2021年1月31日日曜日

分倍河原へ

先日、分倍河原というところへ行ってきました。

分倍河原、読めますか?

「ぶばいがわら」と発音します。

ここはJR南武線と、京王線がクロスした駅です。

駅前広場には、こんな銅像が立っています。勇ましいですね。


新田義貞です。

この人は鎌倉時代後期から南北朝にかけての武士で、ここ分倍河原で鎌倉幕府軍と戦いました。

新田義貞はもともとは上野の国出身で、現在の群馬県太田市あたりだそうです。

激しい気性と義理人情に厚い性格だったそうで、それも上野という土地柄なのでしょうか。

義貞は利根川あたりを根拠地としていたそうで、そして鎌倉幕府に反感を持っていた勢力を結合して、新田軍は20万人の勢力があったとか。

この分倍河原辺りも戦場になったのですね。


その後、時代は後醍醐天皇の「建武の新政」となり、南北朝時代には新田義貞は後醍醐天皇について、足利尊氏と対立することになります。

うーむ、この頃の歴史は、実は私はあまりよく理解していません。

この銅像の前には、大きな立派なビルが建っています。東芝のビルです。

今回、私が分倍河原に行ったのは、その駅前から少し歩いたところにある、武蔵府中税務署でした。

ちなみにこの建物は鎌倉街道という道路にも面しています。道路の隣は畑という、のどかな場所にありました。

700年近く前、きっと新田義貞も通った道だと思います。

確定申告の相談をするために行ったのですが、税務署というところは生まれて初めてでしたので、悪いことをしているわけではないのに、ちょいとキンチョーしました。

ラインで国税庁とお友達になると、相談の予約ができるというので、そのシステムを利用して行きましたが、それでも時間通りには相談できませんでした。

というのも、みな相談がすごく長いのです。

その相談は、区切りのない空間で行われているので、嫌でもその声が響いて聞こえてしまいます。

アパート経営をしているが、その経費はどうすればよいのか?

ネットで広告を出しているが、その掲載費はどうすればよいのか?

ふるさと納税はどうすればよいのか?

外国の株で儲けたが、どうすればよいのか?

ありとあらゆる相談事が聞こえてきました。税務署の人は丁寧に時間をかけて相手をしているので、一人ひとりの時間がすごくかかるのでした。

私は、自分で計算した金額があっているかどうかを確認してもらい、また記入方法が分からないところだけを聞いてもらいました。とても若い青年(たぶん23歳くらい?)でしたが、丁寧に対応してもらいました。

幸い、すぐにOKが出ましたが、それでも疲れましたね。

この年になり、初めて税務署に行きましたが、そんなにキンチョーする必要はなかったようです。

会社を経営している方や、ご商売をされている方は、ほんとにご苦労様です。

相談が終わり、ホッとしてお茶でも飲んで帰宅しようかとも思いましたが、このコロナ禍ですので、すぐに電車に乗って戻りました。


このところお天気が良いので、夕方には美しい富士山のシルエットが見えます。

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「一日一句」

税務署へそれが私の初仕事



2021年1月30日土曜日

97歳の誕生日

昨日は母の誕生日でした。なんと97歳になりました。

昔から「私は100まで生きるかもしれないよ」と冗談を言っていましたが、ほんとうにそうなるかな?

いずれにせよ、何とかもう少し長生きして、このコロナ禍を乗り越えてもらいたいものです。

今のままだと、海外に永住している妹が、母の最期の時を一緒に過ごせないようなので、できることなら海外渡航が自由になるまでは、生き延びてもらいたいものだと願っているのです。

誕生日祝いに、春向きのブラウスを用意しました。かなり派手な模様の、赤いブラウスにしました。

ホームのスタッフの方から母に手渡してもらおうと思って、ホームに向かいました。

ホームの玄関では、なんと本人が待っていてびっくりしました。規則通りだと、今の期間は本当は面会はダメなのですが、短時間だけでも会わせていただいたスタッフの方のお心遣いに感謝します。

