー」▼という外国人向けのお土産用品が売られているお店で、3500円で見つけました。
帯は型染めの名古屋帯。
2018年5月23日水曜日
「蘭 ~緒方洪庵 浪華の事件帳~」
先日、FB友達のHさんのお誘いを受けて、新橋演舞場で「蘭 ~緒方洪庵 浪華の事件帳~」を見てきました。
このお芝居は、松竹新喜劇の藤山扇治郎さんなどを始めとする常連さんたちに加えて、宝塚スターだった北翔海莉▼さんがゲスト出演された時代劇で、若き日の緒方洪庵(章)と男装の麗人・東儀左近の物語です。
二人は「天然痘を無くしたい」という同じ思いを持ち、大坂の闇と戦っていきます。
舞台は、松竹新喜劇のお芝居に加えて、かっこいい殺陣や、現代風のダンスなどが組み合わさったものでした。
北翔海莉さんという方は初めて見ましたが、宝塚では男役をされていたということで、すらりと背が高く、何より歌が抜群にお上手な方でした。
袴姿の男装役がとてもぴったりで、完全に主役になっていましたね。
北翔さんは、もともと扇治郎さんのおばさんである藤山直美さんの大ファンだそうで、それがご縁でこのお芝居に出演されたのだとか。
私は宝塚の世界はあまり詳しくないのですが、Hさんは宝塚のことはとてもよくご存じで、いろいろと情報を提供してくださいました。
ちなみにヅカファンは、スターの方を愛称で呼んでいますが、北翔さんは「みっちゃん」と呼ばれているそうです。
宝塚スターというのは、普通のタレントさんとは大違いで、お芝居に加えて、歌も踊りもなんでも一流にできなくてはいけないのです。
みっちゃんは、すごい努力をして、トップの座まで登りつめたのだそうです。
ファンにとっては永遠のあこがれの存在なのでしょうね。
会場に来ていたファンの皆さんは、お揃いのピンクのジャンパーを着て、盛大な拍手を送っていましたよ。
この日は千秋楽でしたが、翌日の5月21日が藤山扇治郎の伯父に当たる藤山寛美の命日に当たる日だそうで、それもなにかのご縁でしょうね。
そうそう、この日のHさんのいでたちも、宝塚風で、素敵でしたよ。
写真を撮り忘れましたが、花柄のワンピースの上に黒い着物をガウン風に羽織り、サッシュベルトで締め、胸にはブルーの大きな首飾りがゆらゆらとしていました。
帽子もお似合いで、颯爽と登場して、かっこよかったです。
こういうお芝居の時には、ぴったりでした。
******
この日の装い。
ピンクにシルバーの花柄が織り込まれている秩父銘仙です。
でも写真では無地に見えますね。
黒の帯はポリエステルですが、締めやすいのでよく登場しています。
このお芝居は、松竹新喜劇の藤山扇治郎さんなどを始めとする常連さんたちに加えて、宝塚スターだった北翔海莉▼さんがゲスト出演された時代劇で、若き日の緒方洪庵(章)と男装の麗人・東儀左近の物語です。
二人は「天然痘を無くしたい」という同じ思いを持ち、大坂の闇と戦っていきます。
舞台は、松竹新喜劇のお芝居に加えて、かっこいい殺陣や、現代風のダンスなどが組み合わさったものでした。
北翔海莉さんという方は初めて見ましたが、宝塚では男役をされていたということで、すらりと背が高く、何より歌が抜群にお上手な方でした。
袴姿の男装役がとてもぴったりで、完全に主役になっていましたね。
北翔さんは、もともと扇治郎さんのおばさんである藤山直美さんの大ファンだそうで、それがご縁でこのお芝居に出演されたのだとか。
私は宝塚の世界はあまり詳しくないのですが、Hさんは宝塚のことはとてもよくご存じで、いろいろと情報を提供してくださいました。
ちなみにヅカファンは、スターの方を愛称で呼んでいますが、北翔さんは「みっちゃん」と呼ばれているそうです。
宝塚スターというのは、普通のタレントさんとは大違いで、お芝居に加えて、歌も踊りもなんでも一流にできなくてはいけないのです。
みっちゃんは、すごい努力をして、トップの座まで登りつめたのだそうです。
ファンにとっては永遠のあこがれの存在なのでしょうね。
会場に来ていたファンの皆さんは、お揃いのピンクのジャンパーを着て、盛大な拍手を送っていましたよ。
この日は千秋楽でしたが、翌日の5月21日が藤山扇治郎の伯父に当たる藤山寛美の命日に当たる日だそうで、それもなにかのご縁でしょうね。
そうそう、この日のHさんのいでたちも、宝塚風で、素敵でしたよ。
写真を撮り忘れましたが、花柄のワンピースの上に黒い着物をガウン風に羽織り、サッシュベルトで締め、胸にはブルーの大きな首飾りがゆらゆらとしていました。
帽子もお似合いで、颯爽と登場して、かっこよかったです。
こういうお芝居の時には、ぴったりでした。
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この日の装い。
ピンクにシルバーの花柄が織り込まれている秩父銘仙です。
でも写真では無地に見えますね。
黒の帯はポリエステルですが、締めやすいのでよく登場しています。