先日、中央線の中野で着物のフリーマーケットがあるというので、出かけてみました。
中野は学生時代には古本を買ったりして、馴染みのある町です。
飲み屋さんのビルを借りてやっていました。
着物や帯、それに可愛い小物がたくさん出ていました。
私は着物はあまり買う気はなかったんですけれど、私の隣にいた大柄な女性が、紫色の紬を見つけて、
「これ、裄はどれくらいかしら?」とお店の人に尋ねました。
お店の人は巻き尺で測って
「そうですね、62センチか63センチですね」と言うと、その大柄の女性は
「あー、それじゃ絶対だめだわ。いいと思ったのに」と残念そう。
それを聞いた私は、それほど欲しくもなかったのに、
「すいません、それ、丈と幅も測ってくれます?」と聞いたところ、ちょうど私のサイズにぴったりだったのです。
ジャストサイズの着物を他人に取られたら癪だと思い、おまけに2000円だというので、あまり考えもせずに
「じゃあ、それもらいます」と言って買ってしまいました。
紫色の紬で、亀甲の柄はいいし、単衣なので、鏡も見ないで決めてしまったのが運のつき。
家に帰って着てみたところ、この着物を着てみても、どうしてもおさんどんにしか見えないの。
おさんどんというか「ねえや」というか、なのよね。
似合うと思ったんだけどなー。白っぽい帯ならなんとかなるかしら。
寝巻みたいですよね。
人に取られまいと思って焦って買ってしまって、ちょっと後悔しています。
2011年2月28日月曜日
2011年2月27日日曜日
お買いもの
今日はお買いもの。
新宿まで行きました。
昨日と同じ着物で帯だけ変えました。
これに400円で買った深緑(ほぼ黒)の道行を着て、超地味なおばさんスタイル。
でもこういう色合いだと落ち着いた気分になり、あまり着物を着ているという意識がありません。
新宿はとてもいいお天気で気持ち良かったわ。
目指す電気屋さんの前には「お父さん」が・・・。
といっても、ここで携帯電話を買ったのではありませんよ。
テレビでもないし、洗濯機でもないし、冷蔵庫でもない。
じつは旅行かばんを買うために電気屋さんまで行ったのです。
この電気屋さんは何でも売っているんですよ。
眼鏡も、時計も、自転車も、美容器具も、布団も・・・・。
これまで旅行に行くときは、1泊か2泊程度だったし、あまり荷物は持ちたくないので、機内持ち込みができる小さなカバン1個だけでした。
でも3月の旅行には挙式用の着物一式、泳ぐための水着一式、火山観光用の長袖長ズボンに靴一式、とあれこれ荷物が増えそうなので、大きなかばんが必要になったのです。
私のと、つれあい用のかばんを2個買うはめになりました。
写真で見るとあまり大きく見えませんけれど、かなりでかいです。
ポイントもだいぶたまりました。
新宿まで行きました。
昨日と同じ着物で帯だけ変えました。
これに400円で買った深緑(ほぼ黒)の道行を着て、超地味なおばさんスタイル。
でもこういう色合いだと落ち着いた気分になり、あまり着物を着ているという意識がありません。
新宿はとてもいいお天気で気持ち良かったわ。
目指す電気屋さんの前には「お父さん」が・・・。
といっても、ここで携帯電話を買ったのではありませんよ。
テレビでもないし、洗濯機でもないし、冷蔵庫でもない。
じつは旅行かばんを買うために電気屋さんまで行ったのです。
この電気屋さんは何でも売っているんですよ。
眼鏡も、時計も、自転車も、美容器具も、布団も・・・・。
これまで旅行に行くときは、1泊か2泊程度だったし、あまり荷物は持ちたくないので、機内持ち込みができる小さなカバン1個だけでした。
でも3月の旅行には挙式用の着物一式、泳ぐための水着一式、火山観光用の長袖長ズボンに靴一式、とあれこれ荷物が増えそうなので、大きなかばんが必要になったのです。
私のと、つれあい用のかばんを2個買うはめになりました。
写真で見るとあまり大きく見えませんけれど、かなりでかいです。
ポイントもだいぶたまりました。
2011年2月26日土曜日
モダンダンスおさらい会
高校のクラスメイトがモダンダンスの先生をしているのですけれど、久しぶりに彼女の発表会を見てきました。
【こちらでレッスンの様子などが見られます。】
場所は池袋の東京芸術劇場の地下にあるリハーサル室。
広い体育館のようなところで、踊る人も見る人と同じフロアでした。
彼女はクラスメイトなので私と同じ年のはずなんですけれど、長年踊りで鍛えたその身体はしなやかで、無駄なお肉はまるでなく、とても軽やかで優雅な姿でした。
踊っているときは指の先から足の先までピーンと張りつめた糸のようで、美しかったですねー。