プレゼントには、こちらの絵葉書を添えておきました。


安田靫彦(ゆきひこ)の紅梅です。春らしくて良いでしょ。

母も絵葉書を眺めていました。


絵葉書には、「お誕生日おめでとう」と書いておいたのですが、その文字を声を出して読んでいました。

あら、ちゃんと読めるのね。

その文章の下に私の名前を書いておきましたが、スタッフの方が、

「これはだあれ?」と聞くと、母はしっかりとした声で「娘」と答えてくれました。

あら、私の名前も覚えていたのね。嬉しいことです。

あらぬ方向を眺めていますが、意外としっかりしていて、私もホッとしました。

食欲もあるそうなので、まだまだ生き延びるかもしれません。

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「一日一句」

紅梅を見つめる母の目は優し


2021年1月28日木曜日

地元のお菓子屋さんへ行ってみました!

先日、娘から封筒が届きました。

誕生日でもないのに、何だろうと思って封を切ってみると、中から出てきたのはなんと「コオロギおつまみせんべい」。


えーっと思いましたが、ちょっと食べてみても、べつにコオロギの味はしませんでした。七味唐辛子の味が効いていて、ビールに合いそうでした。

お台場のイベントで見つけて、面白がって、私に送ってくれたようです。

そのパッケージの裏側を見ると、作っているのはなんと地元のお菓子屋さんでした。

MNH▼という会社です。

その会社では「第二・第四木曜日の午前中には、直販をします」とのこと。

ということで、その会社に行ってみました。場所は私がよく知っているところでした。

こんな幟が立っていました。

販売の準備をしている人とお話をしました。

この会社は3年程前にできたそうです。いろいろなイベントなどを中心にして、楽しいお菓子を販売しているのだとか。

和風のスナックがメインのようでした。せんべいの材料となる米は、山形のお米を使っているそうです。

ちょっと商品をご紹介しますね。

コロナ封じにぴったりのアマビエののど飴。


「三蜜禁止」もあるラムネ。

春限定の桜が美しい飴と、かりんとう。

味噌味、栗味、生姜はちみつ、黒糖の4種類の味があるかりんとう。

直販は、どれも普段の値段の3分の一ほどだそうです。

地元でもこういう会社があるのですね。

友人への手土産にしても、ちょっとした話題になりそうです。

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「一日一句」

わくわくが伝わるお菓子春近し


2021年1月27日水曜日

「長崎ぶらぶら節」

去年の暮れに、なかにし礼さんがお亡くなりになりました。

昭和の歌謡曲をたくさん作った方ですが、「兄弟」や「赤い月」の小説も面白く読んだことを思い出しました。そして「長崎ぶらぶら節」はまだ読んでいなかったと気づきました。

そしてどうしても読みたいと思い、図書館で見つけて借りてきました。

この小説は吉永小百合さんの主演で映画化されたこともあり、どうしても彼女のイメージが思い浮かんでしまうのですが、主人公の愛八さんという芸者さんは長崎・丸山の実在の女性です。また彼女を相手として抜擢した古賀十二郎さんという学者さんも実在の人物です。

その二人の話を、なかにし礼さんが、さすがと思う手法で小説化されて、直木賞を受賞されたのでした。

「長崎の古い歌を採集したい」という古賀の強い願いに誘われて、愛八は愛用の三味線を片手に持って、彼と一緒にキリシタンのいる離れ小島などに出かけます。

2人の間の交流や、心情が、美しい言葉で綴られていました。

また彼女の周囲にいる人々、とくに雪という少女についての話は、悲しい物語でした。

最後は愛八が、西條 八十の強い勧めによって、「ぶらぶら節」をレコーディングします。

このレコードは評判になり、愛八も多額の金額を手にしますが、それを雪の入院費用に充てて、自分は質素な暮らしを続けました。

愛八は相撲ファンで、四股を踏むのが上手だったということですが、あの小百合さんもそういうシーンを披露されたのかしら。

また映画では古賀の役は渡哲也さんだったそうですが、学者であっても、ハチャメチャに芸者遊びをするシーンはちょっと想像できませんね。

心にしみる美しい言葉を縦横無尽に駆使して、小説を書いたなかにし礼さん。惜しい方を亡くしました。

私も昔、物語の舞台になった地域周辺を旅行したことがあったので、懐かしく思いました。

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このところ雨の日、晴れの日、寒い日、暖かい日が交互にやってきていますね。

