3日間に渡って、品川にある古いお店で、和の芸や技などをいろいろ体験するものでした。
こちらが会場の「松本」です。
戦前は酒屋さんだったそうです。
場所は京浜急行「新馬場」の駅からすぐのところでした。
数あるイベントの中で、私は「品川宿巡り」という歴史散歩と、「狂言体験」の二つを選びました。
まずは「品川宿巡り」からご紹介します。
これは、旧東海道の品川宿周辺を歩いて巡るというイベントです。
案内役は、ガイドしながわ▼という地元の観光ボランティアさんでした。
このグループは品川区の観光・史跡案内を行う団体で、平成13年(2001年)に設立されたそうです。
現在は20名くらいの方が活躍されているとのお話でした。
このお散歩は2日間、同じコースで行われました。
前日は、雨の中を7人の参加者が歩いたそうですが、私が参加した時はどんよりとした曇り空で、傘がいるのかいらないのか判断できない天候でした。
かなり多くの参加者を見込んでいたようですが、実際の参加者は3人で、それに対してガイドさんが2人もいて、とても贅沢なお散歩となりました。
スタート前にガイドさんから、品川について、ざっと説明がありました。
品川という名前は、「目黒川」の別名であったという説があるとのこと。
また品川というと、すぐに「東海道五十三次の最初の宿場」というイメージが涌いて、江戸時代に発達した町だと思いますが、実はそうではなかったのです。
品川は古くは縄文時代から人が住んでいたところで、奈良時代から発達した町だそうです。
もちろん江戸時代には本陣として発達しました。
その後の明治、大正、昭和、そして平成にもさまざまな面で発達して、それぞれの時代の建物が見られるのも特徴のある町なのです。
下の写真は、手前から順に、古い時代の建物が一堂に重なって見える貴重な場所です。
さて、この品川宿巡りを通して感じたことは、これまで私が体験してきたことや、旅行に出かけた先での出来事などが、「みんな繋がっている」ということでした。
ちょっと思い出したことだけ、書いておいてみます。
【その1】私の地元にある旧品川道は、品川の荏原神社と府中の大國魂神社を結ぶ道だったということ。
大國魂神社の祭で使われる清めの水は、品川の海の水だったのでした。
先日、大國魂神社で流鏑馬▼を見ましたが、その時、ここで源頼家が先勝祈願をしたという説明がありましたが、それは源頼家、義家親子が奥州へ遠征した時、品川の海から海水を汲んできて大國魂に祈願したことに始まる歴史のある行事だということでした。
つまり、品川と府中との関係は昔から深いのでした。
また、武蔵国の国府である府中ですが、近くには多摩川が流れているので、行きは多摩川上流で採取した材木を川で運び、帰りは人だけがこの道を戻ってきた、と言われています。
【その2】韮山の反射炉に行った時▼、江川太郎左衛門の指揮のもと、そこで作った大砲をお台場まで運んだという話を聞きましたが、そのお台場は、品川にある台場小学校の場所だったという発見ができました。
【その3】2014年に市民カレッジで「富士山信仰」を習ったとき▼、都内各地の神社の富士山信仰の話を聞きましたが、品川神社にある冨士講にもいつか登ってみたいと思っていました。
今回は品川にある富士山の5合目まで上ることができました。
【その4】井伊直弼の話が好きで、彼の足跡をあちこち辿っています▼が、今回のお散歩では、直弼が開山したという旧東海道にある一心寺にも行くことができました。
【その5】染物体験などで利用させていただいている地元の祇園寺▼には、自由民権運動の板垣退助が植えたという松がありますが、品川神社には、彼の墓がありました。
こんなふうに、自分の足で歩いてみたり、体験したりしてみると、いろいろな歴史が繋がっているというのが分かるのでした。
2時間後、無事、出発点の「松本」に戻ってきました。
ボランティアガイドさん、どうもありがとうございました。
本当に楽しいイベントでした。
品川宿巡りのコースについては、のちほど報告しますね。
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