モダンダンスというと、難解でとっつきにくいイメージがあるのですけれど、曲ごとに彼女の説明があったのでとても分かりやすくて楽しめました。
曲の選択も振り付けも踊りの指導も全部、彼女がしているそうで、頑張っているんだなー。
こちらは「灯蛾」という曲でした。黄色いドレスが似合っていたわ。目チカラもありますね。
生徒さんも交えての踊り。生徒さんもお上手でしたけれど、やはり体のキレが違っていましたね。
アバの曲の踊りもあったりして、お茶目でキュートだった高校時代の彼女の姿が彷彿と浮かんできました。
会場には同級生も来ていて、「30代の頃の身体よりずっときれいね」なんて話しました。
私も「もう年だから」なんてことは忘れて、しなやかにいきたいけれど、二の腕や背中のお肉、なんとかならないかしら。
今日の着物は、この前のかけはぎ事件でもらっちゃったロウケツ染めの小紋。ワンピースを着ているような感じでした。
帯は菊の花ですけれど、赤と黒がなんとなく彼女のイメージがしたので、締めてみました。
なんだか緊張感に欠ける後ろ姿ね。
これからは彼女の真似をして、もう少しポーズをとってびしっと決めるようにしましょ。
【こちらでレッスンの様子などが見られます。】
場所は池袋の東京芸術劇場の地下にあるリハーサル室。
広い体育館のようなところで、踊る人も見る人と同じフロアでした。
彼女はクラスメイトなので私と同じ年のはずなんですけれど、長年踊りで鍛えたその身体はしなやかで、無駄なお肉はまるでなく、とても軽やかで優雅な姿でした。
踊っているときは指の先から足の先までピーンと張りつめた糸のようで、美しかったですねー。
モダンダンスというと、難解でとっつきにくいイメージがあるのですけれど、曲ごとに彼女の説明があったのでとても分かりやすくて楽しめました。
曲の選択も振り付けも踊りの指導も全部、彼女がしているそうで、頑張っているんだなー。
こちらは「灯蛾」という曲でした。黄色いドレスが似合っていたわ。目チカラもありますね。
生徒さんも交えての踊り。生徒さんもお上手でしたけれど、やはり体のキレが違っていましたね。
アバの曲の踊りもあったりして、お茶目でキュートだった高校時代の彼女の姿が彷彿と浮かんできました。
会場には同級生も来ていて、「30代の頃の身体よりずっときれいね」なんて話しました。
私も「もう年だから」なんてことは忘れて、しなやかにいきたいけれど、二の腕や背中のお肉、なんとかならないかしら。
今日の着物は、この前のかけはぎ事件でもらっちゃったロウケツ染めの小紋。ワンピースを着ているような感じでした。
帯は菊の花ですけれど、赤と黒がなんとなく彼女のイメージがしたので、締めてみました。
なんだか緊張感に欠ける後ろ姿ね。
これからは彼女の真似をして、もう少しポーズをとってびしっと決めるようにしましょ。
2011年2月25日金曜日
ここだけの話・・・・
2011年2月24日木曜日
「和宮様御留」
有吉佐和子さんの本はほとんど読んでいたと思っていたのですけれど、「和宮様御留」はまだ読んでいませんでした。それで図書館から借りてきて、毎日、通勤途中と寝る前に少しずつ読みましたが、すごい本でした。
歴史的事実である皇妹和宮の降嫁を元にした小説ですけれど、この小説では和宮は京都御所から江戸城にお嫁入りに行く途中に、なんと2回も人の入れ違いがあったというのです。
最初は本物の和宮が江戸に行くことになっていたのですけれど、彼女は足が不自由でそれを周りに知られたくないがためか、「おいやいやさん」という状況になり、フキという庶民の女の子が身代わりで行くことになりました。
ところが宮中のことも何も知らない粗野な女の子ですから、言葉も態度もすべて一から勉強させられます。そしてその我慢がたまってしまい、旅の途中に皇女であることに対して発狂して死んでしまうのです。
それで旅の途中の中山道の板橋あたりで、今度は武士階級のこざっぱりとした娘の宇多絵が身代わりになるのですが、彼女は礼儀作法や雰囲気は備わっていたのですけれど、実は左手首がなくて、それを見つからないようにするのに大変であったが、なんとか江戸城に着き、家茂将軍と結婚したというストーリーです。
ちなみに「御留」というのは、覚書というか、備忘録というかそんな意味です。
この小説には御所言葉を使う女官たちや、大奥の女性たちがたくさん登場してきて、足の引っ張り合いや、京と江戸のアクドイいじめなども、ねっちりと書かれています。
和宮にしてもフキにしても宇多絵にしても、歴史に翻弄された女たちですね。
現代の人間ならどうして「いや」と言えなかったのかと思いますけれど、女性なんて政争の道具だったのでしょう。