ベランダのすみれも、雨のおかげで、枯れずに咲いています。

「一日一句」

花開く 雨の翌日 冬菫(ふゆすみれ)





2021年1月25日月曜日

冬の庭園

うちの近くに、公園とも庭園とも広場とも何とも言い難い、草花のスペースがあります。どなたかのおうちのお庭ではなさそうです。

去年の7月にはオニユリ▼が咲いていました。「夏の庭」でしたね。

9月には女郎花や吾亦紅▼が咲いていて、「秋の庭」という風情でした。

この小さな庭は、誰が手入れをされているのか分かりませんが、いつも季節の草花が咲いています。

今回は、冬の真っ最中なので何も咲いていないだろうと思って通りましたが、小さな赤い梅が咲いていました。

パッと目立つ赤い花でした。

庭の全体の雰囲気はこんな感じです。とても狭いのですが、草花の配置などが工夫されています。

手前に置かれている枯れ木が、なんとも言えない雰囲気を醸し出していました。


冬は枯れ木と石垣だけの庭園ですが、厳しい寒さを乗り越えようとする植物の力強さが感じられました。


私の好きな散歩道です。

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「一日一句」

ふと気づく日が長くなり寒紅梅




2021年1月23日土曜日

鳥越碧 「建礼門院 徳子」

建礼門院徳子は、平清盛の娘ですが、その人生はなんと悲惨なことでしょう。

父を病気で失い、その後、夫も若くして病死、多くの兄弟たちは源氏によって滅ぼされ、母と息子は壇ノ浦の海の底に沈みました。徳子は、平家一族の中で、ただ一人生き残った人です。

そんな人生、耐えられませんね。

彼女自身も海の中へ入りましたが、なんということか、源氏の熊手によって救い出されてしまったのです。

その後、出家をして、京都の寂光院で静かな人生を送りました。

ただし、この「徳子」はそれだけの物語ではありません。

彼女は夫・高倉天皇の父親である後白河法皇(つまり舅ですね)を愛していたのです。

この後白河法皇という人は、「大天狗」と呼ばれるように、時には平家の味方だったり、時には源氏方についたり、頼朝と義経の中を割いてみたり、と武家を翻弄させていた人です。

そんな憎むべき人なのに、徳子は愛してしまったのです。

つまり「許されぬ恋」なのでした。

法皇には多くの愛人がいましたが、彼も徳子には特別な気持ちを持っていたようです。

2人の間は、体の関係はなくとも、魂と魂が入り混じっていたような付き合いだったのでしょうか。

とはいえ、法皇と徳子は親子ほど年齢が離れていました。

徳子は法皇を憎みながらも愛していたのです。

この物語では、女の業の辛さが描かれていて、読んでいても辛くなってしまいました。

物語の最後には、出家した徳子の元を法皇が秘かに訪ねてくる場面で終わります。

それは能の「大原御幸」として上演されています。

私はこれまでだいぶ前に永井路子さんの「波のかたみ 清盛の妻」を読んで、二位尼・時子から見た平家物語が大好きでしたが、鳥越碧さんの「徳子」もそれに劣らない素晴らしい物語だと思いました。

ちなみに去年の12月には、同じ鳥越さんの「波枕 おりょう秘抄」▼を読みましたが、どちらの小説も、女性の心の奥深くを描いていて、読んでいて辛くなってしまうほど、厳しくて寂しい物語でした。

それにしても、この物語の元になった「平家物語」はすごい物語だなぁと思いました。

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「一日一句」

寒月や女の業の寂しさよ



2021年1月21日木曜日

アルバムの思い出

私の人生も70年以上となりましたが、そのうちのちょうど半分の35年間分は、アルバムというものは、一冊も残っていません。

どういうことなのでしょう?