「和宮様御留」は有吉さんが47歳の時の作品だそうですけれど、彼女はこの後、53歳で亡くなっているのです。
たしか美空ひばりが亡くなったのは52歳だったと思いましたけれど、その頃の私にしてみれば、50歳すぎた人はもうおばあさんだと思っていたのに、自分がその年を越してみると、まだまだお若い時に亡くなったのですね。
才能のある人は若死にをするのでしょうか。
歴史的事実である皇妹和宮の降嫁を元にした小説ですけれど、この小説では和宮は京都御所から江戸城にお嫁入りに行く途中に、なんと2回も人の入れ違いがあったというのです。
最初は本物の和宮が江戸に行くことになっていたのですけれど、彼女は足が不自由でそれを周りに知られたくないがためか、「おいやいやさん」という状況になり、フキという庶民の女の子が身代わりで行くことになりました。
ところが宮中のことも何も知らない粗野な女の子ですから、言葉も態度もすべて一から勉強させられます。そしてその我慢がたまってしまい、旅の途中に皇女であることに対して発狂して死んでしまうのです。
それで旅の途中の中山道の板橋あたりで、今度は武士階級のこざっぱりとした娘の宇多絵が身代わりになるのですが、彼女は礼儀作法や雰囲気は備わっていたのですけれど、実は左手首がなくて、それを見つからないようにするのに大変であったが、なんとか江戸城に着き、家茂将軍と結婚したというストーリーです。
ちなみに「御留」というのは、覚書というか、備忘録というかそんな意味です。
この小説には御所言葉を使う女官たちや、大奥の女性たちがたくさん登場してきて、足の引っ張り合いや、京と江戸のアクドイいじめなども、ねっちりと書かれています。
和宮にしてもフキにしても宇多絵にしても、歴史に翻弄された女たちですね。
現代の人間ならどうして「いや」と言えなかったのかと思いますけれど、女性なんて政争の道具だったのでしょう。
「和宮様御留」は有吉さんが47歳の時の作品だそうですけれど、彼女はこの後、53歳で亡くなっているのです。
たしか美空ひばりが亡くなったのは52歳だったと思いましたけれど、その頃の私にしてみれば、50歳すぎた人はもうおばあさんだと思っていたのに、自分がその年を越してみると、まだまだお若い時に亡くなったのですね。
才能のある人は若死にをするのでしょうか。
2011年2月23日水曜日
やぼ用
今日はなんだかやぼ用の多い日でした。
市役所に確定申告を提出したり、母の介護費用の支払いをしたり、草履の底が駄目になってしまったので修理屋さんに行ったり、、銀行や郵便局に出かけたり、ネットであれこれ注文したり・・・。
ふう。
こういう日常のことなどしないで、一日中、好きな本を好きなだけ読めたらどんなに楽チンでしょう、と思いました。
でもね、自分でしなければならない野暮な用事を自分で処理できるのは、それだけでも幸せなのではないかと思ったの。
自分で歩けなくなったり、認知能力がなくなったりしたら、そんな用事は誰がやってくれるのかしら。
他人のお世話にならずに、自分で判断して処理がでできるのはまだ幸せなんだと思いました。
写真は市役所の庭に咲いていた桜。携帯電話で写しました。
この木の下で、80歳を超えたおばあさんが二人でおしゃべりしていました。
「80を過ぎると、ほんとうに自分のことが自分でできなくなってしまって、これから先、どうなるのか心配だわ」
「あら、あなたならまだ大丈夫よ」
そんな会話が耳に入ってきました。
でもお二人とも80歳とは思えないほど、お元気な姿でした。私は負けたと思いました。
市役所に確定申告を提出したり、母の介護費用の支払いをしたり、草履の底が駄目になってしまったので修理屋さんに行ったり、、銀行や郵便局に出かけたり、ネットであれこれ注文したり・・・。
ふう。
こういう日常のことなどしないで、一日中、好きな本を好きなだけ読めたらどんなに楽チンでしょう、と思いました。
でもね、自分でしなければならない野暮な用事を自分で処理できるのは、それだけでも幸せなのではないかと思ったの。
自分で歩けなくなったり、認知能力がなくなったりしたら、そんな用事は誰がやってくれるのかしら。
他人のお世話にならずに、自分で判断して処理がでできるのはまだ幸せなんだと思いました。
写真は市役所の庭に咲いていた桜。携帯電話で写しました。
この木の下で、80歳を超えたおばあさんが二人でおしゃべりしていました。
「80を過ぎると、ほんとうに自分のことが自分でできなくなってしまって、これから先、どうなるのか心配だわ」
「あら、あなたならまだ大丈夫よ」
そんな会話が耳に入ってきました。
でもお二人とも80歳とは思えないほど、お元気な姿でした。私は負けたと思いました。
2011年2月22日火曜日
着物 de 品川
仕事の用事で品川に行ってきました。
品川は母の実家があり、私も○○年前にその家で生まれたので、親しみのあるところなのです。小さい頃は時々、母に手を引かれて、おばあちゃんの家に遊びに行ってました。
最近は品川に行くときは港南口のほうが多かったのですけれど、久しぶりに高輪口に行ったら、駅前が変わっていてびっくり。
駅前は、京急ホテルのあったところ。そこが更地になってトラクターが整地をしていました。
でもホテルの隣の神社だけはまだ昔のままの姿でした。
子どもの頃、ここを通るときはいつもご挨拶をしていたものです。
品川プリンスホテルに仕事の打ち合わせで出かけたのですけれど、ホテルでよしもとが見られるようです。
近江八幡で買った蛇柄着物を着て行きました。
こういうときはこれまでは黒かグレイのスーツだったので、集まった方はかなり驚かれたようです。
でも「日本的でいいですね」と言われて、ちょっと嬉しかったわ。
写真で見ると、お太鼓がなんだかつぶれているみたいね。
もうかなり春めいてきたので、黒のマントでは重苦しいので、ピンクの道行にしました。
これは去年、京都に行くときに慌てて買ったもの。
早く着物だけで歩けるように暖かくなるといいな。
品川は母の実家があり、私も○○年前にその家で生まれたので、親しみのあるところなのです。小さい頃は時々、母に手を引かれて、おばあちゃんの家に遊びに行ってました。
最近は品川に行くときは港南口のほうが多かったのですけれど、久しぶりに高輪口に行ったら、駅前が変わっていてびっくり。
駅前は、京急ホテルのあったところ。そこが更地になってトラクターが整地をしていました。
でもホテルの隣の神社だけはまだ昔のままの姿でした。
子どもの頃、ここを通るときはいつもご挨拶をしていたものです。
品川プリンスホテルに仕事の打ち合わせで出かけたのですけれど、ホテルでよしもとが見られるようです。
近江八幡で買った蛇柄着物を着て行きました。
こういうときはこれまでは黒かグレイのスーツだったので、集まった方はかなり驚かれたようです。
でも「日本的でいいですね」と言われて、ちょっと嬉しかったわ。
写真で見ると、お太鼓がなんだかつぶれているみたいね。
もうかなり春めいてきたので、黒のマントでは重苦しいので、ピンクの道行にしました。
これは去年、京都に行くときに慌てて買ったもの。
早く着物だけで歩けるように暖かくなるといいな。
2011年2月21日月曜日
暑い!
2011年2月20日日曜日
着物で表参道を歩く
この前ちょっと書きましたけれど、今日は「ジャパン・トラディショナル・プロダクト」(J.T.B)という日本の伝統を広めようという趣旨のプロジェクトの一環で、「表参道を着物で歩く」というイベントに参加してきました。
MIXIで呼びかけがあり、参加費無料で誰でも自由に参加できる、というし、三味線のパフォーマンスもあるというのでいそいそと行ってみました。
何を着て行こうかとちょっと迷ったのですけれど、おばさんはおばさんぽく着たほうがいいかなと思い、紫色のちょっとお洒落な小紋にしました。女医さんからのいただきものですけれど、初めて着てみました。
帯は白っぽいのにしようかどうか迷ったんですけれど、お天気が曇っていたのでなんとなく黒っぽい幾何模様の帯にしました。これも女医さんからのいただきもの。
青山通りに面したAOビルに集合。
着物姿の女性(男性もちらほら)が100人~120人くらい集まったようで、華やかでしたよ。
会場にいた人は、豪華な大振袖の人もいたし、じみーな大島の人もいたし、レトロな銘仙にブーツ姿の人もいたし、粋な縞模様の人もいたし、とにかくみんな年齢もばらばらだし、好きな着物でした。
明らかにおミズ関係と思われる人もいたし、OLさんやお金持ちのおばさまふうの人もいたし・・・。
主催者の人たちの挨拶。真ん中は踊りの人だそうです。
最初に三味線に合わせて「すみユニット」という可愛い女の子二人が、墨絵と書を即興で描くパフォーマンスを見ました。
水墨画と書道の二人組はまだ若くて可愛い女の子ですけれど、実力はあるようです。
できあがったのは「花鳥風月」という文字と墨絵。
なかなか面白いものでしたよ。
さてパフォーマンスが終わったら、エレベーターで下ります。壮観でしたよ。
その後、みんなで表参道をぞろぞろ。
グループで来た人もいましたけれど、私はやはり一人で参加していた横浜の女性とおしゃべりしながら歩きました。
原宿の方まで向かい、陸橋を渡ってまた青山通りまで戻って来ましたけれど、1時間近く歩いたかしら?