実家には、分厚い古びたアルバムが何冊もありました。

戦前の祖父母の写真、戦後になり私の両親が結婚して、子供(私と妹)が生まれてからの写真、家族旅行、学校の行事などの写真、親戚との交流写真などが山ほどありました。

こちらは現在97歳の母が、23歳くらいだったころの写真です。昭和22年頃でしょうか。

それらのアルバムを眺めるのはとても楽しく、子供の頃は両親に「この人は誰?」とか「ここはどこ?」などと尋ねて、楽しい会話が続いたものです。

ところが父(今、生きていれば100歳)が65歳の頃、その実家から横浜へ引越ししたのですが、父は何を勘違いしたのか、それらのアルバムをすべて捨ててしまったのです。本人には捨てた意識があったのか、なかったのか分かりませんが、とにかく現在、それらの古いアルバムは手元には1冊も残っていません。

そのことを、いとこたちに知らせたところ、彼女たちは可哀想に思ってくれて、手持ちの自分のアルバムに貼ってあった写真のうち、私が写っている写真を何枚か送ってくれました。それらの写真だけが、私の幼い頃を知るよすがなのです。

そのうちの1枚です。私が5才、妹が2才くらいでしょうか。

母の手作りのワンピースは、水色だったことを覚えています。

その後、大人になり結婚しましたが、初めの結婚は解消してしまったので、その結婚期間中に写した写真は、一枚も手元にありません。

あちこち旅行をしたり、海外に住んでいた記憶も、私の頭の中にあるだけで、写真としてはまるで残っていません。

ということで、私自身の写真は、再婚して以降、つまり35歳以降の写真しかないのです。

私の人生のうち、ちょうど半分の記録は、アルバムとしてはほとんど残っていないのです。

その後、娘が生まれ、たくさんの写真を写し、アルバムもずいぶん増えてしまいました。

ところが娘が結婚して家から離れると、そのアルバムを開くこともほとんどなくなりました。

はっきりいって、重たいアルバムは部屋の場所ふさぎなのです。

と言って、捨てるのも惜しいと、それらのアルバムは悩みの種でした。

そんな時、よい情報と出会いました。

それは本来は御朱印帳として使われるものを、アルバムとして利用しているというFB友達からの情報でした。

なんでもその御朱印帳アルバムは、徳島に住んでいらっしゃる製本専門家の方の手作りだというのです。

その方の紹介サイトを見ると、御朱印帳は美しい和の布の表紙が貼られ、中身は写真が44枚収まるとのこと。立たせて使えるので、テーブルの上に置いておけば、いつでもすぐに見ることができるようになっていました。

そのFB友達の紹介で、先日、私も生の御朱印帳を拝見させていただく機会がありました。

おお、見事でした!

可愛い水引も付いていました。


もちろん本来の御朱印帳として使うのもよし、俳句や短歌を書いても良いでしょうね。
サイン帳にもなるかな。

こちらは大きいサイズで、四国八十八か所巡りの納経帳です。中の和紙には、お寺の名前が一つずつ書かれています。

鮮やかな表紙、渋い表紙など、色とりどりでした。

どれにしようか迷いましたが、自分の着物の好みの御朱印帳を3冊選んでみました。素敵なアルバムとして利用できそうです。

横向きのものは、グリーティングカードをまとめようかとも思っています。

私の手元にあるバラバラの写真をピックアップして、厳選して貼ってみようと思っています。

そして孫たちに「これがおばあちゃんの昔の姿だ」と見せてあげられたらと思います。

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御朱印帳をご希望の方は、こちらのHPからどうぞ。ご自分のお好きな布でも製作していただけるようですよ。

「麿工房」▼

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御朱印帳を拝見するために、市内のお宅へ伺ったときの装い。