通り過ぎる人は「なんじゃいな?」といった顔つきで、眺めていました。
「お茶の人たちじゃないの?」とか「何かのお稽古帰りじゃないの?」とか。
外国人も歩いていましたけれど、「あら、まあ」といった感じで見られました。
小一時間ほど歩いて、また青山通りに戻ってきました。246の交差点で待っているところ。
そしてまたビルの入り口で墨絵のパフォーマンスを見ました。今度は「音」という字を描いていたようです。
一周してきて、みんなほっとしたところ。
そして記念撮影。
そのうち、全体写真が掲載されるでしょう。
この後、二次会もあったようですけれど、私はここまで。
私のような世代の人はあまりいませんでしたけれど、大昔のデモを思い出したわ。
あの頃は殺気立っていた時代だったけれど、今日ののんびりしていたこと。
せめてプラカードとか横断幕でもあればいいのに、と思ったのは私が全共闘世代だからかしら?
どんよりとした曇り空でお天気が心配だったけれど、雨に濡れなくて良かったわ。
お疲れ様でした~。
MIXIで呼びかけがあり、参加費無料で誰でも自由に参加できる、というし、三味線のパフォーマンスもあるというのでいそいそと行ってみました。
何を着て行こうかとちょっと迷ったのですけれど、おばさんはおばさんぽく着たほうがいいかなと思い、紫色のちょっとお洒落な小紋にしました。女医さんからのいただきものですけれど、初めて着てみました。
帯は白っぽいのにしようかどうか迷ったんですけれど、お天気が曇っていたのでなんとなく黒っぽい幾何模様の帯にしました。これも女医さんからのいただきもの。
青山通りに面したAOビルに集合。
着物姿の女性(男性もちらほら)が100人~120人くらい集まったようで、華やかでしたよ。
会場にいた人は、豪華な大振袖の人もいたし、じみーな大島の人もいたし、レトロな銘仙にブーツ姿の人もいたし、粋な縞模様の人もいたし、とにかくみんな年齢もばらばらだし、好きな着物でした。
明らかにおミズ関係と思われる人もいたし、OLさんやお金持ちのおばさまふうの人もいたし・・・。
主催者の人たちの挨拶。真ん中は踊りの人だそうです。
最初に三味線に合わせて「すみユニット」という可愛い女の子二人が、墨絵と書を即興で描くパフォーマンスを見ました。
水墨画と書道の二人組はまだ若くて可愛い女の子ですけれど、実力はあるようです。
できあがったのは「花鳥風月」という文字と墨絵。
なかなか面白いものでしたよ。
さてパフォーマンスが終わったら、エレベーターで下ります。壮観でしたよ。
その後、みんなで表参道をぞろぞろ。
グループで来た人もいましたけれど、私はやはり一人で参加していた横浜の女性とおしゃべりしながら歩きました。
原宿の方まで向かい、陸橋を渡ってまた青山通りまで戻って来ましたけれど、1時間近く歩いたかしら?
通り過ぎる人は「なんじゃいな?」といった顔つきで、眺めていました。
「お茶の人たちじゃないの?」とか「何かのお稽古帰りじゃないの?」とか。
外国人も歩いていましたけれど、「あら、まあ」といった感じで見られました。
小一時間ほど歩いて、また青山通りに戻ってきました。246の交差点で待っているところ。
そしてまたビルの入り口で墨絵のパフォーマンスを見ました。今度は「音」という字を描いていたようです。
一周してきて、みんなほっとしたところ。
そして記念撮影。
そのうち、全体写真が掲載されるでしょう。
この後、二次会もあったようですけれど、私はここまで。
私のような世代の人はあまりいませんでしたけれど、大昔のデモを思い出したわ。
あの頃は殺気立っていた時代だったけれど、今日ののんびりしていたこと。
せめてプラカードとか横断幕でもあればいいのに、と思ったのは私が全共闘世代だからかしら?
どんよりとした曇り空でお天気が心配だったけれど、雨に濡れなくて良かったわ。
お疲れ様でした~。
2011年2月19日土曜日
江戸時代の絵画
8回シリーズの「江戸絵画の展開」勉強会ですけれど、去年の11月からスタートしましたが、安土桃山時代の絵画から始まって、今日は18世紀の絵画となりました。
絵画という切り口で江戸時代にタイム・スリップしているような雰囲気もあるので、興味も深まります。
今回のテーマは江戸時代でも「円山四条派」と言われている京都を中心にした画家たちのお話でした。たくさんのスライドと、いつものことながら先生の熱のこもったお話で楽しんできました。
まずは円山応挙。
この人はもともとは丹波の国(今の亀岡市)の農家に生まれた人だそうで、肖像画を見ましたけれど、見るからに実直そうなおっさんという風貌の人でした。
描かれた絵も真面目で穏やか、静かで上品、まさに「これこそ日本」というような絵ばかりでしたね。
でもびっくりしたのは、デッサンのためでしょうけれど、男性や女性のヌードの絵でした。ローマやギリシャならいざ知らず、日本画の世界にもあんなにリアルに裸体を描いた人がいたのには驚きました。モデルになった人も偉いなと、変なところで感心してしまいました。
細かいところまでしっかりと写生されている画風で、うさぎもこんな感じ。ふわふわしたうさぎの毛が細かく描かれています。
円山応挙には1000人のお弟子さんがいたそうすが、みんなで分担して描いた大乗寺というところの襖絵は素晴らしいものでした。
こちらのデジタルミュージアムをご覧ください。お寺さんのHPとは思えないほど、豪華で凝っていますよ。
それに比べて長澤蘆雪という人はどこかユーモアのある絵を描いていました。
猿や虎の絵も現代のイラストレーターが描くような絵で、200年前の人が描いたものとは思えませんでした。
曽我蕭白という人は円山応挙にライバル心を抱いていたようで、若い時に親兄弟を亡くしたせいか、かなり孤独な世界に生きていたようで、美人図を見てもなんだかぞっとするような感じでした。
さて今、人気の伊藤若冲。
この人は京都の錦市場にある大きな青物問屋の息子として生まれ、生涯お金に困らずに絵を描いていた環境にいたそうです。
尾形光琳がやはりお金持ちのボンボンだったのと似た境遇ですね。
そして伊藤若冲は、宗教心もあったのか、相国寺に素晴らしい絵を奉納したそうで、中でも動植物を30幅も描いた絵は有名ですね。今では宮内庁に保存されているそうです。相国寺といえば、2008年にはここで源氏物語を織物にした展覧会を見てきましたが、ここは室町時代に足利義満によって建てられ、その後の歴史にもたびたび登場してくるお寺です。
鳥の羽根の細かいこと。気の遠くなるような細かい筆使いの絵ですけれど、若冲はお金持だったので、値段の高い絵の具で描いてあるそうです。赤とグリーンのハートが可愛いですね。
私にはちょっと苦手な鶏の絵。とさかや尾っぽが気持ち悪いほどリアルです。
こちらはタコの絵。下の方にはアマダイがいますね。この絵には他にもカサゴとかイトヨリとかいろんな魚が泳いでいましたよ。まるで魚貝図鑑のよう。
伊藤若冲は鮮やかでなおかつ構図に優れている絵をたくさん描き、当時としては長生きの85歳まで生きたそうです。
またロサンゼルスにあるプライスコレクション(プライスさんという実業家が集めたもの)にも鮮やかな葡萄図や紫陽花図などが保存されているそうです。
こちらはゾウの描かれている絵ですけれど、タイル画でした。
******
この講座には毎回着物を着て行ったのですけれど、今日はあれこれ忙しくて洋服で行きました。
ちょっと残念だったわ。
でも明日は着物で表参道を大名行列です。雨だけは降ってほしくないわ。
絵画という切り口で江戸時代にタイム・スリップしているような雰囲気もあるので、興味も深まります。
今回のテーマは江戸時代でも「円山四条派」と言われている京都を中心にした画家たちのお話でした。たくさんのスライドと、いつものことながら先生の熱のこもったお話で楽しんできました。
まずは円山応挙。
この人はもともとは丹波の国(今の亀岡市)の農家に生まれた人だそうで、肖像画を見ましたけれど、見るからに実直そうなおっさんという風貌の人でした。
描かれた絵も真面目で穏やか、静かで上品、まさに「これこそ日本」というような絵ばかりでしたね。
でもびっくりしたのは、デッサンのためでしょうけれど、男性や女性のヌードの絵でした。ローマやギリシャならいざ知らず、日本画の世界にもあんなにリアルに裸体を描いた人がいたのには驚きました。モデルになった人も偉いなと、変なところで感心してしまいました。
細かいところまでしっかりと写生されている画風で、うさぎもこんな感じ。ふわふわしたうさぎの毛が細かく描かれています。
円山応挙には1000人のお弟子さんがいたそうすが、みんなで分担して描いた大乗寺というところの襖絵は素晴らしいものでした。
こちらのデジタルミュージアムをご覧ください。お寺さんのHPとは思えないほど、豪華で凝っていますよ。
それに比べて長澤蘆雪という人はどこかユーモアのある絵を描いていました。
猿や虎の絵も現代のイラストレーターが描くような絵で、200年前の人が描いたものとは思えませんでした。
曽我蕭白という人は円山応挙にライバル心を抱いていたようで、若い時に親兄弟を亡くしたせいか、かなり孤独な世界に生きていたようで、美人図を見てもなんだかぞっとするような感じでした。
さて今、人気の伊藤若冲。