黒に赤い光沢のある道行です。これは以前、市内のカフェギャラリーで開かれた着物フリマで、なんとワンコインで見つけたもの。

ちょっときちんと感があるので、初めてのお宅にお邪魔するのには良いかしらと思って、着てみました。

襟元が寒かったので、洋品屋さんで見つけたふわふわ襟巻を巻いています。

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「一日一句」

思い出の写真集めて春近し


2021年1月20日水曜日

源氏物語を楽しむ会 2021年1月「袴着」

新しい年の第1回目の「源氏物語を楽しむ会」は、今回からは「薄雲」の巻です。

この会は、通常は世田谷区の集会所で行っていますが、今回はコロナ感染拡大のため、不要不急の外出を避けて、それぞれの自宅からオンラインで参加しました。

この頃は、主人公の光源氏は31歳、奥さんの紫の上は23歳くらいという設定だそうです。

現代に置き換えると、だいたいのところ、夫が40歳くらいの男ざかり、奥さんが30歳ちょっと手前の夫婦といった感じでしょうか。

光源氏と明石の方(明石の現地妻)との間に生まれた子供ももうかなり大きくなり、源氏はこの子を都に引き取って、最愛の奥さんである紫の上に育てるようにさせます。

明石の方は、もちろんわが子を自分の手元に置いて育てたいのですが、自分のように身分の低いところで育てても子供の将来は望めないし、それよりも高貴な人の手で育ててもらいたいと思うようになるのでした。

そんな場面ですが、今回、私たちが注目したのは子供の成長過程のお祝い事についてです。

現在の日本では、七五三がメインになっていますが、平安時代は「袴着」(はかまぎ)というのが主だったようです。「着袴」(ちゃっこ)の儀とも呼ばれています。

これは幼児が初めて袴を穿く行事です。江戸時代以降は男子のみの行事となりましたが、古くは男女の別なく、3歳から7歳くらいの間で行われたそうです。

碁盤の上に立って吉方(えほう)を向きながら袴に着替えたり、冠をつけて四方にお辞儀をしたりします。

こちらの絵は、大和和紀さんの「あさきゆめみし」から拝借しました。可愛いですね。

この時、袴の紐を結ぶ役を担うのは、親族の中で最も高位の人です。

吉日を選んで、人々を集めて行います。そして祝宴を開きます。

光源氏が、この娘を二条院に引き取ったのは、袴着を人並みに行い、自分の子供であるということを世間に認めさせるためでした。

この後、男の子は「元服」といって、大人の服装をつけ、髪型も大人のようになり、冠をつけます。

また女の子は「裳着」(もぎ)というお祝い事もあります。平安時代から安土桃山時代にかけて、女子が成人したことを世間に対して示すことを目的として行われました。

「裳」というのは、腰から下につける衣装のことです。

このお祝をすると一人前の女性ということになり、結婚の対象として扱われたようです。


写真は、ウィキペディアより拝借しました。

こんなふうにして、私たちの「源氏物語を楽しむ会」は、物語に関連した衣食住などについても、分かる範囲で調べて、楽しんでいます。

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この日の装い。

着物も帯もリサイクル品です。

モダンな白×黒×赤の着物です。

これは、裏が上半身は真紅、下半身は紫の2色になっています。紫式部にかけたわけではありませんが、歩くと紫色の八掛けがチラチラ見えて、かっこいいのです。

半襟はよく見えませんが、黒に紫系の花柄刺繍があるものにしてみました。

帯締めは友人のかっこいい結び方を真似してみましたが、リボンのように結ぶのがうまくいきませんでした。

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「一日一句」

読書会 源氏と共に 冬うらら


2021年1月19日火曜日

紅梅

新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。

感染しても、入院できるかどうかも分からないとは。

自宅療養中に、容態が急変して、突然急変して亡くなる人もいらっしゃるそうです。まるで未開の国のようです。日本はそんな国だったのでしょうか。

東京は2回目の緊急事態宣言の最中です。

不要不急の外出はしないようにしていますが、昨日は用事があって市役所まで出向きました。結構人がたくさんいました。

最近は外出する時は、自転車には乗らずに、歩けるところは歩いて行くようにしています。

こちらは、近くの農園のようなところに咲いていた紅梅。

ちょっとピンボケ写真で、すいません。

可愛い梅を見ていたら、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を思い出しました。

6年前に、熱海のMOA美術館で見たことがあります。


もちろんレプリカですが。大きな屏風の前に立つと、気分が良かったです。


とても素敵な美術館でした。もう一度、行きたいな。

若草色の小紋に、黒×金の市松模様の帯でした。

まだ若々しかったですね。

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「一日一句」

散歩道 紅梅現われ 孫思う

2021年1月17日日曜日

「多摩川白衣観音」と薬の話

2021年の元旦は、だるくて起き上がれませんでした。

大晦日の夜に、いつもは見ないテレビをつけて、「紅白歌合戦」やら「行く年くる年」を見て遅くまで起きていたせいかしらとも思いましたが、立ち上がるとフラフラしてしまいました。