この人は京都の錦市場にある大きな青物問屋の息子として生まれ、生涯お金に困らずに絵を描いていた環境にいたそうです。
尾形光琳がやはりお金持ちのボンボンだったのと似た境遇ですね。
そして伊藤若冲は、宗教心もあったのか、相国寺に素晴らしい絵を奉納したそうで、中でも動植物を30幅も描いた絵は有名ですね。今では宮内庁に保存されているそうです。相国寺といえば、2008年にはここで源氏物語を織物にした展覧会を見てきましたが、ここは室町時代に足利義満によって建てられ、その後の歴史にもたびたび登場してくるお寺です。
鳥の羽根の細かいこと。気の遠くなるような細かい筆使いの絵ですけれど、若冲はお金持だったので、値段の高い絵の具で描いてあるそうです。赤とグリーンのハートが可愛いですね。
私にはちょっと苦手な鶏の絵。とさかや尾っぽが気持ち悪いほどリアルです。
こちらはタコの絵。下の方にはアマダイがいますね。この絵には他にもカサゴとかイトヨリとかいろんな魚が泳いでいましたよ。まるで魚貝図鑑のよう。
伊藤若冲は鮮やかでなおかつ構図に優れている絵をたくさん描き、当時としては長生きの85歳まで生きたそうです。
またロサンゼルスにあるプライスコレクション(プライスさんという実業家が集めたもの)にも鮮やかな葡萄図や紫陽花図などが保存されているそうです。
こちらはゾウの描かれている絵ですけれど、タイル画でした。
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この講座には毎回着物を着て行ったのですけれど、今日はあれこれ忙しくて洋服で行きました。
ちょっと残念だったわ。
でも明日は着物で表参道を大名行列です。雨だけは降ってほしくないわ。
2011年2月18日金曜日
三味線発表会
先日、ある三味線の発表会に行ってきました。
小さなグループですが、年に2回、お客さんの前でお稽古の成果を発表をしているそうです。
私がこれまで見てきた三味線発表会というと、みんな黒の紋付に白い帯という第一礼装をして、国立劇場や三越劇場などの有名なところでのすごく立派な演奏会が多かったのですけれど、こちらのグループでは地元の会場で、それぞれ好きな衣装で椅子に腰かけて演奏していました。
演奏が始まる前に、先生が曲の紹介を詳しくしてくれました。
作曲者の氏名、その年代、その時の将軍(江戸時代の曲だからね)、筋書き、聴きどころなど説明してから演奏になりました。
とくに十代目杵屋六左衛門という作曲者は寛政12年(1800年)に生まれた人で、天保のころに活躍したそうです。亡くなったのは安政5年(1858年)、コレラにかかって亡くなったのだとか。
「長唄中興の祖」と言われる方だそうで、今でも演奏される有名な「浦島」とか「五郎」などの曲をたくさん作ったそうです。
こういう説明があってから長唄三味線を聞くと、200年前から続いている伝統を感じますね。
江戸時代の人も同じ曲を弾いたり歌ったりしたのだと思うと、ちょっと感慨にふけりますね。
私もお稽古をした「小鍛冶」や「松の緑」という曲も演奏されたので、親しみを感じました。
小さなグループですが、年に2回、お客さんの前でお稽古の成果を発表をしているそうです。
私がこれまで見てきた三味線発表会というと、みんな黒の紋付に白い帯という第一礼装をして、国立劇場や三越劇場などの有名なところでのすごく立派な演奏会が多かったのですけれど、こちらのグループでは地元の会場で、それぞれ好きな衣装で椅子に腰かけて演奏していました。
演奏が始まる前に、先生が曲の紹介を詳しくしてくれました。
作曲者の氏名、その年代、その時の将軍(江戸時代の曲だからね)、筋書き、聴きどころなど説明してから演奏になりました。
とくに十代目杵屋六左衛門という作曲者は寛政12年(1800年)に生まれた人で、天保のころに活躍したそうです。亡くなったのは安政5年(1858年)、コレラにかかって亡くなったのだとか。
「長唄中興の祖」と言われる方だそうで、今でも演奏される有名な「浦島」とか「五郎」などの曲をたくさん作ったそうです。
こういう説明があってから長唄三味線を聞くと、200年前から続いている伝統を感じますね。
江戸時代の人も同じ曲を弾いたり歌ったりしたのだと思うと、ちょっと感慨にふけりますね。
私もお稽古をした「小鍛冶」や「松の緑」という曲も演奏されたので、親しみを感じました。
2011年2月17日木曜日
三田さんの本
知人が間違って同じ本を2冊買ってしまったというので、「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」という新書を譲ってもらいました。
自分では多分、買わないだろう分野の本でしょうね。
新書の帯には「宗教と科学の歴史がこの一冊でわかる!」と銘打ってあり、「聖書の世界観、黄金比、そして万有引力の法則・・・」というちょっと難しそうな内容が書いてありました。
ぱらぱらとめくってみると、ピタゴラスの定理やイエス・キリスト、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、ガリレオの発見、近代科学の礎となったニュートン、そしてビッグ・バンからアインシュタイン・・・・というように西洋史を科学の世界から見ていろいろと問題提起をしてありました。
ふーむ、なかなか大変そうな本だな、と思って著者を見ると、なんと驚いたことにこの本の著者は三田誠広さんだったのです。
勝手に三田さんと呼ばせてもらいますけれど、同年代に近いということもあり、親近感を感じていた方でした。
三田さんは「僕って何?」で芥川賞を受賞して華々しいデビューをして、その後は青年の恋や悩みや人生をつづった本をたくさん著し、「いちご同盟」の中学生の淡い恋と悲しい終末には何度読んでも感激したものです。
当時の学生運動とは一歩離れたところに位置しながら、若者たちの生き方についての小説を書いていた方です。
また彼は若くして学生結婚をしましたが、子供が生まれてからは「すずめ台つれづれ日記」で家族のことを書いたり、犬の眼を通した「吾輩はハスキーである」なども書き、また父親として「父親学入門」も書き、ニューファミリーの騎手のような立場で本を書いていました。
その後、早稲田で作文を教える授業をしたり、三田さんは中高年になった団塊の世代の代表のようにして活動していました。
そしてある時からは歴史上の人物についての小説が多くなり、釈迦や空海や西行などを扱った本を書くようになり、私はそのころからは三田さんの本とはちょっと距離を置くようになりました。だってどの本もものすごく分厚くて重たかったんですもの。
その三田さんがですよ、なんと宗教と科学の世界も扱う本を書いているというので、本当にびっくりしました。
この本の裏には三田さんの顔写真がついていましたが、まさしく「僕って何?」を書いたあの三田さんのお年をめした姿が映っていました。
この「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」は数年前に話題となった映画「ダヴィンチ・コード」の神秘主義に対して異を唱える立場から書いているようですけれど、数学や宇宙の話題もふんだんに出てきて、あの青春小説を書いていた人の本だとはどうしても思えないのです。
でも事実です。
人間って30年、あるいは40年の間に、こんなに興味の対象が変わるなんてすごいものだと感心しながら読んでいます。三田さんはそれだけ興味の幅が広がり、たくさん勉強した成果でしょう。
まぁ、自分自身を振り返ってみても、若かった時には和服とか邦楽、日舞などという日本的なものなどまるで興味がなかったのに、今はそういう世界にどっぷりと浸かっているのですから、人様のことは言えませんけどね。
人間って変わるものなんだな、とこの本を手にして思いました。
自分では多分、買わないだろう分野の本でしょうね。
新書の帯には「宗教と科学の歴史がこの一冊でわかる!」と銘打ってあり、「聖書の世界観、黄金比、そして万有引力の法則・・・」というちょっと難しそうな内容が書いてありました。
ぱらぱらとめくってみると、ピタゴラスの定理やイエス・キリスト、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」、ガリレオの発見、近代科学の礎となったニュートン、そしてビッグ・バンからアインシュタイン・・・・というように西洋史を科学の世界から見ていろいろと問題提起をしてありました。
ふーむ、なかなか大変そうな本だな、と思って著者を見ると、なんと驚いたことにこの本の著者は三田誠広さんだったのです。
勝手に三田さんと呼ばせてもらいますけれど、同年代に近いということもあり、親近感を感じていた方でした。
三田さんは「僕って何?」で芥川賞を受賞して華々しいデビューをして、その後は青年の恋や悩みや人生をつづった本をたくさん著し、「いちご同盟」の中学生の淡い恋と悲しい終末には何度読んでも感激したものです。
当時の学生運動とは一歩離れたところに位置しながら、若者たちの生き方についての小説を書いていた方です。
また彼は若くして学生結婚をしましたが、子供が生まれてからは「すずめ台つれづれ日記」で家族のことを書いたり、犬の眼を通した「吾輩はハスキーである」なども書き、また父親として「父親学入門」も書き、ニューファミリーの騎手のような立場で本を書いていました。
その後、早稲田で作文を教える授業をしたり、三田さんは中高年になった団塊の世代の代表のようにして活動していました。
そしてある時からは歴史上の人物についての小説が多くなり、釈迦や空海や西行などを扱った本を書くようになり、私はそのころからは三田さんの本とはちょっと距離を置くようになりました。だってどの本もものすごく分厚くて重たかったんですもの。
その三田さんがですよ、なんと宗教と科学の世界も扱う本を書いているというので、本当にびっくりしました。
この本の裏には三田さんの顔写真がついていましたが、まさしく「僕って何?」を書いたあの三田さんのお年をめした姿が映っていました。
この「ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡」は数年前に話題となった映画「ダヴィンチ・コード」の神秘主義に対して異を唱える立場から書いているようですけれど、数学や宇宙の話題もふんだんに出てきて、あの青春小説を書いていた人の本だとはどうしても思えないのです。
でも事実です。
人間って30年、あるいは40年の間に、こんなに興味の対象が変わるなんてすごいものだと感心しながら読んでいます。三田さんはそれだけ興味の幅が広がり、たくさん勉強した成果でしょう。
まぁ、自分自身を振り返ってみても、若かった時には和服とか邦楽、日舞などという日本的なものなどまるで興味がなかったのに、今はそういう世界にどっぷりと浸かっているのですから、人様のことは言えませんけどね。
人間って変わるものなんだな、とこの本を手にして思いました。