また例年の元旦なら、朝からお雑煮を作るのですが、だるくて料理を作ることは出来ませんでした。

仕方なくパンとコーヒーだけでもと、思いましたが、一口食べただけで、止めてしまったほど、食欲がありませんでした。

年末の定期受診で、血圧の薬を2倍にしてもらったのに、血圧も高く、動悸もありました。

掃除機をかけたり、洗濯機を回すことも身体が辛くて、少し動くとだるくなりました。

仕方なく椅子に座って新聞を見たり、年賀状を眺めていました。

午前中の辛さは尋常ではないと感じましたが、それでも前日には「コロナは陰性でした」という連絡を受けていたので、この倦怠感は何だろうと気になりました。

そして血圧はだんだんと下がってきましたが、それでも立ちくらみがあり、首や肩がずしんと重く、もうこの世とはおさらばではないかと思ったりしました。

ふだん、ほとんど病気をしたことがないので、ちょっと具合が悪くなると、悲観的になってしまうのです。

午後3時ごろ、派手な着物に着替えて、近くの多摩川までそろりそろりと歩いて出かけることにしました。

川のほとりには「多摩川白衣観音」というのが祀られています。

江戸時代から多摩川の氾濫が続き、また富士山の大噴火で田畑に灰が積もり、作物が台無しになってしまったとき、どこからか仏像が流れてきて、それを白衣観音として祀ったところ、平穏な多摩川になったという言い伝えがあります。


何やら、コロナ禍で流行っている「アマビエ様」のようにも見えました。

お堂には、お花もきれいに供えられていて、近くの人がお世話をされているようでした。

その白衣観音の隣で写しました。

着物や帯は、やっとの思いで着ることができました。


なんだかいつもと違う表情ですよね。

本当に気分が悪くて、この写真は遺影にしようかと思ったほどです。

その後、家に戻り、血圧の薬の説明書を読み返したり、インターネットで調べたりして、私が具合が悪いのは薬を倍量にしたせいではないか、と思うようになりました。

自己判断で薬の量を減らすのは勇気がいりましたが、年始のため、医者も休みだったので仕方ありませんでした。

薬を元の量に戻して、朝の立ちくらみは減りましたが、それでも不快感は続きました。

その後、正月休みも終わったので、医者に確認したかったのですが、受付の人が電話口で、「予約がないと、待ってもらうことになる」と言われて、長時間待つのは辛いので、年末に薬を出してくれた薬局で相談することにしました。

その薬剤師さんはとても親身になって相手をしてくれたので、ホッとしました。

薬を元の量に戻してから10日ほどして、ようやく体調は回復してきました。

その後、医者とも電話連絡が取れて、半量でよいということになりました。

私がこの体験から分かったことは、薬は飲んだらその直後からすぐに体に効くものではないし、また飲み終えてもすぐに元に戻るものではない、ということでした。何日かしないと結果が出てこないのですね。

それでも薬の量を元に戻して、本当に良かったです。

元旦に出会った「白衣観音」に、助けられたような気持ちになりました。

皆様もどうぞお気をつけくださいませ。

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「一日一句」

多摩川で命拾いの初詣



2021年1月15日金曜日

5年前

facebookをしていると、「○年前のこの日の思い出」というのがあり、勝手にその日の写真を教えてくれるシステムになっています。

こちらは5年前の今日の孫娘。たぶん生後5か月くらいの姿でしょう。

可愛いけど、毛がない!


女の子なのに髪の毛がまるで生えず、おばあさんとしては心配していました。

たぶん1歳になっても、ほとんど生えなかったのではないかしら。フサフサの赤ちゃんを見ると、羨ましく思ったものです。

それが今ではこんなに長く立派な髪の毛になりました。

太くて横綱の綱のようですね。

去年か一昨年、それまで生まれてから一度も切ったことがなかったそうですけど、美容院でカットしてもらったそうです。

その後、またこんなに伸びたのね。

おばあさんの心配は杞憂になりました。

これからもツヤツヤな髪の毛を、大事にしてね。

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「一日一句」

寒の内 太くまっすぐ 孫の髪



2021年1月14日木曜日

オンライン体験あれこれ

 私が初めてインターネット上の会議というものに関わったのは、2010年のことでした。

当時はある学術団体の秘書の仕事をしていて、その年の秋に開催される大きな大会の準備のため、インターネットで打ち合わせをしていたのです。

その頃のパソコンにはカメラが内蔵されていなくて、カメラを購入して取り付けたという記憶があります。

テレビ電話のようなものだったと思うのですが、何やら設定があれこれ難しくて、よく分からず、若い助手さんに助けていただいたものです。

それから10年経ち、去年の2020年はコロナ禍のため、オンラインでの会議が当然のようになりましたね。

技術の進歩もすごいスピードだと思います。誰でもほぼ無料でできるというのですから。

ということで、最近の私のオンライン体験を少しご紹介してみます。

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こちらはいつも利用しているスポーツジムのオンラインレッスンの様子です。

「夜間8時以降の営業中止」に伴い、この1か月間だけは無料で利用できるというので、ズームから参加してみました。


いろいろなレッスンがありましたが、まずはヨガを選んでみました。

すごくスタイルの良いインストラクターでした。

我が家でのレッスンでしたから、ヨガマットも自分の家のものなので、殺菌に気を使わないでできたのが良かったですね。

30分間だけでしたが、リラックスできました。

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「ライン送金」という手続きも、初めてトライしてみました。

これは、ラインでのお友だち同士なら、送金手数料もかからず、その場で送金できるというものです。

大きなお金を動かすのはちょっと抵抗がありますが、1円から送金できるようなので、ちょっとした立替えとかには、気兼ねなくできそうだと思いました。

送金する時には、メッセージなども一緒に送れますし、あっという間にできるので、便利なものだと思いました。

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「着物でサルコ」という会は埼玉在住のお二人が企画しています。こちらのリアルイベントにもよく参加していましたが、今回はオンラインイベントでした。

これはズームで行われました。

前回の時は、パソコンから参加したのですが、今回はタブレットとスマホの両方を使ってみました。

タブレットでの設定がよく分からないところもありましたが、あちこち触っていたら、なんとかなりました。

タブレットでは画面が左右反転するということが分かりました。着物を左前に着ているように見えるのですが、それは自分だけであって、他人さまからは普通に見えるのだそうです。

今回は、ゲストの講師から、「数秘」という解説をしていただきました。

生年月日から、その人の生まれ持った特性や、今後の使命などを教えていただきました。

バイオリズムのようなものなのでしょうか。

自分では分からない性格や、行動パターンなども指摘されて、ぴったりと思ったり、意外と思ったり。客観的に冷静な様子で説明してくれるのが良かったですね。

最後の場面です。(写真は参加者のBさんより拝借しました)

楽しい時間を過ごすことができました。

みなさま、ありがとうございました。

その時の装いです。お正月らしい着物にしようかと思いましたが、自宅なので普通の着物にしました。


去年、「着物ひろこ」のイベント▼で購入したもの。たしか3000円だったはず。

帯はあまりに真っ赤に写っていますが、実物は朱色っぽいかな。こちらは「キモサト」という着物の里親ショップで1000円だったもの。袋帯ですが、かなり長くて手こずりました。

年をとっても、新しい体験に挑戦してみるのは面白いですね。

そうそう、来週は「源氏物語を楽しむ会」もオンラインで開くことにしたのでした。

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「一日一句」

冬日向(ふゆひなた) 古希過ぎてなお 日々新た